制作と研究

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私が勤務している広島市立大学芸術学部は実技系の学部で、美術学科には、日本画、油絵、彫刻の各専攻が、デザイン工芸学科には、視覚造形、メディア造形、立体造形、金属造形、漆造形、染色造形の各分野と現代表現領域があります。全ての学生は、制作として芸術を学んでいます。

私以外の教員は全て、実技を教える教員で、芸術学部では私だけが「理論系教員」と呼ばれる美術史担当の非実技系教員です。もちろん、一人で美学美術史をすべて教えているわけではありません。美学や日本美術史は国際学部の教員が担当していますし、西洋美術史や東洋美術史などは非常勤講師が教えています。私は現代美術史を受け持っています。

この大学に赴任する前も作家や実技系の学生と知り合う機会はありましたが、私は美術大学の出身ではないので、学生から教員まで周りがここまで作家ばかりという環境は初めてです。もちろん、それゆえに苦労することもなくはないですが(特に校務で)、総じて新鮮な環境を楽しんでいます。

現代美術を教える現代表現領域の授業では何度も作品の講評をしていますし、授業以外で講評を求められることもよくあります。これまで、本当のコンテンポラリーの作品はもっぱら見るばかりで、書く文章は、「現代美術」と言っても数十年も昔の歴史的な作品や作家を対象にしてきましたので、最初は多少の戸惑いを覚えたのは事実ですが、じきに興味を覚えるようになりました。作り手の考えを身の丈で考えるようになりましたし(そもそも研究者もある意味で「作り手」です)、作家である他教員や、非常勤講師などで来学する批評家や学芸員の方が講評する場に立ち会うのも得難い経験です。

現代美術の作品を見るという経験は、研究者が議論を作り上げるプロセスに似たものがあります。最初に受ける印象は漠然としているのですが、そのときに心に引っ掛かったことが徐々に見えてきて、それを明らかにするうちに、あるとき「見えてくる」という経験です。昔、クレメント・グリーンバーグの美術批評における「瞬間性」論を、マイケル・フリードの「瞬間性」論と峻別して、再解釈する論文を英語で書いたことがありましたが、そのときに考えていたのは、まさにそういうことでした。制作と研究はそれほど大きくかけ離れた事象ではないと私は考えています。

研究者として以前から考えてきたことを、作家や作品と触れ合う中で実際に体験するということもありますし、その反対に、作家や作品との対話の中からある種の言説が立ち上がってくることもあります。現在の恵まれた環境をうまく活用しながら、現代美術に関する自らの議論を練り上げていければと考えています。

ブロガー

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