『アンフォルム』の翻訳を終えて(2)

| | コメント(0)
『アンフォルム』の翻訳の話の続きです。

前回、『アンフォルム』の方法論的な慎重さや作品重視の姿勢について書きました。それは現代美術の専門家だけを対象としているということではありません。むしろその逆で、現代美術の研究者以外の方にも手に取ってもらえればという思いが私にはあります(なお、以下に書くことは私の個人的な考えであって、訳者同士あるいは出版社との共通見解というわけではないことをお断りしておきます)。

まずお勧めしたいのが、現代美術に関心がある一般の方々です。近年は、出版物の刊行や美術館の教育普及活動等により、現代美術の作品に対する解説や説明に触れる機会が増えてきましたが、作品のもっている歴史的、理論的な背景をここまで真剣に掘り下げている本はそう多くありません。文章は決して平易ではありませんが、それを読んだ後、作品を理解するということがいかにスリリングな体験であるのかがよく分かります。この本に取り上げられている作品の多くは、アメリカやヨーロッパの現代美術館でよく見かける作品ですので、海外で美術作品を見るときにも大きな助けとなります。

また、キュレーターの方にも興味を持って読んでいただけるのではないかと思います。もともとこの本は、イヴ=アラン・ボワとロザリンド・クラウスが企画した展覧会のカタログだったこともあり、作品の選択自体にさまざまな主張があります。たとえば、ブルース・ナウマンの《私のスチール椅子の下の空間 Space Under My Steel Chair》(1965-68)は、椅子の下の空間をコンクリートで固めて反転させて作った彫刻作品ですが、この作品が選ばれたのは、同種の作品が「署名作品signature work」となっているレイチェル・ホワイトリードのやや高すぎる評価に対抗するためであったことは明らかです。キュレーターは、現在、制作されている作品に価値を与えていくと同時に、それがどのような歴史を作り出しているのかについても自覚的に活動しています。美術作品を歴史に位置づける際の研究者側の有力な視点の一つを『アンフォルム』は提供していると思います。

そして、哲学思想に強い関心があり、同時に美術にも多少関心がある方にも、興味を持っていだたけるのではないかと思います。日本の読書層は、哲学思想への関心が高く、長い伝統があります。哲学者や思想家はしばしば美術作品を参照しますが、彼らよりもずっと巧みにかつ面白く美術作品を持ち出しているのが本書です。一見すると取りつく島がないように見える現代美術の作品が、理論的にアプローチすることでまったく違って見えるようになると同時に、その理論のもとになった哲学思想もまた新鮮に見えてくるのではないかと思います。

最後に、現在、作品制作に携わっている作家の方々にもお読みいただければと思います。私は、立場上、若い作家や学生のポートフォリオを見たりプレゼンテーションを聞いたりすることがあるのですが、そのときに思うのは、理論的に考えることの大切さです。「理論的に考える」とは、特定の理論的な立場に立って考えるということではなく、曖昧さを残すことなく徹底的に考え抜くということを意味するとすれば、本書は、そうした理論的な思考を鍛え上げる道具として第一級の価値があります。決して平易な本ではありませんが、読み終わった後に得るものもまたその分大きいことは保証できます。

以上書いてきたように、『アンフォルム』は、現代美術の専門家だけを対象とした本ではなく、様々な分野や立場の方々にとっても面白く読むことのできる本です。訳者の一人としては、上記以外の方々にも手を取っていただければ、望外の喜びです。『アンフォルム』のように学際的な性質をもち、より広い読者層に開かれている未邦訳の本は、まだまだあると思います。本書に関心をもって下さった月曜社の炯眼に感謝すると同時に、こうした書籍がこれからもっと注目を集めていくことを心より祈念しています。

ブロガー

月別アーカイブ