アートが分かる/分からない

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先週末の土日(09年06月27日、28日)、現在YCAMで開催中のスティーヴ・パクストン「Phantom Exhibition〜背骨のためのマテリアル」展、および「インターイメージとしての身体」展のギャラリーツアーを行いました。

展覧会スペシャルサイト
「Phantom Exhibition〜背骨のためのマテリアル」「インターイメージとしての身体」

ギャラリーツアーというのは、海外のミュージアムなどでは"Guided Tour"とかって書いてあるあれです。ファシリテーターがガイドして作品を鑑賞してまわるツアーのことです。ファシリテーターはミュージアムのスタッフである場合や、ミュージアムのボランティアが行うことが多いようです。

YCAMのギャラリーツアーでは、なるべく参加者の方とお話をしながら進行するようにしています。この週末はとても面白いギャラリーツアーが実施できたのですが、その話はまた後日ということにして、今日は「アートは難しい」という話題について考えてみたいと思います。
YCAMはメディアアートというジャンルを中心にアートの展示を行っています。必ずしもメディアアートに限った話ではないと思うのですが、日本においては、やはりアートの鑑賞というのは高尚なものという印象を持つ人は多いようです。

よくいわれる「アートは難しい」という言葉ですが、意外と深い問題を孕んでいるように見えます。こういう言葉を聞くと僕たちミュージアムのスタッフはつい「いえいえ、そんなに難しいものではないんですよ〜」なんて苦笑いしながら言ってしまいがちですが、本当にそうなんでしょうか? もしアートがすごく簡単で親しみやすいものばかりだとしたら、そちらのほうが良いことなのでしょうか? いつも悩んでしまいます。

実際アートと呼ばれるもの、またはそこに表現されているような人類の知の活動というのは、日常生活の中で親しみやすい思考のパターンだけではありません。日常生活を平穏に暮らしている目線からすると、突拍子もないような論理や発想もそこには存在します。そしてそれは多くの場合、決して奇を衒ってそうなっている訳ではなく、そうなる必然があってそうなっている、としか言いようの無いものが多いのです。

簡単に説明することを求められる職業が教育普及だとは思うのですが、その立場から言いにくいことを正直に言ってしまうと、アートはそんなに簡単な物ばかりじゃないよな、というのが率直な意見です。だから、すぐに簡単に「分かる」ってことはあまり無いんじゃないかなと思うし、それが普通だと思うのです。

でも日本の義務教育で「芸術」に触れるチャンスがある国語の授業も美術の授業も、根本的に成績という評価をつけないといけないので、正解を分かることが求められます。もちろん教育の現場には「正解なんて無いよ」と言ってくれる先生もたくさん居るとは思うのですが、形式的にでもテストや成績という形で突きつけられる評価というのは、小中学生にとっては残酷なまでに刻印されてしまいます。

また「分かりやすい」という言葉はアートだけに限らずテレビや雑誌、ニュースなどにおいてもよく叫ばれていることではあります。政治の問題は分かりにくいから興味が湧かない。だから分かりやすく解説する、ということだと思います。解説された側は「こうやって分かりやすくしてくれたら興味も持てるのに」と思うのだとは思いますが、政治ってそんなに簡単なんでしょうか? 国際問題って簡単なんでしょうか? 多くの人が知恵を絞ってもなかなか解決しない問題がそんなに簡単なのだとしたらそんなに滑稽なことはありません。やはりいろいろな人の立場や思惑、利権や対立、思想信条なども含めて複雑に絡まっているからこそ本当に難しいことだと思う訳です。逆にいうと、それらをすべてすっ飛ばして、簡単に解説してしまうことで抜け落ちちゃうもの、それらが結構重要なんじゃないか、ということと、それらが抜け落ちたことに気付かないことは、意外と大きな損失なんじゃないのか、ということが心配になってしまいます。

話をアートに戻しましょう。僕自身、学校の枠組みがいろいろあって、先生だって仕方なく成績をつけている、ということが分かるのは、卒業してからだいぶ経ってからでした。だからやっぱりそれまでは「アーティストや、著者の意図はこうなっているに違いない」という予測を立てて回答欄を埋めていました。正解でも不正解でも、そこに意図があってそれを読み解くことがアートの解釈だと思う人が多いのは必然なのかもしれません。「分かる/分からない」が前提条件になって作品と向き合う人はたくさん居ます。結果として「アートは分からない」という人の数がものすごく多いよなあ、というのが現場での実感です。

作品の内容をかいつまんでしまって、いかにも簡単なことのように見せかけて説明することも可能だと思うし、そうすることによって、ミュージアムへの来場者を増やしたい、という意図もよくわかります。まずはたくさんの人に見てもらわないと、という声に異を唱えるつもりはないのですが、でも、本質的な議論として、どうすれば鑑賞者と作品との関係をうまく形作れるだろうか、という点からギャラリーツアーのようなプログラムを見つめ直すことは、簡単に説明することと同じぐらい重要なことなんじゃないかな、と悩みながら考えているのが現状です。

じゃあ、どうすりゃ良いの?という話になる訳ですが、なかなか「これが答え!」みたいなものには行き当たらないのも正直なところです。いやはや難しいものです。この話題はまだまだ展開できそうです。次回このギャラリーツアーの話をするときには、今のところの解決案について考えてみたいと思います。

今日はとりあえずここまで。

ブロガー

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