遊戯室訪問の翌日、水戸芸術館で開催中の『現代美術も楽勝よ。』展に行ってきました。この展覧会には、個人的にもすごく付き合いのあるnadegata
instant party(中崎透+山城大督+野田智子)(以下ナデガタ)が参加しており、彼らがどんなプロジェクトを展開したのか非常に注目していました。
展覧会詳細は下記ウェブサイトを参照
http://www.arttowermito.or.jp/art/modules/tinyd0/index.php?id=9
展覧会詳細は下記ウェブサイトを参照
http://www.arttowermito.or.jp/art/modules/tinyd0/index.php?id=9
いきなり結論から述べます。
この展覧会はとても面白かったです!
また構造という話になりますが、今回はプロジェクトが完成するまでに構築された仕組みがすごく興味深いです。
これまで水戸芸術館が20年かけて蓄積してきた作品がどれもすばらしいのはもちろんなのですが、結果的に展覧会をつくること自体が一つのプロジェクトの一部 になるという、ナデガタが仕掛けた重層する構造がとても魅力的です。まさに "reversible collection" なんです。
まずは簡単にその構造を説明します。
今回ナデガタは美術館を主な舞台とした『映画』をつくりました。(彼らが映画と言っている以上これは正真正銘の映画です)
そして、その映画をつくるという行為が展覧会自体の骨格をつくっています。
計 7つの展示室にはそれぞれのテーマに沿って、コレクション作品が展示されています。そしてその各所に、作品の梱包ケースや展示に使用する道具、資料や機材 などが舞台の小道具のように散らばっています。それらは会場の装飾のようにも見えるし、展覧会開始直前の片付け前の光景にも見えるのですが、実はこの展覧会場自体が彼らの映画の舞台セットにもなっています。ただ、そんなことは気にしなければほぼ通常の展覧会場で、設置された作品だけを純粋に楽しむこともで きます。
展示室に入る直前には導入的にナデガタの作品の予告編が放映されていて、コレクションを見て展示室を出ると、ナデガタが映画のために製作した大道具や小道具、記録写真、ドローイングなどプロジェクトのプロセスで生成したものをドキュメントベースのインスタレーションとして再構築した展示があります。
そしてこの展示を抜けて、中央の吹き抜け側の回廊をぐるりと巡ると向かいの小部屋でナデガタの映画を見ることができます。映画というスタイルをとっているため、上映は1日5回のみ。いい意味でも、この映画が一連の展覧会とはしっかりと区切られています。
↑ナデガタのインスタレーション
ち なみに映画自体はミステリー調に仕立てられており、展示されている作品を読み解きながら事件の真相を究明していくというスタイルで、その過程でそれぞれの 作品についての解説が組み入れられたり、コレクションの展示構成の意図が説明されたりしています。これがペーパーの解説文だったらあまり読まないかもしれ ないけど、ナデガタの映画を見るなかで自然に展示作品についての一歩踏み込んだ情報を得ていくことができます。この映画を見ることは、アーティストやスタッフによるギャラリーツアーを仮想的に体験したようなもので、もう一度展覧会を回って実際の作品を見たくなります。
実際に映画の観賞後にもう一度コレクション群を見て廻ると、展覧会の構成や作品ひとつひとつが違った角度からも見えてきて、よりコレクション作品についての理解も深まり、もう一度新鮮な視点で展覧会を楽しむことができます。
つまり、この展覧会はひとつの会場で三度違った体験ができる、とってもおいしいつくりの展覧会なんです。
まずは作品に直面して一人で味わいます。次にナデガタの映画を見ると、彼らがつくった展覧会の構造を発見することができ、同時に展示作品に関する知識も深まります。最後にもう一度展覧会を見ると、映画の舞台としてのもうひとつの展示空間と、個々の作品に対する理解を深めた上でのコレクション展を見ることができます。トータルで約三時間コースですが、 同じものを何度も新鮮な視点で堪能できるっていうお得で素敵なものなんです。
そういう意味で、ナデガタがつくったこの構造のおかげもあって、僕は本当に展覧会を楽しめました。
そう考えると、彼らが今回のプロジェクトに付している "reversible collection" というコンセプト(僕は勝手にこれこそが本質の部分かなと思っています)が、すごく明解になってきます。つまり、まず通常のコレクション展があって、その裏ではナデガタが口実的に製作した映画の舞台としてプロデュースしたコレクション展がある。三度じっくり体験すると、この "reversible collection" こそ、今回のプロジェクトの本質を表明するキーワードだったんだってことに気付くわけです。
美術館のコレクション展という制度自体をもう一度全く違う角度から眺めて、まさにreversibleと呼ぶにふさわしい構造を組立てるプロジェクトを展開しているんですね。彼らのイ ンスタレーションでは壁面に「映画はあくまで口実で...」的な文句がもっともらしくメッセージ調に書いてあるけど、実際この構造を明確にするための口実という側面は多分にあったと思います。
それではナデガタの映画は、ほんとうに "reversible collection" を実現するための単なる口実かというと、決してそんなことはありません。この映画からは、水戸芸術館がこの地で20年かけて築いてきた地元との着実でしっかりとした関係性が、嫌みや嘘くささなどなく、とてもいいかたちで見えてきます。明確な財産としてのコレクションだけでなく、普段は目に見えない地域やそ こに住む人との関係という美術館が培ってきたもうひとつの裏側の財産を、彼らはこの映画を通して見事に描き出しています。
実際映画製作への地域の人々の巻き込まれっぷりは尋常でなく、冷静にアーティストと対峙するはずの水戸芸スタッフもあえてガッツリ彼らの作品に巻き込まれており、なんだか異様な雰囲気に仕上がっています。
映画自体はかなり強引で多少ストーリーが破綻したりもしているんですが、まさに彼らの脱帽するほどのコミュニケーション力の高さと、中崎透が遊戯室などを運営しつつ水戸でアーティストとして活動して築いてきた"ホーム"的な感覚というか強度が、それ以上によく見えてきます。
そしてナデガタのプロジェ クトにいつもつきまとう、作品の内側に入り込んでしまった人には面白いけど、外側の人は白けてしまいがちという問題は、今回はそれほど感じませんでした。 気付いたら展覧会を鑑賞したすべての人がかれらのプロジェクトに巻き込まれているわけだし、映画にしても結構普通に1時間見れてしまう。映画としての完成 度を超えて、その背後にある奇妙な一体感や高揚感が、鑑賞者に迫ってくる感じがすごくよかったです。1時間映画を見ると、「なるほどこれは映像作品ではな くて"映画"だったんだ」と改めて思ったりもします。
ただ、やはり彼らのインスタレーションとしての展示は、とって付けた感が否めない、というのは正直な感想です。あれだけのコレクション作品の後に、あのドキュメントはなんだか弱い感じもしちゃいます。
"reversible collection"は一つの展覧会を気持ちよくジャックするというものだったはずなのに、この展示によって「あれっ」て感じはしちゃうんですよね。もちろん色んな事情があってのことだとは思うのですが、個人的には展覧会という構造を再構築した "reversible collection" というコンセプトを体現する展示を見られたらなって思いました。
でもプロセスの作り方は刺激的だし、考え方も本当に面白いです。そしてこういうプロ ジェクトベースの展開だからこそ、彼らのテーマでもあるアーカイブすること、そしてドキュメントすることが非常に重要になってくるはずです。今後この問題をどのように発展させていくのかは、彼らの課題でもあるし、僕はその部分を次回はさらに楽しみにしたいと思っています。
ちなみに、この日はちょうど彼らの映画『学芸員Aの最後の仕事』の上映会が劇場で実施されました。映画にボランティアとして関わった人が何十人と来ていて、さすが彼らは上っ面じゃない関係をみんなと築き上げたんだなっていうのを実感しました。
↑ナデガタの3人。左より、山城くん、野田さん、中崎くん
↑上映後の舞台挨拶の写真です。これを見るとさっき触れた妙な一体感と高揚感が伝わるかと思います。
そういえばこの日は今回の映画の監督を担当した山城くんの初監督作品『社会の窓』の特別上映会も実施されました。山城くんの間髪入れないライブによる解説のおかげで、こちらもかなり楽しい上映となりました。
↑上映会です。みんなで若かりし山城くんをボコボコにする会でもあったのか?
ちなみに打ち上げにもちょっとだけ参加してきました。
こういうパーティのオーガナイズも自分たちでやってしまうんですよねナデガタは。
↑打ち上げの様子。いつもこの中華料理屋さんだそうです。
とにかく色んな意味で、勉強にもなったし刺激も受けたいい体験でした。
僕自身このプロジェクトは結構解釈するのに時間がかかったのでブログのアップにも間が空いてしまいました。ですので、この展覧会とナデガタの作品を是非色んな人に見ていただいて、その感想をききたいです。既に鑑賞された方のコメントなどお待ちしております。
この展覧会はとても面白かったです!
また構造という話になりますが、今回はプロジェクトが完成するまでに構築された仕組みがすごく興味深いです。
これまで水戸芸術館が20年かけて蓄積してきた作品がどれもすばらしいのはもちろんなのですが、結果的に展覧会をつくること自体が一つのプロジェクトの一部 になるという、ナデガタが仕掛けた重層する構造がとても魅力的です。まさに "reversible collection" なんです。
まずは簡単にその構造を説明します。
今回ナデガタは美術館を主な舞台とした『映画』をつくりました。(彼らが映画と言っている以上これは正真正銘の映画です)
そして、その映画をつくるという行為が展覧会自体の骨格をつくっています。
計 7つの展示室にはそれぞれのテーマに沿って、コレクション作品が展示されています。そしてその各所に、作品の梱包ケースや展示に使用する道具、資料や機材 などが舞台の小道具のように散らばっています。それらは会場の装飾のようにも見えるし、展覧会開始直前の片付け前の光景にも見えるのですが、実はこの展覧会場自体が彼らの映画の舞台セットにもなっています。ただ、そんなことは気にしなければほぼ通常の展覧会場で、設置された作品だけを純粋に楽しむこともで きます。
展示室に入る直前には導入的にナデガタの作品の予告編が放映されていて、コレクションを見て展示室を出ると、ナデガタが映画のために製作した大道具や小道具、記録写真、ドローイングなどプロジェクトのプロセスで生成したものをドキュメントベースのインスタレーションとして再構築した展示があります。
そしてこの展示を抜けて、中央の吹き抜け側の回廊をぐるりと巡ると向かいの小部屋でナデガタの映画を見ることができます。映画というスタイルをとっているため、上映は1日5回のみ。いい意味でも、この映画が一連の展覧会とはしっかりと区切られています。
↑ナデガタのインスタレーション
ち なみに映画自体はミステリー調に仕立てられており、展示されている作品を読み解きながら事件の真相を究明していくというスタイルで、その過程でそれぞれの 作品についての解説が組み入れられたり、コレクションの展示構成の意図が説明されたりしています。これがペーパーの解説文だったらあまり読まないかもしれ ないけど、ナデガタの映画を見るなかで自然に展示作品についての一歩踏み込んだ情報を得ていくことができます。この映画を見ることは、アーティストやスタッフによるギャラリーツアーを仮想的に体験したようなもので、もう一度展覧会を回って実際の作品を見たくなります。
実際に映画の観賞後にもう一度コレクション群を見て廻ると、展覧会の構成や作品ひとつひとつが違った角度からも見えてきて、よりコレクション作品についての理解も深まり、もう一度新鮮な視点で展覧会を楽しむことができます。
つまり、この展覧会はひとつの会場で三度違った体験ができる、とってもおいしいつくりの展覧会なんです。
まずは作品に直面して一人で味わいます。次にナデガタの映画を見ると、彼らがつくった展覧会の構造を発見することができ、同時に展示作品に関する知識も深まります。最後にもう一度展覧会を見ると、映画の舞台としてのもうひとつの展示空間と、個々の作品に対する理解を深めた上でのコレクション展を見ることができます。トータルで約三時間コースですが、 同じものを何度も新鮮な視点で堪能できるっていうお得で素敵なものなんです。
そういう意味で、ナデガタがつくったこの構造のおかげもあって、僕は本当に展覧会を楽しめました。
そう考えると、彼らが今回のプロジェクトに付している "reversible collection" というコンセプト(僕は勝手にこれこそが本質の部分かなと思っています)が、すごく明解になってきます。つまり、まず通常のコレクション展があって、その裏ではナデガタが口実的に製作した映画の舞台としてプロデュースしたコレクション展がある。三度じっくり体験すると、この "reversible collection" こそ、今回のプロジェクトの本質を表明するキーワードだったんだってことに気付くわけです。
美術館のコレクション展という制度自体をもう一度全く違う角度から眺めて、まさにreversibleと呼ぶにふさわしい構造を組立てるプロジェクトを展開しているんですね。彼らのイ ンスタレーションでは壁面に「映画はあくまで口実で...」的な文句がもっともらしくメッセージ調に書いてあるけど、実際この構造を明確にするための口実という側面は多分にあったと思います。
それではナデガタの映画は、ほんとうに "reversible collection" を実現するための単なる口実かというと、決してそんなことはありません。この映画からは、水戸芸術館がこの地で20年かけて築いてきた地元との着実でしっかりとした関係性が、嫌みや嘘くささなどなく、とてもいいかたちで見えてきます。明確な財産としてのコレクションだけでなく、普段は目に見えない地域やそ こに住む人との関係という美術館が培ってきたもうひとつの裏側の財産を、彼らはこの映画を通して見事に描き出しています。
実際映画製作への地域の人々の巻き込まれっぷりは尋常でなく、冷静にアーティストと対峙するはずの水戸芸スタッフもあえてガッツリ彼らの作品に巻き込まれており、なんだか異様な雰囲気に仕上がっています。
映画自体はかなり強引で多少ストーリーが破綻したりもしているんですが、まさに彼らの脱帽するほどのコミュニケーション力の高さと、中崎透が遊戯室などを運営しつつ水戸でアーティストとして活動して築いてきた"ホーム"的な感覚というか強度が、それ以上によく見えてきます。
そしてナデガタのプロジェ クトにいつもつきまとう、作品の内側に入り込んでしまった人には面白いけど、外側の人は白けてしまいがちという問題は、今回はそれほど感じませんでした。 気付いたら展覧会を鑑賞したすべての人がかれらのプロジェクトに巻き込まれているわけだし、映画にしても結構普通に1時間見れてしまう。映画としての完成 度を超えて、その背後にある奇妙な一体感や高揚感が、鑑賞者に迫ってくる感じがすごくよかったです。1時間映画を見ると、「なるほどこれは映像作品ではな くて"映画"だったんだ」と改めて思ったりもします。
ただ、やはり彼らのインスタレーションとしての展示は、とって付けた感が否めない、というのは正直な感想です。あれだけのコレクション作品の後に、あのドキュメントはなんだか弱い感じもしちゃいます。
"reversible collection"は一つの展覧会を気持ちよくジャックするというものだったはずなのに、この展示によって「あれっ」て感じはしちゃうんですよね。もちろん色んな事情があってのことだとは思うのですが、個人的には展覧会という構造を再構築した "reversible collection" というコンセプトを体現する展示を見られたらなって思いました。
でもプロセスの作り方は刺激的だし、考え方も本当に面白いです。そしてこういうプロ ジェクトベースの展開だからこそ、彼らのテーマでもあるアーカイブすること、そしてドキュメントすることが非常に重要になってくるはずです。今後この問題をどのように発展させていくのかは、彼らの課題でもあるし、僕はその部分を次回はさらに楽しみにしたいと思っています。
ちなみに、この日はちょうど彼らの映画『学芸員Aの最後の仕事』の上映会が劇場で実施されました。映画にボランティアとして関わった人が何十人と来ていて、さすが彼らは上っ面じゃない関係をみんなと築き上げたんだなっていうのを実感しました。
↑ナデガタの3人。左より、山城くん、野田さん、中崎くん
↑上映後の舞台挨拶の写真です。これを見るとさっき触れた妙な一体感と高揚感が伝わるかと思います。
そういえばこの日は今回の映画の監督を担当した山城くんの初監督作品『社会の窓』の特別上映会も実施されました。山城くんの間髪入れないライブによる解説のおかげで、こちらもかなり楽しい上映となりました。
↑上映会です。みんなで若かりし山城くんをボコボコにする会でもあったのか?
ちなみに打ち上げにもちょっとだけ参加してきました。
こういうパーティのオーガナイズも自分たちでやってしまうんですよねナデガタは。
↑打ち上げの様子。いつもこの中華料理屋さんだそうです。
とにかく色んな意味で、勉強にもなったし刺激も受けたいい体験でした。
僕自身このプロジェクトは結構解釈するのに時間がかかったのでブログのアップにも間が空いてしまいました。ですので、この展覧会とナデガタの作品を是非色んな人に見ていただいて、その感想をききたいです。既に鑑賞された方のコメントなどお待ちしております。