矢口克信 「こんな日本にしたのは誰でやんすか?」

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本日行われました、矢口克信による大衆浪漫歌劇「声低く語り、声惹くく歌たれ」。

開催中のクリテリオムの展示の評価が
この関連企画によって大きく左右されるだろう、
と考えていました。

演劇の通常の評価軸からは逸脱しているだろうけど、
日本(←ここ限定話法です)において、市民にとってのアートってなにか?
地方都市(←ここも限定)にある公立(←ここも)美術館が市民にとってもちうる意義・役割などなど・・・
について改めて考えさせる装置になったかなとおもいます。

それほど広報もしていないのに、予想以上のお客さんが訪れ、
しかもこれまでのギャラリー来場者の層とはズレていて
さらに出演者へ贈る花束を持って来る人が何人もいて
人が人をよんだ結果としての入場者数でした。

それこそ実は
矢口くんがクリテリオム「トマトラベル」で言いたかったことのひとつ:
人と人の関係性=「人間人」と書く「トマト」の部分が現れたかのよう。

今年、水戸芸術館では、
1.ナデガタ・インスタント・パーティによる市民がキャストや裏方として関わっていっしょにつくった映画
「学芸員Aの最後の仕事」

2.大友良英さんがディレクションした、地元住民が主な参加者となった
「アンサンブルズ・パレード」
*現在映像編集中。後日アップします。


3.この矢口克信くんの「大衆浪漫歌劇」

と、たてつづけに、
これまでの「街中アートプロジェクト」とは異なる形で、
美術館が地域に開いた事例がうまれました。

どれもこれも
映画、音楽、芝居、
と「美術」としてのフォルムをまとっていないことが何かを物語っている・・・。

そういえば、今秋の「F/T フェスティバル・トーキョー」でも
「リアル」を求めて、演劇が劇場から出て繰り広げられた例がいくつかありました。

美術館から出る
劇場から出る

そこには
美術と市民の断絶
美術と社会の乖離
に対する応答としての「リアルなアート」
つまり広く多くの人に「実体感のあるアート」が
内在しています。

矢口くんが、おもしろおかしい大衆浪漫歌劇のなかで
唯一「低い声」で真剣な表情をして投げかけた、
「こんな日本にしたのは誰でやんすか?」という問いは、
もちろんその「誰か」を突き詰めることが問題ではなく
現状を「改革するための実践」をあの場にいた人びとに呼びかけていたのです。

その呼びかけは、
ちょうどいま水戸芸術館で開催中のボイス展と共鳴し
私の耳に響きました。

ブロガー

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