いま知っておくべきアートワード50選

美術の展開2014(2)

遠藤亮平(富山県立近代美術館)2014年02月01日号

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新政府|コレクティブ・アクト|「日本の70年代 1968-1982」展|「東京1955-1970──新しい前衛」展

 東日本大震災からまもなく3年が経とうとしている。アベノミクスによる経済の好転、東京五輪の開催決定と明るいニュースが飛び交う一方で、被災地の復興は思うように進まず、原発事故の汚染水問題は終息の兆しを見せず、いまだに不安な日々が続いている。
 3.11以降、数多くの美術関係者が被災地に向かい活動を行った。被災者を励ますべくアートプロジェクトやワークショップを開催する者、被災地に取材をして作品を制作する者、その活動は多岐にわたり、アートと関係なくボランティア活動に従事する者も少なくなかった。震災の翌年に水戸芸術館で開催された「3.11とアーティスト──進行形の記録」展は、アーティストが被災地で行った様々な活動の記録を展示し、アーティストによる被災地への関わり方をいち早く検証する展覧会となった。震災以降、復興支援プロジェクト「Arts Action 3331」を展開したアーツ千代田3111もまた、同年に「つくることが生きること」展を開催し、被災地で行われたプロジェクトを紹介している。アートを通じた支援活動は現在も続いており、その効果や課題は今後改めて検証されることだろう。
 アーティストによる3.11への反応は作品という形でも現れている。震災直後はChim↑Pomによる岡本太郎の「明日の神話」への介入がスキャンダラスな話題を振りまいたが、その後も展覧会などで震災を契機に制作された作品を見る機会は多かった。原発事故に対する政府の対応への懐疑から新政府を設立した坂口恭平の展覧会「坂口恭平 新政府」がワタリウム美術館で開催され、東京都美術館で開催された福田美蘭展には震災に向き合い制作された連作絵画が並び話題を呼んだ。ヴェネツィアビエンナーレで日本館の展示を行った田中功起は震災後の社会状況をテーマに展覧会「抽象的に話すこと──不確かなものの共有とコレクティブ・アクト」を開催し、特別表彰を受けている。目をそらすことのできない現実を前に、多くのアーティストがこの出来事について考えを巡らし、自らの作品のテーマとしたのである。


左=「3.11とアーティスト──進行形の記録」展
右=「坂口恭平 新政府」展


「Arts Action 3331/ つくることが生きること」展

 アートをめぐる状況は3.11以降どのように変わったのだろうか。ボランティアやチャリティ活動が盛んに行われたように、社会への意識が高まる中で、アートは社会に対して何が可能か、アートによる社会への関わり方が問い直されたことは確かだろう。震災を挟んで開催された「MOTアニュアル2012 風が吹けば桶屋が儲かる」展はアートの枠組みにとらわれずに積極的に他者や社会に関わるアーティストを多く取り上げ、「六本木クロッシング2013展:アウト・オブ・ダウト─来たるべき風景のために」はその中で、震災以降に制作された社会的なテーマを持つ作品を60年代のルポルタージュ絵画と並置させる試みを行った。また、森美術館で開催された「会田誠展:天才でごめんなさい」に際して、展示作品が市民団体の抗議を受けた通称森美術館事件は、表現の自由のみならず、社会におけるアートの存在意義を考えさせる出来事でもあっただろう。
 3.11は社会の様々な価値観を一変させた。アートもまたその例外ではない。美術関係者の多くが「アートに何が可能か」を切実に考え行動を起こしたことで、アートの社会的な役割が顕在化したのである。3.11によりアートの意味と可能性の再考を迫られた私たちは、社会におけるアートの在り方を見直す転換期を迎えているのだ。


「会田誠展:天才でごめんなさい」展

 アートの意味を問い直す今、敗戦後の焼け野原から表現を立ち上げた戦後美術の歩みに立ち返ることは意味があるだろう。戦後美術を回顧する展覧会は引き続き開催され、特に具体やGUN、実験工房、ハイ・レッド・センターなど、前衛美術集団を再検証する展覧会が充実した。また、『中原祐介美術批評選集』と『虚像の時代──東野芳明美術批評選』が刊行されたように、戦後美術を言説から支えた批評家の再考も進み、府中市美術館では一人の批評家に焦点を当てた画期的な展覧会「石子順造的世界 美術発・マンガ経由・キッチュ行」が開催され高い評価を受けた。美術を時代や社会との密接な関わりの中で捉えなおす試みも行われ、時を同じくして開催された東京国立近代美術館の「美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年」展の第2部「実験場50s」と埼玉県立近代美術館の「日本の70年代」展は、共に美術作品を幅広いジャンルの資料と共に展示する大掛かりな展覧会であった。
 近年、海外で日本の戦後美術をテーマとする展覧会が相次いだことは特筆される。ブラム&ポー画廊ではもの派の展覧会「太陽へのレクイエム」が、グッゲンハイム美術館では具体の充実した回顧展「具体──素晴らしい遊び場所」が開催され、中でもニューヨーク近代美術館(MoMA)で戦後日本の前衛美術を回顧する展覧会「東京1955-1970──新しい前衛」が開催されたことは、北米を中心とする日本の戦後美術への関心の高まりを象徴する出来事であった。アメリカでは1994年にグッゲンハイム美術館で「戦後日本の前衛美術」展が開催されて以降、日本の戦後美術を専門とする研究者やキュレーターが活躍し始め、美術館もコレクションを行うようになり、こうした研究の蓄積の成果が現在のブームに繋がっている。


左=「日本の70年代 1968-1982」展
右=Tokyo 1955-1970: A New Avant-Grade(『東京1955-1970──新しい前衛』), Museum of Modern Art, 2012.

 日本の戦後美術が海外の研究者により検証され、評価されることは喜ばしいことである反面、グローバルに受容されていく過程で抜け落ちていくものには注意を払わなければならない。日本固有の問題を扱う作家や流行から離れて活動する作家などの、理解や位置づけの難しい表現が取り残される可能性も考えられる。ニューヨーク近代美術館から日本の戦後美術批評アンソロジーが刊行されたように、今後海外での研究がますます進展していくことは間違いない。日本がその流れに後れを取らないためにも、私たちは世界的な視野に立って戦後美術を考えることは勿論のこと、自国の美術についての認識をより一層深めていかなければならないだろう。
 ポスト3.11と戦後美術のグローバル化という状況の下、私たちはこれまで以上に日本の美術の意味と価値について考えることを求められているのだ。

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遠藤亮平

1987年生まれ。2011年東京藝術大学大学院美術研究科修了。富山県立近代美術館学芸員。