The Best of 1997/1998 1997年のアートシーン/1998年のアートシーン |
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名古屋 覚 美術ジャーナリスト | |
1997年のアートシーン 1――評価した展覧会/イベント/作品など 《追悼 大沢昌助展――新たなる現在》9/6〜10/5 練馬区立美術館 5月、93歳で他界した画家で、近−現代美術の真の巨匠の追悼展。その融通無碍な線とかたちと色彩の優美さ、力強さに、「日本の」ではない、“人類の芸術”の品格をみたが、大沢の絵画は“文明開化”以降の日本が生んだ美術の最高峰でもあろう。この国の美術家の仕事でこれを超えるものに出会うことが今後、はたしてあるか? 2――活動が印象に残った人物 6月から9月にかけてドイツ・カッセルで開催された、国際現代美術展“ドクメンタ10”の芸術監督、カトリーヌ・ダヴィッド女史(前フランス国立ジュ・ドゥ・ポーム美術ギャラリー・キュレーター) ダヴィッド女史の、“写真や映像、概念芸術の隆盛に、社会や政治とかかわりをもつ現代美術の変遷をみる”というアイディアは、一面的であまり賛同できない。だが、アジアやアフリカなどの作家の頭数をそろえる“アファーマティヴ・アクション”を採用せず、自分のアイディアに合致しない作家を排除する断固たる姿勢と、それを弁明する毅然とした態度は立派。芸術の根本は、闘争にあり。 3――記憶に残った動向/トピックスなど 依然として、落ち目の作家と、ギョーカイ用語しか使えないダメキュレイター、そして実質的読者数が本人と編集者、および取り上げられた作家の3名プラスアルファの「評論家」がキズをなめ合い、仲間内で盛り上がるニッポンの美術界 そんななか、日本の各地で、また美術のさまざまな分野で、世の寒風をものともせず、組織を離れる人々が目についた。独立に至った理由はどうあれ、そうした野心的な“一匹オオカミたち”こそ、井戸端会議のようなニッポンの現代美術に活を入れてくれる人々と思いたい。 |
nmp.j1997年7月24日号 ドクメンタ10 ●名古屋 覚 作品ガイド:ドクメンタ10 ●名古屋 覚+村田 真 ドクメンタ10 オープニング・シンポジウム |
1998年のアートシーン 1――期待する展覧会/プロジェクト/作品など われわれが生きる場所である空間に実在し、視覚を通してあらゆる鑑賞者に等しい強度でうったえる内容と、人間精神の崇高さ、および創造力の無限の発展に信を置いた作品を見せる、あらゆる展覧会 まだ、ことし予定されている展覧会のすべてを把握しているわけではないので、具体的には挙げられないが、上の条件にかなう“本物の”美術作品と出会いたい。「ヴァーチュアル・スペース」内の作品、ビデオおよびパフォーマンスは、筆者の目下の守備範囲にはない。マイノリティーあるいは「平和憲法」擁護のための作品は、容赦なく撃つ。 2――活躍が期待される人物 水戸芸術館現代美術センター学芸員・森 司氏 同氏は〈nmp〉の監修者でもあるので、いささか躊躇しないでもないが、これは、冗談でも皮肉でもない。年代的にも、また組織の中のキュレイターとしての立場からいっても、氏はニッポンの現代美術の“これから”をになう中核的、そして典型的なひとりであり、氏の言動は、いろいろな意味でこの国の現代美術の状況を象徴するものと、筆者はみている。そんなわけで、氏の活躍ぶりに注目したいのだ。 3――1998年はどのような変化があると思いますか 特によいことは、ないだろう ニッポン最大にして唯一の本格的な現代美術フェア・NICAFが、一昨年同様ことしも中止に。画廊の出展意欲の低迷が主な原因という。景気の悪さもあるだろうが、たとえ景気が回復しても、もっと根本的な環境が向上しないかぎり、この国のアートシーンは永遠に“氷河期”だろう。その環境とは、作品および作品の“周辺”に関して、タブーなき議論ができる風土である。「辛辣な批評のないところに価値ある作品は生まれない」のだと、自戒を含めて強調したい。 |
エディターズ・コラム ●森 司 nmp.j 1997年7月24日号 nmpリニューアルに際して nmp.j 1997年8月21日号 エディターズ・ノート nmp.j 1997年9月18日号 展覧会の楽しみ方 nmp.j 1997年10月30日号 行楽気分で楽しむ秋のアートウオッチ おすすめスポット一覧 nmp.j 1997年11月27日号 文化財情報システムと共通索引システム 文化庁が推進する 美術品情報の集中管理構想 nmp.j 1998年1月15日号 1年の計とアート活動にまつわる もうひとつの計 4倍速の時間の時代に |