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メセナ日記−4
――感謝はムズカシイ
熊倉純子

10月×日

会議のあとにA社のメセナ担当者と立ち話。長年サポートしているという劇団の公演チケットをいただく。宣伝部の人だと「こんなの行くう?」というノリだが、メセナの担当者なので「ぜひ観て下さい。感想を聞きたい」と熱心に誘われる。その彼がぽろっと愚痴をこぼした。「この劇団、応援してもう10年近くになるけど、一度も会ったことないんですよね。1回くらいお礼言ってくれてもいいと思うんだけど、それは望みすぎかしら」。怒ってるというより悲しそうな様子。それはいかん、感謝の気持ちのないヤツラだ、とひとしきり代わりに怒ってさしあげる。オフィスに戻って同僚の演劇青年にちらっとその話をした。

10月△日

忘れた頃に同僚からその件の劇団サイドの話を聞く。実はこのサポート、間に広告代理店が入っていて、直接スポンサーに会わせてくれないのだという。「私たちだってずっと前から直接お目にかかってお礼申し上げたいといってるのに」と嘆いているというではないか!なんだ、それなら簡単、とA社に事情を話し、ご対面をセット。めでたし、めでたし……

10月□日

美術作家のBさんから電話。展覧会のたびにC社に支援してもらって、心苦しいと浮かぬ声。サポートは嬉しいけど、「施し」を受けているようなミジメな気分なんだという。要するに相手と対等ではない気がするのだろう。「でも結局、いい作品を作って支援に応えるしかないよね」と溜息をつくBさん。
  「期待に応える」というといかにも月並みなセリフだが、メセナは福祉ではないので、ただ「困っている」アーティストを助けたのではプロではない。「あなたの支援で私の活動はこういう展開を遂げた」と報告をしてあげると相手もほっとする。やがてそれが、「あのアーティストは伸びたね」という周囲の客観的な評価に裏付けられればメセナ冥利につきるというものだ。

10月○日

単独スポンサーではなく、複数のサポーターを持つ意味もそこにある。もちろん企業の側には、評価の定まらない若手に単独で高額の支援などできないというリスク回避の意味もあるが、むしろその支援が自己満足ではないことのささやかな証なのだ。アーティストの側も単独スポンサーより負い目を感じないですむ。
 はじめて企業まわりをしたアーティストのD君。「つい『御社のロゴをチラシにいれます』なんてへつらう自分が悲しい。僕の展覧会じゃ、そんなの全然見返りにならないとわかってるのに……相手も寂しそうに苦笑いしてました」。印刷物に社名を入れるのは、それが可能な場合には忘れちゃいけないエチケットであり、また税制上の必要手続きにすぎない。彼のいうとおり、「見返り」などには全然ならない。

10月☆日

とある演劇プロデューサーは、協賛してくれた企業の担当者になんとかして一度は稽古を見に来てもらうという。制作のプロセスに立ち会えるのはサポーターの特権、プライドをくすぐられるし、同時代芸術ならではの醍醐味だ。なにしろメーカーの人なら「ものづくり」には 思い入れがあるし、サービス業ならみんなでワイワイというイベント気分が嫌いじゃない。稽古に立ち会えば企業人とて人の子、気持ちはもう「関係者」となり、公演初日に客の入りが悪くとも、反応がいまいちでも一緒に気をもんでくれるようになる。
 そう考えると、会ったこともなく、ましてや稽古など見せてもらったことのない劇団の公演を熱心に勧めていたA社の人は前向きというのかお人好しというのか、憎めないタイプだ。

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