このページでは編集部のスタッフが交代で、著者とのやりとりや取材での出来事、心に留まったこと、調べ物で知ったこと、考えたことなど、つらつら書いていきます。開設から30年近い記事がすべて読めるartscape。過去の記事も掘り起こして紹介させていただきたいと思います。読者のみなさまには箸休め的な感じで楽しんでいただけると幸いです。
先日、東京方面から東海道線に揺られ、久々に神奈川県の茅ヶ崎市美術館へ行ってきました。6月9日まで開催されていた「フランシス真悟 Exploring Color and Space─色と空間を冒険する」に滑り込み、展示室で体感するため。 本展は、学芸員同士の対談を数珠つなぎしていく連載「もしもし、キュレーター?」の第2回と第3回に登場してくださった藤川悠さんが企画・担当された展覧会。
第2回 美術館での心の動きが、個々の日常に還っていくまで──藤川悠(茅ヶ崎市美術館)×畑井恵(千葉市美術館):もしもし、キュレーター?(2021年08月01日号)
第3回 地域のことを考えないと、美術館自体が成立しない──尺戸智佳子(黒部市美術館)×藤川悠(茅ヶ崎市美術館):もしもし、キュレーター?(2021年12月01日号)
目の前の色の変化と対話しているうちに自らの深層に潜っていく、メディテーションのような得がたい展示体験でした。
茅ヶ崎市美術館「フランシス真悟 Exploring Color and Space─色と空間を冒険する」展示風景
「この場所に来るまでの道のりも含めて全部美術館だと思っているから、その人がどうやってここまで来て、建物から一歩出た先をどんな風に見るのか、ということも考えます」。上記の第2回の対談のなかで、藤川さんはこう話されていました。
駅からは徒歩5分ほどの好立地ともいえる茅ヶ崎市美術館ですが、美術館を出てさらに先の方向に進めば、わずか15分足らずで相模湾の海岸線まで辿り着いてしまう。せっかくここに来たからには、海を見て帰らないわけにはいかない──普段海とは離れた場所で生活をしている自分としては、この館に来るたびにそんな心理が働きます。
この日はフィリピンで発生したという台風1号が現在進行形で発達しつつ北上してきていた日で、偶然私が茅ヶ崎にいたのは、朝から降っていた雨が止んだ束の間の数時間でした(その後夕方からはまた激しい風雨)。茅ヶ崎公園野球場の脇を通り過ぎ、国道134号線に架かる歩道橋を渡りきると、一気に開ける視界。灰色の雲がぐんぐん流れ、案の定海は大荒れ。むわんとした湿気をまとった強い潮の香りと、頬や耳を叩きつける風の音。浜辺を歩く人はおろか、海岸沿いの遊歩道にすら誰も見当たりません。理想的な初夏の爽やかな海岸とは正反対の風景ながら、これはこれで心の澱が撹拌されるような、胸をすくような感覚が通り過ぎます。
とはいえどこかに腰掛けてボーっと海を眺めるでもなく、容赦のない突風に髪を荒ぶらせながら早々に退散したものの、展示室のことを思い出して、たえず表情を変える海原や空の鈍色を頭の中で因数分解しながら来た道を駅まで戻るのでした。帰途、あちこちで「いまだ!」とばかりに犬と散歩する地元の人々とすれ違い、下校時間帯の学生たちの群れをかき分け、サザンオールスターズ(※茅ヶ崎が地元)の発車メロディに見送られて茅ヶ崎を離脱。
駅と美術館の間で出会った風景の一部。駅から少し離れるとひっそりと静かな住宅街が広がっている茅ヶ崎ですが、サザン的要素が広範囲かつサブリミナルに散らばっているところにも味を感じます
「だから、美術館をただのハコだなんて思っていないですね。ちゃんと日常に戻っていくような展覧会を開きたいなあって思っています」(先述の記事より)。複雑な文脈で雁字搦めになった頭をいったん脇に置いて、その場所にある光に自分の網膜を浸す。肌で風の質感を受け止める。そんな身体感覚に心を委ねる束の間の遠足でした。こんな日が今後もときどきありますように。台風1号はこの原稿を書いている日の未明に温帯低気圧に変わったそうです。(G)
関連リンク
曖昧なものを鑑賞すること──展覧会「美術館まで(から)つづく道」|田中みゆき:キュレーターズノート(2019年08月01日号)
※フランシス真悟展と同じく、藤川悠さんが担当された展覧会について
リアル(写実)のゆくえ 現代の作家たち 生きること、写すこと|村田真:artscapeレビュー(2022年06月01日号)
※茅ヶ崎とその近隣の美術館のことについても
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