2025年で設立30周年を迎えるartscape。過去に更新されてきた記事のバックナンバーは、その大半がアーカイブされ、現在もオンラインから読むことができることは実のところあまり知られていません。このサイトに親しんできたさまざまな世代の学芸員や研究者、アーティストたちが、それぞれにとっての思い出の記事や、いまだからこそ注目したい記事を取り上げ、当時の記憶を振り返りながら綴る連載「それぞれのバックナンバー」。第3回は、インディペンデントキュレーターの長谷川新氏が登場。このたび30周年記念企画の特別編集委員も務めている星野太氏が2018年から連載してきたレビュー(旧:artscapeレビュー)で淡々と取り上げてきた書籍と、それらを紹介する視点から、長谷川氏が受け取ってきたものについて綴っていただきました。(artscape編集部)


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講義に潜り込むような喜び

中井康之さんによる「無人島にて──『80年代』の彫刻/立体/インスタレーション」評(artscape2014年10月15日号にて公開)は、たしか自分の企画がウェブメディアで取り上げられた最初の展評である。さまざまなウェブメディアが立ち上がっては消えていったなかで、10年以上前のレビューがいま、こうして読めるということは決して当たり前ではないのだと思う。

フリーランスであり、美大出身でもなく、大学では文化人類学をやっていた──つまりは美術については独学であった自分にとっては、知らない固有名が定期的に記録され、描写され、価値判断がなされているartscapeはひとつのインフラであった(ほかの例を挙げるならば、当時未邦訳だった『ART SINCE 1900』を教科書にして授業をしていたFREE MADなどは、一種の支えでさえあった。これもいまも視聴可能、すごいことだ)。

自分がartscapeを見始めたのはおそらく2010年前後であるが、ほかのウェブメディアとは異なり、どこか淡々と身支度をしているような、安定感を感じていた。一喜一憂ではなく、定点観測、というような。シーンをつくるぞという気概よりは、つねに少しずつ整理整頓しておこうというような。そしてまた、artscapeはどこか、総合性を目指しているところがあった。狭義の現代美術だけではなく、もっと広い視野をもちたいという意識を受け取っていた。記事のカテゴリには、「美術」のほか、「写真」「建築」「パフォーマンス」「デザイン」「映像」「書籍・Webサイト」「その他」の項目があった。


2024年3月までの「artscapeレビュー」のジャンル分類(旧サイトより)

今回振り返りたいのは、展覧会のレビューではない。カテゴリでいえば「書籍・Webサイト」に属する。書評である。artscapeでは2018年から継続的に、星野太さんの書評が掲載されている。自分は毎回、欠かさず読んでいた。ほかのどの記事よりも更新を待ち侘びていた。自分も同時期から日本建築学会において書評を担当することになって、書評に対して意識的になっていたということもあるかもしれない。ただそれよりも、もっとシンプルに、星野さんの書評を読めることを楽しみにしていた。大学院に進学できずに学部で卒業した自分にとっては、星野さんの文体自体に、糊のきいた、しわが入っていないボタンシャツというか、アカデミアの空気に分け入っていくような、講義に潜り込むような喜びがあった。例えば大竹弘二『公開性の根源──秘密政治の系譜学』の書評には、「本書の書籍化を心待ちにしていたのは、評者ばかりではないだろう」とあり、そんな本が出ていたこと自体まったく知らなかった自分は、自分の知らない世界が膨大にあるらしいことに素直に興奮を覚えたし、まあまあ高いが無理して買った『公開性の根源』はあまりにおもしろくて、ページをめくる手が止まらなかったことをよくおぼえている。

自宅の本棚より[筆者撮影]

「批評」への当事者意識

2018年1月22日に立ち戻ろう。星野さんは書評の連載を開始するにあたり、3冊の本を選んでいる。甲斐義明編訳『写真の理論』ノエル・キャロル、森功次訳『批評について──芸術批評の哲学』三木清、大澤聡編『三木清文芸批評集』である。硬い、と思われるだろうか。容赦がない、と感じるだろうか。批評にまとわりつくマッチョイズムを感じ取るだろうか。もちろんそうだ。それにいくぶん地味かもしれない(自分は後にも先にも彼の書評以外で、講談社文芸文庫が美術系のなにかに出てくるのを見たことがない)。この第1回は、書評のかたちを借りた、星野太の批評への向き合い方の表明になっている。自分は批評をこのようにとらえ、実行するつもりだ、という宣言になっている。

『写真の理論』の卓越を説明するなかで、星野さんはある種の現状認識を前提としている。それは、「過去の批評」が十把一絡げに古いとされ、有効ではないとされ、もう十分語られてきたのだからいまは違う場所に光をあてるべき、とされていることである。じっさい、過去の批評は「古い」し「有効ではない」場合も少なくないし、多くを取り逃しているだろう。「しかしだからといって[…]丸ごと忘れ去られてよいわけがない」。ここには、星野さんもまた、批評をやるつもりだという当事者意識がある。「しかしだからといって」──星野さんはぐっと踏み込み、価値判断を行なっている。批評とはせんじ詰めれば、価値の組み替えにある。趨勢が決したとされる認識に抗い、ときに劣勢の側に身を投じる。逆張りでも、懐古趣味でもない。これがいま、同じ時代を生きてしまっている我々において重要なのだと。「本書は、そうした過去の写真論の忘却に抗い、『芸術』と『写真』をめぐる問いの核心へと、私たちを適切に連れ戻してくれる」。

続く『批評について──芸術批評の哲学』の書評においては、ある「私見」が提示されている。「私見では、近代以降の日本語における『批評』という言葉/営為には英語の『criticism』には収まらない豊潤な歴史があり、その点で本書の議論が日本語の『批評』にそのまま適用可能であるとは思われない」。これはともすれば日本特殊論に陥る危うい言明でもあるわけだが、そんなことは百も承知で、星野さんは、西洋理論を絶対的なものとして受容する姿勢を否定する。「criticism」が「批評」となるとき、そこには摩擦熱が生じている、ということを前提に据えている。堂々巡りに聞こえるかもしれないが、この「ねじれ」や「摩擦」を強調することそれ自体が、もうすでに特殊論であるという誹りも免れ得ない(ヨーロッパでこのねじれを強調したところで、いいから本題に入ってくれ、ということになってしまうだろう)。しかし自身が西洋の批評や哲学の紹介者でもある星野さんは、そのような警鐘を鳴らさないといけないほど西洋由来の理論が日本語圏の美術において影響力を持っている──それらの先行する「批評」に沿うかたちで制作や表現やキュレーションがなされることへの懸念があったのだろう。それはいまもかたちを変えて、継続しているように思われる。

「読者」をともにつくっていく

自分の足元や過去の蓄積に意識的であれということに加えて、星野さんが批評に対して求めているものがもうひとつある。むしろ、こちらこそが「批評」の必須要件だろう、とさえ考えている。批評は、「読者」をともにつくっていくものなのだという気概である。『三木清文芸批評集』の書評から引く。

三木にとっては、分かり易さを求める読者への迎合(=俗悪)も、それに無闇に抵抗する著者の姿勢(=モノローグ)も、共にしりぞけるべきものである。通俗性を歴史的・時代的に規定される「大衆」の問題として読みかえ、そこに来るべき民衆(大衆)の姿を想像する三木の姿勢は、私たちが何度でも立ち戻るべきものであるだろう。

「私たちが何度でも立ち戻る」ことを可能にするのは、あるいは「私たちを適切に連れ戻してくれる」のは、もとより書籍の、文字の持つ特性ではあるし、星野さんはそこに賭けてもいる(それとは異なる言語への信頼として彼は詩集の紹介も欠かさない)。書評ひとつとっても、星野さんには信仰のような手つきがあるように思う。批評は、人が生き残ることを可能にする。自分が元の姿のままでいられなくなるにしても。怒りもあると思う。だからこそのラインナップであり、ここから先は一歩も譲らない、という基準線がある。若干の諦観もあると思う。しかしだからといって。


関連記事

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関連リンク

FREE MAD(MAD – Making Art Different):https://mad.a-i-t.net/category/freemad/index.html
Webマガジン『建築討論』書評(執筆:長谷川新):https://medium.com/@kenchiku.touron.hasegawaarata