
会期:2026/01/31~2026/03/29
会場:東京ステーションギャラリー[東京都]
公式サイト:https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202601_onishi.html
東京ステーションギャラリーで1950年代から写真、そして抽象絵画を制作した大西茂の展覧会「大西茂 写真と絵画」が開催された。大西は自らが提唱する概念「超無限」の研究と論理化に勤しむ傍ら、「主観主義写真展」や具体の展覧会に出品するなど、1950年代の前衛美術と関わりを持ってきた。写真史家の金子隆一に預けられていた作品が2014年から段階的に公開され、今回の国内美術館での初めての回顧展へとつながったようだ。
[筆者撮影]
日本の写真史において、創作性の高い写真は戦前のピクトリアリズムから、新興写真、前衛写真と幾度かの盛り上がりを見せている。そうした前提がありながらも、大西の写真は瀧口修造やミシェル・タピエといった美術評論家から関心を持たれる一方で、「はたして写真と見ることが出来るだろうか」という評が出るなど★1、その作品が広く受容されてきたとは言い難い。
それは大西が写真を発表した1950年代が土門拳の牽引するリアリズム写真の隆盛期であったことにも関わるが、彼の写真がほかの前衛写真家たちの作風とも異なる特徴を持っていたことに所以するように思われる。大西の作品は写真を生成するための二つの空間──被写体と向き合う明るい空間と、獲得した像を焼き付ける暗い空間──において、後者への著しい偏重が見てとれる。本人自ら紹介する写真技術は、多重撮影のひとつを除いたすべてが、多重焼付、スポンジやブラシによる現像、カブリ、変色、フィルム面加工、低温および高音現像と、暗室内での作業である★2。
また、彼の写真は当時「主観主義写真」として紹介されたが、自己表現として主観を表現するというものではなく、「超無限」の哲学を具現化するコンセプチュアルフォトとしての取り組みでもあった。写真の加工、およびコンセプトを有するという大西作品の二つの特徴は、現代写真の先駆者としてその作品の検証を迫る理由になるだろう。
3階展示室[©Hayato Wakabayashi 提供:東京ステーションギャラリー]
本展は大西の写真の紹介から始まるも、次のフロアでは絵画が展開するように、彼は10年ほどで写真の制作をやめてしまう。それはその作品が「写真」ではなく「発現」と呼ばれ★3、「方法としては特に新しいものではありませんが」と前置かれるなど★4、発表の場における不遇が関わるように思える。大西自身もまた、自らの作品に対し「写真」ではなく「印画」という呼称を与えている。
10代で心霊写真の研究にのめり込んだ大西は、進学先の北海道で思想の具現化としての写真表現を追求していく。大西の「超無限」とは、概略すると具体と抽象の止揚を目指す思想である。たとえば大西の写真は、カメラが捉えたはっきりとした女性の図像と、現像液を墨や絵の具のような溶剤として使うことで現われる描線を組み合わせ、具体的な像と抽象的な筆致からなる視覚表現によって彼の思想を体現している。
さらにその工程はネガを焼き付けても白いままの印画紙に透明の現像液で線を描き、現像液が付着した箇所だけ、つまりは大西による抽象的な描線が触れた箇所だけ具体的な像が浮かぶという相互的な関係にあり、この工程自体が彼の思想を担うものであった。
同時代の前衛写真家たちはといえば、特殊なオブジェを創作してそれを写したり、構図を工夫したり、フィルターを用いたりと、リアリズムと異なる世界観を嗜好しながらも、カメラの前にある対象をどのように捉えるかという撮影やフレーミングへの意識の強さが窺える。「新しいものではない」とされた技術は、グラフモンタージュや多重焼付を指すと推察するが、特に現像液による描画、そしてその制作過程に具体と抽象の止揚を見出す取り組みは大西の特異なスタイルと言ってよい。当時の評では例外的に重森弘淹だけが「強固な方法意識と観念に支えられた」と、大西のコンセプチュアルな側面に言及している★5。
2階展示室[©Hayato Wakabayashi 提供:東京ステーションギャラリー]
後年に大西が取り組んだ絵画はアンフォルメルの志向と一致し、ミシェル・タピエとの交流を経て、流動的な線が蠕動する絵画を生み出していく。「超無限」の思想を持ち続けた彼の線は、ミミズが地を這ったときに残す自然界で見られる運動の痕跡のようで、そこでも自我の発露は後景化している。
デジタル写真になって失われたものは暗室における現像行為であり、そしてなにより水、溶液である。そのことを思い起こさせるとともに、現代写真の先駆者としての大西の仕事の検証を促す展覧会だった。
鑑賞日:2026/03/23(月)
★1──大西が参加した「日本主観写真展」(1958/03)の反響のひとつにそうした発言があったと、写真家の岡崎克彦が記している。岡崎自身はかなり強い口調で大西を擁護している。岡崎克彦「Photographist」(『Vou』No.61、1958年5月号)
https://dl.ndl.go.jp/pid/4430050/1/9
★2──『フォト 35』1957年7月号には「技術的には、多重撮影、多重焼付、スポンヂや刷子による印画現像、人工カブリ、氷醋酸による人工変色、稀にはフィルム面加工を行いますが、色調の調節は、主として8度から80度間の現像温度の変化によって行います」との記述があるという。(『大西 茂 超無限を求めて』MEM、2017、43頁参照 ©︎2017 Tomoharu Onishi, MEM INC.)
★3──★1に同じ。
★4──金丸重嶺「大西茂 写真展」リーフレット(1955)
★5──『日本カメラ』No.97(1957/07、145頁)
参考文献
・『Shigeru Onishi: A Mathematical Proposition』(Steidl、2021)
・東京ステーションギャラリー編『大西茂 写真と絵画』(平凡社、2026)