
会期:2026/04/18~2026/06/05
会場:半兵衛麸五条ビル2階 ホールKeiryu[京都府]
公式サイト:https://satoshinishizawa.com/exhibition/2192
ミュージアムの展示、記念碑、銅像、史跡、慰霊祭。とりわけ国家的な歴史的出来事を代理=表象するこうした近代の視覚的制度は、「私たちが共有すべき物語」を見る者に語りかけ、ナショナルな共同体へと編成する点で、政治的な力学を帯びている。だが、西澤諭志のカメラは、そうした政治性を冷静に観察し、厳粛であるべき展示物がチープでキッチュな人工物にすぎないことを露呈させ、政治性を脱臼・解体させるために行使される。本展は、インディペンデント・キュレーターの長谷川新が企画した。

[撮影:西澤諭志]
写真家・映像作家の西澤諭志は、沖縄や富士山麓の米軍基地、成田空港建設反対運動、アジア太平洋戦争の戦没者のモニュメントや慰霊祭、公害や地震の被災地に建設された公園や資料館、鉱山や炭鉱の跡地に建てられた展示施設など、負の歴史を抱えた日本各地に赴き、それらが「展示」「観覧」に供されるさまを観察してきた。写真作品では、数点の写真が1つのフレームの中に並置されることで、「見学」と「観光」「消費」の表裏一体性、「伝えたい歴史」と「実態」のギャップや矛盾が露わになり、時に「不謹慎な笑い」を誘う。 例えば、《道の駅かでな 展望所/学習展示室》では、沖縄県嘉手納町で米軍基地に隣接して建てられた道の駅が、3点組の写真で示される。学習展示室の上階には、嘉手納基地を一望できる真新しい展望所が設けられ、戦闘機の轟音に耳を押さえる子どもたちの傍らで、滑走路から飛び立つ戦闘機に人々がスマートフォンを向け、夢中で撮影している(「平和学習」と「観光スポット」が共存する同様の事態は、本展には含まれないが、例えば、原爆ドームに隣接して広島平和記念公園を一望できる「おりづるタワー」も想起させる)。

西澤諭志《道の駅かでな 展望所/学習展示室》(2023/2025)
一方、《辺野古/嘉手納町/伊江島》では、米軍基地のフェンスの写真の横に、「基地反対運動で座り込み抗議をする人」を模して作られた「交通安全のかかし」がずらりと並ぶ光景が配置される。日焼け対策とプライバシー保護の帽子やサングラス、マスクを装着し、子どもを抱いた女性の像も多い「かかし」たちは、「基地反対」「平和」といったプラカードの代わりに、「交通ルール」「NO 飲酒運転」「守るあなたが守られる」などの標語を掲げている。「交通ルールを守る」/「基地から平和を守る」というフレーズをギャグのようにかけ合わせた、日常のなかの無言の抵抗ともとれるが、風景に埋没した「かかし」は言葉を発することを奪われた事態も示唆する。また、(おそらく地元住民の古着を着せられた)かかしの「ファッション」を注視すると、ミッキーマウスやセサミストリートなどアメリカのアニメのキャラクターがプリントされた服が散見され、日常の基盤がすでにアメリカの巨大消費資本に浸食されていることを物語る。

西澤諭志《辺野古/嘉手納町/伊江島》(2023/2025)
また、西澤のカメラは、対照的な2つの「展示」のギャップによって笑いや異化へと転じさせ、展示というシステムの政治性を脱臼させる。《成田国際空港第2ターミナル/成田空港 空と大地の歴史館》では、空港建設反対運動で使用されたヘルメットやスローガンを書いた赤い旗を展示する資料館内が写される。一方、空港内の通路には、付近から出土した埴輪が唐突にATMの隣に「展示」され、シュールなおかしみを誘うとともに、「公式の場では何が展示されていないのか」という空白を突きつける。《靖国神社遊就館前(8月15日)》では、敗戦の日に2つの銅像に供えられた「ペットボトル飲料の数の差」が焦点化される。遊就館の前に展示された「若い特攻兵士/子どもを産み、守る母」という対照的な2体は、国家が期待するジェンダー秩序を如実に示す装置でもある。ただし、《特攻勇士の像》の台座には多数のペットボトル飲料が並ぶが、少し離れた《母の像》には、2本のペットボトルしかない。「慰霊の日に参拝した観客数」が「お供えのペットボトル飲料の数」として即物的に数値化されるとともに、戦争とジェンダー表象をめぐって「何が眼差しの対象とされるのか」という中心化と周縁化の力学をあぶり出す。

西澤諭志《成田国際空港第2ターミナル/成田空港 空と大地の歴史館》(2019、2024/2025)

西澤諭志《靖国神社遊就館前(8月15日)》(2019/2025)
また、映像作品で映されるのが、埼玉県越生町の山の頂上に作られた施設「世界無名戦士之墓」で毎年行なわれる慰霊祭の様子だ。町長の挨拶、献花、「平和の鐘」を鳴らす黙祷とともに、なぜか地元の中学生の吹奏楽の演奏や、親に連れられた稚児行列の子どもたちが混じり、「年中行事の寄せ集め感」やコスプレ感が漂う。町中を撮影したカットでは、「平和都市宣言のまち 越生」と「梅の里おごせ」を掲げる看板が並び、「平和都市宣言」が観光アピールとともに形骸化し、政治性を漂白されていくさまが映し取られる。
別の映像作品《マインパーク》では、宮城県の鉱山の坑道をテーマパーク化した「細倉マインパーク」をはじめ、鉱山や炭鉱跡の展示施設にカメラが向けられる。坑夫のマネキンの絶妙にチープな造形や機械的な動作が淡々と映され、「まじめな見学」がおかしみに転じていく。岩の間でフラッシュが明滅する演出のフェイク感。ファミリー層もターゲットとしているであろう、キャラクターが発するアニメ調の音声。

西澤諭志《マインパーク》(2025)
別稿で取り上げたタイラー・コバーンが、残されたものから想像的に歴史のネットワークを再構築する手つきとは対照的に、西澤は、かつて/現在進行形で闘争や歴史的出来事が起きた場所に赴き、「展示とモニュメントの政治学」をあぶり出し、脱臼させる。より正確には、マネキン、模型、銅像、台座、慰霊碑、看板といった代理=表象のための装置や視線の導線それ自体に目を向けることで、「歴史を記念し、学ぶための場」がチープでキッチュな「見せ物」と表裏一体であることを露呈させる。それは同時に、政治性なき政治性が「日常」と化した日本のローカルな風景の異質さについての、風景論でもある。
鑑賞日:2026/05/02(土)