
会期:2025/11/27~12/20
会場:@btf[東京都]
公式サイト:https://www.butterfly-stroke.com/at/hirosugiyama
90年代のデザイン系イラストレーション★1 は、かつての横尾忠則や日比野克彦のようなスターの不在を根拠に停滞が語られた時代だった。しかしその一方で、この時代は60年代以降に蓄積された実践が、マニエリスティックに爛熟していった期間でもある。そうした実践について筆者はすでに掘り下げてきたつもりではあったが★2、「竹屋すごろくは誰だったのか? ヒロ杉山と竹屋すごろくの展覧会」は、そうした歴史認識にさらなる発見をもたらしてくれた。
竹屋すごろくとはヒロ杉山の別名義であり、この度の展示は、1990年から97年の約7年間活躍し、人知れず姿を消した「伝説のイラストレーター」としての仕事を回顧する機会として昨年12月に開催された。ヒロはその後エンライトメントを結成し、2000年にエステティックサロンTBCのプロモーションにおいて、佐藤可士和のディレクションのもと木村拓哉を描き、同年村上隆が企画した「SUPERFLAT」にも参加し、よりオーバーグラウンドのデザイン界、アート界で活躍することになる。トレースと色面分割によって描かれた、フラットな著名人のポートレートを覚えている人も多いだろう。ここ最近のヒロは、個人名義でのアーティスト活動にも積極的に取り組んでいる。
このような時系列を踏まえると、ヒロにとって竹屋としての活動は、アートとデザインをまたにかけた活躍の前史にあたる。キャリアの初期にあたるこの期間に、なぜヒロは名前を変えて活動していたのだろうか。そもそもヒロは、80年代後半の時点ですでにコンペティションへの受賞、入選を経験し、イラストレーターとしての活動を始めていた。しかし、当時の彼の作風は「商業イラストレーションとしてはコンセプトがちょっと重すぎるというか、ストーリー重視だったので、必要ない情報がいっぱい入りすぎて」いた。そこで「アート的な面は最低限に抑え、より多くの人に好かれそうなキャラクター」として生み出されたのが、「竹屋すごろく」という異なるペルソナだったのである★3。
「竹屋すごろくは誰だったのか? ヒロ杉山と竹屋すごろくの展覧会」会場風景[提供:ヒロ杉山]
会場には当時のヒロの絵も展示されていたが、それを見ると奇妙なシチュエーションとユニークなモチーフの取り合わせによって画面が構成されており、ひとことで言ってしまうとシュールな作品である。なにかしらのメッセージを伝えることが重視される商業的な用途としては、なかなかフィットするシチュエーションがなかったことも頷ける話である。ヒロは90年に師匠である湯村輝彦が審査員を務めた雑誌『イラスレーション』の誌上コンペ、「ザ・チョイス」に竹屋の名義で新人イラストレーターを装い応募し、入選。以降も入選を繰り返し、仕事を増やしていった。
ではそんな竹屋のイラストレーションは、いかなるものだったのだろうか。当時のヒロの絵と比較して、竹屋のそれは単一の主題で構成されており、ものによってはひとつのキャラクターで画面が完結している。多くの人に楽しんでもらえるよう竹屋が選択したのは、よりシンプルにすることでキャッチーさを担保することだった。
このようにして同時代的に消費された竹屋のイラストレーションであるが、ここではその表層よりも、その基底面に注目したい。彼は紙にアメリカンコミックスをコラージュして下地をつくり、そこに白のアクリル絵の具を塗ってから描き始めている。90年代前半に積極的に用いられたこの竹屋のスタイルは、「バタ臭さ」と「キッチュ文化」を経由することで先行世代と関連付けられると筆者は考えている。
「竹屋すごろくは誰だったのか? ヒロ杉山と竹屋すごろくの展覧会」展示作品[筆者撮影]
まずは「バタ臭さ」について。黎明期の日本のデザイン系イラストレーションは、海外の影響を批判的に導入してきたが、その様相は70年代に入るころから変化してくる。このころ活躍を始めたイラストレーターたちは、第二次世界大戦後の記憶が原体験となっていることもあり、アメリカをはじめとした欧米の文化に対する憧れや愛着を、自らのアイデンティティとして表現した。こうした感性について萩原朔美は原田治の発言を引きながら、それを「バタ臭さ」として形容している。
一般には「西洋かぶれ」の意味で用いられる「バタ臭さ」であるが、萩原によると、戦後すぐのころには、それとは異なるニュアンスがこの言葉には込められていた。当時のケーキ店には牛乳から作った生クリームのケーキがなく、代用品であるバタークリームによって作られたケーキが売られていたため、「バタ臭さ」には「本物ではなく安物といったニュアンスが内包されていたのである★4」。萩原は、こうしたイラストレーターとして秋山育、奥村靫正、河村要介、鴨沢祐二、矢吹申彦、湯村輝彦らの名前を挙げている。もちろんここで名前を挙げられた描き手たちはアメリカ以外の文化からの影響も無視できないが、萩原がここで具体的な作例として触れているのは、原田治とペーター佐藤の合作として描かれた1975年の雑誌『ビックリハウス』創刊号の表紙である。ここにはスーパーマンやベティ・ブーフといったキャラクターたちと、クリームがたっぷり乗せられたケーキが描かれている。ここには豊かな欧米(特にアメリカ)の文化的生活への屈託のない憧れが表象され、原田やペーターは簡略化したテレビスターたちを描くことによって、自らの思い入れをイラストレーションに昇華するのだ。
翻って竹屋のイラストレーションには、このような憧憬はもはや存在しない。彼はヒーローたちが描かれたアメリカン・コミックスを下地にして、あろうことか塗りつぶし、その上に落書きのようなキャラクターたちを描く。「もはや戦後ではない」というフレーズが巷間に溢れて以降、60年代に生を受けた竹屋にとっては、欧米の文化は珍しいものではなく、日常的なものだったからこそ、こうした制作が可能だったのではないだろうか。しかしこのことを根拠に、単純に竹屋が先行世代を否定していると断言するのは性急である。なぜなら彼がヒーローを塗りつぶした上に描くキャラクターたちは稚拙であると同時に味があり、直接的な師匠筋である湯村輝彦が提唱し80年代にブームとなった、「ヘタうま」を継承する意志に溢れているからである。その意図を主張するかのように、《8×7》(1991、上図左)のトラには湯村の『情熱のペンギンご飯』(糸井重里原作、情報センター出版、1980)よろしく男性器が描かれている。
★1──本稿では美術やマンガ・アニメを直接的な参照元、背景とするイラスレーションと差別化するため、便宜的にこの呼称を用いる。
★2──これついて詳しくは次の資料を参照されたい。塚田優「1990~2000年代前半におけるイラストレーションの再定義をめぐって エンライトメント、みうらじゅん、唐仁原教久、寄藤文平、山口裕子らの実践を中心に」(多摩美術研究編集委員会編『多摩美術研究』14号、多摩美術大学、2025)
★3──「竹屋すごろくという時代」ヒロ杉山インタビュー」ヒロ杉山『ヘタうまと竹屋すごろく』(ENLIGHTENMENT PUBLISHING、2025、ページ番号なし)
★4──萩原朔美「バタ臭さ」CCGA現代グラフィックアートセンター、アタマトテ・インターナショナル編『「イラストレーションの黄金時代」展覧会カタログ』(CCGA現代グラフィックアート・センター、2004、ページ番号なし)
(後編へ)7/8公開予定
鑑賞日:2025/12/12(金)