「暑い!」という言葉を記すと、余計に暑さが増すような気がするので、あまり使いたくないのだが、それでも「暑い!」としか言いようがない。熱風が吹き上がってくるアスファルトの道を抜け、冷房の効いた展覧会場にようやく辿り着いてほっと一息。でも、展覧会を見たあと、また外の熱気の中に出ていかなければならないと考えるとうんざりしてくる。とは言え、今回は杉本博司「絶滅写真」や「まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険」など、意欲的な大規模展の開催が相次ぎ、日本の写真シーンに活気が戻ってきたようにも感じた。この酷暑の数ヵ月を、なんとか乗り切っていくしかないだろう。

2026年5月24日(日)

愛媛県新居浜市の新居浜市美術館には「あかがねミュージアム」という別称がある。同市の別子銅山にちなんで、外装が銅で覆われているからだ。見かけは無骨だが、内部はゆったりとしていて気持ちのよい空間が広がっていた。同館で開催中の「木村伊兵衛 写真に生きる」展(2026/4/25-6/21)は、2021年の秋田県立美術館の展示からスタートして、7館を巡回している。《夢の島──沖縄》から《パリ残像》まで、7部構成、約165点の代表作が並ぶ展覧会だが、各館の展示が違って見えてくるのが興味深い。今回は木村の生前の最後の個展になったという「中国の旅」(ニコンサロン、1972-73)に展示されたプリントを、そのまま並べたパートが印象に残った。パネル貼り、仮縁という展示の様式、銀が浮き出てきた印画紙といった、近年の写真展との見た目の違いが面白いだけでなく、日本でも中国でもヨーロッパでも、そこに生きる人々一人ひとりに寄り添うようにシャッターを切っていく木村の息遣いが、ストレートに伝わってくるように感じた。

「木村伊兵衛 写真に生きる」展[提供:新居浜市美術館]

2026年5月27日(水)

横浜・仲町台で、2007年からアプリシエアカデミーと称する写真ワークショップが運営されている。私も以前に「飯沢耕太郎ワークショップ」として講師を務めたことがあるのだが、別講座「竹沢うるまワークショップ」の修了生たちによる「Photographs & Perspectives」(横浜市民ギャラリーあざみ野 展示室2、2026/5/20-6/1)が開催された。2025年4月から2026年3月まで、月1回のペースで1年間続けられた成果をまとめた展示で、参加者は英賀奈緒子、足利修一、合田千栄子、酒川雅美、関恵子、新田真由子、山形由香利、李英順の8名である。竹沢が講師ということもあるのだろうか。旅と移動がベースになっている写真が多い。マダガスカルを訪れた山方、アメリカ在住だが鎌倉を撮影した英賀、四国の香川県の実家を訪れる旅の途上にカメラを向けた合田の写真などが印象深かった。日常性と非日常性とが重なり合うような旅の気分を、柔らかな眼差しで切り取った写真群のクオリティはかなり高い。昨年も同じ会場で同じワークショップの展示を見たのだが、そこに出品していた降籏瑞穂は、APA AWARD 2025でグランプリを受賞している。今年の参加者もぜひ降籏に続いてほしいものだ。

「Photographs & Perspectives」展[筆者撮影]

2026年5月30日(土)

2011年に第34回写真新世紀優秀賞(Hiromix選)を受賞してデビュー、以後、奥山由之は写真家として順調な歩みを続けてきた。2025年には映画監督作『秒速5センチメートル』が公開されて話題を集めるなど、より幅広い人気を集めるようになっている。その彼の新作展「Photographs」(タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム、2026/5/15-6/13)が開催された。本作のテーマは「家族写真」。彼の家にあった写真アルバムのページを撮影している。単純な複写ではなく、画像の一部に光を当てる(光に晒す)ことによって生じるハレーションの効果を取り込んでいる。記憶の貯蔵庫に封じ込められたイメージを、再び生き返らせる試みとも言えるだろう。映像の表現、異化のあり方に鋭敏な感受性で取り組んできた奥山らしい作品だが、どこか小さくまとまってしまった印象を拭えない。親密な空間で安らぐだけでなく、それを超えていくようなベクトルを取り込んでいく必要があるのではないだろうか。

奥山由之「Photographs」展[筆者撮影]

2026年6月3日(水)

台風6号が過ぎた後でも、なんだか気圧の関係でまわりの空気が重苦しくざわめいているように感じる。東京・中目黒のPOETIC SCAPEで見た遠藤文香「Kanako」(2026/5/16-6/28)も、何やら不穏な気配が漂っているような写真群だった。装幀家、アートディレクターの町口覚は、主宰するMレーベルから日本の小説家と写真家の仕事をカップリングしたシリーズを刊行してきた。これまで、寺山修司と森山大道、坂口安吾と野村佐紀子などをフィーチャーした写真文集を出してきたが、6作目に当たる今回は、岡本かの子の短編小説『鮨』を遠藤文香の写真で組み上げている。いつもそうなのだが、町口がデザインする写真集に掲載されている写真は、小説の挿絵(イラスト)として想定されているわけではない。それらは不即不離というべき関係であり、写真が小説の、また逆に小説が写真の領域を侵食しているように感じることもある。遠藤文香の被写体は、風景、食物、身体、オブジェなど、かなり大きな振幅を備えているが、岡本かの子の異様に身体性の強い言葉ととても相性がよさそうだ。互いに共鳴して、背筋がゾワゾワとするような触感的、生理的な世界を構築していた。遠藤にとっても町口にとっても、会心作と言えるのではないだろうか。

遠藤文香「Kanako」展[筆者撮影]

2026年6月5日(金)

普後仁は1970年に日本大学芸術学部写真学科を卒業後、1973年まで細江英公のアシスタントを務めていた。その時期に撮影が開始され、1990年代後半まで続けられたのが、今回ふげん社で開催された個展「遊泳」(2026/6/5-6/28)で展示された作品群である。同シリーズは1976年に画廊春秋での個展で最初に発表され、以後も何度か展覧会に出品されてきた。普後の写真家としての原点と言うべきシリーズだが、撮影場所が日本、パリ、ニューヨークなどにまたがっているだけでなく、スナップ的に撮影された街、人物、生きもの(鳥、鯉など)、オブジェなど、被写体の幅もかなり広い。一貫しているのは刹那を切り取る視線の確かさで、一点一点の写真に、シャッターを押す時の緊張感、集中力が感じられる。リアルではあるが、どこか夢のような触感を感じさせるイメージに目が吸い寄せられていく。黒白プリントのクオリティの高さを含めて、長く記憶に残る写真展になるだろう。

普後仁「遊泳」展[提供:ふげん社]

2026年6月6日(土)

GOTO AKIは2019年刊行の写真集『terra』(赤々舎)以来、新たな風景写真の枠組みの構築を目指して目覚ましい制作活動を続けてきた。今回、東京・秋葉原のKOSHA KOSHA AKIHABARAで開催された「terra | Landscape Topologies 風景のトポロジー」(2026/5/15-6/27)は、その集大成となる展示と言えるだろう。GOTOの風景写真は、特定の場所や時間にこだわるものではない。それは「地球の運動としての風景」の探求であり、地上、水中、あるいは空中の眺めが流体、個体、気体として形をとる様を写真で定着しようとしている。ただ、GOTOが風景を「地球という惑星の運動のなかに現われる現象=トポロジー(位相)」として捉えようとする試みは、諸刃の刃でもあるように見える。個別的、具体的な風景としての特性を剥奪され、抽象化された写真の画面は、意外なほどに均質で単調に見えてくるのだ。「地球の運動としての風景」としての輝きとダイナミズムを取り戻すには、被写体の選択だけではなく、画像の大きさ、配置、編成などにも、もう一工夫必要になるのではないだろうか。

GOTO AKI「terra | Landscape Topologies 風景のトポロジー」展[提供:KOSHA KOSHA AKIHABARA、©GOTO AKI]

2026年6月14日(日)

大塚勉、大野公士、松本涼、ホガリー、ギル久野という出品者の顔ぶれを見て、どんな展覧会なのかという予想がまったくつかなかった。それでも「東京都美術館開館100周年記念展 都美セレクショングループ展2026」の一環として開催された「0と1の境界領域展」(東京都美術館 ギャラリーA、2026/610-7/1)の会場に足を運び、キュレーションを担当した大野公士の話を聞いているうちに、展示のコンセプトと内容がすっきりと頭に入ってきた。各作家の作品は「無」や「空」である「0」と、「実存」である「1」の狭間にあるイメージを浮かび上がらせるという意図で制作されている。例えば、ホガリーはマスキングテープという仮設の材料で、巨大な女性像を会期中に公開制作する。大塚は他者と自分の身体をモンタージュしたプリントを沼に沈め、偶発的な画像の変質を作品に取り込む。松本は木片を木理に沿って薄く、薄く、崩落する寸前まで(穴が空いた状態のものもある)掘り込んでいく。これら、まさに「0と1」の境界線上に、揺らぎを含んでギリギリ成立した作品のあり方が、とても興味深かった。それらは同時に、写真、彫刻、ドローイング、インスタレーションなどのジャンルを超えて、作品に向き合う行為の集積とも言えるだろう。

「0と1の境界領域展」[筆者撮影

2026年6月28日(日)

このところ、建築、舞台装置、著作など、アーティストとしての表現の幅を広げていた杉本博司が、あたかも先祖返りのように自作の銀塩写真を集大成した個展「絶滅写真」(東京国立近代美術館、2026/6/16-9/13)を開催した。「写真作品だけを見せる展覧会」としては、2005年以来21年ぶりになるという。とは言え、例によって一筋縄でくくれる展示ではない。「時間・光・記憶」「観念の形」「絶滅写真」の三部構成で、初期の《ジオラマ》《劇場》《海景》の三部作から、代表作をほぼ網羅した回顧展のスタイルをとる。だが「ジオラマ」は人類史を辿るように再構成(新作を含む)されているし、カラー写真の《オプティックス》は2018年の制作、最後のパートに展示されたオブジェ作品《CAMERA MAN》は、2026年制作の新作だ。「絶滅写真」「写真のお葬式」などと嘯きながらも、杉本は密かに写真という表現媒体の延命を図っているのではないだろうか。正直、コンセプトを研ぎ澄ませ、完璧に画像化していくような杉本の写真の仕事は、今見直すと、その手つきがパターン化していてあまり面白いとは思えない。だが、「観念の形」のパートに展示されていた《放電場》のような作品は、彼自身のビジョンを食い破っていくような可能性を秘めたスリリングな営みとして成立していた。

杉本博司「絶滅写真」展[筆者撮影]

2026年7月2日(木)

写真学科の学生だったころ、実習で4×5インチ判の大判カメラを使ったことがある。その時に、カメラのフォーカシンググラス(ピントグラス)に浮かび上がる外界の眺めに感動した。たしか、写真術の創始者のひとりであるW・H・F・タルボットは、スケッチ用器械のカメラ・オブスクラによって捉えられた画像を「妖精の絵」と呼び、写真発明を思いついたきっかけになったことを認めていた。4×5インチ判、及び8×10インチ判のカメラで長年撮影してきたシリーズを、個展「柘榴」(PGI、2026/5/22-6/11)で発表した原直久も「冠布の中で覗いたフォーカシンググラスの美しさ」に魅せられてきたひとりである。会場には、ゼラチンシルバープリント、プラチナリント、インクジェットプリントを使い分け、黒白印画の完璧な仕上がりを目指した作品が並んでいた。和紙にプリントした漆黒の印画を屏風仕立てにした作品など、新たな試みもある。独特のフォルム、質感を持つ「柘榴」という被写体は、フォーカシンググラスの美学の追求にはぴったりだと思う。

原直久「柘榴」展©PGI

2026年7月3日(金)

浜昇は2026年1月から、東京・新宿のphotographers’ galleryで「浜昇の戦後と昭和」と題する全6回の連続展を開催している。第4回目に当たる今回の「VACANT LAND 1989」(2026/6/26-7/5)では、バブル経済の末期にあたる1989年に新宿周辺で撮影された「空地」の光景の写真群が展示されていた。この年は、昭和天皇の崩御もあって「戦後」そのものの大きな変わり目の時期でもあった。歴史と社会環境の変貌を「空地」から読みとっていくという発想を、ニュートラルな視点に徹した黒白写真によってしっかりと実現している。どちらかと言えばネガティブに捉えられがちな、建物が撤去されてしまった跡の「空地」が、今見ると、奇妙に明るい開放感を漂わせているように見えてくるのが面白い。何かと何かとの「間」に着目してドキュメントしていくことの大事さが改めて伝わってきた。「浜昇の戦後と昭和」の展示は、以後「TOKYO MIDNIGHT」(2026/10)、「灰と蝶」(2026/12)と続く。そちらも楽しみだ。

浜昇「VACANT LAND 1989」展[筆者撮影]

2026年7月4日(土)

渋谷・ヒカリエホールで開催された「まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険」(2026/7/4-8/26)は、見ていてワクワクさせられる面白い展覧会だった。出品作家は30名という多数なので、その名前をすべて書き記すとかなりスペースをとってしまう。だが、あえて記しておきたい。この多彩な顔ぶれが、日本の写真表現の過去・現在・未来の可能性を示唆する原動力となっていることを理解していただきたいからだ。石内都、石川真生、今井壽惠、岩根愛、潮田登久子、岡上淑子、岡部桃、オノデラユキ、片山真理、川内倫子、小松浩子、今道子、澤田知子、志賀理恵子、杉浦邦恵、多和田友希、常盤とよ子、長島有里枝、楢橋朝子、西村多美子、蜷川実花、野口里桂、野村前子、原美樹子、ヒロミックス、藤岡亜弥、山沢栄子、やなぎみわ、米田知子、渡辺眸。もしかすると、本展をジェンダー、あるいはフェミニズムの観点で企画されたものであると、誤解する人もいるかもしれない。たしかに出品作家の人選や作品選出の基準として、それらが考慮されていないわけではない。とは言え、むしろ重視されているのは、視点の広がり、技法の多様性、徹底したコンセプトの追求といった、フェミニズムの枠組みとは異なる取り組みのあり方である。本展の試みは、今後、日本の写真表現の歴史の書き換えにもつながっていくのではないだろうか。

「まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険」展[筆者撮影

2026年7月4日(日)

1994年生まれの中野泰輔は、これまで2018年の第18回写真1_WALL展や、2021年の第44回写真新世紀展でも入賞を重ねており、そのユニークな作品世界が、内外で高い評価を受けてきた。2025年に第5回ふげん社写真賞でグランプリを受賞した《Spin around the Night Consumed by the Fire(夜 円を描き続け やがて燃え尽くされる)》は、彼にとって重要な意味を持つ仕事となるだろう。その受賞記念展(2026/7/3-7/26)がふげん社で開催され、それに合わせて同名の写真集も刊行された。2000年に都内で発生した「ゲイ狩り」の殺人事件犯人が自分と同姓同名であることを知ったことで制作が開始された本作では、カミングアウトしたゲイである中野自身の記憶、欲望、感情と、他者のそれとをシャッフルし、重ね合わせていくことで、現実と想像力、自己と他者、生者と死者を巡る、微妙な歪みを備えたストーリーが織り上げられていく。モノクロームの第一部とカラーの第二部の写真の使い分けもうまくいっており、見る者の固定した足場を突き崩すような、強い説得力を備えていた。台湾のグラフィックデザイナー聶永真(Aaron Nieh)による、紙の質感を活かし、レイアウトに注意深く取り組んだ写真集の装丁も素晴らしい出来栄えだ。

中野泰輔「Spin around the Night Consumed by the Fire」展[筆者撮影]

2026年7月18日(土)

伊波リンダ(1979年生まれ)は、生まれ育った沖縄を撮影し続けてきた。とは言え、やはり沖縄出身の石川竜一や上原沙也加と同様に、その写真には、先行世代の写真家たちのような沖縄特有の政治性、歴史性、風土性の直接的な表明は見られない。それらは画面の中に注意深く埋め込まれ、わかりやすいメッセージとして声高に主張されることはない。今年赤々舎から刊行された、伊波の最初の写真集『Design of Okinawa』でも、沖縄の風景や人物たちに向けられたカメラは、むしろ日常の表層を丁寧に縁どり、穏やかに自足しているように見える。だが、写っている人物のほとんどが米軍の兵士とその関係者であること、切り取られ、提示されている事物の多くが「アメリカ化(Americanization)」の産物であることに気づくと、伊波が表層的な事象の配置(Design)に目を凝らしながら、沖縄の政治性、歴史性、風土性を炙り出しのように浮かび上がらせようとしていることがわかる。ハワイ生まれの沖縄人2世の父と、テニアン生まれの母を持つという彼女のルーツが、その粘り強く、注意深い作業の立脚点となっているのではないだろうか。

伊波リンダ『Design of Okinawa』[筆者撮影]

 

関連レビュー

原直久「アジア紀行:上海」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2022年07月15日号)
浜昇「From Scratch」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2023年10月15日号)
第18回写真「1_WALL」グランプリ受賞者個展 中野泰輔展「HYPER/PIP」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2019年02月01日号)