羽田澄子が捉えた認知症のある老人たちの生、エドワード・ヤンが描いた家父長制や社会的な圧力、そして1990年代の国際版画展で受賞作の陰に退けられた作品たち──。当時の社会や美術の価値判断からこぼれ落ちたものに目を向けることで、時代の別の輪郭を浮かび上がらせる映画や展覧会。今年の梅雨から夏にかけこれらに触れた横浜美術館学芸員の飯岡陸氏に、その意義について執筆いただいた。(artscape編集部)
羽田澄子が捉えた時代
例年よりも雨が多かったこともあって、今年の梅雨は普段より映画館に行くことが多かった。そのなかのひとつが、シネマヴェーラ渋谷で開催されていたドキュメンタリー作家である羽田澄子の生誕100周年特集「福祉、芸術、ジェンダーを通して日本を描く」だ。特にはじめに代表作として知られる『痴呆性老人の世界』(1986)を観たことで、その眼差しに一気に引き込まれた。
羽田澄子監督『痴呆性老人の世界』(1986)©記録映画保存センター
1980年代、経済成長や医療技術の発展によって日本社会は急激に長寿化し、突然浮かび上がってきたのが認知症(当時は痴呆と呼ばれていた)の問題である。本作はこうした社会の行く末について考えようと、認知症に関する先駆的な取り組みで知られる熊本の医療施設での日々を記録したドキュメンタリーである。公開当時大きな関心を集め、ドキュメンタリー映画としては異例のヒットを記録し、全国各地での上映を含めて6年間で30万人以上の観客動員数を記録している★1。
作品を鑑賞し、このような大きな反響は、当時注目されつつあったテーマであっただけでなく、映画自体が喚起するものの大きさによるものであろうことを実感した。それを──さまざまな主題を扱ってきた羽田の作品を特徴づける──学術知の重視、うつろいゆくものを捉える感覚、時間をかけて対象と向き合う態度という観点から振り返ってみたい。
1926年旧満州大連生まれの羽田は1982年に定年退職するまで岩波映画に勤め、演出・脚本・構成・編集などの立場からドキュメンタリー映画に関わってきた。羽田は入社当初、社内の中谷宇吉郎研究室で「岩波写真文庫」の編集にあたっており、映画製作に転身後は、羽仁進が監督を務めた『教室の子供たち』(1954)に助監督として関わったことを皮切りに日本医師会の企画によるテレビ番組『TV医学研究講座』(1964)★2や初期の代表作として知られる『もんしろちょう─行動の実験的観察─』(1968)などの多くの教育映画や科学映画に携わってきた。本作もまた、田辺製薬が岩波映画に依頼し、同社が定年後すぐフリーになった羽田に声をかけて制作した49分の学術映画『痴呆老人の介護』(1983)を羽田の作家性をもとに発展させたものである。
『痴呆性老人の世界』において通奏低音になっているのは認知症患者に関するケアの取り組みで知られている精神科医の室伏君士院長が率いるこの施設の理念である。例えばシイさんという入居者はしばしば若い頃に住んでいた家に帰らなければならないと主張する。それに対して、スタッフたちは事実を伝えて引き止めるのではなく、シイさんが納得できるまで施設を外出して歩くのに付き添い、見つからず疲れたところで家族に電話するように促す。施設に患者を押し込めるようなあり方を避けるこうした指針は「説得よりも納得」「介助は老人のペースで」「たえず言葉をかける」「残る能力を生かす」「家族との交流は大切」「老人の感情を大切に」という箴言のようなかたちで作中の節目ごとに登場し、本作を構成する軸となっている。
認知症といってもその症状はさまざまで、それぞれの患者が歩んできた来歴の表われでもある。また記憶や認知能力は低下するが、感情がより豊かになる。こうした機微や感情、身体に染みついた記憶の発露、ほかの入居者をケアする場面などの瞬間が捉えられていく(そこにはユーモアもある)。そして羽田はこうした積み重ねの先で、それぞれの老人が内側にもつ世界を浮かび上がらせる。「老人たちと一緒にいるうちに、私は老人たちが夢のような空々漠々の時を生きていると思ったのは、私の思い上りだと気がついたのである。(中略)私から見ると、異状な行動でも、本人にはそうせずにいられない思いこみがあり、それなりにつじつまがあっているのである。(中略)私たちがー言のもとに否定する行動も、その人なりに真剣なのである。そう思ってみると、ほとんどの老人が実に生真面目に生きている。非常に狭められ、歪められているとはいえ、自分の認識できる世界の中で、せいいっぱい生きようとする姿に、私はしばしば胸がつまった」★3。羽田のうつろいゆくものを捉える注意深さは、病を一般化せず、老人たちの具体的な生に迫り、観客にとって身近な存在として描き出す。
こうした目の前のものに対する眼差しと引き立て合っているのが長い時間軸である。羽田のキャリアにおいて重要なのは、偶然出会った樹齢1400年の桜に魅せられ、岩波映画の仕事のかたわら、4年かけて制作した自主映画『薄墨の桜』(1977)である。1981年以降は夫の工藤充が設立した自由工房を拠点に、被写体との一生の付き合いを前提とするような時間性を志向するようになる。山村の厳しい生活のなか早池峰神楽が伝承されていく様子を捉えた『早池峰の賦』(1982)では作品を構想してから撮影を始めるまで13年かかっているが、伝統的な曲がり屋の解体から始まり、デパートの催事で踊る姿や、栽培している葉巻用の南部葉が別の品種に切り替えられる様子など、時代の変わり目を克明に収めている。戦中もしくは戦後すぐから労働運動に関わってきた女性たちの歩みを振り返る『女たちの証言─労働運動のなかの先駆的な女性たち─』(1996)もまた、羽田が座談会の映像記録と数年越しに向き合うところから始まる。
『痴呆性老人の世界』のエピローグでは、2年越しに施設を再訪する。ナレーションは入居者の変化や、そのうち何人かが亡くなったことを伝える。その歳月の長さと命の儚さが迫る。設備が更新され、寝たきりの入居者用の入浴機械も導入されたという。しかし老人が嫌がるからと、入浴機械のかたわら、変わらず人間の手で老人たちを支えながら入浴させている場面は胸をうつ。
今年公開された濱口竜介『急に具合が悪くなる』(2026)によってフランスで生まれた認知症患者に対するケアの技法「ユマニチュード」が注目されているが、1980年代の日本においてこうした実践がなされていたのだ★4。それはあくまで先進的な試みであって、社会に普及させることは難しいという批判があるかもしれない。羽田はその後、まさにそうした問題と向き合うために地方都市を舞台に日本社会における福祉制度を主題にした連作ドキュメンタリーに取り組んでいく。
池田町を見ていると、まぎれもない日本の姿そのものである。立派な建造物、さまざまなイベントはすぐできる。しかし、人間性に則した柔軟なシステムをつくるということは、ほとんど想像すらできないのである。日本人に共通した欠陥なのだろうか。私は失望したくないから、『そんなはずはない、同じ人間なのだから、いつかは日本人も上手にシステムをつくるようになる』と思いたかった★5
羽田澄子監督『女たちの証言─労働運動のなかの先駆的な女性たち─』(1996)©彼方舎
エドワード・ヤンが残したもの
同じく硬直的な社会のあり方に批評的な眼差しを向けたのが、4Kのレストアによって長編第一作『海辺の一日』(1983)が日本での劇場初公開となったエドワード・ヤン(楊徳昌)である。かつて『ヤンヤン 夏の想い出』(2000)について論じたことがあり★6、同作のあらすじは知っていたが、実際の鑑賞経験は予想とまったく異なるものだった。物語は次のようなものだ。
エドワード・ヤン監督『海辺の一日』(1983)© 2010, 2024 Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.
13年ぶりにオーストリアから台湾に帰国したピアニストの蔚青(ウェイチン)は、かつての恋人佳森(ジャーセン)の妹である佳莉(ジャーリィ)に呼び出され、13年間の出来事が明かされる。佳森の家は封建的で、父親は彼に医者を継がせるとともに、蔚青と別れさせ、縁談による結婚を強引に迫る。そこに幸せを見出すことができなかった佳莉は学生時代に付き合っていた徳偉(ドゥウェイ)を頼って家を出て台北に向かう。しかし二人の結婚後、徳偉が旧友の誘いで働き始めたのは夜の付き合いをはじめとする「男同士の絆」(セジウィック)を重視する会社で、二人の関係は不和に陥っていく。
ここで対比されているのは地方の封建的な社会と新自由主義的な都市社会だが、後者を選んだ佳莉が幸せになるという単純な帰結は回避され、前者と共通する経済合理性や同調圧力、家父長制に阻まれる。ヤンはしばしば新聞では小さな記事にしかならないような現実の事件から着想を得ることで知られているが、本作もここまではありふれたメロドラマのようである。しかし父親の葬式のために久しぶりに帰郷した佳莉に──そしてスクリーン越しの鑑賞者に──やつれきった様子の佳森は次のように語りかける。あの晩、私は君に家出をするように仄めかしたかもしれない。しかしそれは徳偉を選べという意味ではなく、自分自身の選択を信じろという意味だった、と。
ヤンはその後の作品においても一貫して、映画の構造や登場人物たちの関係性、空間的な操作にその思想を委ねてきた★7。映画パンフレットに掲載された趙陽「『政治的』な第三の道を想像すること」が論じているように、本作において重要な前提は、当時の台湾において中国から逃れてきた国民党の体制下のさなか民主化の胎動がみられており、1986年には民進党が結成され、両党が提示するイデオロギーに対し、二者択一を迫る空気が支配的だったことだ★8。ヤンはこうした政治的な情勢のなかで、与えられた選択肢ではなく、自ら思考することを観客に要請する。だからこそ、フラッシュバックのように何度も繰り返される「海辺の一日」の結末は宙吊りにされるのだ。
それはヤン自身が孤独の道を選ぶことでもある。戦後大陸から台湾に移り住んだ外省人で、13年をアメリカで過ごして帰国したヤンは、その視点を蔚青に託したわけだが、こうした態度は当時の台湾社会において異分子として受け止められかねなかったはずだ。実際、日本をはじめとする国際的な評価の高さに反して、台湾内では観客からの評価や映画業界との関係、資金集めに苦慮し続けることになる。それでもヤンは、単一民族イデオロギーや経済成長の物語に背を向け、台北を舞台に、さまざまな事情によって台湾に移住してきた人々、国境を越えて流入した文化や多言語、女性や子ども、社会的に不安定な立場に置かれた人々についての群像劇を描き続けた。本作においても家父長制の力学を炙り出しながら、男性も病に蝕まれる存在として描き出していることも特筆すべきだろう。
ヤンは2007年に59歳で早逝するが、2023年に台北市立美術館で回顧展「一一重構:楊徳昌」が開催されるなど、近年ようやく台湾でも高く評価されるようになる。長らく未公開となっていた本作がデジタル復元され、こうして日本で公開されたこと自体に感慨深いものがある。
エドワード・ヤン監督『海辺の一日』(1983)© 2010, 2024 Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.
ポスト冷戦的な視点から
距離をとって時代を見るということを別のかたちで考えさせられたのが、町田市立国際版画美術館で開催された「プレイバック!ミレニアム1991→2001:版画が/版画で越えた境界」(企画:同館学芸員 町村悠香、高野詩織、川添愛奈)である。展覧会は2025年に建て替えのための長期休館に入った神奈川県民ホールから版画に関する作品群が同館に寄贈されたことに端を発し★9、1991年から2001年にかけて両館で開催された五つの現代版画展を振り返るものである。展覧会は1995年から2001年に神奈川県民ホールで開催された三つの国際版画展・国際展を1991年と1993年に町田市立国際版画美術館で行なわれた国際版画展が挟むという変則的な構成をとっている★10。
「プレイバック!ミレニアム1991→2001」展示風景[撮影:ニューカラー写真印刷]
展覧会の概要文に示されている通り、まず展覧会で前面に見えてくるのは横尾忠則《ピカビア─その愛と誠実 II》(1989)、畦地拓治《ひとつの波より》(1995)、マティアス・ヴァスケ《MERIDIONAL》(1996)、吉田亜世美《Work (HANGA) B.V.C.》(1993)といった90年代のメディア環境を反映した「写真や立体との融合や大型作品の制作、デジタル技術の活用など、従来の版画の枠を越えようとする新しい表現」である。
また「ザ・版画 刻まれた現代史 世界の版画・戦後50年」における委託作品を紹介する2章を中心に展示室の端々で社会的な問題意識による作品が目につく。岡部昌生《「京急線旧平沼駅遺構1945/1995」の13ピース 18-25 August》(1995)は、当時まだ現存していた1945年の横浜大空襲により焼失した旧京急線平沼駅の焦げ跡をフロッタージュによって作品として写しとったものだ。切手や郵便スタンプ、種などを用いた作品を発表し続けてきた太田三郎は二つのシリーズに焦点が当てられる。《IMMIGRATION 1995》(1995)では新聞の訃報欄に掲載された人々のイニシャルがパスポートに押される出国スタンプのように並べられる。《POST WAR 50 私は誰ですか 中国残留日本人孤児肖像切手作品》(1995)では 本来なら国家の功労者の顔を流通させる記念切手のフォーマットを使い、中国残留日本人孤児たちの姿を反復する。どちらの作品も生の唯一性と版画の反復性が逆説的に結びつく。デニス・ノナ《タバラ》(1993)はオーストラリア最北端、トレス海峡諸島の先住民彫刻を源流にした作品だが、活動拠点を地図で丁寧に示したパネルが印象的だ。
岡部昌生《「京急線旧平沼駅遺構1945/1995」の13ピース 18-25 August》(1995)[撮影:ニューカラー写真印刷]

太田三郎「Immigration 1995」より《Immigration from 1 to 4 January 1995》(1995)

太田三郎「POST WAR 50 私は誰ですか 中国残留日本人孤児肖像切手作品」より《周玉坤 女性 第12次(昭和61年9月)訪日 竜江州で離別》(1995)
この展覧会の始点である1991年はソ連崩壊の年でもある。同館では、2022年に戦後版画運動とそこから派生した教育版画運動を冷戦下のリアリズム美術の国際的なネットワークとともに取り上げた「彫刻刀が刻む戦後日本─2つの民衆版画運動」展(企画:町村悠香)が話題になったことは記憶に新しい。2025年に開催された「日本の版画1200年─受けとめ、交わり、生まれ出る」展(企画:町村悠香、同館学芸員 宮﨑黎)においても1950年代から1960年代にかけて比較的周縁にある国で始まったリュブリアナ国際版画ビエンナーレ(旧ユーゴスラヴィア・現スロヴェニア、1955-継続中)、東京国際版画ビエンナーレ(1957-79)、クラコフ国際版画トリエンナーレ(旧ビエンナーレ、ポーランド、1966-継続中)が東西の分断を超えた文化交流を果たしていたことに注目しているが★11、冷戦崩壊後に開催された国際版画展を振り返る本展でもこうした視点は引き継がれ、これらがどのような国際的ネットワークを築いていたかに注目する。「ザ・版画 刻まれた現代史 世界の版画・戦後50年」は上述の東京とクラコフで開催された版画国際展の受賞作を中心に戦後50年を振り返る展覧会であった。コミッショナーだった美術評論家の針生一郎が、神奈川版画アンデパンダン展を前身とする神奈川国際版画トリエンナーレの審査員も務めるなど、そのネットワークは有機的に引き継がれていく。
展覧会の最後に掲げられた「受賞しなかった作品から『TOKYO まちだ国際版画展』を想像する」というパネルは、観客に対して静かな問いかけを残す。
本展では、館が収蔵した受賞作・買上作品を通じて時の展覧会の様子を振り返っていますが、「TOKYO まちだ国際版画展」に寄せられた展覧会評を読むと、受賞を逃した作品の傾向を知ることができます。
1993年11月9日の朝日新聞美術欄には、「向き合う「現実」ない日本 TOKYO まちだ国際版画展」と題した展評が寄せられています。文名は(三)とあり、執筆者は当時同紙で美術記者を務めていた田中三蔵と推測されます。
評者はこの展覧会の出品者を「大別して、美術の流れを重視しその中で洗練を目指す方向と、歴史や社会的現実と向き合う方向がある」と分類し、「東欧やロシアの作家は後者だ」とします。彼らは冷戦崩壊後の社会不安や激しい戦闘が起こっていたユーゴスラビアの内戦などを描いており、「そうした作家は自らの民族や国家に対して、内面で渦巻く容易に言語化できない心情を形にとどめているようだ」と評します。ただこうした明確な主題を持つ作品は、ほとんど受賞作品と買上作品に選ばれませんでした。
一方で「大賞を獲得したイギリスのマーク・フランシス「無題」などは前者だ。十五人が出品している日本もこの系列で、多彩なテクニックを駆使、混合させた上での洗練を目指す」と対比しています。実際、日本人受賞作のタイトルは「無題」と「Untitled」が目立ちます。
東側諸国が混乱のなかにある頃、バブル景気の余韻で経済的にも恵まれていた当時の日本とその美術界。評者はこれに対し、「向き合うべき「現実」がない、とも見える。どちらが善いとか、悪いとかの問題ではない。しかし、会場を一巡すると、版画というジャンルだけでなく、この国全体を覆う精神の状況がはからずも逆照射されているように思えてくる」と論じています。
なお評者は言及していませんが、クリス・オフィリの受賞作など一見すると抽象的なイメージでも、自らのアイデンティティを背景にした作品もあります。日本の作品にも作家それぞれの切実さが込められているでしょう。
現在の日本で、こうした国際版画展が開催されたとしたら、どのような傾向になるでしょうか。この30年間で社会と美術、それぞれの変化がどれほどあったのか。受賞しなかった作品を考えることは、その変化を想像する助けになります。
当時は見過ごされ、あるいは十分に評価されなかったものに目を凝らすことで時代を捉えるということ。羽田澄子やエドワード・ヤンのように距離を自覚し、その距離から考えることで、当時の評価や価値判断からこぼれ落ちたものを手がかりに、私たちが生きる時代を捉え直すことができるかもしれない、と考えさせられる経験であった。
「プレイバック!ミレニアム1991→2001」展示風景[撮影:ニューカラー写真印刷]
★1──羽田澄子『安心して老いるために』(岩波書店、1992)
★2──そのうち羽田が監督したものは「脳出血」「神経症」「分裂症」などの数本であったことを振り返っている。「唐澤人・羽田澄子対談」(『日医ニュース』第1161号、2010.1.20発行[2026.8.16閲覧])
★3──羽田澄子「映画『痴呆生老人の世界』について」(『痴呆生老人の世界』パンフレット、岩波ホール、1986、pp.8-9)。またこのように続く。「撮影されていてもこの老人たちには、カメラに対して取りつくろう意識がない。そういう人を撮ることは私には辛く重いことだった。その重みに耐えて、私は老人たちが懸命に生きる姿、その姿を通して感じられる老人たちの人生の重みを撮りたいと思った」。認知症患者を撮影するということは、通常のドキュメンタリーよりも撮影する/されるの非対称性が強くあらわになる。こうした関係性に自覚的だった羽田は、作品が過度にドラマチックになることを意識的に回避したという。そこに本作における倫理がある。節目ごとにケアの原則が挿入されるという構成もそこから導かれたものだったと振り返っている(羽田澄子インタビュー「羽田澄子〈監督〉と語る―記録映画」[山田宏一『映画とは何か―山田宏一映画インタビュー集』草思社、1988])。
★4──下記論考では、医療人類学者アネマリー・モルの思想を参照しながら本作について論じている。田中晋平「ケアがはじまる─《痴呆性老人の世界》讃」(『第24回中之島映像劇場「ケアする映画をたどる」記録集』国立国際美術館、2023[2026.8.17閲覧])。
また本作に関する羽田の下記発言はわたしが『急に具合が悪くなる』に感じた違和感を言語化しているかのようだ。「痴呆という病気自体が役者が演じられるようなものじゃないでしょう。非常に精神的なものだから。たとえば手を折ったとか足が不自由とかいうのなら、役者の方にこういう姿勢で、こういう形で、こうやればいいというようなこともできるでしょうけど、ああいう病気に対しての介護を役者が演じるなんてことが、どだいナンセンスだと思ったんですね。もっとずっと精神的な対応をしなきゃいけないわけですよね」(羽田澄子インタビュー「羽田澄子〈監督〉と語る―記録映画」[山田宏一『映画とは何か―山田宏一映画インタビュー集』草思社、1988、p.490])。『急に具合が悪くなる』が描く物語はわたしたちに病や障害とともに生きることを求めるが、認知症や自閉スペクトラム症は演じられたもので、また彼らは作品世界における「外部」として扱われているのではないか、ということだ。なお同監督の過去作『ドライブ・マイ・カー』における手話の描き方についてはすでに当事者から批判がなされている。詳しくは下記を参照のこと。塙幸枝『スクリーンのなかの障害』(フィルムアート社、2024)
★5──羽田澄子『私の記録映画人生』(岩波書店、2014)p.69
★6──飯岡陸「倫理としての群像劇」(『WEB版美術手帖』2020.6.25公開)
★7──このことは作品や論じられてきたものから明らかであるが、例えば元教え子で、いくつかの作品に出演や制作として関わったワン・ウェイミン(王維明)は、映画に対するヤンの態度について次のように振り返っている。「構造と思想(Idea)、その組み合わせ(アレンジメント)の状態こそが映画であり、両者に触れぬまま作品の本質は語れないと考えていたと思います。その意味で、彼が撮った映画はすべて複雑な構造をもっていますが、結局のところ、ひとつのこと、とてもシンプルなことを伝えようとしているのだと思います」(王維明インタビュー[聞き手:伊藤丈紘/フィルムアート社編『エドワード・ヤン 再見/再考』フィルムアート社、2017、p.89])。
★8──趙陽「『政治的』な第三の道を想像すること」(『海辺の一日 4Kレストア』パンフレット、Gucchi’s Free School、2026)
★9──2026年7月25日には同館の版画に関する展覧会を振り返るトークイベント「神奈川県民ホール・ギャラリーと版画」が開催された。出演は藤嶋俊會(美術評論家、元神奈川県民ホール・ギャラリー学芸員)、森谷佳永(神奈川県立県民ホール学芸員)。
★10──本展の構成は下記の通り。
1章 「マニエラの交叉点―版画と映像表現の現在」(1991)町田市立国際版画美術館
2章 「ザ・版画 刻まれた現代史 世界の版画・戦後50年」(1995)神奈川県民ホール
3章 神奈川国際版画トリエンナーレ’98 および 神奈川国際版画トリエンナーレ2001(どちらも神奈川県民ホールで開催)
4章 「TOKYOまちだ国際版画展」(1993)町田市立国際版画美術館
★11──町村悠香「冷戦下の国際版画展と日本」(『日本の版画1200年─受けとめ、交わり、生まれ出る』町田市立国際版画美術館、2025)。なお近年、現代アートの領域でも冷戦構造の再考が進んでいる。例えば「Parapolitics: Cultural Freedom and the Cold War」展(Haus der Kulturen der Welt、2018)や「THE SHATTERED WORLDS: MICRO NARRATIVES FROM THE HO CHI MINH TRAIL TO THE GREAT STEPPE」展(Jim Thompson Art CenterとBangkok Art and Culture Centreによる共同企画、2025)などがある。
羽田澄子 生誕百年記念 福祉、芸術、ジェンダーを通して日本を描く
会期:2026年6月13日(土)~26日(金)
会場:シネマヴェーラ渋谷(東京都渋谷区円山町1‐5 KINOHAUS 4F)
公式サイト:http://www.cinemavera.com/preview.html?no=350
『海辺の一日 4Kレストア』
2026年7月10日(金)よりBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほか全国順次公開中
監督:エドワード・ヤン(楊徳昌)/脚本:ウー・ニェンツェン(呉念真)/撮影:クリストファー・ドイル、チャン・ホイゴン(張恵恭)
提供:JAIHO/配給:TWIN/配給宣伝:グッチーズ・フリースクール
公式サイト:https://www.the-day-on-the-beach-4k.com/
プレイバック!ミレニアム1991→2001:版画が/版画で越えた境界
会期:2026年6月27日(土)~8月30日(日)
会場:町田市立国際版画美術館(東京都町田市原町田4-28-1)
公式サイト:https://hanga-museum.jp/exhibition/schedule/2026-630