「しかくい『え』はきらいなんだもん」。休みの日、3歳の子どもを美術館に連れて行こうとすると、こう言われてしまった。自分の身体で感じたことを通して世界を知っていく子どもにとって、壁に掛かった四角い絵のなかでは、世界はすでに完結しているように見える。そこには、自分の身体を差し挟む余地がない。「なんかいいこと言うね」と、その言葉を心に留めておいた。

7月に訪れた「小林重予×田中千智展 焦がれる─白い国、南方の風」(アートスペース貘、6月29日〜7月12日)と牛島智子「タマノ井 Bear3 ト うちうし本」(福岡県立美術館 展示室4、6月30日〜7月5日)はいずれも福岡拠点の作家による展示だ。二つの展示はまったく異なる方法で、どちらも「しかくい『え』はきらい」という言葉に呼応するように感じられた。一方は完結した世界の中に生命を宿し、もう一方はフレームそのものを空間へほどいていた。

 

閉ざされた空間への誘い──「小林重予×田中千智展 焦がれる─白い国、南方の風」

「アートスペース貘(ばく)」は親不孝通りにある喫茶店「屋根裏貘」の一角を占める。1977年の開業以来、近隣の学生や表現者たちの通う憩いの場だ。私はいまだ喫茶スペースには少し気後れしてしまうが、左手奥のギャラリーには何度も足を運んでいる。入り口の看板にはマジックで展示タイトルが書かれている。階段を上って薄暗い店内に入る。街の喧騒から切り離された、閉じた雰囲気が、作品への没入を促す場所だ。

本展の作家である田中千智と2017年に亡くなった小林重予は、実際に対面したことはなかったようだが、今回の二人展では、壁に掛けられた作品同士が呼応し、お互いに境界を越えようとしているように感じた。


「小林重予×田中千智展 焦がれるー白い国、南方の風 」展示風景[筆者撮影]

田中は、「日常の中で出会ったものや感じたこと」をもとに制作した水彩ドローイングや、風景や人物、植物をテーマに描いた油彩画を、新旧とり混ぜて展示していた。アクリル絵の具で黒を背景とした静かな心象風景とともに、小林の作品と呼応するような、種をモチーフにした作品もこの中には含まれていた。

なかでも、雪の降る林の中で人物が描かれている作品はさわやかだった。芽吹きを待つ植物のような形が、画面のあちこちに現われていた。雪解けとともに新しい命が顔を出す、その一瞬を見つめているようだった。小さな絵画が額縁に納められ、リズミカルに壁を彩る様子に、「しかくい『え』」発言を思い出した。フレームとはなんだろう。少なくとも、田中の作品にとってそれは窮屈なものには感じられない。さりげない情景がちりぢりになるのを留める役割を果たし、見る者を絵画の世界に誘うように見えた(田中作品に特徴的な色である黒も、その役割の一端を担っているかもしれない)。


「小林重予×田中千智展 焦がれるー白い国、南方の風 」展示風景[筆者撮影]

対照的に、小林の作品には、額縁に収められていてもなお、画面の外へ伸びようとする生命力があった。2年間のインドネシア滞在でバリ絵画と木彫を学んだという彼女の作品を、筆者は福岡市美術館の所蔵品以外は知らずにいたが、初めて今回じっくりと鑑賞することができた。小林は、活動していた期間にさまざまな素材を組み合わせ、植物のような形を生み出した。光を受けてきらめく表面は、柔らかそうで、みずみずしい。しかし同時に、毒や棘を思わせる攻撃性も孕んでいる。植物のようでありながら、生き物の臓器にも見えるそれらは、画面の外へと這い出しこちらへ迫ってきそうな気配を漂わせる。額縁は、その生命力をかろうじて留め、作品としての均衡を保っていた。


「小林重予×田中千智展 焦がれるー白い国、南方の風 」展示風景[筆者撮影]

 

編集され続ける風景──「タマノ井 Bear3 ト うちうし本」

「タマノ井 Bear3 ト うちうし本」は、福岡県立美術館の展示室を借りて行なわれた牛島智子の自主企画だ。展示室には、いくつかの小さな絵画、祖父母の代から使われてきた布団や衣類などの古布をはぎ合わせたタペストリー(「幕絵」、八女和紙・蒟蒻糊を使用したオブジェ)が点在していた。

牛島の展示には、いつも過去作と新作が混在している。今回も、2026年春に福岡県福津市の旧玉乃井旅館で開催された「拍する家★1の作品群が、新作とともに再配置されていた。牛島は2011年以来、玉乃井で天井画を手がけるなど、作品発表を重ねてきた。帽子をかぶり、難しい顔で本を読む人物の像は、かつて玉乃井の館主であった安部文範(2022年没)と重なって見えた。


「タマノ井 Bear3 ト うちうし本」展示風景[筆者撮影]

会場を進むなかで、いくつかハッとする要素があった。ひとつ目は、三角形・四角形・多角形を組み合わせた立体物だ。入り口のある「家」と「庭」のような形を成しており、「家」をテーマにしてきた牛島の真骨頂といえる造形である。しかし、その表面に印象的に用いられた赤・黒・白の3色は、鶴岡正男の《人間気化》(1953年、宮城県美術館蔵)を連想させた。どこか血飛沫のような重々しさを持つビジュアルだ。

「タマノ井 Bear3 ト うちうし本」展示風景[筆者撮影]

《人間気化》は原爆投下によって人間の身体が蒸発する様子を描いた作品だが、牛島の展示にも戦争への言及があった。サイコロの形のオブジェには「NO WAR」「戦争反対」の文字が書かれている。牛島は以前から蒟蒻のりと八女の和紙を用いてオブジェを制作してきたが、これが戦時中に少女たちが制作に従事した兵器「風船爆弾」の材料であることを知り、以前から関心を抱いていたという。小規模ながらアメリカ本土で実際の被害を出したこの兵器は、北九州市の小倉陸軍造兵廠で製作されていた。牛島は小倉市の戦争資料館に通い、実際に和紙の構造物を空中に飛ばす実験まで行なったそうだ。だらんと垂れ下がった茶色い大きな袋状の物体は、一見すると大きな牛の胃袋のようにも見えたが、牛島なりに風船爆弾を表現し、今の時代に反戦の意志を示そうとした試みだった。

次に注目したいのが、タイトルにも掲げられている「うちうし本」だ。牛島は八女市の自宅を拠点に、随時、壁新聞や小規模な出版を重ねている。その延長線上に、自身のドローイングのシリーズを製本した冊子を今回に合わせて制作していた。紙の帯を潜らせた装丁など、私にとって初めて見る書籍の形態だった。会場では、過去に制作された冊子をさらに合本にし、「ほうき」「筆」「蝋燭」の3種類のいずれかのドローイングを表面に施した冊子を購入することもできる。これらの製本は、福岡市内にある製本工房「1F右」で製本を学ぶ内山けい子が担当し、今回の展示にあたり共同で制作されたという。


「タマノ井 Bear3 ト うちうし本」展示風景[筆者撮影]

この展示を見ながら、ラジオ番組「OUR CULTURE, OUR VIEW」★2で耳にした対話を思い出した。「ページ」という形式には、領域を展開する力があるという話だ。本は綴じられているからこそ、読むたびに開かれ、新たなコミュニティを生み出す。その考え方は、展示を絶えず編集し続ける牛島の実践とも重なっている。

これらの作品は、壁だけに留まっていない。床へ直に置かれていたり、一部留められてだらんと垂れ下がったりしている。これらのいったモチーフは互いに呼応しながら、空間へと広がっていった。

総じて、この展示にはたびたび四角が現われるのだが、その輪郭は緩やかだ。額縁、ページ、立方体、家といったフレームは、何かを閉じ込めるためではなく、人や場所、記憶をつなぎ直すための形式として現われている。また床というフレームは通路ではなく、鑑賞者を作品の世界に取り込むための舞台になる。鑑賞者は自然と足元へ目を落とし、歩く速度を変え、作品の間を縫うように身体を動かす。そこではフレームは作品を閉じ込めるものではなく、その身体を展示へ迎え入れるための一つの節点となっていた。

 

子どもが「嫌い」と言っていたのは、絵画ではなく自分の身体が入り込めない鑑賞の形式だった。

壁をどう使い、床をどう使い、境界をどのように立ち上げるのか。その選択によって、展示に身を置いた鑑賞者と作品との距離は変わる。四角いフレームは、作品を閉じ込めるためだけのものではない。その外側へ身体や想像力を送り出すための装置にもなりうる。

そう考えると、「しかくい『え』はきらい」というあの一言は、絵画への拒絶ではなく、美術を鑑賞する空間そのものへの、小さく鋭い批評だったのかもしれない。

★1──「拍する家」、旧玉乃井旅館(福岡)、2026年4月29日〜5月24日。
★2──福岡のラジオ局「LOVE FM」で放送されているラジオ番組。太宰府天満宮で開かれたアートブックフェア「Pages | Fukuoka Art Book Fair 2026」をめぐる特集で、福岡の出版社や書店主たちがローカルなパブリッシングについて語っていた回(2026年5月10日放送)での、尾中俊介(Calamari Inc.)の発言。

小林重予×田中千智展 焦がれる─白い国、南方の風
会期:2026年6月29日(月)〜7月12日(日)
会場:アートスペース貘(福岡県福岡市中央区天神3-4-14)


タマノ井 Bear3 ト うちうし本
会期:2026年6月30日(火)〜7月5日(日)
会場:福岡県立美術館 展示室4(福岡県福岡市中央区天神5-2-1)

詳細URL:https://fukuoka-kenbi.jp/exhibition/2026/0305_18380/