会期:2026/08/16
会場:熊野市 七里御浜[三重県]
参考サイト:https://www.kumano-kankou.info/obon2020/

「正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏に赫奕と昇った」。

最後の一文を読み終えるときにはもう、左手がつまむ紙はわずか数ページだけになっている。ここまで読んできた時間のなかで、物語は終わりに向かっていた。三島由紀夫『豊穣の海(二)奔馬』(新潮社、1969)★1は、輪廻転生を作品の推進力としており、巻ごとに異なる時代の20歳の若者が死に向かっていく。次巻で次の誰かが現われることを読者の私は知っているが、それでもなお、物語の終わりがある人物の生の終わりと重なっていることが、減っていくページにより強く実感される。四巻のうち『奔馬』はそのことがもっとも強く感じられる巻である。

朝日の昇る海辺で死ぬことを望んだ青年・飯沼勲が、暗い夜の海辺で波音を耳にし自死する瞬間、『奔馬』は終わった。物語には転生らしき出来事に立ち会い続ける本多繁邦が残されているが、書籍としては解説と奥付が残されているのみだ。読者の私には、物語のうちに残された世界より、飯沼の側から世界がもう眺められないという断絶の印象が強烈だった。いつかの私も、このように世界への感覚が断たれるときが来ることが怖い。何度読んでも、この感覚は鮮やかに立ち上がり、その立ち上がりのことも時折思い出す。

その後昇った朝日を眺める人のいること、世界のあることはどのように確かに思えるのだろうか。

紀伊半島の東側、三重県熊野市に約22キロ続く砂礫海岸がある。七里御浜だ。

太平洋に面し、朝日を受けるその浜は、紀伊山地との間に平地を細々と残しており、世界遺産登録されている花の窟神社や鬼ヶ城など、巨岩・奇岩からなる名勝が連なっている。古来より信仰対象となり、多くの巡礼者が通ってきた海岸は、面する町の人々にとっては日々の一部である。浜辺は護岸で見えないが、内陸に10分ほど入ってもなお、砂礫海岸に特有のザラついた波音がよく聞こえる。

1年のうちに亡くなった人を偲ぶ初盆の行ない方は、同じ七里御浜沿いでも町ごとに異なり、その違いは8月16日に先祖を再びあちらへ送り出す際に顕著である。市街中心部の木本町では海へ灯籠筏を流すが、有馬町では紙でできた大型の灯籠をナイアガラ花火で焼く。追善花火を打ち上げるのは七里御浜全域に共通しており、年によっては人口の10倍近くを集客する熊野大花火大会の起こりにもなっている。

8年ぶりに灯籠焼きに参加することになった。

夕刻、東の浜へ向かう私の背後から続くオレンジの空はグラデーションがかかり、目線の先でうっすらとした紫に染まっている。幅3メートルほどの護岸のゲートを通り抜ける。数センチの砂礫の粒は履き慣れない革靴を呑み込み、足を踏み出すたびにジャッジャッと音を鳴らす★2。前に進むのと下へ沈むのが同じくらいに思えてくる。向こうには、すでに何基かの灯籠が並び始めている。その奥で、波が寄せては返していた。

灯籠焼きは初盆を迎えた家族のうち希望する人々によって行なわれる。今年の灯籠は21基、割合は下がってきてはいるものの、現在も半分以上の家族が灯籠焼きに参加している。弔問に現われた人々は、戒名しかなくても目指す灯籠に迷わず進んでいく。居並んだ家族や親戚がその戒名の持ち主が誰かをいまだ知らせているのだ。日が沈み、灯籠の明かりが目に馴染んでくる頃、参列者は灯籠から二十メートルほど離れた地点へ下がる。故人の俗名が記された大型の行灯を見ながら僧侶が読経を行なう。灯籠が並ぶのと同じ幅でまだ生きている人たちが並んでいる。

読経前、安全な地点まで下がった遺族たち。この後、読経する頃にはあたりは暗くなっている[筆者撮影]

もう一度、焼香の機会が与えられると、いよいよ花火に着火する時が来る。

灯籠の直上に引かれたナイアガラ花火が、金色の火花を一気に噴き出した。このとき、波の音は噴射音にかき消される。金色が一気に白くなると、目に映るのは昼の光のようだった。波の白い泡はまったく見えず、灯籠は光の中に溶け込みそうなほど眩い。花火は想像するよりも長く噴き出し続け、気づくと火が燃え移っている。暗い夜の浜辺で、私たちの目は燃え上がる灯籠と炎に向けられていた。

やがて、遺族の代表者たちが灯籠を段々と崩し、いくつかの山にまとめていく。灯籠の形はもうない。誰も何も言わず眺め続ける。

こうして眺める人のいること、その人たちがこの浜と海とを日々眺めていること、そのように眺められてきた浜と海がずっとあること。それらの事実のどれもが、私以外の他者が居残ることへの信をもたらした。そして、浜にいた人の多くは血縁に由来する人々だったが、遠巻きに護岸の上から眺める人、家の中で波音に重なる花火の音を聞いた人、誰もが七里御浜に面して生きる人々で、そのときその人たちもまた浜を“眺めていた”と言えはしないだろうか。

その土地にいるということは、私たちと呼べる範囲を押し広げうる最低限共有された当事者性だ。家や家族というものは、眺める側をくくるには狭すぎる。あるいは、すぐ傍らの人だけが眺めている人というわけでもない。これくらい引き下がったところから、私たちは私たちについて考え直してもいいはずだ。私もまた、そのように土地を介して他者を眺めているひとりでもある。

長年抱いてきたこちらにいなくなることの怖れが、この初盆で初めてわずかに和らいだ。

私たちは足を踏みしめ、共にこの世を/この世で眺めている。


★1──四部作の最終巻『豊饒の海(四)天人五衰』は三島の絶筆である。三島は『天人五衰』を書き終えた当日に自死している。
★2──幸田文の晩年の随筆集『崩れ』(講談社、1994)では、日本三大崩れと呼ばれる山体崩壊地・大谷崩れ(静岡県)を歩く描写に「ゾッゾッ」という擬音が用いられている。2022年に私は大谷崩れを訪れた。同地の踏み味は七里御浜のそれとは異なっているが、幸田の描写がつねに比較として思い出される。「ゾッゾッ」と「ジャッジャッ」には足の沈む深さ、時間の差異を読み取れる。


参加日:2026/08/16(日)