ここのところ見逃せない写真家の個展が続いている。東京都写真美術館では「奈良原一高時空の鏡:シンクロニシティ」展、世田谷美術館では「宮本隆司写真展−壊れゆくもの、生まれいずるもの」、そして原美術館では「飛ぶ夢を見た 野口里佳」展。もちろん写真専門のギャラリーでは日々、さまざまな写真家の個展が開かれているが、それぞれにキャリアの長さは異なるものの、現存作家の個展がこれだけ同時期に重なって美術館で開催されるというのは珍しい。しかもそれぞれに充実した内容だ。
東京都写真美術館の奈良原一高展は、同館が開館以来継続的に開催している日本の重要写真家の個展のシリーズで、昨年、この欄でも紹介した川田喜久治展に続くものだ。奈良原、川田はそれぞれ1931年、1933年の生まれで、東松照明(1930年生まれ)、細江英公(1933年生まれ)らと1959年に自主運営の写真エージェンシーVIVOを結成、戦後に登場した新世代写真家の旗手として華々しく活躍したことで知られる。
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「ジャパネスク・色 #1」 "Japanesque,Iro #1"1968
(c)IKKO NARAHARA |
今回の展覧会は、砲兵工廠跡地や軍需工場の廃墟をモティーフとした「無国籍地」と題する、デビュー以前に撮影されていた最初期の作品から始まる。美術史を学ぶ大学院生だった奈良原は長崎・軍艦島を撮影したデビュー作「人間の土地」(1956)で一躍新進写真家として注目された。以後、「王国」(1958)、1962年から三年間の滞欧時に撮影された「ヨーロッパ−静止した時間」(1962−65)、1970年からの四年間の滞米時の作品「消滅した時間」(1970−74)など、つぎつぎに重要作品を生み出していく。そうしたキャリアはもちろん知っていたけれど、その流れの最初に置かれた、始まりのシリーズとしての「無国籍地」を見ると、奈良原もまた廃墟の風景から出発した世代の人なのだとあらためて思った。昨年の川田喜久治展のときにも、廃墟という原風景が持つ意味についていろいろと考えさせられた。川田の場合は、その作品世界の中に、つねに崩壊への衝動のようなものが感じられ、そこには出発点としての、破壊の跡に出現した廃墟へのヴィジョンが反映しているという印象を受けたのだが、ヨーロッパやアメリカなどを遍歴し、ファッション写真でも活躍した奈良原の場合には、50年代の作品を別にすれば、隠された秩序を世界に見出す彼独特の美意識は一貫して感じられても、そこに崩壊や破壊といったヴィジョンの印象はあまりなく、それだけに出発点としての廃墟のイメージは印象に残る。
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上:「インディアン村の2つのごみ罐」
“Two Garbage Cans,Native American Village”1972 下:「人間の土地 緑なき島−軍艦島」より“Human Land - Island without Green Gunkanjima Island”
1954〜57 ともに(c)IKKO NARAHARA |
もうひとつ展覧会全体を見ながら気がついたことがある。それは円や球体など丸いものが繰り返しさまざまに現われていることだ。デビュー作「人間の土地」の中の有名な、薄暗い通路に放置された車輪の写真をはじめとして、「ヨーロッパ−静止した時間」ではヴェネツィアの海から昇る巨大な朝陽や、丸いメガネのレンズに映ったパリの公園の光景が現れるし、「光の回廊−サン・マルコ」はヴェネツィア、サン・マルコ広場を取り囲む回廊のひとつひとつの窓とランプが、回廊一周分すべて撮影されていて、すべてのイメージの中心には球形のランプが白く輝いている。作品自体が円形のフォーマットで制作された「円」という作品もあり、近作のひとつ「Seven Heavens」は、ローマのパンテオンのドームの天井にうがたれた丸窓から見た丸い青空の連作である。ニューヨークのブロードウェイで交差点ごとに四方向の写真を撮り、それを四等分された正方形に組み合わせた「ブロードウェイ」のシリーズも、ぐるりと一周分の眺めをひとつの写真にしているという点では、円の作品の系譜に入れられよう。こうしたフォーマット自体が円形のものが、ひとつの系譜をなしているのは知っていたのだが、その他のシリーズでも繰り返し登場する丸いモティーフや、ときおり効果的に使用される超広角レンズによって丸く歪んで映りこんだ世界も含めて見ていくと、やはり円や球体といったものの現われ方は印象的といわざるを得ない。
会場でそのことに気づいたときに考えたのは、円や球体が、完全性を象徴するモティーフであるということだ。もちろん造形的な要素としての円や球体を、奈良原が感覚的に好んでいるというのが無難な説明ではあるだろう。しかし丸いモティーフが象徴する完全性、言い換えれば「全きもの」への希求がすべての作品の基層にあるとすれば、なおいっそうはじまりとして廃墟の光景があることの意味を考えさせられることにもなるだろう。
さて廃墟といえば「宮本隆司展」、ほんとうは奈良原展の廃墟の印象を承けてそちらに話を展開する構想だったのですが、時間的に余裕がなくなってしまいました。ともかく両展とも会期残りわずか、ぜひお見逃しなく。 |