小吹隆文/福住廉 |
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9/24〜9/29 |
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Yokohama Boogie Under the Influence
9/14〜30 ZAIM(別館)[神奈川] |
フランシス真悟を中心としたHatch Artによる企画展。キュレイターにインディペンデント・キュレイターのコアン・ジェフ・ヴァイサを迎え、国内外15組のアーティストによる作品を展示した。監視員をほとんど置かないなど作品との距離感が近かったのは小さな国際展ならではだったけれど、とくに日本人のアーティストのなかには他会場で発表された旧作をそのまま展示したものが多かったのが残念だった。水越香重子の映像作品は今年はじめに資生堂ギャラリーの大空間で発表されたものと同じ作品だったが、狭い空間の特性を活かしながら展示構成をしっかり作りこんでいたせいか、よりよく見えた。
[9月24日(月) 福住廉] |
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イリヤ・カバコフ『世界図鑑』絵本と原画
9/15〜11/11 神奈川県立近代美術館葉山[神奈川] |
カバコフがソ連時代に手掛けていた絵本約100冊とその原画1000点あまりを前後半に分けてみせる展覧会。線描の技術や空間表現のクオリティは日本の豊かな絵本の伝統と比べればそれほどでもないが、面白いのは絵本の内容がいずれも共産主義イデオロギーに支配されているなか、その隙間を縫うかのようにカバコフの「オリジナリティ」が差し挟まれているところ。集団主義的な体制のなかで個人のクリエイションを紛れ込ませる巧みな手仕事は、現在の資本主義的な体制のなかでの仕事にも通じていて興味深い。カバコフ自身は、そうした写実的で教訓的な絵本を「わたしの手」をとおして「彼」が作ったものだと振り返っているが、これも共産主義社会に限った話ではない。というのも、カバコフのトータル・インスタレーションはもちろん、大型のインスタレーションを手掛ける作家なら誰でも、つねに職人や業者、あるいはボランティアの手を必要不可欠としている以上、それが文字どおり作家自身の「わたしの手」によって作られた作品とはもはやいえないからだ。むしろ職人や業者からしてみれば、カバコフこそ「彼」にほかならないとさえいえる。その点では、この展覧会はただたんに絵本を純粋な絵画として楽しませるというより、「作品」や「アーティスト」の成立根拠を再考させる、きわめて同時代的な企画展であるといえる。
[9月24日(月) 福住廉] |
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Monotype展
9/21〜10/3 art project room ARTZONE[京都] |
ライブペインティングや壁紙制作などで活躍する2人組ユニット「DOPPEL」のMONが、京都・大阪の6カ所で同時多発的に個展を開催。ARTZONEでは大作絵画を中心に、活動記録の写真や映像、壁画なども交えた内容となった。作品は、動物と思しき生命体、アイヌやネイティヴ・アメリカン風の民族意匠、抽象的紋様などがスピード感あふれるタッチの下でハイブリッドされた独創的なもの。獣性と洗練の絶妙なバランスに魅了されてしまった。
[9月25日(火) 小吹隆文] |
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陳文令 展 メタモルフォーゼ
9/8〜10/4 MAKII MASARU FINE ARTS[東京] |
上海ビエンナーレ出品作家の日本ではじめての個展。人間と動物をモチーフとした彫刻作品は、素材のブロンズが重厚感を与えながらも、形象としてはマンガ的というかポップであるため、奇妙な感覚を覚えさせる。さらに、いかにも中国的な真紅の色彩が、プラスティックのような滑らかな光沢感を強調していた。重さと軽さが共存したような彫刻である。
[9月27日(木) 福住廉] |
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芸術テロとシャーマニズム
9月28日 多摩美術大学八王子キャンパスレクチャー棟Aホール[東京] |
「ゼロ次元」の加藤好弘が多摩美にやってきた。呼びつけたのは学生有志。加藤が監督し、秋山祐徳太子やダダ・カン、桜井孝身らが出演した映画「いなばの白うさぎ」とゼロ次元が出演した映画のシーンを編集した「儀式記録映像」が左右二つのスクリーンで同時に上映されるなか、途中で加藤がマイクを持って登場。舞台上から聴衆や学生に向って、かねてからの持論である「芸術=テロリズム」説を言葉の切れ目なくアジりまくる。すると突然、パンツ一丁の男子学生10数人がワラワラと舞台上に集まり、丸太のように横になった彼らを踏んづけながら、数人の女子が静かに歩いていく。聴衆は目前の映像のなかにすでに同じ光景を目撃していたから、これがゼロ次元の儀式「いなばの白うさぎ」の再演であることはすぐに理解できた。映像を見るかぎりでは、かつての「儀式」で男を踏みつけながら渡り歩いていく女の姿はしなやかで軽やかだったのに、男の身体が弱いのか、女の踏み歩き方が下手なのか、現代の若者が演じる「儀式」は、なんだかとても痛そうだった。とはいえ、60年代の記録映像と00年代の再演パフォーマンスを目の当たりにしながら、加藤のアジテーションを浴びるように聴くという経験じたいが、視覚と聴覚を形式として攪乱させるという意味で、聴衆にたいするある種の「テロリズム」であるかのようだった。ただ、この優れてパフォーマティヴな演目のあとに行なわれた、針生一郎と中沢新一をまじえたトークは、その内容がどこかで聞いたような薄っぺらい話に終始してしまったのと、多摩美の同窓会のような内輪ネタに陥ってしまったせいか、前半の輝きを大学制度のなかでたんに消費してしまった印象は否めなかった。
[9月28日(金) 福住廉] |
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津田直作品集『漕』出版記念イベント「やがて、図は景となる」
9/29〜10/1 湖山荘[滋賀] |
奥琵琶湖の自然や人の営みをテーマに3年前から作品を作り続けてきた津田が、作品集という形でその成果を結実させた。出版を記念した当イヴェントでは、作品展示のほか、資料やゲラなども公開。もちろん作品集『漕』も披露された。特に素晴らしかったのは茶室でのインスタレーション(彼らは「室礼」と呼んでいた)。軸装された津田の作品と、このプロジェクトのもう一人の中心人物である片桐功敦のいけばな、そして、かつて琵琶湖を往来した丸子船の模型が景色を作り上げ、ひとつの宇宙を形成したのだ。長年にわたる作業の結実として、これ以上ないフィナーレ。まさに“有終の美”であった。
[9月29日(土) 小吹隆文] |
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