2019年09月15日号
次回10月1日更新予定

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ネオ・ダダ(ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ、日本)

Neo Dada (Japan)/Neo Dadaism Organizers

吉村益信をリーダー的存在として、1960年東京で結成された前衛芸術グループ。グループ名は同時代のアメリカのネオ・ダダから借用されたものだが、両者に直接の関わりはない。結成翌月の旗揚げ展以降は名称を「ネオ・ダダ」とし、磯崎新設計(処女作)による吉村の自邸「ホワイト・ハウス」を拠点として過激なアクション、廃物などの卑俗なオブジェの使用、即興的な街頭パフォーマンスなど、直情性、発散性、偶然性に満ちた活動を繰り広げ、「読売アンデパンダン」展末期のアナーキーな「反芸術」傾向の代表的動向のひとつとなった。結成された4月からホワイト・ハウスが開放停止される9月まで(広義には山梨における展覧会と吉村の渡米壮行会が行なわれた62年まで)と活動期間がきわめて短く、また残されている作品がほぼ皆無であるにもかかわらずこのグループが60年代の代表として重要視される理由は、ネオ・ダダやヌーヴォー・レアリスムといった世界動向との同調、そして否定、反抗の身振りの徹底した明晰さにあるといえる。吉村、赤瀬川、篠原など、60年代の前衛を代表する顔ぶれが揃っていたことも端的な理由だろう。注目すべきはテレビや新聞雑誌などのマスメディアを巻き込むこのグループの戦略であり、「ロカビリー画家」として脚光を浴びた篠原有司男を筆頭に、経済復興目覚ましい日本のマスメディアの発達拡大状況を活かした広報活動は先駆的であった。またこの活動の派手さは、60年安保をはじめとした当時の政治闘争のエネルギーと通じ合う社会性を帯びていたことも注意されるべきだろう。グループ解体後、メンバーの半数(荒川、吉村、平岡、升沢、木下、豊島、田辺、篠原)が渡米したのも大きな特徴である。

著者: 成相肇

参考文献

  • 「ネオ・ダダJAPAN 1958-1998 磯崎新とホワイトハウスの面々」展カタログ, , 大分市教育委員会, , 1998
  • 「ネオ・ダダの写真」展カタログ, , 福岡市美術館, , 1993

註・備考

  • 関連人物の工藤、三木はメンバーと行動を共にしていたがグループには参入しなかった。

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