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2018年04月15日号のバックナンバー
フォーカス
【ニューヨーク】彫像のリアリズムと実像、幻想の狭間で──ドナテッロからジェフ・クーンズまで
[2018年04月15日号(梁瀬薫)]
メトロポリタン美術館の分館メット・ブロイヤーで開催されている彫刻展が、春シーズンの展覧会で、とりわけ注目を集めている。企画はメトロポリタン美術館のヨーロッパ彫刻・装飾部門と近代・現代美術部門の2部門によるコラボである。14世紀の大理石や木彫のものから、フィギュア、蝋人形、人体模型なども含む現代までの西洋美術における彫像作品を通して、歴史や理論、時間と空間、社会と文化を比較し、人体の立体表現を検証する構成だ。展示作品は900点の候補作品から約120点が選出された。
彫刻を見よ──公共空間の女性裸体像をめぐって
[2018年04月15日号(小田原のどか)]
日本で育った大多数の人々にとって、「美術」「彫刻」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、古風な衣服をまとった西洋人の石膏像と並び、駅前や公園など、屋外の公共空間にある記念碑的な人物銅像(その多くが裸体を晒している)ではないだろうか。しかし(「美術」「彫刻」という言葉と同じく)国内でそうしたイメージが定着したのはそれほど古いことではない。その過程に何があったのだろうか? 最近のartscapeでも、 3月1日号村田真レビューでは「小沢剛 不完全─パラレルな美術史」展、また同じく4月1日号の星野太レビューで荒木慎也『石膏デッサンの100年──石膏像から学ぶ美術教育史』がピックアップされている。今号では、彫刻家で彫刻・銅像・記念碑研究者の小田原のどかが、公共空間での「女性」裸体像の起源に迫る。なお本稿に関連し、昨年4月15日号高嶋慈レビューによる小田原の個展「STATUMANIA 彫像建立癖」評も参照されたい。(編集部)
キュレーターズノート
つながりで学び、育てる施設──KIITOの他施設・団体間連携の事例から
[2018年04月15日号(近藤健史/佐藤真理)]
本稿では、デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)が行なう神戸を中心とした近隣文化芸術施設や団体との連携に焦点を当てて紹介することで、これからの公共施設や団体がその地域のなかで果たす役割について省察してみたい。
七搦綾乃「血のつながった雫」
[2018年04月15日号(角奈緒子)]
早いもので今年も3ヶ月が過ぎた。なにかと慌ただしく殺伐とした雰囲気になりがちな年度末の楽しみといえば観桜。広島市現代美術館のある比治山も、市内花見の名所のひとつとして知られており、年に一度この時期だけ、景色がすっかり変わってしまうほどに多くの人でごった返す。晴れの日が続いた今年も比治山は昼夜を問わず多くの花見客で賑わったが、それにひきかえ美術館の中では閑古鳥が鳴いていた。桜を愛で、春の訪れを喜ぶ心の余裕があるならば、いっそ「ついで」で構わない、芸術に触れ、心豊かに新年度を迎えようという発想を、人はもち得ないものなのか。