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荒木慎也『石膏デッサンの100年──石膏像から学ぶ美術教育史』

2018年04月01日号

発行所:アートダイバー

発行日:2018/02/01

本書の著者は、かつて「受験生の描く絵は芸術か」により第13回芸術評論賞佳作を受賞した美術史・美術教育学の研究者である。個人的な回想になるが、2005年8月号の『美術手帖』に掲載されたこの論文を、新鮮な驚きとともに読んだことをよく覚えている。その後も著者は、日本の美術教育における石膏デッサンの歴史的調査や、アメリカの美術大学における韓国人留学生を対象としたフィールドワークをもとに、数々の刺激的な論文を世に問うてきた。博士論文をもとにした本書『石膏デッサンの100年』は、いわばその集大成と呼べるものであろう。本書はもともと2016年12月に三重大学出版会から刊行されたが、初版300部がすでに完売していることもあり、このたび装いも新たにアートダイバーから再販される運びとなった。

以上のような経緯もあり、美術関係者のなかにはすでに本書を読んだか、その内容を仄聞した者も少なくないだろう。本書の主人公である「石膏像」と言えば、戦後から今日まで美大・芸大受験の定番課題でありつづけている「石膏デッサン」の主役であり、美術産業になんらかのかたちで関わる「当事者」たちにとっては、文字通り他人事ではないからだ。世代を問わず、日本で専門的な美術教育を受けた者は、ほぼ例外なくこの石膏デッサンを通過してきている。そんな当事者たちにとって、雑誌・カタログ・予備校関係者へのインタビューなどを通じてその功罪を丁寧に追跡した本書の内容は、さまざまな記憶と複雑な感情を惹起するにちがいない。

また当事者ならずとも、本書をいったん手に取った読者は、石膏像をめぐって展開されるそのスリリングな歴史叙述に引き込まれていくはずだ。まずは第1章「パジャント胸像とは何者なのか」に目を通してみてほしい。そこでは、いっけん何の変哲もないこの石膏像がじつは日本と韓国でしか流通していないこと、著者が本研究に着手するまで、この像は原型すら正確に知られていなかったこと、そしてこの像の名前はそもそも「パジャント」ではないこと(!)等々、驚きの事実が次々と明らかになる。

それ以降の各章では、西欧のアカデミーにおける石膏像の役割、明治期におけるその輸入、さらに工部美術学校や東京美術学校における石膏像の購入履歴などが事細かに語られる。学術書であるがゆえの専門的な記述も少なくないが、そこに登場する黒田清輝・小磯良平・野見山暁治といった画家たちを(万が一)知らなくとも、彼らが美術教師としてどのように「石膏デッサン」に向き合ったのかというその顛末を、本書はありありと伝えてくれる。また、後半で語られる東京藝術大学と美術受験予備校の「駆け引き」には驚きと苦笑を禁じえない読者も多いだろう。堅実な学術書でありながら、「非当事者」のそんな野次馬めいた読み方も可能にする、あらゆる読者層に向けられた著作である。

2018/03/11(日)(星野太)

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