2017年12月15日号
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artscapeレビュー

小田原のどか個展「STATUMANIA 彫像建立癖」

2017年04月15日号

会期:2017/03/04~2017/03/19

ARTZONE[京都府]

「彫刻」と「台座」、「モニュメント」と具体的な場所との紐帯/切断といった問題を通じて、彫刻史や美学的な制度論への言及にとどまらず、戦後日本の潜在的な構造を批評的にあぶり出す、意欲的で秀逸な個展。小田原が近年、精力的に取り組んできた《↓》と、新作《空の台座》の2作品とともに、それぞれの作品制作にあたって文献資料のリサーチをまとめた論文2本も展示された。
展示会場に入ると、赤く光るネオン管でつくられた巨大な矢羽根がそそり立っている。壁面には、古い新聞写真や英字新聞を複写した写真が並べられ、そこに写った作品と同形の矢羽根には、「原子爆弾中心地」と書かれている。つまりこの矢羽根は、爆心地を「ここ」と即物的に指し示す記念標柱なのだ。小田原の作品《↓》は、長崎市松山町に1946年に建立され、48年に撤去された「矢羽根型記念標柱」を、原寸サイズで「再現」したものである。


左:小田原のどか《↓》2011-16 ネオン管
撮影:呉屋直
右:長崎民友新聞 昭和22年8月9日付より


モニュメントや建築の一部としてつくられた彫像が、台座すなわち特定の場所との紐帯を失ってノマド化し、ホワイトキューブ内に移行することで、「彫刻」としての自律性を保証されること。小田原の《↓》はひとまず、こうした近代彫刻史を批評的にトレースするものと見なすことができる。歴史的出来事の記念や人物の偉業を讃え、権威を可視化する装置としてのモニュメントは、事績と強く結びついた場所の固有性と切り離せないものであった。国家意識の醸成、帝国主義、啓蒙化が強まるなか、18世紀フランスの都市におけるモニュメントの氾濫状況に対して、近代史家のモーリス・アギュロンは「statue(彫像)」と「mania(熱狂、癖)」を組み合わせ、「statumania(彫像建立癖)」と名付けた(本個展のタイトルはこれに由来する)。ロザリンド・クラウスの「拡張された場における彫刻」によれば、こうしたモニュメントの論理は「共通の記憶の再現=表象(commemorative representation)」であり、台座は「現実の場所と再現=表象的な記号を媒介する」装置である。一方、ロダンの《地獄の門》と《バルザック像》のモニュメントとしての「失敗」──本来の場所に置かれず、各地の美術館に複製が収蔵されていること、ロダンの主観性の強い反映──が意味するのは、モニュメントの論理と台座の消失であり、場所との切断によってノマド化した彫刻の自律性を保証するのがホワイトキューブという制度的空間である。小田原の《↓》は、「ここ」を指し示す「矢羽根型記念標柱」を場所の固有性から切り離し、ネオン管の使用すなわち「ライト・アート」への美術史的接続も加味することで、これまで「彫刻」と見なされてこなかったものが「彫刻」へと転位する事態そのものを、パフォーマティブに自ら指し示す。
だが、本作について論じるべき点は、そうした彫刻史や制度への自己言及性だけだろうか。先ほど筆者は《↓》について、「矢羽根型記念標柱」の原寸サイズの「再現」と書いたが、「再現」という言い方には保留が必要だ。小田原は作品化にあたって2点の改変を加えており、この改変の操作こそが、戦後日本社会に対する批評性の射程の要となる。ネオン管の使用、そして「原子爆弾中心地」という文言の消去・空白化は、何を意味するのか。
「ネオン管」は、ホワイトキューブに持ち込まれればライト・アートへの美術史的参照に一役買うが、制度の外に出れば、繁華街を彩るネオンサインとしてありふれた存在だ。それは都市の繁栄と消費の象徴であり、それらは電力の安定した供給を前提に支えられている。つまり《↓》が体現するのは、消費社会の繁栄の中で原爆の記憶を忘却する戦後日本の姿であり、そこでは「原子爆弾中心地」という言葉は(何者かによって)いったん消去されつつも、まさにその消去と忘却によって、原爆(原子力)の炸裂が他の場所でも起こりうることを黙示録的に指し示しているのである。文言の消去と設置場所の代替可能性は、記憶の忘却であるとともに、「爆心地」の潜在的な遍在性をも指す。過去の忘却と、将来的な書き込みを待ち受ける空白とを同時に含み持つことが、本作の真に戦慄的な事態である。

一方、もうひとつの作品《空の台座》の展示空間も、ガラス管による「原寸サイズの再現」と、印刷物に掲載された古い写真の複写の併置という同様の構造を持つ。展示室中央にあるのは、赤い光で自らの存在を誇示する矢羽根とは対照的に、空間に溶け込むかのように、物質性の希薄なガラス管でつくられたフレーム状の構造体である。壁面には、北村西望《寺内元帥騎馬像》(1923)と菊池一雄《平和の群像》(1951)のモノクロ写真が掲示されている。東京の三宅坂に現在ある《平和の群像》は、三美神を意識した3人の女性の裸像だが、戦前は同じ台座の上に、軍人の騎馬像が建っていた(三宅坂一帯は帝国陸軍の拠点だった)。《寺内元帥騎馬像》は戦時中の金属回収によって撤去されたが、戦後、残された台座を再利用して設置されたのが《平和の群像》である。戦中/戦後のイデオロギー転換をまさに「彫像建立癖」によって体現する出来事であり、《平和の群像》は日本の公共空間における女性ヌード像の第一号であるという。


小田原のどか《空の台座》2017 ガラス
撮影:呉屋直

ここで興味深いのは、小田原が注目するのが、イデオロギー転換をめぐる像の交代劇ではなく、像=イデオロギーの交換を基底で支える「器」としての台座である点だ。私たちは、イデオロギーを可視化する装置としての彫像の交代劇には目を向けても、台座そのものは不可視になっていたのではないか。小田原の試みは、いかなる変更も受け入れる不変の器としての「台座」を前景化させる。それは物理的な彫像を支えるだけでなく、(戦意高揚であれ平和の称揚であれ)イデオロギーを柔軟に受け止める器であり、より象徴的なレベルでは日本社会の基底である。透明なガラス管でできたその「見えにくさ」は、意識から排除され、「空気」のように希薄化した常態をも指し示す。さらに、台座が「空(から)」であることは、《平和の群像》が下ろされ、別の彫像の設置を待ち受ける不穏な空白期間の可能性をも暗示する。もし、三度目の彫像交代劇が行なわれるとしたら、そこに鎮座するのは、いったいどのような「彫像」なのだろうか。
《空の台座》が提示するのは、台座(パレルゴン)を作品(エルゴン)化させる反転の身振りによって彫刻史や制度論への批評的接続に加えて、空白が暗示する予見的な未来の不穏さである。このように本個展は、「彫刻(史)」と接続しつつ、「戦後日本社会」の不気味さ(現在における忘却と潜在的な可能性)をあぶり出す点で、深い批評性の射程を持つ優れた内容だった。

2017/03/10(金)(高嶋慈)

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