artscapeレビュー

2018年04月15日号のレビュー/プレビュー

名古屋城 本丸御殿

[愛知県]

名古屋城にて、6月に全体を一般公開する本丸御殿を見学した。名古屋城は、1945年まで天守も本丸御殿も残っていたが、空襲によって焼失し、戦後に天守を鉄筋コンクリート造で復元し(1959年に完成)、本丸御殿は木造で復元している。数年前に表書院までが一部公開されたときに訪れて以来だが、今回は取材のため、工事中の上洛殿も足を踏み入れることができた。ここは将軍を迎えるために増築された一番奥のエリアであり、欄間の彫刻、折上格天井の装飾など、もっとも豪華絢爛な空間をもつ。なお、本丸御殿は近代を迎えると、陸軍、宮内省、名古屋市と管轄が変遷しているが、焼失前に調査が行なわれたおかげで、実測図面、野帳、写真などの資料が数多く残されていたこと、また江戸時代にあまり使われなかったことで保存状態が良かったことや、戦時下に障壁画を外して避難させていたことによって、精度が高い復元が可能だったことは特筆に値する。

本丸御殿では、近世書院造という一定の型を反復しながら、奥性や雁行の配置、床と天井の高さや仕上げによる空間の差異を演出している。すなわち、垂直方向の空間表現が強い西洋建築とは違い、平屋のなかで展開する日本的な空間の格式の表現が行なわれている。これは接客の儀礼を重んじる武家の慣習が、空間デザインに結実したものだ。したがって、部屋ごとに同じ部位がどのような違いをもっているかを注目すると興味深い。障子からの明かりや、なまめかしく照り返す金箔など、昔の光の感覚もうかがえる。同じ近世の書院造という点では、寛永期の状態に復元した本丸御殿を、明治以降も豪華な装飾を加えた二条城の二の丸御殿と比較できるだろう。本丸御殿は遺構の礎石が残る敷地に、大規模な木造建築を復元した大変な工事だが、次は天守も木造で復元する日本初のプロジェクトに取り組む予定だ。都市のシンボルである城にかける名古屋の気合いの入れ方は半端ではない。


天守

表書院 一之間から上段之間を見る

左=玄関 一之間、《竹林豹虎図》、右=対面所 上段之間

2018/03/02(金)(五十嵐太郎)

上田義彦「Forest 印象と記憶 1989-2017」

会期:2018/01/19~2018/03/25

Gallery 916[東京都]

上田義彦の「Forest 印象と記憶 1989-2017」展を見たあとで、彼の1993年の写真集『QUINAULT』(京都書院)をひさしぶりに書棚から引っ張り出して眺めてみた。今回の展示には、その1989年に撮影されたアメリカ北西部の「QUINAULT」の森のほかに、2017年に同じ森を再訪して撮影した写真、東日本大震災の直後から撮り始めた「屋久島」の森、そして2017年に撮影した奈良「春日山」の原生林の写真が出品されている。これら30年近いスパンを持つ森の写真群をあらためて見直すと、上田の撮影の意識が大きく変わってきたことに気がつく。

最初の「QUINAULT」の写真には、はじめて森に踏み込んだ写真家の歓び、怖れ、興奮が綯い交ぜになってぎっしりと埋め込まれているように見える。森は重々しく、厳めしく、不機嫌な表情で写っており、上田はそこで自分自身を「ストレンジャー」と感じざるを得ない。ところが、再訪した「QUINAULT」や「屋久島」や「春日山」の森は、むしろ明るく、開放的だ。上田の視線は「デティールから色彩へ、輪郭から量へ」とめまぐるしく、軽やかに動き回り、森の速度にシンクロしている。特に「絶え間ない生命の循環」に呼応して形を変えていく光にたいする鋭敏な反応が、写真にいきいきとした躍動感を与える。本展の作品には、上田の写真家としての成熟と森との関係の深まりが、きちんと形をとってあらわれていたといえるだろう。展覧会に合わせて刊行された同名の写真集も、大判だが手に取りやすい造りで、上田の制作意図がしっかりと反映されていた。

ところで、上田義彦が2012年から運営してきたGallery 916は、6年の節目を迎える4月15日に閉廊することになった。これまで開催された24回の企画展は、600m2という広い会場にふさわしい、見応えのあるものが多かったので、閉廊はとても残念だ。上田自身の展覧会を含めて、ラルフ・ギブソン、アーネスト・サトウ、有田泰而、森山大道、操上和美、津田直、野口里佳、川内倫子、シャルロット・デュマ、百々俊二、奥山由之など、同ギャラリーでの展示は記憶に残っていくだろう。

2018/03/03(日)(飯沢耕太郎)

せんだいデザインリーグ2018

会期:2018/03/05

せんだいメディアテーク[宮城県]

今回は渡辺顕人による被膜が生き物のように動く建築が日本一に選ばれたが(本当に蠢く模型はインパクトがあったけれど、内部空間のデザインはひどく、学部1年レベル)、審査が終了しても、赤松佳珠子が不満を述べたように波乱含みの展開だった。おそらく審査委員長の青木淳による巧みな誘導によって、アンチ・ヒューマン派が結束し、ヒューマン派・空間系の票が分裂し、切り崩されたことが、この結果につながったように思う。ちなみに、前者が動く建築、金継ぎ的にハウスメーカーの家をつなぐシステム(谷繁玲央)、富士山の環境が導く建築(山本黎)、後者が住宅地の基礎に注目する提案(平井未央)、塩から始まる島の未来構想(柳沼明日香)、防災地区ターザン計画(櫻井友美)である。本来は対立する両者の激論をもっと見たかったが、最終投票が前者vs.後者の構図にならなかったこと、また本当に動く建築を選んでよいかを議論する時間がなかったことが、結果のもやもや感をもたらした。もっとも、個人的に今年は一押しがなく、政治的に正しくない案が日本一になったことは興味深い(まさか動く建築が一位になるとは思わなかったが)。

思うところがあって、2年前から本選の審査には関わることを止め、なるべく多くの学生の案を講評し、学生との飲み会がセットになるエスキス塾を始めたが、3回目は本選とエスキス塾の垣根がほぼ消えたことが印象に残った。例えば、ターザンは本選に残らないだろうと思って、エスキス塾の候補にしたら、ファイナリストになった。また日本三となった金継ぎの谷繁や特別賞の平井も、ファイナルに残ったために、エスキス塾の候補から外されたが、当日に飛び入りで参加した。さて、朝から夕方まで40人の学生の案を講評し、二次会までの飲み会では、さらに突っ込んだ個別の議論とせんだいデザインリーグへの生の意見を聞くことができた。学生を目の前に個別に案を掘り下げ、意見を交わすと、前日の10選の入れ替え可能性をいろいろ想像させるが、特にデザインの可能性では、熊本大学の福留愛による詩人の世界を体感するミュージアム《窓の宇宙》は突出して、空間の新しい形式に対する創造性への意欲を感じた。

2018/03/05(月)(五十嵐太郎)

写真発祥地の原風景 長崎

会期:2018/03/06~2018/05/06

東京都写真美術館[東京都]

2017年に開催された「夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史」展で、東京都写真美術館の「初期写真」へのアプローチはひとつの区切りを迎えた。本展は、それ以後の展望を含めて新たな連続展として企画され、長崎という地域に限定することで、より厚みのある展示・構成が実現していた。この「写真発祥地の原風景」シリーズは、今後「北海道編」、「東京編」と続く予定である。

「江戸期の長崎」、「長崎と写真技術」、「長崎鳥瞰」、「クローズアップ長崎」の4部構成、306点による展示には、写真だけではなく版画、古地図、旅行記、カメラ等の機材も組み込まれており、まさにパノラマ的に長崎の「原風景」を浮かび上がらせていた。特に圧巻なのは国内所蔵の最古のパノラマ写真、プロイセン東アジア遠征団写真班による《長崎パノラマ》(1861)をはじめとする、写真をつなぎ合わせて長崎の湾内の眺めを一望した風景写真群である。それらを見ていると、長崎を訪れた外国人写真家や、彼らから技術を習得した上野彦馬らの日本人写真家が、写真という新たな視覚様式を、驚きと歓びを持って使いこなしていたことがよくわかる、山、海、市街地がモザイク状に連なる長崎の眺めは、彼らの表現意欲を大いに刺激するものだったのではないだろうか。

なお、本展は長崎を撮影した古写真のデータベースを立ち上げてから20周年を迎えるという長崎大学と共同開催された。今後も、各地の写真データベースとリンクしていく展覧会企画を、ぜひ実現していってもらいたいものだ。

2018/03/05(月)(飯沢耕太郎)

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『光画』と新興写真 モダニズムの日本

会期:2018/03/06~2018/05/06

東京都写真美術館[東京都]

1932~33年に全18冊刊行された写真雑誌『光画』のバックナンバー一揃いを、古書店から購入したのは1987年頃だったと思う。それらを原資料として『写真に帰れ──「光画」の時代』(平凡社)を書き上げ、出版したのは1988年だった。それから30年が過ぎ、その『光画』の写真家たちの作品を中心とした大規模展が、ようやく東京都写真美術館で開催されることになった。そう考えると、感慨深いものがある。

今回の展示は「同時代の海外の動き」、「新興写真」、「新興写真のその後」の3部構成、147点で、野島康三、中山岩太、木村伊兵衛という『光画』の同人たちはもちろんだが、飯田幸次郎、堀野正雄、ハナヤ勘兵衛、花和銀吾、安井仲治、小石清などの名作がずらりと並んでいる。プリントが残っていない写真については、『光画』の図版ページを切り離し、そのまま額装して展示しているのだが、その差はほとんど気にならない。『光画』の網目銅版の印刷のレベルの高さがよくわかった。

もうひとつ重要なのは、『光画』の前後の時代状況をきちんとフォローしていることである。1930年の木村専一らによる新興写真研究会の結成に端を発した、カメラやレンズの「機械性」を強調する「新興写真」の運動が、どのように展開し、ピークを迎え、終息していったのかが、立体的に浮かび上がってきた。特になかなか参照することができない新興写真研究会の機関誌『新興写真研究』(1930~31)全3冊を完全復刻して、カタログに掲載しているのはとてもありがたい。『光画』と「新興写真」の面白さが、若い世代にもしっかりと伝わることで、1930年代の日本写真史がさらに広く、深く検証されていくきっかけになることを期待したいものだ。

2018/03/05(月)(飯沢耕太郎)

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2018年04月15日号の
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