MAC工作教室について

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僕が自宅として住んでいる家が、「Maemachi Art Center」という名称で、いろいろな活動をしていることは、過去にも書きましたが、2009年この夏休みは「MAC工作教室」と題して近所の子どもと毎週工作をしていました。近所の子どもを集めて工作をする、ってだけの簡単な集まりで、活動当初は特になにも考えず、でスタートしました。
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下記がその内容。

第1回  竹の水鉄砲(2009/08/06)
第2回 ビー玉迷路(2009/08/11)
第3回 竹馬作り(2009/08/18)
第4回 一軒家の建築模型(2009/08/25)
第5回 組み写真(2009/09/01)
第6回 立体地図模型(2009/09/26)


普段、仕事でデザインしているYCAMのワークショップでは、進行のシナリオ(「スクリプト」と呼称していますが)や、環境、目的と成果など、けっこうきっちりと作り込んでデザインしています。でも、世の中にはワークショップと一言で言っても、実にいろいろな形態があります。目的や対象によっては、あまりに作り込みすぎたスクリプトは、かえってワークショップ開催の目的に対して、有効に働かなくなってしまう場合もある、ということも起こりえます。クリストファー・アレクザンダーや、ローレンス・ハルプリンといった、「進行中の発展的な改変がワークショップ参加者の内側から巻き起こっていく」タイプの活動を提唱、推進してきた先人たちの言葉にも、慎重に耳を傾ける必要があると思っています。YCAMで行っているワークショップの場合は、開催の目的を鑑みて(広義の意味での)メディアリテラシー教育や、作品鑑賞のポイントを拡張する、という明確な目的に絞って開催することが多いので、「伝えるべきポイントが伝わっているのか?」という評価軸を設定し、その目的に沿っていくタイプのものにしています。そして、それは多種多様なワークショップのうちの、一様態に過ぎません。

さて一方、MAC子ども工作教室について考えてみると、YCAMワークショップのような志とは全く関係がありません。普段仕事で実施しているものからすると、相当、勝手でいい加減に実施しています。なので、スキだらけのMAC工作教室は、時間の進行もいい加減で、2時間で終わる予定のところを、5時間もかかってしまうこともありました。自宅でやっているせいか、油断しまくりで、段取りも進行もいい加減ですが、子供たちはいつも楽しみに来てくれているみたいです。夏休みで終了する予定だったのが、9月に入っても、「次は何を作るのー!?」というリクエストによって続いてしまっています。参加者は、何人かの子どもを持つお母さんに連絡すると、お母さん同士のネットワークで連絡が行って子どもが集まってくれます。朝も早いし(9時スタートなので、準備開始は8時頃)スタッフにはお礼も出ないのに、本当に感謝するしかありません。

しかし、何か恩返しというか、手伝いにくることのメリットがあるとすれば、子どもが何かを生み出す瞬間に立ち合えるってことがあります。子どもが思いがけずすごいものを作り出す瞬間というのは本当に面白くて、そこに立ち会ったり、その様子をつぶさに見つめたりすることは、何かを作ることを仕事にしている大人にとっても、いろいろなヒントが隠されているように思います。作品を生み出すときに、子供たちを良くみていると、「いい感じ」を手応えとして掴んでいる中で制作が進行するのは、とても気持ち良いみたいです。逆に驚くほどゆっくりスタートして、周りの大人がつい「なにか進めなきゃ、急いで作らなきゃ!」って急かしてしまうような子どもも、実はいろいろ見たり考えたりしていて、他の人のペースに巻き込まれずに、丁寧に丁寧に積み上げていくように作品を作るタイプだったりして、その様子に気づけば、思わず固唾をのんでしまいます。

なぜ、僕がこの工作教室を始めようと思ったのかというと、僕がMACに引っ越した当初、この土地(近所100メートルぐらいの範囲)の近所付き合いが新鮮に感じたのがきっかけです。僕はここ10年ぐらいずっと賃貸の集合住宅に住んでいたので、基本的に近所付き合いをしませんでした。何かと面倒なことが起きたり、巻き込まれたりすると面倒なので、隣りに住んでいる人の顔も知らないような生活だったんですね。日本の中で、そういう生活を「寂しいもんだ」と思う人も結構居れば、「そりゃ、当然そうでしょ」と思う人も、実はかなりの数がいるんじゃないでしょうか?

MACの周辺には、集合住宅も有るのですが、一軒家もあり、昔ながらの近所付き合いがあります。その土地にずっと住むわけだから、互いに知らんぷりするのは、あまりいいことではないのでしょう。また、家族で暮らしている世帯がたくさんあり、毎日子供たちの元気な声が、どこからともなく聞こえて来ます。そこで、「工作教室を通じて、近所付き合いが始まらないかな」と思った訳です。

またもうひとつの理由としては、子供の頃の思い出として「工作」が単なる夏休みの課題のひとつになってしまうのは悲しすぎる、と思っていたこともあります。手作りで何でも作っていける、という見通しというか、自信というのは、その後の人生においてもとても大きな資産になると思います。例えば、子どもの頃に絵が上手に描けなかった記憶を持ってしまったら、「わたし、絵心(えごころ)がないから...」という気持ちを、大人になってからも引きずってしまうのではないかな、と思っています。絵心なんてものは、一部の天才を除く多くの人にはそもそもないのが当然で、それでも、絵を描く行為そのものは、絵心とは全然別の次元で面白かったり楽しかったりするものなんですけれどね。

工作教室に話を戻すと、かっちり作っているYCAMのワークショップとは違って、僕は、山口に引っ越して来て、地元の人々とのこういったつながりは本当に貴重だなと思うようになりました。こういうつながりから、たまたま僕の家の近所の子供たちが、YCAMのワークショップに来るきっかけが増えていく、そんなな自然なつながりというのも、大切にしたいなと思いました。

各個別のワークショップの様子は、MACのブログにも載せていく予定です。興味があればぜひ一度のぞいてみてください。


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