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メディアから考えるアートの残し方
後編 歴史の描き方から考える──展示、再演、再制作

畠中実(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]主任学芸員)/金子智太郎(美学・聴覚文化研究、非常勤講師)/石谷治寛(視覚文化研究、京都市立芸術大学芸術資源研究センター)

2019年04月01日号

資料展のねらいとその解釈


──作品そのものではなく、資料を展示することにはどのようなねらいがあったのでしょうか?


石谷 「クロニクル京都」では、自分だけが資料の解釈者になってその結果を論文などで示すのではなく、さまざまな人と資料を共有していきたい、美術関係の人だけではなく、ほかの層の人にも解釈の可能性を開いていきたいという動機がありました。「クロニクル京都」では、資料のデジタル化は行なったものの、今回上演しなかったむき出しのテープも展示しています。ともすると乱暴に置いているように見えるかもしれませんが、まだ開かれていない資料をこれから開いていく。その感覚をほかの人とも共有したいと思っていました。


金子 それはとても共感します。2018年6月に日本美術サウンドアーカイヴの資料展を行ないました。当時の展覧会のチラシからはほかの出品作家や会場の住所など、同時代の状況が浮かび上がってきます。これまで見えてこなかった同時代性が見えてくるかもしれない。そのために、資料展では資料を投げ出していると言えるかもしれません。



「日本美術サウンドアーカイヴ 2018年1月7日〜4月14日 資料展」(東京藝術大学)


畠中 2001年から2002年にかけて、「ダムタイプ:ヴォヤージュ」展(ICC、2002)の準備と調査のために、京都のダムタイプのスタジオに通っていたことがあります。そこでふと目をやると、デヴィッド・ボウイの「ヤング・アメリカンズ」のカセットテープが転がっていて、古橋さんが録音されたものがスタジオに残っていたんですね。それで、ああやっぱり、というか、ちょっと彼のことが分かったような気持ちになりました(笑)。また、日本美術サウンドアーカイヴで再制作した髙見澤文雄さんの《柵を越えた羊の数》(1974)は、第11回日本国際美術展 東京ビエンナーレの「複製、映像時代のリアリズム」というテーマの部門に出品された作品でした。展覧会のテーマなどからも、作品は時代状況と一緒にあることが分かります。作品を知るためにその周縁が必要な場合もありますよね。


石谷 私の場合は、もっとラディカルに考えているかもしれません。MAMリサーチでの資料展のタイトルに「ダムタイプ」という言葉を入れていないのは、いわゆるアートアーカイブとしてではなく、音楽シーンやドラァグ・カルチャー、セクシュアル・マイノリティの運動など、ほかの層の人にも開いていきたいと考えたからです。そのために、ポスターやフライヤーなどのエフェメラをどうやって保存していくのか、という関心があります。作品の周縁を資料展というかたちで展示することで、これまで図書館や美術館が保存してこなかった文化の歴史を、立体的に浮かび上がらせていくこと。展示を通して、アーカイブ自体の面白さに気づいてもらえたらなと思いました。


金子 一方で資料の収集や展示をする以上は、どこかに焦点を当てる必要がありますよね。京都クロニクルでは、このあたりを見せたい、という想定はされていたのでしょうか?


石谷 《LOVERS》の背景には、映画や演劇、音楽、アクティビズム、クラブシーンといったいろんなジャンルの活動が複雑に交差していましたから、まずはそのおもしろさを伝えたいというねらいがありました。京都クロニクルの副題「そして私は誰かと踊る」★3は、資料展のコンセプトでもあります。つまり、ダンスをする「誰か」との関係性が網目状に見えてくるようにすることです。


金子 すでに確立された《LOVERS》のイメージを解体していくということですね。日本美術サウンドアーカイヴはいまのところ70年代の作品に焦点を絞っていますが、60年代の作品とディスコの関係も扱えるといいですね。90年代のクラブシーンとは違いますが、60年代のディスコと美術の接点は重要な論点だと思います。そういった論点も「音」という視点から調べていければと。


石谷 他方で、90年代の京都の活動にはスペシフィックな歴史があります。古橋さんは、80年代にニューヨークで生まれたゲイのクラブカルチャーの文脈を受けていますし、シモーヌ深雪さんは宝塚歌劇からの影響もあります。クラブシーンとアートの関係は、さまざまな角度からもっと掘り下げられるんじゃないかなと思いますね。



「ダイアモンズ・アー・フォーエバー」(京都・メトロ)1990年代初頭


畠中 東京都写真美術館での「エクスパンデッド・シネマ再考」展(2017)や千葉市美術館ほかの「1968年 激動の時代の芸術」展(2018)でも展示されていましたが、60年代から日本でもクラブやディスコとアートのつながりの流れがありますね。


金子 舞台芸術という意味では、髙見澤文雄さんの作品は寺山修司の市街劇に組みこまれたり、堀浩哉さんは劇団を主宰していました。演劇やパフォーマンスも「音」という視点から見ることで、さまざまな広がりが出てきます。今後は舞台芸術や映像の音にも注目していきたいです。

★3──HIV/エイズの啓発を行なうAPP(エイズ・ポスター・プロジェクト)によるキャッチフレーズ。「そして私は誰かと踊る(And I Dance with Somebody)」は「AIDS」の頭文字。

作品の経験へのアプローチ


──メディアアーティストの藤幡正樹さんは「経験とその記憶を作品と呼ぶのであれば、作品は受け手の中で輪廻転生し続けてゆく」と書かれています。「作品」を研究対象とする視覚文化研究と聴覚文化研究は、作品の経験や記憶に対してどのようにアプローチするのでしょうか?


金子 まず、視覚文化研究と聴覚文化研究は対比されるものではありません。聴覚文化という言葉は、いろいろな分野が交流するためにつくられたものだと考えています。異質なものが混じり合っているところに本質がある言葉だと思います。


畠中 聴覚や視覚だけで成立している作品より、視覚+聴覚で成立しているものがほとんどですからね。


金子 アラン・コルバンの『静寂と沈黙の歴史』(藤原書店、2018)の議論のように、沈黙が付随しているという言い方もできるでしょう。


石谷 メディア史的にみれば、レコードや写真といった複製技術が視覚と聴覚を切り離すことを可能にしたわけですよね。19〜20世紀の一時期だけ聴覚と視覚を切り離して考えていただけで、美術はそもそも教会のなかで視覚も聴覚も渾然一体となって経験されていました。


金子 そうですね。とはいえ、そのうえで付け加えると、「感覚研究」のようなかたちですべてを混ぜてしまうと、見えにくくなってしまうものがあるのではないかと思います。例えば、サウンド・アートのように「サウンド」という言葉を使ったときに隠されてしまう異質性には、気をつけなければいけないと思っています。


畠中 サウンドを特定の分野にしないということですよね。遍在するサウンドをどう捉えるか。


石谷 私のアプローチは視覚文化という事から発展して、近年は記憶文化研究と位置づけたほうがいいという感じになってきました。歴史をどのように表象できるのか、あるいはアーカイブなどを通して、歴史に関することをどのように経験し直すことができるのかに興味があります。

経験にアプローチするための手がかりがトラウマ(心的外傷)です。トラウマ的な経験は、なんらかの刺激が引き金になって、不意に感覚が思い出されます。もちろん、精神的な症状としてのPTSDと、広い意味での過去の傷といった文化的な用法とを分けて考える必要はありますが、ひとまず大まかな記憶のしくみとして言えば、患者とセラピストの対話のなかで身振りなどによって、ある経験がエナクト(enactment=上演)される。それは、かつては逸脱行動とされていましたが、現在の関係精神分析の領域では、エナクトメントは治療の契機と考えられてもいます。

過去の遺物が引き金になって、経験や記憶が感覚的に蘇り、エナクトされる。それがどう定着されたり表現されるのかに関心があります。その意味で、アーカイブは単に情報を知るだけではなく、展示した資料が引き金となって、その場で感情がエナクトされるものだと捉えています。


金子 そのエナクトは作品の再演ということにもつながるのでしょうか。


石谷 そのままつながるかどうかは慎重に考えなければなりませんが、田中功起さんのように、再演によって生じるさまざまな感情的な側面にアプローチをする作家も近年は増えてきていると思います。私が考えている再演で生じる経験とは、過去に体験されたものとは根本的に異なる経験かもしれないけれど、過去の反復を通して不意にエナクトされてしまう感情によって、過去とのつながりや距離感を、別のかたちで感情的に捉え直すようなプロセスが生じることに注目したいと思っています。


金子 作家自身やオリジナル版を見ている観客が、再制作された作品を見て「あ、これは違う」と感じるのはなぜなのか、気になることがあります。その違和感は、「作品」というもののあり方を知る手がかりになるのかもしれない。例えば、「こういう小さな部屋で再演してはいけないものだったんだ」と失敗して初めてわかるとか。


畠中 実際に作品を見たときはピンとこなかったけど、家に帰ってから面白く感じることがあります。それは、直接的な経験ではなく、翌日の自分が作品を再解釈しているのかもしれない。


金子 そのとき、資料というものの存在が面白いものになり得ます。じつは、堀浩哉さんの《MEMORY-PRACTICE (Reading-Affair)》を再演したあとに、77年当時のテープが見つかったんです。それを聞いてみたら2018年版とだいぶ違う(笑)。二人の演者が一文字ずつ言葉を発していく作品なのですが、テンポや上演時間が違うんです。事後的に見つかった資料によって再演したものがどう違うのかが分かったのは、ひとつの収穫でした。



堀浩哉《MEMORY-PRACTICE (Reading-Affair)》(1977)オープンリールテープレコーダー、オープンリールテープ、マイクロフォン、スピーカー ©堀浩哉[撮影者不明]


堀浩哉《MEMORY-PRACTICE (Reading-Affair)》(1977/2018)オープンリールテープレコーダー、オープンリールテープ、マイクロフォン、スピーカー ©堀浩哉[撮影:藤島亮]


畠中 その堀さんの作品を実験音楽と捉えたら、演じるごとに違っていて当然、ということになりますけど(笑)。


金子 日本美術サウンドアーカイヴが扱っているような作品を再演・再制作をするとき、音楽と美術の文化の差を感じます。そのあいだにはグラデーションがあって、パフォーマンスや映像は音楽に近いものだと思います。


畠中 藤幡さんは同じ文章で「(時間のなかにある一過性の)経験から考えるならばメディアアートは絵画よりも音楽的である」と書いています。美術作品は、美術館に収蔵されたり、再制作されたりすることで、美術作品はモノとして延命するけれど、いずれ物質的な死を迎える。一方で、作品を経験した記憶のなかで、輪廻転生を繰り返すということです。そこで藤幡さんは、メディアアートにおいてもまた、時間のなかで経験されることが重要であると言います。そうすると、物質としての作品が失われても、作品自体の内容やメッセージが観賞者というメディアによって次世代までも伝達されうる。しかし、メディアアートではメディアとコンテンツは切り離せないゆえに、たとえば、ブラウン管テレビと液晶ディスプレイとでは意味が異なってしまう作品があるように、使用されるメディアの置き換え不可能性が本質的に含まれている。それゆえに、再制作や修復というプロセスにおいても「損なわれるもの」があるのだと思います。

しかしながら、アーカイブというのは、自身の経験を、あるいは経験していないものを、「経験し直す」ことである。その点において、意図する、しないにかかわらず、エナクトされる契機がどのように組み立てられるかが重要な問題となるのでしょう。


[2018年11月2日、東京都内にて(2019年3月に構成)]

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