トークシリーズ:「Artwords」で読み解く現在形
3. 戦後日本美術の再検証する展覧会
暮沢──この10年間で、戦後の日本美術の動向を再検討するような展覧会が増えました。つい最近、国立新美術館で『「具体」−ニッポンの前衛 18年の軌跡』★31がありましたし、2005年に大阪の国立国際美術館で『もの派──再考』展がありました。いわゆる戦後の代表的な動向が問い直され、これまでなかった新しい資料や切り口での見直しという動きがあります。また、天明屋尚さん★32らのネオ日本画とかもありますし、工芸も従来とは違った光を当てるような展覧会がありました。いわゆる伝統的な美の規範に即したものではないものが出てきていますが、これらの動向についてはどう思われますか。
足立──北澤憲昭さん★33の『眼の神殿──「美術」受容史ノート』(美術出版社、1989年)が著されて、それから現代美術の人達の間でも日本近代の問い直しが始まったと言えます。現代を考えるには近代を考える必要があるということで、1990年代において、北澤さんだけではなく多くのアカデミシャンがそのような問い直しをしたと同時に、いろんなアーティストたちが日本や近代を執拗にモチーフにしたのが第一段階だと思います。歴史は繰り返すと言いますが、その後2000年代に松井冬子さん★34、天明屋尚さん、最近では金沢21世紀美術館で開かれた『工芸未来派』展★35などが出てきます。やはり二度目か三度目となると、インパクトが別のものになりますよね。笑劇というほどくだらないものではないとしても。
成相──最近では京都国立近代美術館で開かれて東京にも巡回した『「日本画」の前衛 1938-1949』展★36が意欲的な企画でした。ただ、ネオ日本画なんて言ったところで、そもそもジャンルとして明確に弁別できる根拠を持たない日本画は、未だに「内なる他者」として「日本画」の名を引きずっています。戦後の日本画滅亡論がなおも命脈を保っているともいえます。戦後美術の再検討に関して言えば、まずは半世紀以上の時間が経過したこと、それから、露骨な言い方になるかもしれませんが、5、60年代に活躍した作家や関係者が高齢に達しているために、記録や証言を残しておきたいという考えもあると思います。オーラル・ヒストリー・アーカイブの動きはその典型でしょう。
暮沢──いわゆるポストモダン研究やナショナリズム研究があり、その代表例で言えばベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』★37やエドワード・サイード★38の『オリエンタリズム』です。これらの理論的成果を日本の美術に当て嵌めようという動きがこの20年ほど大きく出てきたと思います。記録という意味では、加治屋健司さんらのオーラル・ヒストリー・アーカイブも重要ですね。
成相──今まさにその渦中ですが、特にアメリカでにわかに日本の戦後美術再評価の動きが起こっています。ブラム&ポーでのもの派展★39、MoMAの『TOKYO 1955-1970』、そして2013年にはグッゲンハイムで具体展。それらがつながっているのか偶然なのかは知らないのですが。
暮沢──現在ニューヨークでは日本の美術を題材にした展覧会が立て続けに開かれていますね。
成相──1985年にオックスフォード近代美術館で開かれた『再構成:日本の前衛1945-65』★40をはじめとして、日本の戦後美術が海外に紹介される際にはほぼ必ず「前衛」という冠が付けられます。今回「新しい前衛」を副題としたMoMAでも踏襲されていて★41、約30年にわたってスタンスは変化していないともいえます。今回重要だと思うのは、当時の美術評論が英訳されたアンソロジー(From Postwar to Postmodern, Art in Japan 1945-1989)が出ることです。これは画期的ではないでしょうか。
暮沢──1986年にポンピドゥー・センターで『前衛の日本』展があり、1994年にゲスト・キュレーターとしてアメリカのアレキサンドラ・モンロー★42を呼んだ『戦後日本の前衛美術』展がありましたが、いまだにその流れが続いているのかな。1950年代から具体や実験工房があって、読売アンデパンダン展があり反芸術があり、1970年代にもの派が来るという具合に、ほぼ定式化されている。日本で欧米の現代美術が紹介されるときにはもはや前衛なんて言葉は使われないわけだから、今後はその非対称性も問わないとならないかもしれませんね。
足立──欧米でもいろいろな日本研究の拡大があります。多くの場合、彼らは美術史ではなく地域研究から始めています。日本研究の中で未だにやられていないものとして、誰も読まない英訳が付けられていた美術館の現代美術展のカタログが何十年も経てから功を奏して、若い欧米の人たちが研究するようになったという経緯があるんじゃないでしょうか。そこには、日本人にとってはほとんど新しい内容はないのですが、英訳されたカタログ類によって、海外の人にとっては新しい研究ができるようになっています。そして、日本研究に強い関心を持った人の中でも日本語に堪能になった人が日本にやってきて、最近では日本人ですら知らないような事柄も調べていくということもあります。
成相──しかしやはりジャパン・スタディーズがエキゾチシズムを超えられないと聞くこともありますが、いかがでしょう。
足立──確かにそういう人もいますが、それは日本語ができない人で、日本語がちゃんとできる研究者たちはそういった問題を回避していると思います。実際、私の外国人の友人たちには、日本美術史や戦後文化史を、日本人と同等かそれ以上のレベルで掘り下げている人が何人もいます。一方で、日本人であっても、外国にいれば、エキゾチズムとして日本近現代美術史を扱う場合もあるのではないでしょうか。
暮沢──昨年出版されたエイドリアン・ファベル★43の『Before and After Superflat: A Short History of Japanese Contemporary Art 1990-2011』★44では、1990年代以降の日本の現代アートを村上隆★45と奈良美智★46と森万里子★47に集約する図式で説明しています。その根拠が、TASCHENの『Directory to 81 Contemporary Artists』★48にセレクトされている日本人アーティストがその3人だからと。彼のバックボーンは社会学ですが、これなどもジャパン・スタディーズの一環かもしれませんね。
足立──ちょっと読んだ限りですが、僕自身も若い頃に見た1990年代後半の美術シーンについて、それを見たはずもないイギリス人があたかも伝説のようなものとして語っていたのは、とても新鮮な思いがしました。ただし、彼は日本語ができないから、英語でインタビューできる人たちにあたって理論を組み立てていますね。でも、英語を話さない日本人もたくさんいるので、情報の偏りも感じました。彼がインタビューしていない人たちや見落としている人たちによって歴史が形成されている部分も多くあるので、そこは問題だと思います。全てを網羅することは不可能だとしても、やはり現代美術史を日本語が出来る人が書かなくてはいけない。
暮沢──足立さんと成相さんは日本が専門なので沢山さんに聞きたいのは、アメリカの現代美術が日本でどう紹介されているかについて聞きたいですね。
沢山──うーん、どうなんでしょうか。あまり紹介されていないような気がします。海外の戦後美術の単なる紹介や導入に留まらない重要な企画としては、尾崎信一郎さんのやられた「重力」展や「痕跡」展が言うまでもなく重要です。それから昨年、東京国立近代美術館で『生誕100年 ジャクソン・ポロック』展★49が、ポロックの日本での回顧展としては初めて開かれました。これは周到に準備された画期的な企画だったと思います。なので、わざわざ生誕100年と銘打つことでその企画の動機を確保しなくてもな、とも思いました。
暮沢──藤枝晃雄さん★50たちによってこれまで語られてきたポロック像や流布している言説に対して修正を迫るようなものはありましたか。
沢山──愛知県美術館の大島徹也さん★51という学芸員の方が企画された展覧会でしたが、ポロックは今まで何度か企画が持ち上がっても作品が集まらないという理由でその度に頓挫してきたようです。ですが、今回は大島さんの研究者としての功績が評価され、その信用の元に貸し出しが許可されて展覧会が実現したそうです。今回のポロック展の特徴は、しばしば指摘されていましたが、48年から50年にかけて制作された代表作があまりなくて、むしろその傍らで制作されてきた注目すべき小品が多く観られたということでしょうか。それらを観るとポロックがかなりいろいろな実験をやっていたことがわかる。カット・アウトだけではなく、小石をコラージュしたり。つまり、代表作が来なかったのではなく、むしろ積極的に考えれば、企画者の大島さんが、代表作こそを回顧展の中心軸に置くような大作主義を避けたということなのかもしれません。日本で開かれた功績も大きいですし、良い意味で修正主義的に機能した展示だったと思います。
暮沢──先日カナダのモントリオールに行く機会があり、地元の美術館をいくつか回りました。その中で、ジャン=ポール・リオペル (Jean-Paul Riopelle)★52という作家がいて、ポロックと同時代にそっくりの絵を描いています。僕が抽象表現主義の専門ではないのもあるけど、普通に見ていても区別がつかないくらいでした。彼はアンフォルメルの1人とされていて、カナダでは著名なアーティストなのですが、ポロックの同時代的な影響力を実感できました。