1970年代から、現代アートの動向を見てきた美術ジャーナリスト・村田真さん。鳥取県立美術館という久しぶりの大型公立美術館の開館記念展を見に行かれました。そして、お隣の岡山県にオープンした現代美術がテーマのラビットホールにも。さて、リニューアルオープンも相次ぐなか、最近の美術館の共通項といえば……。社会のなかの美術館の役割と責任の変化がひしひしと感じられます。(artscape編集部)
この春、西日本を中心にいくつかの美術館がオープンした。 振り返れば、日本が美術館の建設ラッシュに沸いたのはバブル期を頂点とする1980年代から90年代にかけてのこと。当時は毎年5~10館程度の勢いで美術館が増え続けていたものだが、21世紀に入ってからは長引く景気の低迷により建設スピードは減速し、近年は年に1館オープンするかどうか。むしろ30~40年前に林立した美術館のリニューアルが目立っている。今回は新規オープンだけでなくリニューアルオープンの美術館も訪れ、なにが、どう変わったのかを見ていきたい。
「ほぼ最後発」の強み
鳥取県立美術館 手前は青木野枝の彫刻[筆者撮影]
まずは3月30日に鳥取県倉吉市に開館した鳥取県立美術館。鳥取県は日本でいちばん人口の少ない県(約53万人)ということもあり、県立美術館としては「ほぼ最後発」★1という。この「最後発」の言葉には、文字どおり全国に後れをとったという自嘲的なニュアンスだけでなく、最後だからこそ最新の美術館ができたという自負が感じとれないでもない。
鳥取県はもともと東の因幡と西の伯耆からなる細長い県で、人口も東西に分散している。そのため東の鳥取市には美術館の機能も備えた鳥取県立博物館 、西には米子市美術館や日南町美術館があるが、県央部の倉吉市には美術館がなかった。そこに10年ほど前から県立美術館構想が立ち上がり、博物館の美術部門が独立するかたちで倉吉市に建設されることになったのだ。しかし倉吉市は人口わずか4万4千人ほどの小都市。県央に建てるのは県全体からすれば平等なように見えるが、人口が比較的多い東部からも西部からも距離があり、今後の集客が気になるところである。
ぼくが訪れたのは開館から数日後の平日の午後。大阪から倉吉行きの特急に乗ったが、手前の鳥取駅で乗客の大半が降り、終点まで行く人はまばらだ。倉吉駅から美術館までバスも出ているが、街の様子を知るために歩いてみた。駅から伸びる一本道をしばらく進むと民家や量販店が点在する郊外風景が広がる。ぶらぶら30分ほど歩いて見えてきた灰白色の四角い建物が美術館だ。
近づいてみると思ったより大きい。美術館前に置かれた高さ4メートル近い青木野枝の鉄の彫刻が小さく見える。建物の基本設計は昨年亡くなった槇文彦率いる槇総合計画事務所で、延床面積は約1万600平方メートルあり、これはアーティゾン美術館や神奈川県立近代美術館(葉山)より広い。エントランスを抜けると「ひろま」と呼ばれる3階吹き抜けの巨大空間に出る。大きな窓から大御堂廃寺跡の緑地を臨むフローリングのスペースで、1階にはほかに県民ギャラリー、キッズスペース、ショップやカフェなどがあり、だれでも利用できる無料ゾーンとなっている。有料ゾーンは2階のコレクションギャラリーと3階の企画展示室という構成だ。
鳥取県立美術館の3階吹き抜けの「ひろま」[筆者撮影]
美術館の理念として掲げたのは「OPENNESS!」。「ひろま」に見られるように空間が開放的というだけでなく、建設にあたっての情報公開や多様な価値観に対する開かれた姿勢なども意味するという。また、県内すべての小学4年生を美術館に招待するなど、作品鑑賞の場を提供するだけでなく、アートを通じた学びもサポートしていく方針だ。こうした「開かれた美術館」の試みは先行する美術館が試行錯誤しながら実現してきたことであり、それらの反省を踏まえ、成果を採り入れることができるのは後発ならではの特権だろう。
館長は鳥取県生まれの尾﨑信一郎氏。国立国際美術館や京都国立近代美術館などに勤務した後、2006年に鳥取県立博物館に移り、2021年に館長に就任。美術館設立とともに同館長に就いた。と聞くと、美術館新設のために鳥取の博物館に移ったのかと思いがちだが、実際には博物館に移ってから美術館構想が持ち上がり、美術部門ごと倉吉に移ったそうだ。
箱5つで3億円は高いか?
「アート・オブ・ザ・リアル時代を超える美術」展 展示風景 手前:アンディ・ウォーホル《ブリロ・ボックス》[筆者撮影]
鳥取県立美術館が全国的に知られるようになったのは、ほぼ最後の県立美術館だからでも、立派な建築のおかげでもなく、コレクションとして約3億円で購入したウォーホル《ブリロ・ボックス》(1964)がマスコミで騒がれたからである。同作品は洗剤付きのタワシの包装箱を模した立体作品で、木箱の表面にシルクスクリーンで図柄を転写したもの。5点セットのうち1点がウォーホルのサイン入りで約6831万円、残り4点はのちの制作で各5578万円、合計で約3億円となる。これに「ただの箱じゃないか?」「5個も必要か?」と疑問の声が上がったのだ。
これを聞いて思い出したのが、30年前に開館した東京都現代美術館が目玉として購入したリキテンスタイン《ヘアリボンの少女》(1965)である。当時6億円という高額で「漫画みたいな作品」を購入し、都議会で問題視されたのだ。そもそも同作は「漫画みたい」ではなく、まさに漫画(コミック)の1シーンを拡大・転写した作品であり、そこにポップアートの美術史的な価値があるのだが、それを市民=納税者にどのように納得してもらうのかが難しい★2。時間をかけて親しんでもらうしかないだろう。
その《ブリロ・ボックス》も出ている開館記念展「アート・オブ・ザ・リアル時代を超える美術」(2025/03/30-2025/06/15) は、タイトルに「リアル」がつくものの、いわゆる写実的なリアリズム表現を集めたものではなく、人間がいかに「現実」に向き合い表現してきたかを探るもの。江戸時代の沈南蘋や円山応挙から、クールベ、ピカソ、岸田劉生、草間彌生、やなぎみわまで、古今東西約120人による180点が集められている。
一見総花的にも思えるが、よく見ると、19世紀に写真が発明されて「リアル」の概念が崩れ、20世紀前半のキュビスムやシュルレアリスムによって「リアル」が大きく変容していくことがわかる。尾﨑館長の言葉を借りれば、「現実を模倣する美術から美術の中への現実の侵入」という変化であり、そのひとつの到達点が《ブリロ・ボックス》だというのだ。つまり展覧会前半は《ブリロ・ボックス》に至るまでのモダンアートの流れをたどるものであり、この開館記念展は《ブリロ・ボックス》を理解するために企画・構成されたものではないかとすら思えてくる。そういう意味ではよく練られた展覧会である。
年間入場者目標は20万人。人口5万人足らずの街としてはハードルが高いが、同県出身者には妖怪漫画で知られる水木しげるや、『名探偵コナン』の作者である青山剛昌もおり、すでに次回展は「水木しげるの妖怪 百鬼夜行展」(2025/07/19-2025/08/31)に決まっている。美術展に比べて漫画展は集客力がケタ違いに大きいことは確かだが、かといって漫画展に頼っていては美術館の名が泣くというもの。これからは市民に親しまれる場を目指しつつ、美術館としての質も保っていかなければならない。
瀬戸内にも通じる「ウサギの穴」
ラビットホール外観 中央に見える風船はマーティン・クリード、右の電球のオブジェはフィリップ・パレーノの作品[筆者撮影]
倉吉市から南へ約100キロの岡山市にも4月6日、新たな美術館が誕生した。ラビットホール(ウサギの穴)と名づけられたこの美術館は、アパレル関係の実業家、石川康晴氏のコレクションを公開するために設けたもの。石川氏は2011年から美術作品の収集を始め、2014年に石川文化振興財団を設立。2016年から3年ごとに国際芸術祭「岡山芸術交流」を開催する実行委員会メンバーでもある。
場所は岡山市中心部、岡山県立美術館や岡山市立オリエント美術館などが並ぶカルチャーゾーンに位置し、林原美術館に隣接する地。もともと林原美術館のアネックスとして建てられた3階建ビルを、青森県立美術館の設計や京都市京セラ美術館のリニューアルを手がけた青木淳氏が丸ごと改修したものだ。
ディレクターは石川氏と青木氏に加え、金沢21世紀美術館のチーフキュレーターを務めていた黒澤浩美氏、ギャラリーTARO NASUを主宰する那須太郎氏の4人による共同体制となる。
石川氏によれば、岡山にはすでに福武、林原、大原という美術財団があるが、石川財団はそのなかでもっとも新しい部分を担っていきたいとのこと。現在コレクションはコンセプチュアルアートを中心とする約400点で、現代美術のなかでもかなり尖っている。名称に「美術館」をつけず「ラビットホール」としたのも、美術館という枠組みに収まらず、『不思議の国のアリス』のようにワンダーランドへの入り口にしたかったからだろう。命名したのはアーティストのライアン・ガンダー。
開館記念展として、「イシカワコレクション展:Hyperreal Echoes」(2025/04/06-)を開催中。コレクションからペーター・フィッシュリ / ダヴィッド・ヴァイス、ポール・マッカーシー、フィリップ・パレーノ、ヤン・ヴォー、マーティン・クリードら約20人、35点を選んで展示。3年にいちどの「岡山芸術交流」開催を機に展示替えし、それに合わせて建物も徐々に解体していき、「最後には建物すべてがなくなる、という未来像」(青木氏)を描いているという。美術館も「ワーク・イン・プログレス」で変わり続けるというのだ。
ラビットホール内観 左手前はヤン・ヴォー作品、奥に林原美術館の石垣が見える[筆者撮影]
また、ラビットホールから徒歩10分ほどの場所にある醤油蔵だった歴史的建造物を、芸術・教育・食文化を推進する複合施設「ラビットホール別館 福岡醤油蔵」として活用していく。現在ギャラリーではライアン・ガンダーによる「Together, but not the same」展(2025/04/06-)を開催中。
こうしたスペースを市内にあと18カ所ほど開設していく計画だ。このように街なかに展示スペースを増やしていく方式は、香川県・直島の「家プロジェクト」や金沢のKAMU kanazawaなどの先行例があり、いずれも空き家・空き店舗をアートスペースに転用することで街の活性化につなげようとする試みである。
瀬戸内エリアは「瀬戸内国際芸術祭」目当てに世界中から美術関係者が集うようになったが、石川氏はラビットホールをきっかけにそうした瀬戸内の「ゲートウェイ」になればいいと語っている。
その「瀬戸内国際芸術祭」の拠点である香川県・直島にも5月31日、新たに直島新美術館がオープンする。場所は直島東部の本村地区の高台で、設計は安藤忠雄。ベネッセアートサイト直島にある安藤設計の建築としては実に10番目となる。地上1階、地下2階の美術館は日本およびアジアの現代美術を収集展示していくという。
さて、こうしてみると、新たな美術館は鳥取、岡山、香川と中国・四国地方に偏っていることがわかる。しかも地図で見ると、倉吉市─岡山市─直島はまるで惑星直列のように南北にほぼ一直線上に位置しているのだ。もちろん偶然にすぎないが、しかしこの地域が近年「瀬戸内国際芸術祭」だけでなく「岡山芸術交流」「森の芸術祭 晴れの国・岡山」、そして奈義町現代美術館やベネッセアートサイト直島 など多くの美術館によって世界から注目を集めていることは確かだろう。しばらくはこの「惑星直列」から目を離せない。
柔らかくなった横浜美術館
この春は横浜美術館 、 大阪市立美術館、霞会館記念学習院ミュージアム、児島虎次郎記念館、泉屋博古館(京都)などのリニューアルや移転も相次いだ。ここでは横浜と大阪の例を取り上げたい。
横浜美術館は1989年の開館から30年余り経った2021年、大規模な改修工事のため休館。2024年3月に横浜トリエンナーレ(以下、横トリ)開催に合わせて再開したものの、一部を除き再び休館し、2025年2月8日に全館オープンとなった。4年近くかかった大規模改修工事というわりにどこが変わったのかひと目でわからないのは、丹下健三のオリジナル建築を尊重したからだ。目につく変化といえば、エントランスの脇にエレベーターがついたことと、吹き抜けのグランドギャラリー全体がなんとなく明るく、柔らかく感じられるようになったことくらいだ。
明るく感じられたのは、第一に、長年閉じたままだった天窓のルーバーを修理して自然光が降り注ぐようになったからだろう。なんで長いあいだ修理せずにほっといたのか不思議だが、いずれにせよエレベーター設置と同じく技術的な問題である。
明るく柔らかい印象を与えたもうひとつの理由は、グランドギャラリーやラウンジ、いくつかの展示室にも淡いピンクやベージュ色のテーブルや椅子を置いてくつろげるようにしたからかもしれない。そもそも建物中央の広大な面積を占めるグランドギャラリーは、これまで3年ごとの横トリを除いて有効に使われているのを見た記憶がなく、かねがねもったいないと感じていた。それを子どもと一緒にくつろぐこともできる無料の「じゆうエリア」として生まれ変わらせたことは大きい。ちなみに椅子やテーブルのピンク色は、建材として使われている御影石のまだら模様から抽出した色彩で、什器だけでなく壁や標識などにも用いられ、リニューアル後のシンボルカラーにもなっている。こうした什器類は建築家の乾久美子のデザインだ。
明るくなった横浜美術館のグランドギャラリー[筆者撮影]
また美術館ロゴも、従来の浅葉克己による3つの正方形からなる鋭角的デザインを、3つの正円による組み合わせにリニューアルした。これはグラフィックデザイナー菊地敦己による仕事で、これも角ばった建築に柔らかなイメージを与えている。もっとも正方形と円は丹下がこの美術館を設計する際に多用した基本モチーフであり、その意味で今回のリニューアルは改修というよりも、むしろ丹下のオリジナルデザインを読み解き、再構築する作業だったといえるかもしれない。なるほど、パッと見どこがリニューアルされたのかわからなかったのもうなずける。
ヴィジュアルだけでなく、コピーライター国井美果による「みなとが、ひらく」「じゆうエリア」といった漢字を使わないコピーも、柔らかくて親しみやすく、開かれた美術館のイメージを促進する。
館長の蔵屋美香氏はHPの「ご挨拶」で、美術館はただ作品を見にくるだけの場所ではないとして次のように語る。
「作品を見る。自分でもつくってみる。グランドギャラリーで一息つく。もっと知りたいと美術図書室に足を運ぶ。カフェでのどをうるおし、ショップで思い出の品を選ぶ。これら一連の経験を通して、来館者お一人おひとりが、よりよい
美術館が従来の美術館の役割を超えて、人々がよりよく生きるための場になることを目指そうとしているのだ。
リニューアルオープン記念展は「おかえり、ヨコハマ」(2025/02/08-2025/06/02)。展示は同館コレクションを中心に、市内で発掘された縄文土器から幕末の開港を描いた横浜浮世絵を経て、アーティストが同展のために制作した新作まで200点以上におよぶ。キーワードは「横浜」だが、震災や戦災の被害を描いた第4、5章の「こわれた、みなと」や「また、こわれたみなと」、赤線で働く女性たちを捉えた第6章「あぶない、みなと」など負の側面もさらしている。
また、グランドギャラリーの階段の一部に板のスロープが架けられたが、これはリニューアルではなく、第8章「いよいよ、みなとがひらく」に出品している車椅子利用のアーティスト檜皮一彦による新作だという。これはぜひパーマネントにしてほしい、という車椅子利用者の声も聞いた。
大阪市立美術館は輝きを取り戻したか?
大阪・関西万博を間近に控えた3月1日、大阪市立美術館がリニューアルオープンした。同館は1936年の開館で、公立では東京都美術館(開館当時:東京府美術館、1926)、京都市京セラ美術館(開館当時:大礼記念京都美術館、1933)に次いで3番目に歴史が古い。改修工事は1970年代にいちど行なわれたが、大規模なリニューアルは初めてという。
大きな変更点はエントランスだ。これまでの大階段を上って入るアプローチを、階段の脇から入りエスカレーターやエレベーターで昇る方式に変えたのだ。これは5年前の改修で地上の正面玄関を使わず、地下から入るようにした京都市京セラ美術館を彷彿させる。ちなみに東京都美術館もずいぶん前だが、1975年の移転改築により階段を上る構造から地下に降りるかたちに変わった。これも後述するように時代の要請である。
大阪市立美術館に新設されたエントランス[筆者撮影]
次に、入ってすぐの中央ホール(エントランスホール)を無料ゾーンにしたこと。エントランスホールはどこも似たり寄ったりの展示室とは違って、美術館の格を決める重要な空間であり、特に戦前は権威づけのために豪華な意匠が施されていたものだが、そこを開放したのだ。また、中央ホールのシャンデリアを耐震問題のために撤去したが、その工事で天井を剥がしたところオリジナルの白い漆喰の格天井が現われたので、これを生かしたという。
大阪市立美術館の威厳ある中央ホール[筆者撮影]
館長の内藤栄氏はHPの「館長メッセージ」で、リニューアルによって「『生まれ変わった』というより『本来の輝きを取り戻した』」と述べている。横浜美術館と同じく大きく改造するのではなく、オリジナルの姿に近づけようとしたということだ。
内藤館長は改修コンセプトのひとつに「ひらかれた美術館」を挙げている。それは、大階段を上らずにアクセスしやすくしたことや、無料ゾーンを増やすといった空間的な開放にとどまらず、展覧会から次の展覧会が開かれるまでの期間を休館せずに稼働させ、年間300日「開く」ことも意味しているそうだ。
確かに日本では企画展の狭間の期間は、たとえ常設展示室を備えていても休館する美術館が多かった。これは常設展だけでは人が入らないため、企画展中心にスケジュールを組まざるをえないからだ。だが発想を変えて、週にいちどの休館日以外はいつ行っても開いていることをアピールすれば、鑑賞目的でなくても人は集まってくるのではないだろうか。いずれにせよ、このような「ひらかれた美術館」のコンセプトは横浜美術館や鳥取県立美術館にも共通しており、いまや税金で賄われる公立美術館の必須条件となっている。
リニューアルオープン記念特別展として「What’s New! 大阪市立美術館 名品珍品大公開!!」(2025/03/01-2025/03/30)を開催、現在は大阪・関西万博に合わせた「日本国宝展」(2025/04/26-2025/06/15)が開かれている。あれれ? この「日本国宝展」は混雑が予想されるため、無料ゾーンもチケットがないと入れないそうだ……。
「広場」化する美術館
以上、4つの美術館のオープンおよびリニューアルオープンを見てきた。これらに共通するのは「開かれた美術館」という方向性である。掛け声としては聞き飽きた感もあるが、実際に見てますます開かれてきたことを実感する。特に公立美術館は無料ゾーンを増やしたり、子どもや障害者にもアクセスしやすくしたりするなど、作品を鑑賞するだけでなく、だれもが楽しめる場を目指そうとしているのがわかる。しかしそうはいっても、どこまで開いていくのだろうか。
そもそも美術館というのは、作品の「保護」と「公開」という相容れない目的を両立させなければならない矛盾した存在である。作品の保護を考えれば光の入らない空間に密閉するのがいちばんだが、それでは人の目に触れることができず、美術館の存在意義がなくなる。かといって公開を優先すれば作品の劣化や盗難・破損の危険性を覚悟しなくてはならない。美術館はその両者のバランスの上に成り立っているが、近年は作品(コレクション)の公開だけでなく、美術館のあり方そのものを開いていくようになった。
こうした傾向は美術館建築の変遷にも現われている。大雑把にいうと、ヨーロッパで美術館が建ち始めた19世紀はファサードに円柱が並び、階段を上って入っていく古典的な神殿様式が多かった。それは頑丈な石づくりの建物で作品を守り、市民に拝観してもらおうという上から目線の姿勢であり、日本でも戦前に建てられた東京国立博物館本館をはじめ、前述の東京都美術館(旧館)や京都と大阪の市立美術館がそれに該当する。
20世紀にはモダニズムが浸透し、作品本位の空間が追求され、内部がホワイトキューブのシンプルな倉庫型が尊ばれるようになる。ニューヨークのMoMAを嚆矢とし、戦後の日本で建てられた美術館の大半はこれだ。またこの時代には、ビルのなかに美術館を設けたり、既存建築を美術館に転用したり、外見が奇抜なポストモダニズム建築が流行ったりもしたが、内部はいずれもニュートラルなホワイトキューブで統一されている。要は作品展示と鑑賞のための空間という考え方である。
それが21世紀になると、美術館は税金で賄われる公器であるという認識が高まり、だれもが集えるいわば「広場型」ともいうべき美術館が求められるようになってきた。その端緒となったのが、ガラス張りで正面性がなく、館内に無料ゾーンを設けた金沢21世紀美術館ではないだろうか。以後も十和田市現代美術館や大分県立美術館など、街と地続きの市民に開かれた美術館が増えており、その延長上に直島の「家プロジェクト」や金沢のKAMU kanazawa、そしてラビットホールの目指す街なかに点在する美術館もある。
こうした流れを、美術館が美を祀る聖なる神殿から、威厳を削ぎ落として作品鑑賞に徹した四角い箱を経て、人々が集う公共の広場へと変化していく過程と捉えることもできる。そんな移り変わりを歓迎する人もいれば、嘆く人もいるかもしれない。また、ここからアートが進化していく可能性もあるし、公共という概念が変わっていく可能性だってないとはいえない。いずれにしろこのままだと、美術館がどんどん「美術館」らしくなくなり、なんなら作品も見られる「なんでもあり」の場所になってしまわないだろうか。ま、それはそれでおもしろいかも。
★1──「最後発」と断定せず「ほぼ」としているのは、まだ2、3の府県が残っているからだ。そのひとつ、山形県にはすでに半世紀以上の歴史を持つ山形美術館があるが、同館はもともと山形新聞社を中心に県と市が協力し財団法人を設立してできた美術館なので、公的性格が強いものの県立とはいえない。また、大阪府にはかつて府立現代美術センターがあったが、財政難などのため廃止され(一部の業務は府立江之子島文化芸術創造センターが継承)、府立美術館はない。一方、鹿児島県は県立美術館として霧島アートの森と田中一村記念美術館を有するが、それぞれ霧島山麓と奄美大島という足の便の悪い場所にあるため、「県立美術館設立を考える会」が建設を要望している。
★2──高額作品の芸術的価値は理解できなくても、市場価値なら数字で現われるのでわかりやすい。2015年にニューヨークのオークションで、リキテンスタインのほぼ同時期、同サイズの似たような作品が約120億円で落札されたのだ。開館から20年で6億円が120億円へと実に20倍に高騰したわけで、これなら「買っといてよかった」と言わないまでも、少なくとも損はなかったと納得できるのではないか。
[編集部注]ラビットホールに関する記述を一部を訂正いたしました。(2025年6月4日)