常設展というオアシス
展示スペースをコレクションの充実度に伴ってどんどん拡張する、「無限成長美術館」というユニークな構想に基づいて設計された国立西洋美術館の常設展(同一展示は2026年2月15日まで)を見に行ってきた。世界の優品をゆっくりと観覧できる常設展は心のオアシスになり、その存在に光をあてる意義は大きい。一般500円、18歳未満と65歳以上は無料。一階と二階の展示室には、中世から20世紀の西洋美術作品が展示されており、美術史の世界をコンパクトに体験しながら時に思わぬ作品と出会うことがある。今回もそのひとつであった。フィンランドの画家アクセリ・ガッレン=カッレラが描いた《ケイテレ湖》(国立西洋美術館蔵)を発見した。
画面一杯に描かれた無人の静寂な湖の風景画だ。水面が凍った氷に亀裂が入り裂けているように見えた。長野県の諏訪湖で有名な冬の神事、御神渡り(おみわたり)★1 のような湖面の亀裂かと思ったが、キャプションを読んで唖然とした。《ケイテレ湖》は夏の景色だった。それでも風の音と水の冷たさ、湖面上に反映する垂直の景色や水平に伸びる帯状の小波、自然の輝きを静穏に表わす絵画は魅力的だった。
国立西洋美術館の特定研究員である久保田有寿氏(以下、久保田氏)に《ケイテレ湖》の見方を伺いたいと思った。久保田氏は、2019年に「モダン・ウーマン:フィンランド美術を彩った女性芸術家たち」展を企画担当され、2022年には「北欧の自然とナショナル・アイデンティティ」(図録『自然と人のダイアローグ』)というテキストも執筆されており、フィンランド美術に詳しい。東京・上野の国立西洋美術館へ向かった。
★1──湖面全面が結氷した後、寒暖差で氷に亀裂が走る現象で、諏訪大社の上社(かみしゃ)の男神が、下社(しもしゃ)の女神に会いに行く恋の道とされる。八剱(やつるぎ)神社の宮司が御神渡りと認定することによって、その年の吉凶を占う。

久保田有寿氏
ダンスから歴史、《ゲルニカ》、そしてフィンランドへ
久保田氏とは初めてお会いした。シンプルで爽やかなファッションに身を包み、溌剌と話す久保田氏の話は楽しかった。1986年東京都文京区に生まれたという久保田氏。子供の頃は虫や動物が好きで、家族や友達とよく上野公園に遊びに来ていたそうだ。小学生になると絵を描くことが好きになり、絵本作家や漫画家に憧れた。父と母と姉の4人家族で、毎年恒例となった家族での海外旅行では、欧米の歴史的モニュメントや美術館を見て回り、西洋の歴史や美術に関心を持つようになったという。
久保田氏は、中学三年生の時にダンスを始めた。高校の三年間もダンス部に加えてストリートダンスを習うなど、ダンス三昧の青春だった。大学に進学してもダンスを続けていたが、歴史への関心から、日本女子大学文学部史学科で西洋史を専攻する。4年生の時に語学習得のため一年間アメリカへ交換留学をし、また同じ年に父親が参加する学会がスペイン・マドリードであり同行した。その時、ソフィア王妃芸術センターを訪れ、パブロ・ピカソ(1881-1973)の《ゲルニカ》に出会い、強い衝撃を受けたという。今までのような「かわいい、きれい」といった印象とは異なる、恐ろしさを伴うまったく新しい美術体験だった。ピカソの偉業に感銘を受け、卒業論文は独学で《ゲルニカ》について書き、学芸員資格を取得して、2009年に卒業。そして美術史学専攻のある早稲田大学大学院へ進学、スペイン美術史を専門とする大髙保二郎先生に学んだ。修士論文も《ゲルニカ》をテーマに執筆。2012年修士課程を修了し、博士後期課程でもピカソ研究を続けた。
2016年、久保田氏は、ピカソやグスタフ・クリムト(1862-1918)など、充実した20世紀のコレクションを所蔵する愛知県美術館の学芸員となり、翌年の4月に国立西洋美術館の研究補佐員、10月から現職についた。入ってまだ一年の2018年に、最初の担当企画展となったフィンランドの女性芸術家に関する展覧会「モダン・ウーマン」展の準備が始まり、国内ではフィンランド美術を紹介する本が少ないなか、ヘルシンキのフィンランド国立アテネウム美術館で一週間ひとりで調査する機会を得た。フィンランド美術の真髄たるコレクションを有するこの美術館で出会ったのが、同国の国民的画家ガッレン=カッレラの作品だった。ヘレン・シャルフベック(1862-1946)とともに、フィンランドで最も愛されている芸術家のひとりであり、近年国際的に評価や知名度が急速に高まっていることを知った。
2021年、久保田氏はガッレン=カッレラの代表作《ケイテレ湖》を国立西洋美術館が購入するための調査を担当。購入が決まり、美術館に《ケイテレ湖》が搬入されて初めて実作品と対面した。その時の印象を「ニスがあまり塗られていないため、キャンバスや絵具の質感がありありと伝わってきて、これが本物かと感激した」と久保田氏。《ケイテレ湖》は、同じ構図に基づく計4点のバージョンが存在する。1904年制作の1点目は個人蔵で、ガッレン=カッレラミュージアムに寄託されている。1905年制作の2点目はラハティ・マルヴァ美術館蔵、同じく1905年の3点目はロンドン・ナショナル・ギャラリーが1999年に購入したことで世界的に知られるようになった。国立西洋美術館所蔵作品は1906年制作の4点目にあたる。
民族叙事詩『カレワラ』とナショナル・アイデンティティ
ガッレン=カッレラは、本名をアクセリ・ヴァルデマール・ガッレンといい、1865年フィンランドの首都ヘルシンキの北西、ボスニア湾に面したポリで、スウェーデン系のフィンランド人としてスウェーデン語を話す家庭に生まれた。フィンランド銀行の出納係の父ペーター・ヴィルヘルム・ガッレンと、母アンナ・マチルダ・ガッレンの12人家族で8番目の子だった。ガッレン=カッレラは、1878年からヘルシンキのフィンランド芸術協会附属素描学校の夜間クラスに参加し、1881年に同学校に入学。その後、画家アドルフ・フォン・ベッカーの私立美術アカデミーにも通った。1884年から5年間パリに留学し、アカデミー・ジュリアンと画家フェルナン・コルモン(1845-1924)の画塾に学んだ。
1890年マリー・ヘレナ・スロールと結婚。翌年長女マルヤッタが生まれたが4歳で亡くなってしまう。しかし5年後に娘キルスティ、その3年後に息子ヨルマが生まれた。ガッレン=カッレラの作風は、初期の写実主義や自然主義から、1890年代には象徴主義へと移行する。フィンランドの自然と人々を描写することに関心を寄せるとともに、フィンランドの一大民族叙事詩『カレワラ』(1835年初版)★2 を着想源として作品を制作していった。
『カレワラ』は、ガッレン=カッレラほか、作曲家ジャン・シベリウス(1865-1957)の《レンミンカイネン組曲》や、建築家エリエル・サーリネン(1873-1950)の《ポホヨラ保険会社ビルディング》などの作品を生み、1809年から続くロシア帝国の自治領、フィンランド大公国としてのナショナル・アイデンティティの形成に寄与した。ガッレン=カッレラは「ナショナル・ロマンティシズム」と呼ばれる愛国主義的芸術運動を牽引し、特に神話と結びついた風景画は、森と湖で知られるフィンランドの独立への希求を象徴する表現だった。
★2──19世紀初頭に医師・文学者エリアス・リョンロート(1802-84)が、カレリア地方などフィンランドの辺境の地に残る口承の民族詩を収集、編纂した物語。フィンランド固有の民族文化の象徴であり、フィンランド人の精神的価値を純粋な形で表現しているものとして、19世紀の民族主義者らが重要視した。

北欧地図
(Stefan Ertmann, CC BY-SA 2.0, https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0)
フィンランドの独立へ
1900年フィンランドは、ロシアの支配下にありながら第5回パリ万国博覧会で独自のパビリオンを出すことが許可された。ガッレン=カッレラはフィンランド館の天井画や室内装飾を手掛け、総合芸術家として成功を収める。フィンランド固有の文化を国際的に紹介して独立運動に結び付けていこうという機運が盛り上がり、フィンランド美術は黄金時代を迎えていた。
1901年、ガッレン=カッレラはウィーン分離派展に参加、1904年再び招待されて分離派展出品のためにオーストリアを訪れクリムトと交流した。その後イタリア、スペインなどを周遊して帰国したが、旅先で患ったマラリアの療養のため夏の間ケイテレ湖畔に滞在する。当時はロシア人総督の暗殺事件や日露戦争が勃発し、フィンランド国内ではナショナリズムが興隆していた。1907年、フィンランド語の発音を強調するアクセリ・ガッレン=カッレラに改名。1909年から10年には英領東アフリカ(現ケニア)を旅行し、現地を取材した作品を多く描いた。1911年フィンランド美術協会会長に就任。1914年ヴェネツィア・ビエンナーレ展に参加した。
1917年ロシア革命を機に、フィンランドはロシア帝国から独立。翌年、独立を導いた英雄マンルヘイミ元帥の依頼により、各種の公式行事の旗、通貨、勲章などをデザインし、その功績によって1919年元帥の副官となった。
晩年は表現主義や、色彩そのものを重視する色彩主義に関心を持って制作。1923年アメリカのシカゴ美術学校の薦めで個展を開催、後に米国各地を巡回した。翌年同国ニューメキシコ州タオスに移住して、ネイティブ・アメリカンの美術を研究。1926年フィンランドに帰国し、1928年ヘルシンキ国立博物館の中央ホールに『カレワラ』の天井画を描く。1931年11月7日、スウェーデンのストックホルムで肺炎を患い死去。享年65歳。さまざまな前衛芸術を吸収しながら名声を博した国際的な画家であり、フィンランドを代表する国民画家として国葬された。
ケイテレ湖の見方
①タイトル
ケイテレ湖(けいてれこ)。英題:Lake Keitele
②モチーフ
ケイテレ湖。フィンランド中部に位置する面積約498km²の湖で、国内で9番目の大きさ。
③制作年
1906年。ガッレン=カッレラ41歳。
④画材
キャンバス、油彩。
⑤サイズ
縦61.0×横76.2cm。1904年から1906年にかけて制作された《ケイテレ湖》は4点あり、本作はその最後に制作された最も大きい作品。
⑥構図
上方に青空と白い雲と水平線を配しているが、画面全体は湖面という大胆な構図。遠景に霞む山の稜線と、近景の水面が右上にある小島[図1]によってつながれ、自然な遠近感となっている。
⑦色彩
青、紺、白、緑、茶、灰、黒など多色。
⑧技法
キャンバスの地が見えるようあえて塗り残したり、薄塗と厚塗りを組み合わせるなど、質感の異なる多様なタッチで繊細に描いている。
⑨サイン
画面右下に黒で「GALLÉN KALELA 1906」と署名。以前はスウェーデン語名の「AKSELI GALLÉN」とサインしていたが、この頃からフィンランド語らしい響きの「GALLÉN KALELA」を採用し、フィンランド人としてのアイデンティティを主張している。
⑩鑑賞のポイント
1904年の夏、ガッレン=カッレラは療養のため訪れたフィンランド中部のケイテレ湖畔から清々しい風景を眺めていた。画面の大半を占める湖には、空を流れる雲や鬱蒼とした森が映り込み、水面をなでる風が、それらの上にシルバーグレーにきらめくさざ波[図2]を立てている。ロシアに対する独立運動の中で、熱烈な愛国感情の高まりがあった当時のフィンランドの水と木々の織りなす雄大な自然は、国家の自律性を体現するものとみなされた。さざ波が形づくるジグザグの装飾的なパターンは、風と湖底を流れる冷たい水の相互作用によって作り出される現象だが、ここにガッレン=カッレラは同国の民族叙事詩『カレワラ』の英雄ヴァイナモイネンが漕ぐ船の航跡を暗示させた。ガッレン=カッレラは友人に宛てた手紙の中で、「静かな水面の銀色の縞模様は、これから訪れる情熱を告げる波紋である」と記している。静寂な神話の輝き。湖面を切り裂くさざ波が、独立を勝ち取る時が来ることを静かに語りかけてくる。本作は、ノーベル賞の資金提供者で生みの親であるスウェーデンの化学者アルフレッド・ノーベルを輩出したノーベル家が1909年にガッレン=カッレラから直接購入したもの。当初アルフレッドの姪が所有し、子孫に受け継がれた後、国立西洋美術館が2021年に購入した。森と湖の国フィンランドの国民的画家ガッレン=カッレラの代表作である。
図1 遠景と近景をつなぐ小島(《ケイテレ湖》部分)
図2 抽象化された湖面のさざ波(《ケイテレ湖》部分)
ガッレン=カッレラとクリムト
《ケイテレ湖》の見どころについて、久保田氏は「画面のほとんどを水面が占める大胆な構図と、帯状にパターン化されたさざ波の表現ですね。同様の構図については、例えば当館のクロード・モネ(1840-1926)の《舟遊び》(1887)や《睡蓮》(1916)でも見ることができる。モネが水面や反射の表現にフォーカスするのは、ガッレン=カッレラと同じ1904年頃で、さらに晩年の睡蓮の連作でどんどん没頭していく。同時代にフランスとフィンランドで、水面に焦点を当てた独自の描写が追求されていたのは興味深い。《ケイテレ湖》は、平面的で装飾的な画面構成が、総合主義やジャポニスムといった同時代の美術動向の影響があったと指摘されている通り、自然主義的に描かれているようでありながら、極端に抽象化もされている。とりわけジグザグのさざ波の表現は非常に独創的。《ケイテレ湖》は画家が目にした自然の実景と、北欧神話の想像上の世界、そして20世紀初頭の時代背景を巧みに融合した祖国フィンランドの表象と言える」と述べた。
また、現在の常設展では、《ケイテレ湖》の隣に、同作と主題も構図も非常によく似たクリムトの風景画の代表作《アッター湖の島》(1901-02頃、100.5×100.5cm、個人蔵)が並べて展示されている。
「今期より初公開されている本作品は、ガッレン=カッレラが《ケイテレ湖》を描く動機となった作品ではないかと、2024年にウィーンのベルヴェデーレ美術館で開催された『ガッレン=カッレラ』展で発表されたばかり。1904年にガッレン=カッレラは、分離派展に出品するためにウィーンに滞在し、クリムトと会っている。《アッター湖の島》は当時、ベルヴェデーレ美術館の前身であるモダン・ギャラリーで公開されており、ガッレン=カッレラは自身の作品も展示されていた同ギャラリーを訪れ、《アッター湖の島》を目にしたに違いない。ガッレン=カッレラが《ケイテレ湖》を描いたのは、ウィーンから母国フィンランドに帰国した後だった。クリムトによるアッター湖の風景画は世界で二点あり、一点(《アッター湖》1900、80.2×80.2cm)は、ウィーンのレオポルト美術館、もう一点が日本の個人蔵。後者の《アッター湖の島》が幸運にも2025年当館に寄託され、《ケイテレ湖》と並べて展示されるに至った(図3)。ちょうど今、ヘルシンキのアテネウム美術館では、両者の関係性に焦点を当てた『ガッレン=カッレラとクリムト』展(2025.9.26–2026.2.1)が開催されている」と久保田氏は語った。

図3 国立西洋美術館常設展展示風景[筆者撮影]
久保田有寿(くぼた・あず)
国立西洋美術館特定研究員。1986年東京都生まれ。2009年日本女子大学文学部史学科西洋史専攻卒業、2012年早稲田大学大学院文学研究科美術史学コース修士課程修了、2020年同研究科博士後期課程単位取得満期退学。2016年愛知県美術館学芸員、国立西洋美術館研究補佐員を経て2017年10月より現職。専門:西洋近代美術。所属学会・研究会:美術史学会、美学会、スペイン・ラテンアメリカ美術史研究会、ピカソ芸術研究会。主な担当展覧会:「日本・フィンランド外交関係樹立100周年記念:モダン・ウーマン:フィンランド美術を彩った女性芸術家たち」(2019)、「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」(2022)、「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展―美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ」(2023)など。
アクセリ・ガッレン=カッレラ(Akseli Gallen-Kallela)
フィンランドの画家。1865~1931年。フィンランド西海岸、サタクンタ県ポリ生まれ。幼少期からフィンランドの田園風景に深い愛着を抱く。1878年からフィンランド芸術協会の素描学校に通い、1884年から5年間パリに留学。写実的な風俗画でデビューし、1890年代には象徴主義へと移行。フィンランドの民族叙事詩『カレワラ』を題材にした絵画や巨大なフレスコ画を数多く手掛けた。1910年頃には明るい色彩と大胆な筆致を特徴とする表現主義的な絵画を制作。国際的な視野を生涯持ち続け、1895年ベルリンでエドヴァルド・ムンクとの二人展、1900年パリ万国博覧会フィンランド館での壁画や室内装飾制作、1901年と1904年ウィーン分離派展、1914年ヴェネツィア・ビエンナーレなど、ヨーロッパの主要都市で展覧会に参加。母国ではフィンランドの人々、神話、自然を描いてフィンランドの国民的アイデンティティの形成に寄与した。絵画に加え、版画やテキスタイル、家具のデザインも行ない、1918年のフィンランド内戦後には、独立フィンランド軍の制服や勲章のデザインを手がけた。1931年スウェーデン・ストックホルムで没。享年65歳。フィンランドを代表する国民的画家。代表作:《ケイテレ湖》《アイノ神話(三連祭壇画)》《サンポの防衛》《レンミンカイネンの母》《クッレルヴォの呪い》《オオヤマネコの巣穴》など。
デジタル画像のメタデータ
タイトル:ケイテレ湖。作者:影山幸一。主題:世界の絵画。内容記述:アクセリ・ガッレン=カッレラ《ケイテレ湖》1906年、キャンバス・油彩、縦61.0×横76.2cm、国立西洋美術館蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:国立西洋美術館、(株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Jpeg形式110.2MB、350dpi、8bit、RGB。資源識別子:NMW000321(Jpeg形式110.2MB、350dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。情報源:(株)DNPアートコミュニケーションズ。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:国立西洋美術館、(株)DNPアートコミュニケーションズ。
画像製作レポート
《ケイテレ湖》の画像は、DNPアートコミュニケーションズ(DNPAC)へメールで依頼した。後日、DNPACからメールが届き、作品画像をダウンロードして入手(Jpeg、110.2MB、350dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。作品画像のトリミングは2点まで、掲載は1年間。
iMac 21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって、モニターを調整する。国立西洋美術館のWebサイトにある作品画像を参考に色調を確認したが、色合せなど特に作業するところがなく、DNPACから受け取ったままの画像を用いた(Jpeg形式110.2MB、350dpi、8bit、RGB)。デジタルカメラが普及した近年の作品画像には、カラーガイド付きが多いと思っていたが、《ケイテレ湖》の画像にカラーガイド・グレースケールが付いていないのはどういう理由なのだろう。国立西洋美術館は2021年に《ケイテレ湖》を購入している。
セキュリティを考慮して、高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」を用い、拡大表示を可能としている。
参考文献
・図録『アクセリ・ガレン=カレラ絵画展:叙事詩・カレワラの世界』(武蔵野市、1990)
・catalogue editor, Juha Ilvas; editor of the English edition, Leena Ahtola-Moorhouse, Akseli Gallen-Kallela: Ateneum 16.2.-26.5.1996, Turku Art Museum 26.6.-1.9.1996(Finnish National Gallery Ateneum, 1996)
・edited by David Jackson, Patty Wageman; special advisor, Janne Gallen-Kallela-Sirén, Akseli Gallen-Kallela: the spirit of Finland(Groninger Museum-NAI Publishers, 2006)
・Anne Robbins, Lake Keitele: a vision of Finland(National Gallery Company, 2017)
・sous la direction de Laura Gutman et Pierre Curie, Gallen-Kallela: mythes et nature(Fonds Mercator, 2022)
・図録『モダン・ウーマン:フィンランド美術を彩った女性芸術家たち:日本・フィンランド外交関係樹立100周年記念』(国立西洋美術館・西洋美術振興財団、2019.6.17)
・久保田有寿「北欧の自然とナショナル・アイデンティティ」(図録『自然と人のダイアローグ:フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで:国立西洋美術館リニューアルオープン記念』国立西洋美術館・読売新聞社・NHK・NHKプロモーション、2022、pp.134-137)
・久保田有寿「新収作品 アクセリ・ガッレン=カッレラ《ケイテレ湖》」(『国立西洋美術館報No.56』国立西洋美術館、2023.2.10、pp.11-12)
・Webサイト:『Akseli Gallen-Kallela catalogue raisonné project』2026.1.15閲覧(https://www.gallenkallela.org/catalogue/introduction)
・Webサイト:『Gallen-Kallelan Museo』2026.1.5閲覧(https://gallen-kallela.fi/)
・Webサイト:「Gallen-Kallela, Klimt & Wien」(『ATENEUM』)2026.1.5閲覧(https://ateneum.fi/en/exhibitions/gallen-kallela-klimt-wien/)
・Webサイト:佐藤直樹「北欧絵画のメランコリー(7)アクセリ・ガッレン=カッレラ「ケイテレ湖」」(『日本経済新聞』2023.11.16)2026.1.5閲覧(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD27BB10X20C23A9000000/)
・Webサイト:「【国立西洋美術館初収蔵】アクセリ・ガッレン=カッレラとは何者か?」(『IMS』2022.5.27,クリエイト・アイエムエス株式会社)2026.1.5閲覧(https://ims-create.co.jp/art/2881/)
・Webサイト:「プレスリリース:新収蔵作品のお知らせ:アクセリ・ガッレン゠カッレラ《ケイテレ湖》と カミーユ・クローデル《ペルセウスとゴルゴーン》」(国立西洋美術館,2022.6.16)2026.1.5閲覧(https://www.nmwa.go.jp/jp/information/pdf/20220616_press.pdf)
・Webサイト:「Akseli Gallen-Kallela ケイテレ湖」(『国立西洋美術館』2025.10.8)2026.1.5閲覧(https://collection.nmwa.go.jp/P.2021-0001.html)
掲載画家出身地マップ
※画像クリックで別ウィンドウが開き拡大表示します。拡大表示後、画家名をクリックすると絵画の見方が表示されます。
2026年1月



