チラシ掲載作品:山崎つる子《作品》1964年 芦屋市立美術博物館蔵
[© Estate of Tsuruko Yamazaki, courtesy of LADS Gallery, Osaka and Take Ninagawa,Tokyo]

会期:2026/03/25~2026/05/06
会場:兵庫県立美術館[兵庫県]
公式サイト:https://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_2603/index.html

前編より)

本展のもうひとつの特徴として、巡回先ごとに会場構成が異なり、明確な章立てやグループ化がなされているわけではないが、作家どうしの間に呼応や共鳴が見えてくる点がある。特に兵庫県立美術館が会場となった本展示では、中盤以降、それぞれの表現の多様性のなかから「触覚性」「増殖と反復」「性的記号」「工業的な新素材の使用」「円球」「光」「反射」というキーワードが連なって太い軸となり、田中敦子、宮脇愛子、山崎つる子の3名が会する最終展示室は、あふれる「光」で満たされる。

江見絹子、田中田鶴子、白髪富士子の絵画は、「明確な形象をもたない茫漠とした色面の広がり」という点では共通するが、厚い絵具のマチエールが触覚性を喚起する江見に対して、マチエールの主張や色調を暗めに抑えた田中の絵画には、古代の象形文字のような形が静謐に塗り込められている。また、絵具を染み込ませた和紙を破り、ガラスとともに何層にも貼り付けた白髪富士子の絵画は、蛇行する大河を写し取った古地図や轟く大瀑布を思わせ、凝縮された物質性が豪放さへと突き抜ける。


白髪富士子《作品 No.1》(1961)高松市美術館

下地の上に白や赤の単色で網目を反復的に描いていく草間彌生の「インフィニティ・ネット」は、間近で見ると絵具の厚みに微妙なムラがあり、爬虫類のウロコや古木の幹を思わせる触覚性をもつ。「触覚性」「増殖と反復」は、コートの表面にマカロニを無数に貼り付け、ゴールドで彩色した立体作品《マカロニ・コート》(1963)でも顕著だ。マカロニの形状は巻貝(女性器)やペンネ(男根)をも連想させ、それらが衣服すなわち「第二の皮膚」の表面を蛆虫のように食い破り、寄生して増殖していくさまを思わせる。

性的な記号が安全な消費の対象ではなく、物質性や触覚性を伴って増殖し、おぞましさをもって脅かす存在へ変貌する事態は、田部光子とも共通する。《作品》(1962)では、ヒマワリの花の中心に無数のピンポン玉が敷き詰められ、「花びら」はアイロンを押し当てた焦げ跡であり、さらにその上からキスマークが刻印されている。「アイロンがけ」という主婦の家庭内労働の反復性の上に押し当てられたキスマークは、焦げた支持体の襖と唇が接触した生々しい物質感とともに、自らが性的主体となることの宣言とも、「聴こえない声」として沈黙と抑圧を強いられていることへの抵抗とも読める。


左より:田部光子《作品》(1962)福岡市美術館、田部光子《繁殖する(2)》(1958-88)福岡市美術館、田部光子《繁殖する(1)》(1958-88)福岡市美術館

無数の小円が網目として連なる草間の絵画、ピンポン玉や、輪切りにした竹筒を黒いアスファルト・ピッチに浸して貼り付けた田部の絵画に見られる「円の増殖」は、続く展示室にて、丸い型をスタンプのように「捺す」福島秀子や、カラフルな電球と絡まるコードを抽象化した田中敦子の絵画へとつながっていく。並行して、アクリル樹脂やビニール系塗料、真鍮の角パイプといった工業的な新素材を積極的に取り入れた多田美波、田中敦子、山崎つる子、宮脇愛子の作品では、バトンを渡すように「光」「反射」というキーワードが浮かび上がり、「光」で満たされた最終展示室へと至る。


宮脇愛子《作品》(1967)


左より:山崎つる子《作品》(1963)兵庫県立美術館(山村コレクション)、山崎つる子《作品》(1964)芦屋市立美術博物館[© Estate of Tsuruko Yamazaki, courtesy of LADS Gallery, Osaka and Take Ninagawa, Tokyo]

建物自体がまばゆく発光するような多田の絵画《変電所》(1956、1958)から、アクリル樹脂の可塑性を活かした有機的な形態に鏡面加工を施し、光の反射を取り込んだ「周波数」シリーズ(1964)へ。エナメル塗料のねっとりしたマチエールと光沢により、電気回路という無機物を、エネルギーを放射する有機的生命体や活性化したニューロン(神経細胞)の集合体を思わせる大画面へと変貌させる田中の作品群。同じく具体に所属し、合成樹脂塗料を水彩のように薄く塗り重ねた山崎の絵画は、バルーンのように浮遊する形象と透光性に満ちている。そして、真鍮の角パイプのユニットを、微妙な凹凸を付けて直方体に積み重ねた宮脇の立体作品は、見る角度によって異なる光の反射の表情を見せる。


左より:多田美波 周波数《37305055MC》、周波数《37305047MC》、周波数《37305053MC》 、周波数《37305054MC》、周波数《37305038MC》、周波数《37305052MC》以上すべて、(1964)多田美波研究所

最後に、ジェンダー研究を支点とした女性作家のグループ展を開催する意義について掘り下げたい。「女性作家」という(単一の)カテゴリーへの集約化は、「女性作家ならではの表現」といった本質主義の陥穽や男女二元論の強化につながるおそれがある。ただし、既存のジェンダー秩序を再生産することが目的ではなく、「作り手・語り手ともに男性中心的な美術史では語られてこなかったもの」を可視化し、「偏差それ自体が見えていなかったこと」を示す点にこそ意義がある。さらには、アンフォルメルであれ、アクション・ペインティングであれ、「様式(の交替)」で美術史を語ることはどこまで有効か? という問いも浮上する。既存の様式史とは別に、「女性作家の美術史や系譜」を付け加えただけでよいのか。女性作家(ひいては既存の様式的歴史記述から取りこぼされてきた作家)に目を向けることの本質的意義は、「既存の様式史」の背後に働く(ジェンダーも含めて複数の)政治的力学を解析することにある。

作品は、「いつどの場所で制作された」という歴史的特異点でありつつ、「○○の動向・様式」のみに固定されるのではなく、常にその正統性を問い直しながら、(無数の)異なる語り方の回路に開かれている。批評や美術史といった言説空間は、作品という特異点の観測方法それ自体を多様化し、多視点による記述を可能にすることができる。

既存の言説空間の欠けや偏差を指摘した研究を基に、作家の厚みの層を加え、実作を現実の空間に集合させた「展覧会の開催」が、さらに言説空間や歴史記述へ影響を与え、生産的な往還を生み出すこと。そこにこそ本展の意義がある。「彼女たち」と副題に冠した本展は、女性作家のみに絞っていたが、「アクション・ペインティング」には該当しない方法で制作し、(看過されてきたかもしれない)男性作家も見出せるのだろうか。その場合、「英雄的で力強い男らしさ」の称揚をめぐって、どのような排除の力学が作用していたのだろうか。「女性作家」の本質主義や男女二元論の強化に陥らない語り方として、例えば今後は、作家の性別によらず、「アンチ・アクション(・ペインティング)」という枠組みから、既存の戦後美術史をさらに書き替える作業も待たれるだろう。

鑑賞日:2026/03/24(火)、04/19(日)