
発行所:meson press
発行日:2025
公式サイト:https://meson.press/books/the-making-of-les-immateriaux/
1985年にパリのポンピドゥー・センターで開催された「非物質的なものたち(Les Immatériaux)」という展覧会がある(以下「非物質」展とも表記する)。哲学者のジャン゠フランソワ・リオタールと、キュレーターのティエリー・シャピュが手がけたこの展覧会は、当時のポンピドゥー・センターの5階フロアを丸ごと使った大規模な展示であり、美術作品のみならず古代エジプトのレリーフから産業ロボットまで、多種多様な展示物が集められた★1。
だがこの展覧会は、その野心的な内容にもかかわらず(あるいはそれゆえに)、同時代的には必ずしも成功を収めたわけではなかった。順路のない約60の「サイト」からなる空間構成、ヘッドフォンから流れる奇妙な音楽や朗読、26名の共同執筆による小辞典のようなカタログ……といった要素を含む規格外の展覧会に対して、当時のフランスの新聞には酷評ばかりが並んだ。そのような厳しい評価のためか、その後のリオタールがこの展覧会について何かを語った記録は──すくなくともフランス国内では──ほとんど見当たらない★2。そんな過去の遺物であった「非物質」展にふたたび注目が集まりはじめたのは、開催から30周年を迎えた2015年前後のことだった。その先鋒となったのが、ユク・ホイとアンドレアス・ブレックマンによる共編著『「非物質的なものたち」から30年後──芸術、科学、理論』(2015)である。同書は「非物質」展に関わった人々の寄稿に加え、さまざまな分野の専門家を招いて同展の意義を歴史的・理論的に示したメルクマールと言える一冊だった★3。
その共編者であるブレックマンは、その後もウェブサイト「Les Immatériaux Research」を立ち上げるなど、この展覧会の調査を10年にわたり継続してきた。その集大成とも言えるのが、本書『「非物質的なものたち」の成立』(原著2025[未邦訳])である。この10年間、ホイやブレックマンの尽力もあり、「非物質」展をめぐる研究はめざましい進展を見せた。だが、それらの研究をほぼ網羅した本書こそが、今後長らく参照されつづける決定版になると思われる。
従来の「非物質」展にかんする書籍・論文と比べたとき、本書の最大の特徴は、同展覧会の制作過程(making)に着目したことにある。序文でも述べられるように、美術史家・キュレーターであるブレックマンは、この展覧会を「リオタールの」展覧会として記述してきた過去の研究書に強い反発を示す。その代わりに本書は、共同キュレーターであったティエリー・シャピュ、CCIのメンバー、学術協力者といったさまざまな人々の貢献を明らかにすることで、この展覧会の(知られざる)生成過程を見事に明らかにしている。もちろん過去にも、美術史家・キュレーターのアントニー・フーデックによる実に行き届いた論文をはじめ、ポンピドゥー・センターのアーカイヴに基づいた「非物質」展の実証的な調査は少なからず存在していた★4。だが本書はさらに、アーティストのジャン゠ルイ・ボワシエや、リオタールの(1985年以来の)パートナーだったドロレス・リオタールをはじめ、本展関係者への数多くのインタビュー調査によって、従来のアーカイヴの欠落を補っている。
近年の「非物質」展に対する関心の高まりを受けて、2023年にポンピドゥー・センター内のカンディンスキー図書館は、同展示に関わるアーカイヴのほとんどをオンラインで公開した。今後も「非物質」展については、これらの資料を活用したさらなる研究成果が登場すると思われる。だが繰り返すように、本書はその具体的な「成立」のプロセスを明らかにしたものとして、今後も長く参照されつづける一書となるはずである。
★1──この「非物質」展について日本語で読める文献としては、拙著『崇高と資本主義──ジャン゠フランソワ・リオタール論』(青土社、2024)、とりわけ第5章を参照のこと。
★2──その数少ない例外が、1988年に行なわれた浅田彰との対談である。浅田彰『「歴史の終わり」と世紀末の世界』(小学館、1994)、208頁。
★3──Yuk Hui and Andreas Broeckmann (eds.), 30 Years After Les Immatériaux: Art, Science and Theory, Lüneburg, (meson press, 2015)。同書は2014年5月21-22日にロイファナ大学(リューネブルク)で行なわれた同名のシンポジウムがもとになっている。なお前掲の拙著では、英語圏の発音などを参考に著者の名前を「ブロックマン」としてきたが、ここでは編集部と相談のうえ、ドイツ語のoe=öの慣用表記にならって「ブレックマン」とする。
★4──Antony Hudek, “From Over- to Sub-Exposure: The Anamnesis of Les Immatériaux” (2009) https://www.tate.org.uk/research/tate-papers/12/from-over-to-sub-exposure-the-anamnesis-of-les-immateriaux, in Yuk Hui and Andreas Broeckmann (eds.), 30 Years After Les Immatériaux, op. cit., pp. 71–91. https://meson.press/books/30-years-after-les-immateriaux/
執筆日:2026/06/09(火)
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