はじめまして、内海と申します。
現在、私はアーティゾン美術館で現代美術を(一応)専門とする学芸員として働いています。現職に就いたのは2021年ですが、それ以前から、いろいろなかたちで「展覧会」というものに関わってきました。
まだまだ未熟ではありますが、展覧会を作る人ということで、光栄なことに、学生時代から読んでいる「キュレーターズノート」の連載をご依頼いただきました。そこで初回は、私がどんなふうに展覧会へ近づき、やがて展覧会を「こさえる」ようになったのか、学生時代に遡ってその経緯を自己紹介がてら書いてみたいと思います。初回なのに、「前回の続き」という題を冠している理由については、最後に書いてありますので、お付き合いいただければ幸いです。

 

「作る」ことと、「こさえる」こと

ちなみに、なぜ展覧会を「作る」ではなく「こさえる」なのか。「作品」という2字を眺めていると、「作られた品/もの」という単純なイメージが浮かびます。語源ではなく、あくまで字面から。もちろん、作られたもの=生産物がすべて作品になるわけではなく、美術や音楽などの芸術「作品」となるには、作られたものが世界に残る時間の長さが関係してくると考えています。この考えは、ハンナ・アーレントの『人間の条件』(1958)に由来します。あるものが人を魅了し、繰り返し経験され、語られ続ける。その耐久性(作品の強度、と言ったりします)が「作品」と、単なる作られたものとを分ける要素だと感じます。一方、展覧会は少し違います。限られた会期のあいだだけ空間を立ち上げ、来場者に経験され、終わればいったん解かれる。私には、品を「作る」というより、空間を「こさえる」動作に近く感じられます。また、体験してもらうために差し出すという感覚が、「こさえる」という動詞に実感をもつ理由なのかもしれません。これに対して、展覧会カタログは会期後も物として残り、読み返され、展覧会を呼び戻します。むしろカタログには、展覧会を見に来られなかった人にも響く、そのような強度がなくてはならないと考えています。だからカタログは「作る」。作品を作るアーティストがいて、私はカタログを作り、展覧会の空間をこさえる。いまのところ、この言い方が自分の仕事にいちばん近いように思います。

展覧会を「こさえる」側への関心、その出発点は、東京・三鷹にある国際基督教大学(ICU)で西洋美術史を学んだことでした。ICUは教養学部の大学です。私は西洋美術史をメジャーにしていましたが、宗教学、哲学、キリスト教史、アメリカ文学史、ヨーロッパ文化史、国際関係学、平和研究、政治学などの授業も受けました(聴講も含めれば、もっとたくさん出席していたはずですが、名前がぱっと思いつくのはこの辺りです)。ひとつの専門のなかに落ち着かず、ウロウロと異なる領域を行ったり来たりする習慣は、このころにつくられたのだと思います。そして、大きな転機のひとつが、「近代美術II」という授業でした。現在は大阪大学で教鞭を執る中嶋泉さんから20世紀美術を学び、そこでフェミニズム/ジェンダー論に出会いました。美術史のなかですでに価値が定まっている作品や作家を辿るだけでなく、その歴史は誰の視点から書かれ、何を中心に置き、何を見えにくくしてきたのかと問い直す。見えている作品だけでなく、ものを見るための枠組みそのものを見る。この邂逅(かいこう)は、中高を男子校で過ごし、シスヘテロ規範に対してうまく言葉にできない違和感を抱いていた私にとって、学問領域としてではなく、世界の見方として、かなり大きな出来事でした。

 

卒論執筆で感じた違和感、仕立て上げられる「作家」の一貫性

いまから10年前に当たる2016年に提出した卒業論文では、当時、英語でも情報が手に入りやすくなってきていたロシア・アヴァンギャルドの画家、ナターリア・ゴンチャローヴァについて書きました。彼女は絵画だけでなく、版画、本の装飾、服飾、壁紙、フェイス・ペインティング、舞台や衣装のデザインなど、実にさまざまなものを制作しています。ところが通例の美術史では、ロシア時代には絵画、その後パリへ移ってからはバレエ・デザイン、と大まかな図式で語られがちです。しかし、その枠組みに従うと、1910年代から晩年までの約40年が、まるで制作の空白であったかのように見えてしまう。1913年の個展を評した批評家は、ゴンチャローヴァが同じクジャクを十の異なる様式で描いたことを取り上げ、「作家」としての一貫性がないと批判しました。

ひとつの様式を掘り下げて完成させることだけが、作家の成熟なのだろうか。いくつもの媒体や方法を渡り歩き、そのつど別のものに反応する創造性もあるのではないか。いま卒論を読み返すと、ずいぶん大ぶりな議論を振りかざしていますが、ひとりの作家をひとつのスタイルや物語へ回収することへの違和感は、現在まで残っており、私の美術への関わり方の重要な指針になっています。例えば、「カニッツァの三角形」(fig.1)。三つの欠けた円をある配置に置くと、実際には描かれていない白い三角形が見えてくる、あの図です。三角形は、どの円のなかにもありません。三つの円の関係から立ち上がります。作家像も同じように、初めから確固として存在するのではなく、個々の作品の関係から、そのつど見えてくるものではないかと考えました。単線的な流れで進む論文とは異なり、複数のものをひとつの物語へ押し込まず、配置と関係から全体を立ち上げる空間への期待は、すでにここにありました。


fig.1 カニッツァの三角形[画像出典:Fibonacci “Kanizsa triangle” (Wikimedia Commons), CC BY-SA 3.0]

現代美術への関心もまたこの時期に生まれました。ICU在学中、2014〜15年の交換留学でイギリスのリーズ大学へ行きました。リーズ大学を選んだ大きな理由は、フェミニスト美術史を牽引してきたグリゼルダ・ポロックの授業を受けることでした。そこで参加したのが、ドクメンタの歴史を通して現代美術を見る授業です。現代美術を作家や作品の年代順に学ぶのではなく、展覧会の歴史から捉える。どの作品が選ばれ、どの空間に置かれ、作品同士がどんな関係を結び、そこにどのようなコンテクストや歴史観、政治性が表われるのか。自分の作品や美術への見方に、より強く影響しているのが、展覧会の歴史のなかで展開される作家像や作品論なのだと思いました。そして、それは現代美術のフィールドで起こっていることなのだと。

 

作品以外の要素は、展覧会でどう作動しているのか?

その関心を決定的にしたのが、2015年に訪れた二つの国際展でした。

ひとつは、オクウィ・エンヴェゾーが総合キュレーターを務めた第56回ヴェネチア・ビエンナーレ「All the World’s Futures」です。帰国後の進路を考えていた時期でもあり、同時代の政治、経済、労働、暴力、移動といった問題に応答する作品と、オープニングに集まる関係者が一堂に会する光景を見て、鑑賞者が触れる「美術」、その枠組みづくりには現代美術のプレーヤーが大きく関与していることを目の当たりにしました。そして、現代の動向を知らないまま過去を研究しても、議論が机上の空論になってしまうのではないかという、一種の疑念を覚えました。

また、同じ年に訪れた第14回イスタンブール・ビエンナーレ「SALTWATER: A Theory of Thought Forms」は、さらに大きな転機になりました。アーティスティックディレクターは、2012年のドクメンタ13のディレクターも務めたキャロリン・クリストフ=バカルギエフです。

この展覧会は、美術館やギャラリーに加え、学校、ホテル、銀行跡、ガレージ、店舗、個人の家、船、島、海辺など、ボスポラス海峡のヨーロッパ側とアジア側にまたがる36の会場で開かれました。それ以前のイスタンブール・ビエンナーレで最多だった2001年の12会場と比べても、かなり多い。私自身、「見ることのできる」会場を回るだけで4日半かかりました。歩いても、船に乗っても、まだ次がある。展覧会を見ているのか、イスタンブール自体を体験しているのか、だんだん区別がつかなくなります(ちなみに、このときが3回目のイスタンブールでした)。この経験を抱えて、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科、通称GAに進み、キュレーションを専攻しました。修士論文で取り上げたのも、この展覧会です。複数の会場で開かれる国際展では、中心会場となりがちな美術館に展覧会のテーマが集まり、そのほかの場所が、その事例を示すサテライト会場のように機能することがあります。まず中心で総論を理解し、それから各地で各論を見る。わかりやすい一方で、中心と周縁、上と下という階層も生じやすい構造です。

「SALTWATER」にも、アクセスや地理的、展示作品数で中心に当たるイスタンブール・モダンという美術館がありました。館内には「The Channel(水路)」と名づけられた空間が設けられ、展覧会をめぐるための鍵とされていました(fig.2)。ただし、そこへ行けば主題と全体像が一望できる、という場所ではありません。「The Channel」は、内と外を分けられない「クラインの壺」(fig.3)をモデルとし、中心の外にある会場と反響し合うように考えられていました。外部を従える頂点ではなく、別の場所へつなぐ通路へ、中心の役割がずらされている。どこか1カ所に展覧会の答えがあるのではない。来場者は街を歩き、海峡を渡り、建物に入り、作品、資料、風景、歴史に出会います。その経験を重ねた先に、ようやく展覧会の総体らしきものが立ち上がる。それも、訪れた会場や順序、移動の途中で見たものによって、一人ひとり少しずつ違う形で。


fig.2 第14回イスタンブール・ビエンナーレ「SALTWATER: A Theory of Thought Forms」の会場のひとつ、イスタンブール・モダンの「The Channel」という空間[筆者撮影]

全36会場のなかには、実際には入ることのできない4つの会場まで含まれていました。例えばピエール・ユイグの《Abyssal Plain》は、マルマラ海に浮かぶスィヴリ・アダという無人島付近の海底に舞台を沈めた作品とされ、観客が直接見ることはできません。それでも、展覧会ガイドブックの地図や作品リストに記されると、見えない会場は想像のなかに場所を占め、離れた会場同士を結び始めます。作品だけでなく、建物、地図、ガイドブック、移動する時間、そして「見えない」ということまでが、展覧会を動かす要素になる。修論では、作品が何を意味するかを「読む」だけでなく、それらの要素が実際にどう「作動」するかを見ようとしました。


fig.3 クラインの壺[画像出典:Wikimedia Commons

 

ひとつの答えへと導くのではなく、関係性から立ち上げる展覧会

強いテーマが中央に「ドデーン」と置かれ、個々の作品がそれを説明する。そうした構造を仮にマスキュリンな展覧会と呼ぶなら、「SALTWATER」は別の作り方を示していたのではないか。主題をひとつの強固な中心として示すのではなく、複数の場所、作品、物質、歴史、そして来場者の身体的な経験のあいだに分けて置く。個々の要素をひとつの結論へ従わせず、それらの関係から展覧会を立ち上げるのです。

もちろん、これはクリストフ=バカルギエフの方法論を、そのまま要約したものではありません。私が展覧会を歩き、後から分析するなかでたどり着いた仮説です。それでも、この仮説は、その後の私が展覧会を考えるときの大切な足場になりました。

同展の副題「A Theory of Thought Forms」は、1901年にアニー・ベサントとチャールズ・リードビーターが刊行した『Thought Forms』に由来します(fig.4)。彼らは思考や感情にも形や色があると考え、目に見えないものを図像として表わそうとしました。その図版も「The Channel」に展示され、絵画や彫刻だけでなく、文章、科学資料、音、映像、建築、都市、海などが、さまざまな「思考の形」として並んでいました。展覧会が、いわゆる油絵や彫刻といった「作品」だけでなく、「思考の形」を提示する容器にもなり得る。その可能性に心惹かれました。文章には、それを記す紙や画面があり、文字の並びがあります。抽象的な考えにも、それが生まれる身体と言語がある。言葉になる前の肌感覚でさえ、温度や距離、光、匂いといった物理的な条件から逃れることはできません。人間の知性も、人体と切り離されて、どこか宙に浮いているわけではない。美術作品もまた、考えが形になったものの一つなのだと。そして、美術と非美術、理論と実践、精神と身体、中心と周縁。私たちが当然のように使う区分には、例えば中心が周縁を従えるような力の傾きが隠れています。その傾きを見つけ、別の関係へ組み直すための方法として、私はフェミニズムを捉えています。唯物論的フェミニズムに親近感を覚えているのは、意味や表象だけでなく、作品や言葉、身体、空間が置かれた物質的な条件と、それらが実際にどう働くかを考えたいからでしょう。


fig.4 第14回イスタンブール・ビエンナーレ「SALTWATER: A Theory of Thought Forms」で紹介された『Thought Forms』(アニー・ベサント、チャールズ・リードビーター、1901)[筆者撮影]

 

そして、展覧会を「こさえる」現場へ

大学院で理論と実践例を学ぶ一方、在学中には東京都写真美術館で1年間インターンを経験しました。長島有里枝さんの個展「そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」(2017)では、伊藤貴弘学芸員のご指導のもと、展覧会づくりの補助に入らせていただきました。

実際に自分で展覧会を立ち上げた経験が少なかった当時の私は、つい物理的な条件を見落とし、展覧会のコンセプトや作品同士の関係に意識が向きがちでした。しかし実際には、思想や理論も、空間、予算、時間、安全性、輸送、保全、そして多くの人の労働を通って、初めて展覧会のかたちになります。展覧会をこさえる人間は、物理的条件に立脚しつつ、考えを展開しなくてはいけないのだと痛感しました。

大学院修了後の2018年から勤務した横浜の黄金町エリアマネジメントセンターでは、大学院で考えてきたことを、実践のなかで試す機会を得ました。滞在制作(アーティスト・イン・レジデンス)を主とする同センターは、美術館とは異なる環境です。そこで、アーティストや地域の人々、建物、街の歴史、制度といったものが複雑に関係するなか、展覧会やプロジェクトをかたちにしていきました。とりわけ大きかったのは、複数の会場を使い、ときには会場自体を探しながら、新作の制作にキュレーターとして関われたことです。新作を依頼し、アーティストと一緒に、その作品が生まれる機会をひらく。新作がかたちになる時間をすぐそばで共有し、その機会に身を投じて一緒に楽しむ。これはキュレーターの仕事に許された贅沢だと思います。

この経験は、現職においても、現代作家とコレクションを掛け合わせる「ジャム・セッション」展などに活かされているように思います。既存の作品を集めるだけでなく、まだ見ぬ作品が生まれるための条件も含めて、展覧会をこさえる。私は、こうした背景をもって展覧会に携わっています。

この連載では、そんな人間が何を見て、何を考えたのかをつまびらかにしてよいそうです。何かの間違いで興味が湧いてしまったという稀有な方には、ぜひ次回以降もお付き合いいただければと思います。「前回の続き」というタイトルには、1回ごとにきれいに着地して終わるのではなく、よく言えば、開かれたままひとまず筆を置き、次のノートもまたその続きから始まるだろう、という意味を込めています。

今後ともよろしくお願いします。