村田真/原久子 |
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3/26-4/1 |
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蕗谷虹児記念館[新潟] |
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某誌の取材で新潟県新発田市の蕗谷虹児記念館を訪れる。市の中心部の公園に建つ記念館は教会風で、隣接する文化会館とともに内井昭蔵の設計。さて蕗谷虹児といえば、竹久夢二、高畠華宵と並ぶ大正ロマンの薫り高い挿絵画家。昭和30年代には絵本もたくさん描いているので、たぶんぼくも子供のころ目にしたはずだ。戦前にはパリに渡って本格的な画家をめざしたが、そのころの作品は洋画とも日本画ともつかぬ独特のもの。でも芽が出る前に家庭の事情で帰国して、挿し絵画家として一世を風靡することになる。パリで交流をもった藤田嗣治のその後の浮沈を考えると、フランスにとどまったほうがよかったのかどうか、わかりませんね。
[3月26日(金) 村田真] |
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歴史的建造物の文化的活用の可能性
3/28、4/3 1929ホール[神奈川] |
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BankART(バンカート)1929のオープニングプログラムのひとつ。バンカート1929はその名のとおり、1929年に建てられたふたつの銀行建築をアートスペースとして再利用しようという計画。このような歴史的建造物をいかに文化的に活用していくかを考えるミーティング。参加者は、セッション1は川俣正、アトリエ・ワン、構造設計や防災の専門家、セッション2は横浜の建築探偵団、大学教授、文化庁の関係者ら。2回とも横浜市の役人も出席。「歴史的建造物を残し地域の活性化を図るために、行政はアートを利用しようとしているのではないか」との川俣の挑発的な発言を、心にとどめておきたい。
[3月28日(日) 村田真] |
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a LIFE of EXPO
3/28 インターメディウム研究所、千里万博公園エキスポ・タワー跡地[大阪] |
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すでに取り壊された菊竹清訓設計によるエキスポ・タワーや岡本太郎作の太陽の塔をめぐって制作をしてきたヤノベケンジ。彼の教え子たちが企画したイベントが催された。70年万博から34年後のいま、まさにそのタワーの足元に近い会場で、同席していた五十嵐太郎や竹山聖もコントロールできない勢いでもってトークを炸裂させてくれた菊竹清訓。隣に座っていたヤノベも「酔いそう」という言葉を途中で発するほどのパワーに、オーディエンスもろとも飲み込まれた。トーク終了後、エキスポ・タワー跡地にて、向かい合った場所にいまもそびえる太陽の塔も使って、光と音のイベントが行なわれた(照明・映像/高橋匡太、サウンド/有馬純寿)。
[3月28日(日) 原久子] |
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遠山香苗展
3/29〜4/3 コバヤシ画廊[東京] |
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太く短いブラッシュストロークで、宝石のような透明感のある矩形を画面に浮遊させている。そこにオイルコンテで円弧を描き、色彩の矩形を画面につなぎとめている。いいですねえ。
[3月31日(水) 村田真] |
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山岸俊之展「天虫」
3/23〜4/3 ギャラリーGAN[東京] |
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山岸の埼玉の実家では昔、蚕を飼っていたそうだ。子供のころ蚕の繭を太陽にかざして黒い影が動くのを見たという。ところが最近、繭は光を通さないことに気づく。だったらあの黒い影はなんだったんだろう。それが「空耳」ならぬ「天虫(そらむし)」のゆえんだそうだ。
[4月1日(木) 村田真] |
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高畠華宵
4/1〜4/21 美術館「えき」KYOTO[京都] |
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少女も少年も同じ顔をしている。高畠華宵の挿絵は、少女たちを家出に駆り立てるほどの人気をはくした時期があったという。そこまでカリスマ的な絵描きは今はいない。人々が憧れる要素をすべて満たすものがその絵にあったのだろうか。「御殿」と呼ばれるような豪邸でのゴージャスな生活から、やや寂しい晩年まで、高畠自身のプライベートな生活のエピソードなどを知るにつけ、絵にも興味が湧いてきた。少年は決してマッチョではなく気高くしなやかに描かれていた理由もわかった。
[4月1日(木) 原久子] |
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