村田真/原久子 |
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11/12〜11/14 |
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incubation 06
11/3〜26 京都芸術センター[京都] |
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見てから3週間後、思い出しながらこれを書いている。北川雅光と柳澤顕は絵画だがどちらも色味に乏しくさみしかった気がする。山村幸則のインスタレーションはダイナミックでよかったという記憶はあるものの、どんな作品だったか忘れてしまった。逆に、校舎の凹んだ場所に展示したアンドレアス・ゲオルグ・クレシグの映像インスタレーションは、なにがやりたいのかわからなかったけどよく覚えてる。いろんなタイプの作品があるもんだ。
[11月12日(日) 村田真] |
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中ハシ克シゲ展 ZEROs
9/30〜11/12 滋賀県立近代美術館[滋賀] |
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ゼロ戦のプラモデルを接写し、そのプリントを貼り合わせて実物大のゼロ戦に復元するプロジェクト。完成された作品より、制作過程で多くのボランティアと交流し、展示後ゆかりの地で焼却するまでのプロセスが重要というが、単なる観客からすれば作品形式のほうに目を奪われる。プラモデルは実物の約30分の1というから30センチ程度。その表面を2ミリ×3ミリずつ接写して25000枚ものサービス版プリントに焼き、立体的につなぎ合わせていく。だから復元されたゼロ戦はサイズこそ実物大だが、表面は30倍に拡大されたプラモデルであり、中身のないヘナヘナのハリボテなのだ。この拡大された立体写真は、存在としてはプラモデルと本物のゼロ戦の中間に位置するはずなのに、プラモデルと実物とのギャップ以上に両者から隔てられているのが興味深い。このユニークな存在形式こそ、たとえば糸崎公朗の「組み立てフォトモ」や、デイヴィッド・ホックニーの「フォト・コラージュ」との違いだろう。ゼロ戦をはじめとする戦闘機を使ったり、ゆかりの地でボランティアと共同制作したり、焼却するまでのプロセスを重視したりするのは、いやな言い方をすれば「違い」を際立たせるための戦略に思えてならない。
[11月12日(日) 村田真] |
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快走老人録
9/16〜11/15 ボーダレス・アートギャラリーNO-MA[滋賀] |
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初めて近江八幡の駅に降りる。ボーダレス・アートギャラリーは古い民家を改装したアウトサイダー・アートの専門ギャラリー。ここで7人のジーサンバーサンが快走というか暴走・爆走している(ほんとは「暴走老人録」というタイトルにしたかったのではないか)。第2次大戦中に噴火した昭和新山を記録し続け、日本画に描き起こした三松正夫、横浜のドヤ街で日雇いをしながら、60歳のころ突然頭に被りものをつけてパフォーマンスを始めた宮間英次郎、50歳のころから40年以上、記憶のなかの情景をほとばしるように描き続けた塔本シスコ、ノートにボールペンと色鉛筆で克明に絵日記を描いている上岡安胤……。一般的にいえば「こわれた老人」になるのかもしれないが、そうせざるをえない衝動が老人になって芽生えたことに共感を覚える。ぼくもそういう年になってきたもん。
[11月12日(日) 村田真] |
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クリーブランド美術館展
9/9〜11/26 森アーツセンターギャラリー[東京] |
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見たかったのはモネの《赤いスカーフ、モネ夫人の肖像》と、ゴッホの《サン・レミのポプラ》。《赤いスカーフ》は、ガラス戸越しにカミーユ夫人が振り返っている光景だが、画面を反復・分割するようなガラス戸の矩形といい、ほとんどモノクロームの雪景色に映えるスカーフの赤といい、モネの最高傑作のひとつに数えてもいいのではないか。《サン・レミのポプラ》は大原美術館所蔵のゴッホの贋作の元ネタとなった作品。ぼくにはとっても思い出深い。
[11月14日(火) 村田真] |
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ビル・ヴィオラ:はつゆめ
10/14〜1/8 森美術館[東京] |
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もう30年以上も前に初めて見たときはとても新鮮に感じたけれど、いま見ると退屈でしかたがない。作品はそれほど変わったように思えないので、たぶん映像作品(昔は「ビデオアート」だった)に対するぼくの忍耐力が衰えたせいだろう。
[11月14日(火) 村田真] |
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スーパーエクスタシー 至福への旅路
10/28〜11/24 神奈川県民ホールギャラリー[神奈川] |
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たまたま県民ホールの前を通ったらこんな展覧会をやってたので入ってみた。横浜へは週2〜3回は行ってるのに、しかも美術情報の入りやすい環境にいるのに、半月も前からこんな展覧会が開かれてるなんてぜんぜん知らなかった。作家の自主企画展ならいざ知らず、神奈川県民ホールの主催事業だぜ。これはもう宣伝がヘタとかサボってましたとかいうレベルではなく、わざと隠してたんじゃないかとさえ思えてくる。実際、大枚700円払って見てみると、これがなんとも不可解なシロモノ。出品作家は三澤憲司、野村和弘、塩崎由美子ら(あとは工芸系)計7人で、それぞれ「春の雪」「兆」「追憶」などくさいテーマが掲げられているのだが、いったいなにを伝えたいのかわからない。チラシには「展示室を巡る(旅する)ことでストーリーが展開し、『至福の境地―ースーパーエクスタシー』へたどり着く構成となります」ってあるけど、これを見て「スーパーエクスタシー」に達するとしたらよっぽどの変態だ。だいたいぼくが見ているあいだ、監視のおばさんを除いてたったひとりの客にしか出会わなかったが、どうやらその人もスタッフらしい。つまり観客はぼくひとり。
[11月14日(火) 村田真] |
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