小吹隆文/福住廉 |
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揺らぐ近代ー日本画と洋画のはざまに
1/10~2/25 京都国立近代美術館[京都] |
日本画が明治時代に作られたジャンルということはすでに知っていたが、本展ではその成立過程が生々しい臨場感をもってドキュメントされており、非常な驚きと興奮を覚えた。日本画と洋画は文展を機にジャンルとして固定されていくが、美術家サイドでは、むしろ両者の溝をいかに埋め、新時代の表現を構築するかが希求されている。その事実を知るにつれ、歴史的存在である彼らがぐっと身近に迫ってくる。当時も今もアーティストの理想にさしたる差はないのだ。相違点があるとすればただひとつ。テクニックに対するこだわり。改めて、昔の画家の上手さに感心した。
[1月17日(水)小吹隆文] |
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城戸みゆき ひかりのさす箱
1/12~21 ギャラリーはねうさぎ[京都] |
ボール紙に和紙を貼って作られた小さな家が並んでいる。切妻、入母屋、モダン建築風……、屋根の形はさまざまだ。家には光取りの穴やスリットが開けられ、1カ所にレンズがはめ込まれている。手にとってレンズ越しに中を覗くと、そこには別世界のジオラマが。一瞬にしてイマジネーションが増幅され、脳内に広大な空間が広がっていく。手の上にもうひとつ別の世界が収まっているのだ。これぞまさしくアメイジング!
[1月17日(水)小吹隆文] |
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コミカル&シニカル 韓国と日本の現代写真/二人の女性のディレクターから見た一側面
1/17~31 ドーンセンター地下プール跡[大阪] |
日韓それぞれ8名の若手作家を紹介している。テーマは日常、家族、結婚、同性愛、社会問題などさまざま。そこに笑い(爆笑、冷笑、微笑など様々)という要素を加味することで、それぞれの差異よりも共通性に目が向くよう意図されているようだ。会場のプール跡地は本来展覧会には不向きだが、各人のスペースを贅沢に取ったり、展示に高低差をつけることで逆に個性を打ち出す事に成功した。また、日本人作家の多くがインスタレーション展示なのに対し、韓国人作家は主に組作品だったのも印象的。彼らにとっては海外展なので、あえて点数を絞ったのかも。
[1月17日(水)小吹隆文] |
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太郎のなかの見知らぬ太郎へ
10/18~1/21 岡本太郎記念館[東京] |
岡本太郎の収蔵作品を見せる展覧会。従来の「太郎的なるもの」を再生産してしまう悪循環から逃れるために、作品の選定から壁面の色指定にいたるまで偶然性に委ねたという企画方針に特色がある。けれども、企画者の主観性を排したという展示構成は、出品された作品がどれも似通っていたせいか、結果としてどうしょうもなく「太郎的」であった。偶然性を導き出すための手法として収蔵作品のインデックスを2階からばら撒いたというが、いっそのこと作品そのものを2階から放り投げて、庭に点在する太郎の絵画を見下ろすという見せ方のほうが、これまでにない太郎を再発見できたのではないか、と夢想した。
[1月17日(水)福住廉] |
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石山朔 o sole mio
1/5~1/17 BankART NYK[神奈川] |
1921年生まれというから、今年で86歳になる石山朔の大規模な個展。高い天井の広々とした空間を存分に使って、抽象画を見せている。500号の巨大キャンバスがいくつも立ち並ぶ光景はそれだけで壮観だが、とりわけ鮮やかなレインボーカラーによるドロッピングとストライプの画面構成がひときわ強烈な視覚経験をもたらしている。このような作品を抽象画の正統に位置づけることは、たしかに必要だ。けれども抽象画に取り組みつつも、一方で長編小説を出版し、(頼まれもしないのに)カンツォーネを披露し、フラメンコも楽しむという生活を生涯にわたって続けてきている、その生き方を見る必要もあるのではないか。そしてそうした芸術のある生き方と抽象画が決して矛盾しているわけではないことを、ひとつの全体としてとらえる視座をこしらえることこそ、批評の課題である。
[1月17日(水)福住廉] |
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