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末安美保子展
2/3〜23 ギャラリー開[兵庫] |
1988年以来パリを拠点に活動している末安。作風は明るい色彩の抽象絵画だ。有機的なタッチの線、配色の妙、画面の一部に現れる幾何学的形態が美しいハーモニーを奏でており、まるで心地よい音楽を聞いた時のような満ち足りた気分にさせてくれる。彼女は短歌の制作も行っており、絵から滲み出る音楽的センスにはそちらからの影響があるのかもしれない。本人の言葉「短歌の定型は制約ではなく、様式ゆえに自由に表現できる」がそのまま当てはまる作品群だった。
[2月3日 小吹隆文] |
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Violet かなもりゆうこ展
2/3〜25 CAP HOUSE[兵庫] |
紫、赤、緑、3つの光がそれぞれの部屋を満たし、各室で映像インスタレーション《Violet》《telepathy》《calendrier》が展示された。作品はいずれも散文詩の世界。小さな波紋がささやかな印象を残したと思ったら、泡雪のように消えていく。長年活動を共にする納谷衣美、とざきまなみらとのコラボレーションが作り出すゆったりした時間の流れが愛おしい。一見シンプルな作品だが、ディテールに至るまで細やかな気配りが行き届いている。それが彼女の作品をよりかけがえのないものにしている。
[2月3日 小吹隆文] |
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京都府美術工芸新鋭選抜展2007
2/1〜15 京都文化博物館[京都] |
ニューカマーのチェックや見落としていた作家の確認のため、毎年出かけている展覧会。ただ近年残念に思うのは会場と作家数のミスマッチ。詰め込みすぎて作品の魅力が相殺されているのだ。出品者数を減らすか、別フロアも使って展示面積を増やすことを検討して欲しい。せっかくの機会を生かさないのは、美術館、出品者双方にとってももったいないことだ。
[2月6日 小吹隆文] |
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渡辺大祐写真展「PHOTOGRAPHERS」
2/9〜20 ギャラリー176[大阪] |
渡辺はモータショーなどでキャンギャルに群がる写真マニアの人々を撮っている。写っているのはほぼ全員が男。異様な形相でファインダーを覗く人、眼鏡がずれても無頓着な人、汗をかいてる人、オタクっぽい人、やたら幸せそうな人……。彼らの隙だらけな姿は爆笑を誘う。しかし、よく考えるとこれはわれわれ自身の姿でもあるのだ。コンビニで立ち読みしてる時、自分もこんな表情を浮かべてるのかもしれない。そう思うと彼らの一生懸命な姿を単純に笑えなくなる。単なる覗き見趣味に終わらず、人間への愛憎が半ばしている点に本作の妙味がある。
[2月9日 小吹隆文] |
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中村宏|図画事件 1953−2007
1/20〜4/1 東京都現代美術館[東京] |
挑発的なタイトルに違わず、非常に充実した内容の企画展だ。この巨大な美術館の企画展としては小規模な展示構成といえるが、必要な作品を必要な空間に展示しているため、物足りない印象はまったくない。むしろ質実剛健な展示は心地よくさえあるし、図録も地道で堅実な調査研究の成果が現われており、読み応えがある。コマーシャル画廊に「おんぶにだっこ」で作品をかき集めたような不埒な企画展が目に余る昨今(いったい何を「研究」したんだろう?)、珍しくも良質な企画展といえる。
会場には、50年代の「ルポルタージュ絵画」から「観念芸術」「観光芸術」、そして絵画への自己言及的な絵画へといたる中村宏の画業の変遷が、一つひとつ丁寧に順を追って展示されている。それはルポルタージュの対象が社会的な出来事や事件から次第に家族や自己へと反転していき、そして「絵画」そのものへと帰着していくプロセスを追体験するような経験だ。この変容の過程じたいは、戦後前衛芸術家たちの多くが歩んだ典型的な道のりといえるが、前期と後期の作品を見比べてみると、絵の存在そのものを事件としてとらえた作品よりも社会的な事件を取り扱った作品のほうが圧倒的に面白いことがよくわかる。それは《砂川五番》や《国鉄品川》、《射殺》といった作品が実際の事件を直接的なモチーフとしているからだけではなく、視覚的なデザイン性の面でも、初期から中期にかけての作品のほうが優れていると思われるからだ。広角ワイドレンズのような画面構成やモンタージュなどの映画的技法の導入、ダイナミックでありながら緻密な描写力、セーラー服の少女や眼鏡男といった「キャラ」の登場など、ルポルタージュ絵画を構成する要素はさまざまだが、それらを規定する時代的な背景を鑑みたとしても、古色を帯びているとは到底思えない。平たく言えば、いま見ても「かっこいい」のである。これは、たとえば同じように社会的な事件を絵画によってルポしようとした山下菊二の作品にはそれほど強く見受けられない、中村宏の大きな特徴だ。
新左翼が失敗した要因のひとつは、おそらくその審美的な側面があまりにも大衆の基準からかけ離れてしまったところにある。いかに主義主張に正当性があったとしても、ださい運動には参加したくはない、正直な話、これが民衆のメンタリティである。言い換えれば、革命は美しくなければならないし、面白くなければならない。中村宏のルポルタージュ絵画の魅力は、民衆のそのような潜在的無意識や欲望をありありと浮き彫りにするところにある。民衆にとっての「事件」は、それがなくてははじまらない。
[2月9日 福住廉] |
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