小吹隆文/福住廉 |
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8/7〜8/12 |
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ウィル・ローガン 奥村雄樹 everyday
7/13〜8/11 MISAKO & ROSEN[東京] |
森美術館の「笑い」展に参加したウィル・ローガンと批評も手掛ける奥村雄樹の二人展。鏡を背負ったまま原付を街中に走らせ、それを後から映像で撮影することによって、鏡の中の風景が退いていく様子をとらえたローガンの作品や、数字がプリントされたTシャツを街中で撮影して、それらをもとにカウントダウンするかのように編集した奥村の映像作品など、双方にとっては日常的な経験が共通項となっていたようだ。それが現代にアプローチするための手がかりであることは重々承知しつつも、しかし気になるのはそのスタンスだ。Chim↑Pomのように全身で社会へ飛び込むわけでもなく、泉のように終始個人的な次元にとどまることによって逆説的に社会的な吸引力を発するわけでもなく、個人的なスタンスを軸足にしつつも、一方で片足を社会的な空間へ伸ばそうとする態度は、ぼくらがふだん繰り返している日常的な振る舞いとなんら変わりがない。それはたしかに日常の「ちょっといい話」にはなるかもしれないが、それ以上でもそれ以下でもない。日常を芸術的な視点からとらえ返す作品に通底しているのは、アートフルな立場をすでにあるものとして自明視してしまっている点だが、歴史的な根拠も技術的な工夫もなにもないまま日常を作品化しようとしても、それは端的に日常の延長にすぎない。アートレスな状況のなかからアートの価値を生成させようとするのであれば、それはアートフルな立場を無邪気に信じるのではなく、アートレスな日常のなかでもがき苦しむ己の身体からそれをえぐり出すほかないだろう。アートだろうがなんだろうが、痛みがなければなにも生まれないのは当然ではなかったか。
[8月7日(火) 福住廉] |
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冬耳展“flesh cluster”
8/7〜19 ニュートロン[京都] |
人体やその部位(筋肉、骨格、脂肪など)から想を得たフォルムと、うねりや流れを強調した色彩により構成される冬耳(ふゆじ)の作品。特に大作は、フォルムと色彩のせめぎ合いが遂には巨大なバイブレーションそのものへと昇華しており、圧倒的な迫力がある。本展でも130号のキャンバス3枚を連ねた横幅約5メートルの作品を出品し、真骨頂を見せつけてくれた。視界が作品に覆われた時のクラクラする感じがなんともたまらない。
[8月7日(火) 小吹隆文] |
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我が文明 グレイソン・ペリー展
4/28〜8/31 金沢21世紀美術館[石川] |
噂の展覧会をやっとこさ拝見。すでにさまざまなメディアで紹介されており、なにを言っても今さらだが、やはり斬新な作品だった。幼少時代からのプライヴェートな体験から社会的メッセージまで、一個人に宿る混沌が陶芸というトラッドな造形の上で展開されているのだから。内面を吐き出す表現でありながら作品が汚らしくならないのは、技術が確かだからだろう。会場の金沢21世紀美術館は相も変らず大入り状態。性器や緊縛シーン満載の作品もあるのだが、それらに親子が見入ってる姿は、ある意味作品以上に斬新だった。
[8月12日(日) 小吹隆文] |
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