休館日
芝の養生のためにあった囲いロープと杭が外されて、妙にスッキリと見えた休館日の芸術館の庭。学芸員室ではしゃかりきになって、次回展覧会の準備が繰り広げられているが、その部分は外からでは見えない。明日で1月がもう終わり、今年も1/12が終わった。
29日に撮影したデータをうっかり消していたことに気づく。手帳にデータ番号だけが撮影日の欄に残る。ふー。毎度のことながらちょっと残念。それなりに良い写真が何枚かあったのに。
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芝の養生のためにあった囲いロープと杭が外されて、妙にスッキリと見えた休館日の芸術館の庭。学芸員室ではしゃかりきになって、次回展覧会の準備が繰り広げられているが、その部分は外からでは見えない。明日で1月がもう終わり、今年も1/12が終わった。
29日に撮影したデータをうっかり消していたことに気づく。手帳にデータ番号だけが撮影日の欄に残る。ふー。毎度のことながらちょっと残念。それなりに良い写真が何枚かあったのに。
駅で見つけた次回展のチラシ。早い早い。印刷上がり発送手配を考えるとタイムラグなしで並んでいる。ちょっと感動!
招待状の発送作業。
羽化したばかりのギンヤンマがオニヤンマのヤゴの餌食に。なんということでしょう。
あっと言う間の出来事でした。
会場下見中の日比野克彦氏。場所は3月17日グランドオープンする京成百貨店7階催事場。
1時間ほどの下見の後、さらさらとプランを図に書き起こす日比野克彦氏。
定番の「芸術館」。
終日、芸術館で午前中会議、午後は書類・テキスト書き。めずらしく頭が痛くなり薬をもらって飲む。と書くほどに日頃薬を口にしないので、飲んだ途端に効いたように思えるほど楽になるも、そそくさと帰宅。なんと痛みに弱いことだろう。さすがに自分のことなので、今知ったことではないけれどね。イタイのはダメです。はい。
そんな薬を飲む前に、アタマ痛いので気分転換にショップに行く、と、ショップでTAPインターン生の一人と遭遇。立ち話しながらフォーラムのことや報告書のことやそれに参加できる僕の日程を伝えつつ、もろもろ託す。
何事もマンネリ打破が肝要で、新機軸が必要だけど、それが必要だと突拍子もなく聞こえることを言い出すと、時には傍若無人な振る舞いや暴言のように受け取られたりもするが、その時に聞いた人がそんなバカなとおもいながらおもしろがって興味をちらっとでも示してくれたOK。それくらい大風呂敷で意欲的な新しい立ち位置でコトにあたらないと、する側も見る側もそして参加する側も盛り上がらない。
活性化のために必要な人材として「若者・馬鹿者・余所者」と呪文のように口にされることが多いけど、どっぷりの当事者自身がそれが出来たら一番の改革だし、説得力もあるのだろうにと思うのです。でも、でもです、余所者ゆえに出来ることが/もあるのはこれまた確か!
話を戻すけど、持ち帰った彼が伝えた何某かが、間接的にでも、彼ら自身が感じているマンネリ感を払拭するためのアプローチのキッカケを掴んでくれた面白いと思う。
たぶんに企画の根っこは、なにがしの「面白い」がエンジンにないとならんだろうとは確信している。そのためにも元気でいないと、心身共に。明日は頭が痛くありませんように!
日没。冷たい強い風が吹いた1日。お陰で富士山がくっきり。
別側から見える湖面は風で波立ち、色が変わっている。
風の強さにブルーギルも驚いていることだろう。たぶん。
そんな湖面下の魚以上に驚いて手にしたのが「号外」。
夕方都心に出かけての帰り、有楽町駅に向かう途中、「逮捕」の二文字のおどる号外をみる。
知り合いに電話したら、『特番組んでの放送で、追っかけのヘリコプターまで出てのリポート』と聞いて、さらに驚く。
駅に並ぶスポーツ紙の見出しに「出頭」の文字をみたのが数時間前。
社会的事件の展開の早さに、いろんな意味で驚く。
このあとはどんなことに驚くことになるんだろう。
一夜明けて快晴。昨日はこんな感じ。
予定を昨日のうちにキャンセルしているので、終日自宅。ゆっくり目の起床。で、髪を切ることを思い立つ。電話をすると運良くキャンセルがあり夕方に予約がとれる。昨年は3ミリの坊主頭にしていて、秋になって伸ばしはじめてからは水戸駅の1000円カットで済ませてきた。切り終わると掃除機(つまり吸い取りですね)を頭にされる。10分と早いのはいいのだが、2回行き、収拾のつなかい髪型になってきていたので、そろそろと思い以前にお世話になっていたお店でシャンプーとカットをしてもらう。なんとも至福のシャンプー、要領を得た気の利いたカット。満足。
基本は、まだお隠りモードでPCの前の人であらねばならず、髪を切りに出たのも気分転換を兼ねて。(でも昔より髪の毛の都合で、選択肢が減ったのが悲しい。)
にもかかわらず、さらに日中は、長期模様替え計画の2回目を敢行。書棚1本を移動。床やテーブルにあふれ出した本のために書棚を注文する。到着は1週間ちょい先。
それでも雪が全て消えることはなく、まだまだ残っていて街が白い。
センター試験日に、お約束のように雪。ふしぎなものだ。
明日は晴れるかもしれないけど、クルマを出して予定する千葉方面に走る気にならず、そそくさと午前中にキャンセルの電話を先方にする。もうこれで、天候によってどうするか悩まなくてすむ。
地震はなかったけど、11年目の17日は証券界が揺れた。ホリエモン・ショックも一服感。
にんじんを頂く。ジュースにするための特約農家生とのこと。
芸術館前の京成デパートが50号の反対側に3月に移転するために、閉館セールを始めた。
新しい店舗は、近隣では最大の売り場面積とのこと。
オープニングの企画として日比野克彦さんに何かしてとお願いする京成との窓口をしている。明日に予定してた会場下見は、日比野さん都合で27日に延期。
日の出前に赤く燃えるまだくらい空。
昨夜も遅い帰りのためブログの更新はせず、チェックだけで早々に寝た。お陰で続いた睡眠不足も解消されたようで、目覚ましもかけていないに5時台に目を覚ます。久しぶりに太陽が顔を出すのを待つ。
終日、芸術館。朝、手帳を見直して、忘れていた要件やしないとならないことをきっちり思い出す。館には、ポスターの再校が届いていたり、チケットの校正が上がっていたりする。
夜は昨年ながれた忘年会の仕切り直しの新年会。終電に揺られて帰る車中、思い出し気になったことを忘れないうちにと長々と書いてメールしたりもするが、基本的にはうつらうつらしながらの帰還。
写真集のカバー、表紙まわりの色校を確認する日比野克彦。明日は本文写真ページの色校が出る。
この日は館を休んでの東京。
一つめの目的は個展。原宿最寄りのリトルモアを訪ねる前に表参道から青山学院大学に向かう方にあるギャラリーGANにて「峯村敏明作品展—響きと照応—展」(1月21日まで)を見る。そこからスパイラルにより、ミッキーマウスの展覧会場でひびのこずえさんの作品に遭遇。永井さんも出していたな。ついでにNADIFFにも寄る。
ランチはピザ。携帯に電話が入り、しばし中座。チーズのとろけ具合の一番良いタイミングを失し、ちょっとだけ残念な気持ちになるが、それでも美味い。ワインが飲めないのが残念。
本命は、日比野克彦展に伴走して写真をとりつづけてくれたフォトグラファーの竹内裕二さんとの会場下見。リトルモアの地下で、「写真集」の刊行にあわせて記念写真展をすることになり、その会場プランのための下見。日比野さんと3人でしばし協議。1時間ほどでなんとなく案が出てきて、それの実現性を探る方向で準備することになりそう。さてどうなることでしょう。
銀座に移動し会議に出る。続く新年会への移動の間に、バーゲンで靴を速攻買いし、気分転換。3つめながら大本命の「新年会」は予定していた顔が揃わず、「新年会」としては成立せずお流れ。しかし気分は新年会のまま6人で蕎麦屋で鍋を食す。特急の時間で帰路。
美味しいものでも食べられなくなった自分の年(躰)に出会って新年早々がっかり。満腹のまま早々に床につく。
霧島アートの森でのオノ・ヨーコ作品の見分を閉館時間の5時に終える。
鹿児島空港に戻る道すがらにある南州館にある3湯のなかのひとつ「竹の湯」のドロ湯を体験。脱衣所の脇は湯船。その無造作なまでの構いのなさに、はじめにお湯ありき、それも豊富なお湯あるきなんだろうなと思わせる。華美でも質素でもなく実利的。
湯船の底には確かに泥。お湯も本当にバチャバチャしちゃうと濁った泥水になる。
しっかり温まり上がった頃に、山仕事を終えた軽トラのお父さん(ま、おじいちゃんたち)が銭湯状態で出かけてくる。一湯200円はお値打ち。
僕にとっては「アートと温泉」のゴールデンコンビの南の横綱。ほかほかした躰で一路空港に向かい、最終便に乗り夢見の人となる。
永井英男「おもいっきり、笑月」展。IMZビルB2・イムズプラザ
久しぶりに(2004年のカフェイン水戸に出品してもらった)懐かしい、ジャント馬場やブッチャー、体操の先生の作品を見る。明日が搬出日=今日が最終日ということもあり、福岡入りしていた永井さんと胡麻サバ定食ランチを食し、彼が見つけて気に入っているという落ち着いたカフェでお茶しながら四方山話。IMZのご担当者の方がにお目にかかり御挨拶をした後、赤坂地区のネットで予約した室料50%OFFのホテルに荷物を置き、お湯に浸かる。
しゃっきとしたところで、雨の降りが本格化した福岡市内をタクシーで移動。天神地区の「しまげい」勉強会の会場に向かう。会場はアジ美の上のホール。基調報告者である横浜トリエンナーレのディレクターを務めた山野真吾氏と打ち合わせ。
あと20分で開始というのに、今日の招聘窓口でもあるミュージアム・シティー・プロジェクトが運営する、B2地下のギャラリーアトリエに移動し、開催中の「通りと広場2—路上からの挑戦—」を見る。案内してくれた徳永氏に促されて会場に戻る。
いざ始まると、さっきの打ち合わせは何処へやら。僭越ながら司会者として強引に話の途中に介入し質問を挟み込む。終了後は藤さんや若い作家たちを交えて10数人で居酒屋へ。場に居る関係者の和み方や楽しみ方に、先ほどの会もそれなりの会になっていたようだと感じられて一安心。気心知った仲間の中で、ぼーとのんびり、判断と思考を停止する夢現な夜となる。
雨が上がり、快晴であたたかな1日。遅延する電車を待つホームにて。
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校正が届く。確認をしつつ、夕方までに戻す。
今日も終日、台割りつくり。全ページの台割り案を確定させて、見積もり依頼のための書類をつくる。その一方で、前半部分の図版ページが、取り敢えず入れただけとは言え、写真が入ったものがメールでデザイナーから届く。
なるほど、こんな感じか〜。トリミングのためのフレームの縦横比率の一考をお願いし、さらに複数枚の写真と文字が入る構成ページの段組の探りをお願いする。
どうにか図面に当たる基本の台割りが完成。手直ししつつ、必要な文字原稿の確認と調達、執筆をしないと。やっと登山口に差し掛かったところ。
しかし、明日から出張が続く。明日は福岡で翌日が鹿児島霧島アートの森。一旦帰宅し、翌日は東京。1月も折り返し点を過ぎ、あっと言う間に2月。これまた2月は数日少ないだけにもかかわらず、やけに短い感じが毎年する。2月中下旬には再度、霧島アートの森に。その時は、作品を借りてくる。
ポスター等の戻しは明日、再校がもう一度出る予定。もう少しで「人間の未来へ」展もカタログの進行がぼちぼち始まる。
気づいてみると数冊同時進行中。でも一番は「日比野克彦の一人万博」展の記録集の編纂。リトルモアから出版される同「写真集」は2月中旬配本予定。「記録集」も下旬には何とかしたいところ。ね、やっぱり2から3日短いことが大変な意味を持つ。今回は覚悟してPC持ち歩きの巻のようにも思うけど、出来たためしがない。気休め保険としても良いけど、台割りは持ち歩き、必要な文字要素を考えて下準備だけはしておかないと。
久しぶりに強い雨が降る。霞む画面が雨の強さを示す。ライトアップは1月15日(明日)まで!
今月は土日当番勤務が3週末連続(22日はお休み)と過密に集中する。これも当番日を交代しあってやりくりするため。基本は5週に1回。
記録集のためのテキストを書いたり、それにまつわる諸々をして終日過ごす。忙しくも穏やかな1日。
帰り道、駅のホームで屋根にあたる雨音を耳にしながら、「音で見る」意識を思う。理由はハッキリしている。第20回平行芸術展「崩落の記譜法」展のカタログに峯村敏明先生のテキストを日中、目にしたためだ。昨日の最終講義でも「響き」がテーマになっていた。
11月19日に書き上げ寄稿されたテキストでは、軽く触れる程度で終わっている。以下がその下りである。
『—— (前段略)——
もちろん、美術作品は見られるべきものである、と、一応信じられているから、食い違いの度合いは少ないように見える。私はちょっと違う考えをもっていて、視覚芸術といえども、見るだけでなく、響きと照応を感じることができなければ大した鑑賞にはならないと思うのだが、それを言い出すと話が込み入ってしまうので、ここではそうした「感じる」も「見る」のうちに含めることにして、“一応”、美術作品とは見られるものとして特化されている、ということに同意しよう。
しかしながら、見られるべき美術作品を、私たちは本当に見ているのだろうか。(以下、略)』
とある。
控え目ながら、一言申し添えておきたいとする強い意志を感じさせる。これ以降は、崩落について、マネを主題に論を進めていき、「響き」のことはまるで忘れてしまったかのようになっている。
しかし、この一文にここまで自分が反応するのも、最終講義を聴いたからである。この続きを読むか、聞くかできる時が、遠くなくあるといいなと想い願う。
その前にまだいけていないギャラリーGANにて1月21日まで開催中の「峯村敏明作品展——響きと照応」展(あれ、そのままが展覧会タイトルになっている!)に行かないと。
明日は、次回展「人間の未来へ——ダークサイドからの逃走」 (2006年2月25日(土)→5月7日(日) 、企画:逢坂恵理子(水戸芸術館現代美術センター芸術監督) フォトジャーナリストの写真と、彫刻、映像作品を組み合わせ、混沌とした今日の世界における「人間の尊厳」を問いかける展覧会。 米・英・韓・日等から13人のアーティストが参加。)のポスターの校正刷りが届く。
峯村敏明教授の最終講義風景。
70歳の誕生日(13日)を迎えた峯村芳明教授。退職記念パティーでの挨拶シーン。
ランチの帰り道。左奧の紅白の塔がNTTの電波塔(のはず)。この塔のお陰で芸術館の塔は照明灯(ランプ)なしですみました。いまさらながら感謝です。
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レッドが眩しい。なんとも潔いど真ん中な表記の表紙。一言「おしまい。」とは!
幕を閉じる(廃刊する)ことへの強い言葉にしえない思い(意志)を感じませんか。
『アイデア』の2006.1号314をミュージアム・ショップでみつけて買う。
グラフィックデザインとタイポグラフィの雑誌エミグレ(Emigre Magazine)の特集。創刊1984年。写真は2005年冬、最終巻号69号の表紙。
僕は、今日も記録集の編纂作業。これはまだまだ終わらない。
でも別進行の展覧会のポスター等の入稿は完了し、15日に色校着予定。
明日は、午前中「記録集」のためにカメラマンとデザイナーと渋谷で打ち合わせの後、美術評論家・峯村敏明氏の大学での最終講義の聴講に行き、あわせて八王子でのパーティーに出席。
そう言えば、その司会をすることになっていた。スーツじゃなくてもいいですよね。マズイかな〜。
テーブルを広くすると広くした分、本やら書類やら増える。あの法則で部屋(事務所)を広くしたら仕事が増えるのではと考えた建築家がいて、その気付きを寄稿しているのを読んだことがり、それなら試しに手帳を大きくしたらどうだろと、昨年から大きくしてみました。今のところ目立った変化なし。書き込みスペースが増えて便利ただけはしてますが、その他効果の程の実感はなし。
このことで確かに!と思ったのはおズボン。ちょっとだっぶとしたデザインのズボンをこの間お気に入りで愛用していたら、すっかり躰は育ちました。で、スーツが………ちょっと小さくなってしまいました。だからなんです、ぼやいているのは。
それから一つ、ちょっと真面目な情報。
【ネットTAM メールニュース】20号が配信されてきました。タイムリーで秀逸な特集がありました。「指定管理者制度」のリンク集。」です。
この新しい運営方式が功を奏するのかどうか、文化事業にとって丁半決まるのは、早くて3年、長くて5年後。さてどうなることでしょう。いろいろと終わっていたり、終わらなかってみたりするのでしょう。それにしても、適正な文化施設の運営イメージとはいったいどんなものなんでしょう。そのイメージの獲得と共有、そのリレーが一番難しいことかもしれません。
なんだか、ハードだけではなく、ソフトに関してもスクラップ・ビルドを繰り返して、どうしてもインターナショナル・スタンダードの一線を突破できずにいる気がしてなりませんね。
タワーの影で残る霜
午前中は部門会議。
午後は資料集編纂のために集中。
次回展の広報物のデザインアップを待って終電。
自宅に戻ってキャッチボール再開。
明日には入れないと!
雲が少しかかってしまっているけど青空に月、その上を旅客機が横切る。
朝は雪がちらついたが、午後には青空。かつて関連企画として日中、青空のなかにダイヤモンドのようにきらめく星を見るプログラムを実施したけど、本当に美しかった。
後で講師をお願いした佐治晴夫先生にお聞きしたら、成功率はかなり低いものらしく、当日はプログラムが終わりしばらくしたら土砂降りの雨。今思い返すになんと「強運」が味方してくれたことだろう。「運」が加味されないと、ならないことも多いよなと思う。
でも、愚かと言うべきかも知れないけれど、その時の僕は見たこともないのに、とにかく美しいものが見える成功イメージしかなかった。ビジョンをもってイメージを見た者が強いのだ。難しいのは、ビジョンを獲得し、イメージを掴むことだと思う。
館としては昨日の成人式に開館していたので振り替え休館。当番出だったスタッフはお休み。他のスタッフは普通にお仕事。しかしメンテナンス工事が入っていて揮発系の匂いに苦しむ。
4−5−6とお休みをつないで昨日の成人式まで年末年始休暇だった人たちから、今日が仕事始めとばかりに、連絡をもらう。成人式も終わり、1月がはじまった。成人式が旧正月の15日だった時代が何となく懐かしい。その旧正月にあたる今週末は当番出。
日没前。
今日も外に出ることなく過ごす。書斎から抜け出ては、模様替えをしたり、テレビをみたり、ぐずぐずして日中を過ごす。
年末の大掃除をしなかったこともあるけど、思い立って長期的な模様替えを視野に少しばかり家具や本を動かす。それでも気分はかなり変わる。
そしてテレビでニュースを見る。
30億のプライベートジェットを購入し、年間2億円の維持管理を負担するITで成功した社長のニュースに、いろんな意味でスゲーとおもい。
そのあとに続く、6千万の借金のために生後間もない罪もない赤ちゃんを誘拐した犯行に悲しくおもい。そして大雪の尺の長いニュースを見て過ごす。
大雪で道が閉ざされ陸の孤島になってしまった集落。
明日・明後日と休校になる地区もあるという。
「この冬があるから『春』が待ち遠しく美しい。雪の冬場の星も美しい。」と、雪に対するある家族のコメントを聞き、その言外にある受け入れている厳しい冬場の大きさを思う。
富士山とは反対側の方角に見えるのが日本100名山の一つである筑波山。(右手奥の二つの頂上のある山。低い方が男体山、高いほうが女体山。)
富士山頂上にも雪
雪害のニュースが飛び交っているのに、富士山山頂に雪などとは、お叱りをうけそうだが、やはり富士山頂に雪が王冠のようにかかっている姿は美しい。
3メートルの積雪だと?あたり1トン近い重量になるらしい。自衛隊も出動した。
僕は机わきのワニとウルトラマンに見守れてPCの前の人。来週の出張の手配(飛行機とか宿とか)をして、ちょっと先のコトに思いを巡らしたりもする。
気がついたら夕暮れ。
七草粥の今日になって、やっといただいた年賀状の整理をし、今更ながら一生懸命に書く。気がついたら夕方。雪害のニュースが続くなか、雪で閉ざされているわけでもないが、本当に久方ぶりに家から一歩も出ないで過ごす。お隠り中。
デカイ固まりの雲。この後、バタバタと支度をして東京に向かう。
入稿中。日比野さんは、数時間前にボリビアから帰国したばかり。
2月中下旬配本開始予定のリトルモアから刊行する「日比野克彦の一人万博」展の準備中から撤去までのアクティヴィティーをドキュメントした撮り下ろし写真集の入稿風景。見応えあります。ご期待下さい!
入校後、次のあるリトルモアの孫家邦さんとボルビア帰りでお疲れの日比野さんが先に上がる。あとに残って写真の整理をするカメラマンの竹内裕二(たけぽん)さんと直しの確認をしていたデザイナーの中島基文さんらと雑談。
本当に久しぶりに紙焼きプリントでの入稿現場に立ち会った。竹内さんが35ミリの単焦レンズで撮影していたことを思い出して、日本ではじめてライカを手にしたのがそう言えば木村伊兵衛だったよねと写真談議の雑談をして過ごす。
そんなことをしていて事務所を出るタイミングが遅れて、22時発に数分の差で乗り損なう。上野からの常磐線の特急は00分と30分発のダイヤ組が基本。当たり前のように22時30分の座席予約を入れたら、「22時15分がありますよ!」とのこと。「え〜っ!15分発?あるんですか」と確認すると「はい」。ちょっと前のダイヤ改正時から運行しているような返事。知らなかった。22時台だけはこれで00−15−30。15分に1本だとさすがに便利。全時間帯そうだといいのですが、せめても00分も停車するようになって、30分に1本となるとたすかるなー。選ぶことなく常に確実に利用できるのは1時間に1本、上野30分発だけ。
富士山です。
今日から仕事です。終日、水戸芸術館。
2月5日に今開催中の「われらの時代」展が終わり、25日から逢坂芸術監督が企画担当する「人間の未来へ—ダークサイドからの逃走」展が始まる。
この50日前のタイミングは、広報物その他輸送手配他諸々集中的に確定し始める時で、展覧会準備としてはオープニング直前の展示作業時期に匹敵する山場。見えない忙しさが漂います。そんなこともあり、午後には全員揃ってのスケジュール確認他で2006年初部門会議。
「一年の計は元旦にあり」と言われるけど、年間のおおざっぱな予定を組み、動き方をイメージしておかないと、また、時間と仕事に追われる身になりそう。そう思っていたら、早速、明日から仕事始めというヒビノスペシャルの米津さんから連絡あり、「日比野本」関係者、全員集合の全体打ち合わせの招集。
ネットではブログメイト(とかってに思っている)藤さんは鹿児島の風景をムービーでアップしているし、長谷川さんも「雪・雪・雪・雪」と書き連ねているし、あちらこちらで2006年が始動しはじめていることを実感。遅れを取らないようにがんばろう!
今度、キチンと紹介しないといけないけれど、林剛人丸さんによる「オープンラボ」も今日からオープンしています!是非、お出かけ下さい。
平成丙戌歳 神宮干支守
あけましておめでとうございます。
今年も一年どうぞよろしくお願いします。
初雨。久しぶりに雨に遭う。
青空の下、初詣をすませる。良き年になりますように!