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2005年12月26日

富士山

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雪なし富士。

2005年12月25日

御用納め

25日19時から収蔵庫の燻蒸準備が始まるため、芸術館は今日で年内はお終い。年明けは4日から。と言うわけで、MORI Channel も年内更新は今日でお終いとさせていただき、勝手ながら26日から1月3日は休刊!とさせていただきます。


今年は大変お世話になりました。先日、月間アクセス2万とのレポートを受け、来年もいっそうの充実を図って、楽しんでもらえるブログとして、更なる成長を遂げることが出来たらと考えております。


その結果として、各所において写真撮影の許諾とブログへの掲載許可が頂けるようになるとイイナと思っております。その理由はとても簡単。遅れてきたカメラ小僧(そうなのです。今年はモリにとっては「カメラ元年」となりました。)状態。そんなモリは可能な限り撮影したい!気持ちでいっぱいなのです。最近では個人で楽しむならOKとの場所も増えました。でも、そんなときに限って是非、アップしたいコトも多いのです。


そうだ!まず来年は、「モリチャンネルですけど、撮影させてください!」とお願いしてみようかな。その一方で、肩に力を入れることなく淡々と更新していきたいと思っています。応援してください。励みになります。


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先日、金平茂紀著「二十三時的」(スイッチ・パブリッシング。2002年11月25日第一刷発行)を見つけて買いました。装画に久里洋二の「二匹のサンマ」を使ったちょっとそそる装幀の素敵な本です。「筑紫哲也NEWS23」のデスクであった同氏が2000年11月から2002年2月まで、メールマガジンとして配信したスクリプトをまとめた、3段組で500頁近くある文字だらけの本です。書き上げないとならい原稿があるので、本当の意味でゆっくりしてはいられないのですが、時間をとって、この年末に読もうかと思っています。


それからもう1冊「写真との対話」(国書刊行会)が読めたらと思っています。


では、良いお年をお迎え下さい。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

2005年12月21日

お詫びと・お知らせ

急報です!
artscape サーバのスペックアップのための準備作業で12月22日(木)10:00〜13:00 (状況により延長あり)サーバが停止します。この間、ごらん頂けません。ご迷惑をおかけしますが、ご了承ください。

また、昨日一定時間、文字消失・文字化けがありましたことお詫び申し上げます。これは文字コード変更作業中のミスによるものです。ウイルスとかいたずらによるものでありませんのでご安心を。

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2005年12月19日

ケシテシマッタ!

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これは、あくまでもイメージ写真。
ケシテシマッタ」データを復帰させるソフトを使い、3タイプのPCで修復をはかる。結果として、ケシテシマッタデータ数よりも多い数の画像が(数値上は)修復された(ようだ>)。しかし、拡張しがTHMファイルに変わってしまい、現時点では画像確認出来ず。ある・らしい・けど・ない。がっかりである。

そんな気分を、藤さんもブログに書いている。藤さんは、この間に二つ無くしているそうな。一つが自分書いたテキストを複数にわたって。確かに凹む。でも、ま、これは気持ちえ帰ってくれば全くおなじものではないとしても、用意することはできる。しかし、その2)のテープは辛いですんえ。アタタタタ…。「物」そのものを紛失してしまった、ましてやなにかしら仕事上の記録。このダメージ深いことでしょう。同情します。*それでも、藤さんの「月」の写真のアングルがやけに高所的だから何処にいるのだろうとおもっていたら、六本木だったのですね。小骨が取れた感じでスッキリしました。

僕の写真は、いわゆる「閑な奴の写真」で、仕事ではないから、罪もなく、被害も(少)ない。僕の個人的な気持ちの痛み(凹み)を除けば、実害は無いと言って良い。


そんなような写真なんだけど、藤さんも書いているように「釣りあげ損なった魚は大きい!」のごとく、ぼくとしては、ピンクに染まった朝焼け雲の写真はかなりグッとくる、良い感じの写りだった(なぁ)。ちょっと本気で残念なんだ。
*以後、データ転送時の作業確認は確実にしよう!慣れが怖いです。


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休館日のギャラリーに弱った気持ちで撮影にいったら、なんかどことなくピッリとしない写り。と言うわけで、本日はお見せでする/お見せしたい写真はなし。書き込みの、ピリッとしないままに終えますね。まぁー、そんな日もあると思ってやってください。では、また、あした書き込みます。

2005年12月18日

4875

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すみきった青空。日の出前に目を覚まし、綺麗にピンクにそまった朝焼け雲も撮すことができて気分よく、余裕の気持ちでデジカメでスナップしたサブフィルム。それがそれがなんとトップの写真に!そのわけは、深夜データを移動中に勘違いからのミスで朝焼けその他、データ全部消してしまう。リカバリー出来たるハズだけどその作業は明日。幻の一枚となるのかな…
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午後から取手に向かい、「TAP2005」のスライド大会に合流。TAPのメンバーは、経費報告や動員数、そして反省点などを報告しあったはず。僕は運営会議には参加しない、いわゆる閣外協力者的立場なので、スライドショーからの参加。基本は「記録集」編集方針立案のための映像確認。
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初日の「はらっぱ会議」直前の椅子が並べられた様子。1枚の写真から担当者はその時の状景を呼び覚ます。1/100枚としての50枚。さて、予算的に何枚使うことができるのだろう。


「日比野克彦の一人万博」の怒濤の2画面、一挙1万枚スライドトークに習っての上映会。公式カメラマン斉藤剛氏の撮影した写真をDVDから外付けのHDに取り込み、前半は1枚2秒、後半は1枚1秒でひたすら見る。当事者であるスタッフも現場は同時進行しているため、実施のところを見るのははじめてというシーンも多々ある。4875枚を一挙に見て、速習的共通体験をした時には、とっぷり日が暮れ、年末忘年会会場の予約時間に食い込んでいたので、そのまま見っぱなしで場を移して宴会に突入。記録集の編集方針はメールで協議、いわゆる冬休みの宿題かな……。
和気藹々の忘年会後、ちょっと年長の大人組は軽く2次会。終電でおひらき。TAPはまだまだ終わらない。


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深夜戻って、データ消しちゃったトラブル。凹んで意気消沈し、ベットに沈む。ずぶずぶずぶ、ずぶずぶずぶと。

2005年12月17日

われらの時代・オープン

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コントルポアンに並んだ「われらの時代」のカタログ。平積みもされている。
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小室千帆 《unconditional love》2005
写真は椅子の座面に描かれたもの。あと、に一部書き込みがされている。小室千帆の出品作品はこれから会期中描き続けられることで完成する。会場を訪ねるタイミングでその様相は変わっているはず。お楽しみに!
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オープニングレセプション会場のお花。作家・関係者・お客様と年末の忘年会シーズンというのにお集まりいただき会場は賑わっていた。
*その写真は無いのか!と言われちゃいそうですね。85mmのレンズで人を撮っていてないんです。デジカメをポケットに入れておけばよかったのですがそれも忘れました。デジカメは30−31mmの画角だから余裕だったハズ。残念いや申し訳ないです。

オープニングレセプション後の挨拶が気づいてみると「良いお年をお迎え下さい。」になっていた。挨拶に時節が滲む。まさに年の瀬、暮れも押し迫ってきている。週明けは学芸員室の大規模な仮引っ越し作業。窓枠のメンテナンス工事が来週末から始まるためだ。そして収蔵庫の燻蒸もあり、25日で終わりとなる。
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ちょっと遅い時間なのでもう月は高い位置にあがってしまっている。満月+1日目。ちょっと長く外にいると寒い、すっかり冷えてしまいました。

2005年12月15日

寒波 

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電車とのつながりの良いバスの時間ギリギリに館を出ると、きれいな月が空にあった。昨日も同じように思い、同じように慌てていてカメラをカバンから出す気持ちの余裕がなかった。悪あがきとは知りつつ、携帯のカメラで撮影する。
さっき覗いた藤さんのブログには携帯からとは言えまっとうな写真の「月」(ですよねー)がアップされていた。やはり今日は「月」なんだなと思う。明日12月16日は満月。


「われらの時代」の展示作業は順調に進み、ほぼ今日で展示も終わり、あとはフィニッシングを残すばかり。明日は内見会やフェイスやボランティアトーカーさんらへの作品説明がある。会場入り口の切り文字の貼り込みも完了している。DSC_0251web.jpg

ポスターになっている雨宮庸介の作品、バナナの実物も会場に並んだ。DSC_0451web-2.jpg

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展示作業中のギャラリーに行くには、庭を横切るように、学芸員室からエントランス経由で行くのが早い。と言うか、一旦外に出るのが良くて僕は好きでそのルートを選ぶ。そして時にミュージアムショップに立ち寄り、入荷したての本や雑誌を手にし、時に買い、時にそのまま棚に戻す。
今日は、本とは別のものを買い、雑誌カーサ・ブルータスは棚に戻した。でも、たぶん、違う日に、買うだろう。とにかく今日は、あった場所に戻した。
建築家、青木淳さんが自作の青森県立美術館の「アレコホール」に立つ写真が大きく出ている。建築物とその地の「食」、つまり建築を訪ね、美味しいものを食したい人のための特集号。金沢や石垣島と日本全国。水戸は選外なんだと思いながらしばらくフムフムとカバーtoカバーと読み進む。


パラパラとものの数分の立ち読み。でも個人的にはかなり有益な—といっても、かなり趣味的な情報を得た。例えばシトロエン「C6」。
幕張メッセのモーターショーで「きれいなラインのクルマじゃないか」と見いていたシトロエン「C6」(と言うらしい。価格未定)は、これから販売されるフラッグシップカーであることを知る。DSC_0127web.jpg
写真を見たらナンバープレート位置に「C6」とあった。)

「C6」じゃないけど、シトロエンで市内をドライブする爆音チームの二人組「ログズギャラリー」」から、練り直した「2006-2007日本横断ツアー」の企画書が今日、再送付されていた。後でキチンと見ておます。


そうそう、建築の話題。カーサ・ブルータスの青木さんのページ、つまり、「青森」のページを見ていると、ACACの外観写真に並んで、「木村産業研究所」の外観の写真が出ている。
あれ!?、つい先ほど、今日(12月15日)の日経新聞、文化面で『弘前に息づくモダニズム』で県立弘前中央高校の講堂の記事にはじまる、『前川國男の建物を大切にする会』(代表:葛西ひろみ、英語講師)の市民活動の記事を読み、「木村産業研究所」の一階内部の挿図写真を目にしたばかりだ。(お、今日のプチ「シンクロニシティー」かも。)
「木村産業研究所」は、弘前にある前川國男の建築物の一つ。前川國男は弘前には8つの作品を残している。少なくとも来年の夏には弘前に行く。奈良美智個展「A to Z」を見に行った折りに、もう1日足して前川國男建築物ツアーを是非、次回には敢行しよう。


その、奈良美智+grafからDM「home」が今日届いた。小屋が26個もしくはそれ以上の小屋があつまる街並みのような展覧会を実現させる「A to Z」展(弘前は奈良美智の故郷。寺山修司も同郷。)の一環となると書かれている。場所はグラフメディア・ジーエム。大阪中之島。会期は12月18日から2月5日まで。(ちなみに、松井みどりさんと企画準備中の2007年の「夏への扉」には奈良美智さんの初期作品をお借りする。)


その前に12月23日から東京ステーションギャラりーで開催される生誕百年記念前川國男建築展を見に行こう。
そして今、東京芸大美術館では25日までの会期で吉村順三建築展が開催されている。これにも併せて行かないと。


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さて、水戸は今日も青空が広がる。長谷川孝治さんのブログには「雪・雪・雪・雪」の文字が並び「雪かき」が続く。

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ちなみに今朝も日の出を撮りました。勿体ないのでアップしておきます。
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6時38分。
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6時48分。
今朝は、10数分見ていました。毎日天気もよく幸せです。郵便をポストに出しに行ったら、片一方の投函口に「年賀状」と貼ってあった。毎年のことだけど、1年が早い。もう2005年の店じまい。
明日は、三鷹で作品の講評会。学生もこの1年の努力の成果を総括する時期。どんな作品に出会えて、どんな展開をしているだろう。年1回の定点観測みたいなもので、今年で3年目。僕の方も成長している彼らにジャッジされる。体力勝負。
今夜の夜更かしは、ほどほどにして寝ておくのが賢明だろうな。外が月明かりで明るい夜です。

2005年12月14日

「われらの時代」開幕まであと4日

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6時43分。まだ太陽が顔を出す前を撮そうとレンズを交換していたら、あっと言う間に太陽がアタマを出していた。数分で日の出ショーは終わる。いつ目にしても飽きることはない。不思議な力が漲る瞬間。

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ギャラリー内部では展示作業が順調に進む。平面作品はほぼ完了し、立体を出品する作家たちが展示作業に集中する。オープニングは17日。16日は内見会。展示作業に残された時間はあと2日ちょっと。

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立見榮男 作品展示風景
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芝田次男 作品展示風景
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山田圭一 本人による作品展示作業の図

2005/10
Press Release 01

「われらの時代」と題する本展は、水戸芸術館の学芸員と複数の推薦委員が関わり、あえて複数の目による選出によって、様々な活動をカバーできるように構成したグループ展です。本展は、地域を視野に入れ、独自の歩みを展開している作家ならびにこれからの可能性を秘めた若手作家に焦点をあてています。
1990年に開館以来、現代美術センターは数多くの国内外の現代美術を紹介してきましたが、この15年間で、現代美術は、異ジャンルとのゆるやかな交流やサブ・カルチャーとの関わり、そして映像作品の台頭など、その表現は一層多様となりつつあります。今回は、そうした多様化する傾向の中で、むしろ地道に自らの作風を模索してきたアーティストやあえてオーソドックスな手法を踏襲してきたアーティスト、陶による表現の可能性や具象にこだわってきたアーティストなど25名を紹介します。
本展は、絵画、彫刻、インスタレーションなどを網羅しながらも、今まで水戸芸術館では、展示の機会があまりなかった表現分野にもスポットを当て、今日の美術をめぐる多様な側面を映し出すことを試みようとするものです。


【展覧会概要】
展覧会名:われらの時代
会期:2005年12月17日(土)→ 2006年2月5日(日)
開館時間:9時30分〜18時(入場は17時30分まで)
休館日:月曜日、年末年始2005年12月26日−2006年1月3日
※ただし、1月9日(月・祝)開館、1月10日(火)休館。
会場:水戸芸術館現代美術ギャラリー
入場料:一般800円、前売・団体(20名以上)600円、
中学生以下・65歳以上・各種障害者手帳をお持ちの方は無料。
展覧会チケット発売:水戸芸術館エントランスホールチケットカウンター、
JR東日本みどりの窓口、びゅうプラザ
*一年間有効フリーパス→
ハイティーンパス「H.T.P.」1,000円/対象15歳以上20歳未満
おとなのパス 2,500円/対象20歳以上
※取扱は、水戸芸術館エントランスホールチケットカウンター
主催:財団法人水戸市芸術振興財団
協賛:アサヒビール株式会社
協力:株式会社創夢
出品作家:水戸を中心とした県内作家25名
企画:逢坂恵理子(水戸芸術館現代美術センター芸術監督)
浅井俊裕(水戸芸術館現代美術センター主任学芸員)
高橋瑞木(水戸芸術館現代美術センター学芸員)


【出品作家一覧】
氏名/生年/作品ジャンル
雨宮庸介/1975/インスタレーション
伊藤遠平/1976/立体
伊藤東彦/1939/陶芸
岩堀敏行/1972/絵画
オノマサキ/1973/平面
久米みどり/1951/陶芸
小林政美/1952/陶芸 
小峰 尚/1955/陶芸
小室千帆/1974/インスタレーション
齋藤敏寿/1963/陶芸
櫻井りえこ/1977/絵画
芝田次男/1957/彫刻 
鈴木りん壱/1970/絵画・立体
立見榮男/1940/絵画
戸田和子/ / 立体
内藤定壽/1957/絵画
中井川由季/1960/陶芸
中野裕海/1975/陶芸
西成田育男/1954/絵画
西成田洋子/1953/インスタレーション
根本しづ子/1959/絵画
増田克史/1972/立体
村山隆治/1954/絵画
山田圭一/1968/立体
横須賀幸男/1954/絵画

以上、五十音順

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「われらの時代」推薦委員
1 磯崎俊光/水戸美術家連盟副理事長
2 大森潤也/日立市郷土博物館学芸員
3 小泉晋弥/茨城大学教授
4 高橋正樹/茨城新聞社記者
5 寺門寿明/水戸市立博物館副館長兼学芸係長
6 外舘和子/茨城県陶芸美術館主任学芸員
7 森田清明/常陽藝文センター理事事務局長兼学芸部長

以上、五十音順

2005年12月13日

青/ブルー/BLUE BOX

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丸い太陽から光が放たれている感じに写せて朝からちょっと満足。お気に入りな1枚。

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久しぶりに大きな固まりの雲が浮かんでいるので思わず撮影。


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今日は、平面・絵画作品の展示作業日。搬入されて各部屋の各壁に作品は置かれていて、作家立ち会いのもと、展示作業が進んでいく。この作品は西成田育男氏のもの。

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すでに、立体作品の搬入も終わっていて、明日から展示作業が始まる。この作品は鈴木りん壱君のもの。

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午前中の美術部門の会議に出席。会議後急いで会場を回って、写真におさめ、常磐線の人となる。下の写真はスーパーひたちの車窓から写した空。
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外苑前で降り、ふとワタリウムに寄る。ショップのON SUNDAYSの地下を覗いたら、好評につき会期延長しました!とFREITAGをまだ一杯揃えていた。それどころか今入荷したというシルバーのトラベルバック「F37 RENEGADE」を見せられて思わずの衝動買い。本当はちょっと小さめの真っ赤な「F96 FRITZ」を探しに来たはずなのだが、あたらにバック2つを手に約束の場所に急行する。

その場所はNADIFF。数日後にベルリンに戻る予定の島袋道造さん、野口里佳さんの二人の作家と美術評論家・松井みどりさんと合流。場所を移して、2007年の企画展「夏への扉」に関する打ち合わせをする。あとからその場に、10日について21日はNYに戻るという本当の一時帰国中の落合多武さんも合流。
落合いさんにはアトリエから見繕って持ってきたという、未発表の作品のファイルを見せてもらう。とても素敵なドローイングをワクワクしながら見て幸せな気分になる。良い日かもしれない。

松井さんの企画意図を作家の作品を通して身体化するいつものパターンだ。打ち合わせの都度、だんだんといろんなものが見えてきて、形になる前のイメージが僕のなかにあらわれる。


その後、松井さんと僕は、清澄に六本木から移転したhiromi yoshii ギャラリーに移動し、泉太郎さんの新作を見せてもらい、さらに吉井さんには作家資料を見せていただきつつ作家本人を交えて4人でしばしの懇談。

ここで松井さんとは別れて、僕はもう1回上のフロアー、小山登美夫ギャラリーで待つ、廣瀬さんを訪ねた。


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廣瀬智央「BLUE BOX」

デュシャンのグリーン・ボックスを思い出させるネーミングの、廣瀬さん作「BLUE BOX」は作品にしてまだ未完の作品。これから3年間に渡って、ときどきのスライドが追加されていくプロジェクトが終了してコンプリートになるプロジェクト型のBOXとのこと。その話を10日のオープニングの時に聞いて、その後の予定のあった横浜に移動する間に、僕もキャッチボールの相手として是非、参加してみたくなった。そこで横浜に着いて落ち着いたところで早速、廣瀬さんに連絡しエントリーを申し出でる。嬉しいことに快諾してくれた。
と言うわけで、すぐには動き始めないけれど、今後「BLUE BOX プロジェクト」(と、勝手に僕が銘々したのだけど)レポートをアップできることになると思う。「BLUE BOX」の詳細はまた追って。


1日の締めくくりは、ミラノに戻る前の廣瀬さんと、森下(深川)の酒場で一献。寒い日の夜、アートなお話を聞きながら、美味しいお酒をいただきました。1合徳利1本180円也。

2005年12月12日

復旧・集荷・展示・制作。同時進行中

雲が低く広がり、朝になってもハッキリしないこんな日は、太陽も朝寝坊している気分になる。それでも10時過ぎにはいつものような明るい爽やかな青空がる。寒さが厳しくなった。

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目には均一に見える自然光も、日の当たる側と反対側ではかなり違う。その違い(色温度)をカメラが捕らえると、こんなにまでくっきりとなる。

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壁はすっかり白くなり、そして新しい空間に生まれ変わる。このタイプの空間は初めてかな。ちょっと新鮮。どんな展示の必然性からの空間どりか僕が知らない分どんな風になるのか興味深い。


グラフィティーの体験コーナーとなったワークショップの壁は、スプレーの色が膜状の層になっていて、もう剥がすしかなく、それを実施していたのが昨日。パテ処理をして、塗装も終える。これでワークショップの壁も含めて、ギャラリー内全ての壁の白壁復旧作業が完了する。
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復旧作業が一番最初に終わった8室では、順調に新作の制作が進行している。
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制作中の自作を眺め検証・黙考する横須賀幸男氏。

2005年12月11日

作品集荷

5時0分。目が覚め、「ガバァ」と起き、あわてて時間を見たら5時ちょうどだった。
よかった。セーフだ!アブナイところだった。何時しか寝ていた。ベット脇のテレビが早朝の番組になって流れている。昨夜は、BankARTディレクターである池田さんの案内で辛い美味いラーメンを食べにNYKからタクシー2台で乗付けた。訪ねた先は「台湾采館」。深夜にも関わらず、あれやこれやとしっかりオーダーし、デブになることも恐れず、ガッツリ食べて腹を満した。とても美味い。ご馳走さまでした。幸せな気持ちのまま、冷える夜空の下、ゆらゆら歩いてホテルに戻ったのが2時頃(だったと思う)。そして目覚ましの設定をすることなく寝入った(らしい)。アブナイ。今日は9時スタートで筑波大学で作品集荷。


バスタブに湯を入れ眠気を覚まし、5時40分にはクルマを出庫し走しり出ていた。気抜けするほど渋滞はなかった。遅刻する心配は無い。そのかわりにガソリンがヤバイ。給油マークが首都高速横浜羽田線のみなとみらいランプから上がった途端、点灯した。終盤に近い守谷SAまでガソリンスタンドはない。けど高速を一度給油のために降りる気もしない。走行可能距離と総走行距離からすると、どうにか守谷SAまでもつ。その計算を信じてひたすら走る。ガソリンスタンドが近づく程にヤバさが増す。三郷過ぎてから守谷SAまで残り10キロ地点になるまでの間が、一番ドキドキ、ハラハラ。クルマも増え一群となって併走している。ここでガス欠エンストしたら……と思いながら走り続け、計算どおりの残量でクルマのためのオアシス、ガスステーションに着いた。
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6時40分頃。ちょうど走り始めて1時間。

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早朝のガソリンスタンドは、混んでいて並んで待った。58リットル入る。残量2リットル。3度給油し損なったのが理由。でも立ち往生することなくて本当に良かった。満タンになって重たくなったクルマで再び走り出した。

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写真データは7時12分となっている。どことなく昨日見たリヒターの絵の雰囲気の青い空。


一端自宅に寄り、もう一度お湯に浸かり、軽く朝食を食べてから、「われらの時代」に出品していただく斉藤敏寿氏の作品《archetype50024》集荷担当者として筑波大学の工房を訪ねる。9時前にはじめた積み込みは10時前には完了し、水戸芸に向かって走り出す。午前中に搬入を完了。
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2作品のパーツが床に並ぶ。


13時から組み上げ作業開始。前日に搬入された《archetype00021》と併せて、2作品の組み立て作業は予定より早いテンポで進む。
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上下共に左:《archetype00021》 右:《archetype50024》


19時にはライティング作業も終える俊足の設置。お疲れ様でした!
館の外に出ると、とても寒い。いつもは電車で通っている身なれども今日はクルマ。2日間に渡る久しぶりのロングドライブ最後の走り。常磐自動車道を気持ち良く高速移動して終える。

教訓:ガソリン給油はお早めに。(雪道渋滞でガス欠になった話しを聞いたことがあります。)

2005年12月10日

走る

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牛久の大仏様の後ろ姿を拝む(かな)。

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突然目覚めたように強烈な光を放つ朝日の力強さに惹かれる。


クルマで移動する。
朝一番で市内での用を済ませ、高速に乗り千葉・佐倉の川村記念美術館に向かい、都内にもどって清澄に移転した小山登美夫ギャラリーを訪ね、そこから横浜のBankART1929を最終ゴールとするドライブに出た。幸いにして文句なしのドライブ日より。今日の行き先は、移動にクルマを使わないとちょっと不便する。ドライブ日和といったファンは理由だけではなく、至便性の理由からだ。単に川村記念美術館を訪ねるだけの時でもクルマを出すことが多い。しかし、今日は横浜まで行くロングドライブの1日。


川村記念美術館開館15周年記念特別展「ゲルハルト・リヒター—絵画の彼方へ」展。「フォト・ペインティング」「カラー・チャート」「グレイ・ペインティング」「アブストラクト・ペインティング」とリヒターの代表的スタイルの大作が呼応するように並ぶ。
1982年の《2本の蝋燭》が蝋燭の実寸からすればかなり画面の大きな作品であったこともオリジナルの直接的視覚体験として、いささかの驚きもあったが、僕が一番気に入り、衝撃を受けたのはガラスの作品。なかでも《11枚のガラス板》と題された大きなガラス板11枚を同じ位置に上下の隙間を少し幅を変えて重ね、立てかけただけの作品。そんな単純な仕草が無限の表情を帯びる絵画作品へとガラスを変容させる。仕掛けは明快な作品ながら奥は深い。僕の黒いハーフコートの裾が波紋状に映る。ちょっと幻惑的な画像だ。
3日前(8日)の朝日新聞に写真家、鈴木理策氏が寄せた同展覧会評の記事の挿図としても使われていたけど、《11枚のガラス板》に《雲》(1978)とそれを見る来館者が映り込んでいる様も良いし、正面に立つ自分の姿の映り込みを見るのも楽しい。
どう楽しい楽しいかは、作品の前に立てば分かる。まさに、その場でその作品を実際に「見る」ことを要求するこの作品は、リヒターが意図するように、振る舞うしかない。画集では、作品の存在を確認することができても、作品を見ることはできないのだ。

映り込むと言えば、200×180cmの銀メッキ鏡に枠を施した1986年の作品《鏡》があるが、鏡面を覗く自身や周りの風景が映るのは自明のこと。その点から言っても、さらに他のガラスの作品と比べても、僕は《11枚のガラス板》を堪能した。


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《11枚のガラス板》を十分堪能した後で、敷地内のカフェでコーヒーを一杯飲み一息入れる。斜光の生み出すカップの影が美しく思えて、携帯のカメラで記録にとどめる。


バス停手前で農家直売店から落花生(千葉と言えば落花生でしょう)を廣瀬智央さんへのおみやげに一袋買い、小山登美夫ギャラリーに向かう。渋滞に遭うことなく、少し道に迷いはしたが、心づもりした時間には到着。
今日から初日を迎える、廣瀬さんには、パラディオ展開催の構想があった際のヴェネト州の現地調査で大変お世話になった。坂井淑恵さんは僕がかつてクリテリオムで紹介した京都在住のペインターさんだ。縁ある二人の展覧会が同時開催となれば、訪ねないわけにはいかない。会場に居た廣瀬さんに新作「BLUE BOX」の説明を受ける。


横浜着の遅刻を許されない僕は、長居が出来ず、今回は坂井さんには会うことができなかった。横浜までの所要時間が分からず、安全を取って移動すると、あっと言う間に到着してしまった。19時過ぎの間際の入りと伝えてあったのだがかなりの余裕。自転車を借り、中華街に向かい、アツアツの肉まんを食べる程の余裕ぶり。


会場となるBankART1929は、アートブックの流通をメインテーマにした2日限りの[art×book fair]の初日。当然、会場には流通に乗りにくい希少本の山。買いそびれていた「百年の愚行」オリジナル復刻版と絶版になっていた「軍艦島」の復刻本をまずはゲット。
さらに200円でクジを引き、出た年号の本の山から本を選ぶ売り方にそそられて3冊購入。何を手にしたのかは、紙袋から出すまでは分からない。福袋的楽しみもある。僕は次の3冊を600円で買ったことになった。1992年の「マドンナの真実」(どうでも良いことだけど、ラジオで今日か昨日か、日本からロンドンにマドンナが戻ったニュースを聞いたばかり)、1995年は西垣通、戸田ツトム監修の「メディアの現在」(うひょひょひょ、図版の製品(デザイン)がなんとも古ぼけて見える。10年で製品は進化しているのだ。)そして1967年は川端康成の「眠れる美女」。このユニークな販売コーナーを主宰しているのがbook pick orchestra。
book pick orchestraは、『本のある生活をより身近にしていくために、そして人と本とが出会う素敵な偶然を生み出すために、実験を続けるユニット。北仲WHITEにてbookroom[encounter.]を運営する一方、ウェブサイトからクラブイベントまで、美術展から雑貨屋まで様々なところに出没。』しているらしい。


クジ引きを3度もしている間に、19時30分からのトーク開始時間になり、司会者に呼ばれて席につく。僕はbook pick orchestraを主宰する一人である内沼晋太郎さんとのトーク。「アート系書籍の流通について」のゲストスピーカーとして今日はここにいる。
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会場からの質問と応援もあり、内沼さんの「アート本を流通させるぞ!」決意表明でシンポジウムは幕となり、トークの後はみんなでBankART NYKに移動して懇親会。ワイワイ、ガヤガヤ。この一連のディレクションをやりつづけている池田さんのエネルギーに脱帽。


定番のNYKのウッドデッキからの眺め。
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2005年12月09日

バフ継続中

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ず〜〜〜と晴れの日が続いている。何日間だと記録になるのだろう。


バフ作業、現在も進行中。今日から次回企画展の本格的な集荷が始まった。週末には作品が搬入され、日曜日には展示作業開始となる。辛抱強い復旧作業が連日行われている。
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2005年12月08日

歩く

久しぶりに銀座を歩く。上司である逢坂恵理子水戸芸術館芸術監督と午前中、企業協賛を依頼しに某メーカーを訪ね、二人でお願いをする。地下鉄で移動して銀座で監督も教えてもらったと言うご推奨の薬膳の中華を食した後、久しぶりに揃って銀座を歩く。
その一番最初に訪ねたのが、SHISEIDO GALLERYでの「life/ art」'05のPart1、今村源(−12月25日)。本作品だけは写真撮影の許可が出ていてフリーで撮影可能とのこと。

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作品のタイトルは「受動性2005−12」(2005)


2週間という会期が惜しい。師走のこの時期、見逃す人も多数でることだろう。でも是非お出かけ下さい。2000年からはじまり今回が最後となる「life/ art」。5人によるグループ展として開催されてきたこのシリーズは、最終回は、作家間の協議により5人によるリレー個展として開催することになったとリーフレットにある。それゆえの2週間なのだろうけど勿体ない。
同じ空間で定点観測的に展覧会をしする試みが功を奏したのだろう、少なくとも遠因にはなっているだろうと思わせる、空間を縦横無尽に使い切った今村源の新作は素晴らしい。ブログだと「素晴らしい」の一言で終わらせてしまえるから良いけれど、本作品の良さを記述するのに僕にはししばらく時間が要る。幸いなことに25日までに再び銀座を訪ねる予定もある。もう一度足を運んで見たいと思う。
しかし、最近は一度で読み取れないことが多く、杉本博司展も2度出かけているし、2度目にも確実に発見があるものだ。ちなみに5人とは、今村源、田中信行、金沢健一、中村政人、須田悦弘。


続いて、HOUSE OF SHISEIDO での「石内都の写真と共に永遠なる薔薇」(−06.01.29)を見せてもらい、ギャラリーなつかに寄り「五十嵐威暢シリーズ展」(−12.22)で、薄いシナベニヤを切り出した「カットアウト」を見る。その中の1点を個人的にとても気に入った。


ギャラリー小柳でアネット・メッサージェ展を見る。
山と積まれた捕らえたネズミの廻りを枕に寝た子猫が4角形にぐるぐる回り続ける作品「長枕のリング2002-2005(L' enclos du traversin 2002-2004)」は、さまざまに解釈のできる間口と奥行きのある意味深い、それでいて視覚的には優しく、なんともチャーミングでシュアーな作品。ユーモラスだけではなく、アイロニーだけでもない、それらが微妙に出たり入ったりするバランスの中にある。視覚的な満腹感と共に、表参道に向かう。


表参道界隈に事務所を構えるデザイナー・カズヤコンドウとは、逢坂監督が担当する次次回展「人間の未来へ—ダークサイドからの逃走」(06.02.25--05.07)の広報物のデザインに関する打ち合わせ。きっちり組み上がったラフ案が用意されていた。相変わらず密度の濃いカズヤコンドウらしいテイストのデザイン。ちなみに出品作家はマグダレーナ・アバカノヴィッチ、フィリップ=ロルカ・デコルシア、アントニー・ゴームリー、橋本公、広河隆一、マイケル・ライト、ジェームス・ナクトウェイ、シリン・ネシャット、オノ・ヨーコ、ユージン・スミス、スゥ・ドーホー、ビリヴィオラ。とがっちり本格派の現代美術展です。


今後の進行の確認をして辞し、ナディフで森村泰昌「卓上のバルコネグロ」展(−06.01.09)を見て、逢坂監督と別れる。監督は18時からの別の場所で会議が2つ入っているとのこと。僕は、ヒビノスペシャルに連絡して、本の進行について確認。制作進行のタイミングがあわず、立ち寄る必要がなくなりフリーとなり、珍しくちょっと早く切り上げて戻る。

2005年12月07日

百年の孤独

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日の出6時48分。
1分違い(49分)でがらっと表情が変わり、50分にはすっかり夜があけて1日が始まった気分となる。今日も頑張ろう!


午前中、ちょっと趣味の時間のために出かけ、昼過ぎに戻るとマイアミのアートフェアーから帰国した松井みどりさんから、ぞくぞく写真がメールされつつあった。そのほか情報や日程調整のメールもあり、それに返事をする。折り返し、週明けに「夏への扉」展に出品をお願いしている作家に会う場所と時間がメールされてきた。


週の中、休みをとったのは、夜、東京に行くためだ。
「HEART of GOLD —百年の孤独」を世田谷パブリックシアターで見る。資生堂の企業文化部でメセナを担当されていた高辻ひろみ氏が6月から「世田谷パブリックシアター」と「シアタートラム」を含めた世田谷文化情報センターの館長に就任されている。


『百年の孤独』は、G.ガルシア・マルケスの小説。この作品をモチーフにパパ・タラフマラの小池博史が作・演出・構成したもの。いつも案内を頂くものの、本当に久しぶりにパパ・タラフマラのステージを見る。舞台進行上重要な役目を果たすライト・オブジェを造形作家の森脇裕之さんが担当し、彼からも見て!と、招待の連絡をもらっていた。行かないワケにはいかない。受付では、キネティック・オブジェを担当した田中真聡さんにも会う。(銀座での個展、見に行かれなくでごめんないでした。)ステージは15分の休憩を挟む2時間、11のシーンで構成されている。


開演前に椅子に座り、パンフレットに寄せられている小池博史の「口上書き」に目を通す。
『…寺山の晩年の作品として舞台芸術化させたものである。(—中略—)晴海埠頭の巨大倉庫で行なわれた公演は成り立っていたのである。』の下りを読み、暫くして、すっかり自分の記憶から忘れてしまっていた記憶を思い覚ました。


確、僕は寺山修司の芝居を観に、晴海の倉庫に出かけ、広い空間の会場の椅子に見を沈め見ていた。しかし、あのときの芝居が「百年の孤独」であったことを覚えていない。芝居に疎かった(今でも十分に疎いのだが)僕は、「百年の孤独」を見に行ったと言うよりも、唐十朗の状況劇場を見に行くように、寺山修司の天井桟敷の芝居世界を見る—というよりも、おっかなびっくり覗くような気分で—出かけていったことを鮮明に思い出した。


さて、今回の「百年の孤独」は、時間を感じさせることなく、一気に終演となった。パパ・タラフマラの「百年の孤独」は、映像美として記憶に留まっている。そしてそれは、いまだ未消化のまま僕の中にまだ残っている。

どうしても気になって芸術館の演劇部門のスタッフに聞いたら「資料ライブラリー」に映像があるという。 

演劇実験室「天井桟敷」第29回公演『百年の孤独』(発売・販売 アップリンク)。
そのビデオの箱書きに
「晴海の国際見本市会場という巨大な空間に設けられた4つのステージと中央にそびえ立つ負の穴。全てのステージで同時進行に劇は進められていくため、舞台の全体をみることのできる観客は誰もいない。唯一残されたこのヴィデオが公演の全貌を伝えてくれる。」
確かに僕はここに居た。このビデオを借りて見ることのできなかった全貌を見ることにした。


上演の会期が1981年7月2日から7日とある。25年前のコトだ。僕は美術展覧会だけではなく、「芝居」も観ようとする単なる野次馬的な観劇者であった。
パパ・タラフマラの小池さんは、鮮明なる記憶とともに、あの空間に居たことだろう。パンフレットに「百年の孤独」を25年前に舞台化したいと夢見たとあるくらいなのだから。その夢をカンパニーまで結成し、今回実現したワケだけど、芝居と本とどちらが原体験なのだろう。どちらであれ、25年にもおよぶ夢があったこと、そして、それが実現できたことは、すばらし!の一言につきる。そして、それはとても素敵な事だと思う。

2005年12月06日

サンタさんのレッド

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COMME des GARCONS のparfums PARFUMS。<コントルポアン>にミュージアムショップ限定販売のクリスマス・ギフトセットとして並ぶ。赤と黒をテーマにする「レッド」と「イノセンス」のシリーズがある。香りをまとうプチぬいぐるみも付いてくる。<コントルポアン>の兄貴店(本店と言うべきか)にあたるnadiffのGOODS情報のチェックをどうぞ。◎コントルポアンの連絡先:Tel: 029-227-0492 。Mail to: contrepoint@arttowermito.or.jp 休店日: 芸術館休館日。開店時間:平常10:00〜18:30 (閉店時刻は催事等により変更することがあります。)

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今日も引き続きバフ作業。昨日削っていた壁は3度塗りして真っ白になっている。


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返却用に梱包されたナイスな冷蔵庫。ちょっと欲しい気分になる。オブジェとしてもサイコー!じゃないかい。

2005年12月05日

展示替え

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次回展覧会の看板貼り付け工事中。終わった翌日、次の展覧会の案内と入れ替わる。


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展示室ではバフ作業が始まる。


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白く復帰させるために、これだけの量を使う予定のよう。


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午前中はAEDの館内研修を受講。


夕方は、京都から会場を見に来た森千裕と会場を回る。その際に始めてランプの中に入る。ちょうどこのあたりでの展示を想定しているため。
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2005年12月04日

津軽

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八甲田近くの標高900メールの宿から下山し、ACAC経由で青森県立近代美術館に向かう。


「アレコホール」で始まり、「アレコホール」での宴会(お酒はないけど、蝦蛄やとリンゴもでました)ランチを経て、「アレコホール」で終わった5場面5話の芝居、延べ4時間30分。休憩を含むと計6時間の県民参加のお芝居「津軽」を見る。県民参加、中でも高校生達の熱演が光る。彼らの人生も文化施設の誕生とともに、何らかの変化を受けることになるかも知れない。たぶんなると思うけど、美術館という建物が出来たことが遠因で企画されたプログラムは機能する。文化を象徴する文化施設が存在することでキッカケが生まれ、影響を及ぼす事例がまた誕生することだろう。ハードができるとソフトが欲しくなる。ハードはコンペを経て委託された建築家、青木淳が設計した秀逸な建物が、竣工を終えて開館を待っている。弘前劇場を主宰する劇作家、長谷川孝治は、そのソフトを担う一人となり彼の責任は重くなった。良い仕事を期待しています。「津軽」の公演はあと2回、10日、11日。1回200席ほどのハズ。

太宰役を務めた「山田モモジ」(確か改名し、モモジが正式名称になったのだよね)は、ますます魅力的な良い役者(顔)になってきた(でしょ)。
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弘前劇場の役者さん「山田ももじ」
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観劇後、最終便までは時間があるため、「津軽」を書いた長谷川孝治さんらと一席。時間に追われるようにして皆でタクシーで空港に。機上の人になった途端、熟睡。長谷川さん的に書くと、「ドスン」で目を覚ます。遅れての到着。最終の特急を逃し、各駅停車で深夜帰宅する。

2005年12月03日

空を飛ぶ

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夕方の便で羽田から青森に飛ぶ。その機内窓から上空に広がる雲を撮る。


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雲の下に降りた時には、眼下に白い建築模型のように見える海に面した街が見えた。


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青森空港に着陸した時にはとっぷり日が暮れていた。

ここから宿に向かい、温泉のお湯に浸かる。

明日は6時間、芝居を見る。ランチを入れて5場面5話もの。

2005年12月02日

ホームグランドIV

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県美術館側から千波湖越しにタワーを望む。今日も晴れた。冷え込みは一段と厳しい。


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色づく銀杏。


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車道では落ち葉が踏まれて道の模様となっている。

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終日芸術館で物書きをする。原稿にメール。
リトルモアの孫さんから「日比野克彦の一人万博」本に関する連絡があり、諸々確認し調整をとる。400数十頁となる本の姿がほぼ見えて確定したとのこと。月曜日に僕が提案した意見が反映されたものとなる。どんな感じのページ構成になったのか、う〜ん、見てみたい。良い本になる予感タップリ。


昨夜、ワインを浴びてよっぱらてしまったPCのマウスが一夜明けて朝から働くようになった。マウスがダウンしクリック指示が出せなくなるとPCはただの明るい箱となる。もう手も足でもない。本の雪崩に気をつけよう!正直、まじで真夜中に一人焦っていました。しなくてはならないこともあり、ふて寝するわけにもいかず。持ち歩きPCで難をしのいだけれどね。


今日のトピックスは、昨夜入っていた1通のメールに端を発する調整ごと。講評会を頼みますねと春言われていて、いつ頃だろうとおもっていたら、その件での事務的な確認のメールが入った。なんと間が悪いことに、絶対に外せない別件があって伺うことができない日。その旨を含めて、日程の連絡を受けておらず聞いていないのですがとレスを戻しておいた。その対応のための連絡。僕の対応可能な曜日を伝えて、先方が全体調整可能か探るという。さて、どうなることだろう。


明日・明後日は寒波襲来と脅かされている青森。そう長谷川孝治の「津軽」を見に行く。6時間の食事付きお芝居。はてさてどうなることか興味深々。長谷川ブログを読む限りでは順調そう。ま、そうじゃないと大変だろうし、ブログの書き込みができているのが何よりの証拠。てんぱっていたら書き込みもしてないだろうから。ヤバ、と言うことは、僕自身日比野展期間中てんぱっていたってことだね。


リトルモアの孫さんの電話は編集方針の変更にともなう内容と文字数の変更だったわけだけど、1万数百点からの選りすぐりの写真400枚強を並べて見ると、僕がベリーベリーショートの髪型(髪もないのに髪型とは変ですね。ま、頭の形丸出しの状態です。)の期間を回想することができる。システムトラブルの復旧が長引いたことを理由にブログを休刊していた間、たしかに僕は濃密な時間の真っ直中にいた。


マイアミのアートフェアーに参加しているキキカイカイに同行している松井みどりさんから、國方作品完売・好評とのメールが入る。彼女の分析では、キキカイカイのブランド力よりも國方自身の作品の魅力のゆえ。さまざまな表現が生み出され、受け入れられていく。保守と革新。その振れ幅の中に全てあるのだろう。


フルクサスのオリジナルメンバーである塩見允枝子著書『フルクサスと何か──日常とアートを結びつけた人々』(フィルムアート社)を読むと、アートがすべからく「態度」であり、その態度を見えるようにするコスチュームが「言葉」であることを改めて実感させられる。
そのことに気付き、「態度」と「言葉」を一人で準備し実践した昨今の日本人アーティストの一人が、キキカイカイを主宰する村上隆なのだろうなと理解している。國方は村上が主宰するGEISAIからデビューした新人であり、来年の松井・森が仕掛ける企画展の作家リストに含まれている。展覧会にも「態度」と「言葉」は必要であり、美術館運営にも「態度」と「言葉」は必要なものだ。


明日訪れる青森県立美術館がどのような態度を、どのような言葉で表明するのか、来年7月のオープンを前に、その発信が聞こえてくるのを楽しみ待っている。

2005年12月01日

ホームグランドIII

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今日も快晴。なれど冷え込む。12月に入り「師走」。あと31日で2006年。1年が早い。忘年会・慰労会のシーズンですね。


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会期終了まであとわずか。展覧会は12月4日(日曜日)まで。まだごらん頂けていない方は是非、水戸芸術館まで。アンコウ鍋も美味しい季節になりしたからね。


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今年で10周年目となるスターライトファンタジーの点灯式が行われました。今年は、芸術館の建物もライトアップされている。今日から1月15日まで開催される。
30分ほど外にいたらすっかり冷え切ってしまった。寒い寒い寒い。


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UFJ総合研究所の主任研究員で芸術・文化政策センターのセンター長でもある太下義之さんが久しぶりに水戸入りするから、ランチでもと前日に連絡をくれた。90年代のプログラムで一緒した仲。たわいもないアート談義をするも、専門家ならではの視座があり勉強になる。当然、横浜での諸々の活動についても話をするわけだが、僕が気にいっているBankART NYKでの牛島さんの展示は見ていないと言う。勿体ない。これから横浜に行く人は是非、ご覧下さい。
ここでの牛島達治作品展示は僕の一押しです。この作品は同時開催中の「ランドマークプロジェクト」の1出品作品であり、BankART Studio NYK[旧日本郵船倉庫]の3階の改装されていない倉庫のまま空間に展示されています。


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「記憶—原動—場」


1ノットの早さでロープが廻り、中央に吊られている重りの役目も果たす二つのバケツがゆっくりと上下する。バケツの中には、床を掃除したときのゴミが入れられている。
110坪の空間に1ノットの早さの作品、この1点。「やられた!」感たっぷり。森美術館の杉本博司展でのヤラレタ感とはまた別物。ぜひ、3階奧まで足を進め、アート作品の効能をおためし下さい。