フォーカス
2011年、美術の展望
2011年01月15日号
執筆者一覧
阿部一直(山口情報芸術センター[YCAM])/飯沢耕太郎(写真評論家)/五十嵐太郎(建築批評)/大向一輝(国立情報学研究所准教授)/影山幸一(ア-トプランナー)/鎌田享(北海道立帯広美術館)/木村覚(美学、パフォーマンス批評)/小吹隆文(美術ライター)/酒井千穂(美術ライター)/坂本顕子(熊本市現代美術館)/SYNK(デザイン批評チーム)/須之内元洋(メディア環境学、メディアデザイン)/住友文彦(キュレーター)/角奈緒子(広島市現代美術館)/中井康之(国立国際美術館)/能勢陽子(豊田市美術館)/日沼禎子(国際芸術センター青森(ACAC))/福住廉(美術評論家)/光岡寿郎(メディア研究、ミュージアム研究)/村田真(美術ジャーナリスト)/山口洋三(福岡市美術館)/鷲田めるろ(金沢21世紀美術館)
福住廉(美術評論家)
2011年の関心事
「……横浜トリエンナーレ2011じゃないでしょうか。逢坂恵理子さんを中心とした女子チームがどんな国際展を打ち出してくるのかというところに注目するのはもちん、横浜トリエンナーレという国際展そのものの方向性をそろそろ固める必要があるからです。…(中略)…もうひとつ挙げるとすれば、来秋に府中市美術館で予定されている「石子順造展」(仮)。美術評論家でありながらマンガ、銭湯のペンキ絵、丸石神、小絵馬など、民衆文化と大衆文化をとらえようとしたキッチュ論で知られていますが、その石子の思想を21世紀のいま、どのようなかたちで振り返り、なにを得ようとするのか。……」
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光岡寿郎(メディア研究、ミュージアム研究/早稲田大学演劇博物館GCOE研究助手)
とりあえず「シェルター(Community-Centered Shelter)」と呼ぶしかないもの
2010年は、日本のアートシーンの近年の動向が一斉に顕在化した年だったのではないだろうか。2000年に越後妻有トリエンナーレ、翌年に横浜トリエンナーレとそれぞれ地方、都市型の代表的な芸術祭が始動し、一方では2002年にカフェ・イン・水戸、2004年にはBankART1929と常設アートスペースの多様化が進んだ。この意味では、21世紀最初の10年を通して、「アート」は社会生活の「ハレとケ」の両面へと浸透していったように見える。そして昨年は、あたかもその集大成のように、瀬戸内国際芸術祭、あいちトリエンナーレといった大規模な芸術祭から、信楽まちなか芸術祭や松戸アートラインプロジェクトといった街角での取り組みまで、バラエティに富むアート・プロジェクトが開催された。
そのうえで、今年注目したいのはSocial KitchenやKajico★1といった「シェルター」(むしろCommunity-Centered Shelterと呼びたい)である。両者はそれぞれ京都と岡山にあるスペースで、アートから社会問題に至るまでさまざまなプロジェクトに取り組んでいる、都市というよりは今出川や出石町といった界隈にある文字通り家である。僕がこのようなシェルターに魅かれるのは二つの理由からだと思う。
ひとつは、「アートと社会がつながってしまった後」問題である★2。もしも1990年代半ば以降の「アートと社会をつなぐ」というスローガンが、空間的にアーティストやその作品を美術館から街中、生活空間へと連れ出すことだけを意味したのであれば、この10年間の歩みは一定の役割を果たしてきた。ただ、引き続いて考るべきは、‘So what?’である。例えば、より多くの市民が日常的に「アート」と接したことで、社会に占めるアートの位置づけがなにか変わっただろうか? そして、欧米のマーケットに振り回されてきた日本のアート市場も大きく変わっただろうか? 建前上は日本の大半でアートが街に溢れてしまう近未来の後のことを考え始めたいという関心がある。
もう一点は、このようなシェルターが生きられたグローバルな場所(感覚的には‘Global Spot’が近い語感か)でもありうるということだ。もちろんアートマーケット的には、日本で最大のグローバルな地理的領域が東京であることは間違いない。けれども、実は今出川のSocial Kitchenの3階建てのビルはイスラエルの民族紛争とも、オーストリアのアーティストとも繋がっているというリアリティは僕にはとても大切な感覚だ。昨秋にSocial Kitchenを訪れてディレクターの須川さんの話を伺っていて強く感じたのが、彼女にとってグローバルなものとは日常の「人」と「生きられた場」そのものを通して媒介されているのであり、けっして地方→東京→世界というような単線的な構図には回収されえないという意識だった。
短い文章なので完全には伝えきれないのがなんとも悔しいのだが、恐らく僕が近年のアート・プロジェクトに覚えてきた違和感とは、アートの社会的意義を延命させるために、「地域社会」や「コミュニティ」が都合よく密輸されていくような印象を持つことがあったからだと思う。もちろん、個々の接点では実際アート・プロジェクトが地域社会にプラスの影響を与えてきただろうし、その事実は評価すべきだ。ただ、一方でそれらが都市居住者(僕も含め)によって記述され、都心のメディアによって編集され流通していくまさにいまこの構造そのものが、「地域社会」の強度を「アート」の一構成要素へと還元してしまう。その点で、むしろ生活することを前提としたSocial Kitchenのようなシェルターに魅力を感じるのだろう。街の片隅を生きるからこそ、美術館と張り合う必要もなければ、都市として東京を意識する必要もない。そして、彼ら自身積極的に「アート」の文脈で評価されることすら願ってもいない。ただ、その場所に根ざして(rooted)、人々のハブとなることの継続が結果として「アートフル(artful)」になりうるという直感を与えてくれる。恐らく2010年代は大規模な芸術祭の淘汰が進むだろうし、それが望ましいが、むしろ既存のアート・プロジェクトの枠組みからこぼれ落ちたシェルタータイプのプロジェクトを今年は見守ってみたい。
上述の紙幅が膨らんでしまったので、光岡個人の今年の予定に関しては、「toshiromitsuoka.com」をご参照いただければ幸いです。
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村田真(美術ジャーナリスト/BankARTスクール校長)
2011年の関心事
「……今後のこととも関係するので最後に触れておきたいのは、新潟市美術館問題。展示室内にカビやクモが発生し、文化庁が国宝・重文の展示を禁じる通達を出して、実際に国宝を含む仏像展が他館に振り替えられたことで問題が顕在化しました。そのときの館長の北川フラムさんが、2009年の「水と土の芸術祭」をやったときに館内に湿った土を持ち込んだことが原因とされています。管理上の不備は指摘されて当然ですが、これまで美術館でやってこなかったことに果敢に挑戦したという美術館の姿勢は尊重したい。……」
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山口洋三(福岡市美術館)
2011年の関心事
2011年にどんなことが日本各地、世界各地で予定されているのかよく知らないので、そうしたことについて期待はあまりない。それよりも、「終わったこと」についてそれを総括する論評やドキュメントが巷に少ないのではないか。たとえば1980年代以降の美術の回顧、美術館・博物館における指定管理者制度の導入など。これなしに確固たる美術状況を国内につくれるのか(って誰に言っていいのか。あんまり人のこと言えませんけど)。
2011年のプロジェクト、執筆予定の著書など
今年7月、福岡市美術館・長崎県美術館は「菊畑茂久馬回顧展」を共同開催(福岡市美術館、2011年7月9日〜8月28日/長崎県美術館、2011年7月16日〜9月4日)。ほぼ同時期に、1人の作家の回顧展を、複数の視点で開催する予定。
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鷲田めるろ(金沢21世紀美術館)
2011年の関心事
2011年もローカリティへの関心は続くだろう。
年末各紙の「回顧」欄を見ていると、瀬戸内国際芸術祭やあいちトリエンナーレにおける長者町での試みが頻繁に取り上げられていた。これら一過性の“イベント”の盛り上がりを経たうえで、さらに中長期的に、じっくりと地域と向き合う姿勢が求められる。2011年がその深化の年となることを願う。
具体的には、作家が長くひとつの地域に滞在し、制作することをサポートしたい。それがじわりと地域に影響を与えるようになってほしい。各地域で独自の課題と方法を見いだしてゆかなければならない。この点では、2011年度、文化庁が地域のアーティスト・イン・レジデンスを支援する姿勢を見せていることを評価したい。
地域ごとの独自の方法を探るには、自分の足下を見つめ直すしかない。私が住み、活動する金沢の場合は、伝統的な文化と向き合い、そのなかで今日のアートシーンに有効な部分を学び取ること、両者を接合し、新しいものを生み出してゆくことが重要だろう。金沢独自の方法を示すことがすなわち、他の地域における美術のあり方を示すモデルともなる。
CAAKとKapo、まちやゲストハウスといったNPOの協働によるアーティスト・イン・レジデンス機能の強化、市内NPOが連携する金沢クリエイティブツーリズム実行委員会による金沢の作家のアトリエ訪問とオープンスタジオ、また、artscapeによる、地方の小さなアートスペースのネットワークづくりとノウハウの蓄積を目指したダイアローグ・ツアー、これら昨年私が関わった活動は、金沢における作家の交流と活動、発表の環境を整えてゆくための試みであった。
さらに、昨年、金沢・世界工芸トリエンナーレにコーディネーターとして関わったことが契機となり、金沢での独自の展開を探るにあたって、金沢で盛んな茶道に着目するようになった。特に、茶道がプライベートな家に人を招き、鑑賞(と収集)の場をつくる技術から出発している点と、その場づくりの技術が家元や茶道の先生といった専門家に独占されるのではなく、茶道を嗜む人に広く開かれて、町人、武家、貴族の趣味と様式を反映しつつも横断的に発展してきた点に関心がある。個人のプライベートな空間をパブリックに開放し、さまざまな価値観が共存、衝突する、小さな美術のための場を運営することは、CAAKの活動やオープンスタジオといった手法に共通する特徴である。茶道の文化が長らく積み重ねてきた場づくりの具体的な試行錯誤を参照しつつ、市民による美術の場づくりの、金沢独自の展開を試みたい。2011年は、美術の地域への関わりを地道に深めるときである。
2011年のプロジェクト、執筆予定の著書など
金沢21世紀美術館で今年企画を担当する展覧会は、3月には情報公開される。乞うご期待。1月から3月までは、金沢クリエイティブツーリズムやartscapeのダイアローグ・ツアーなど、2010年度に開始した活動がどのような着地点を見せるのかが自分でも楽しみだ。