「いいね、棍棒!」と、全日本棍棒協会の活動をヴェネチア・ビエンナーレで世界に発信したいと決めてから、企画の背骨となるモチーフが固まった。一方で、棍棒はあまりに突飛すぎる対象なので、以下ではそこに至った経緯を解きほぐしていきたい。

(「①詐欺メール!?の編」から続く)

ヴェネチア・ビエンナーレのキュレーター候補としてコンペへの参加権を得た惠谷浩子さん(奈良文化財研究所)とのミーティングは、お互いの本業と家庭のあれこれが終わってからの、毎晩22時にコツコツと続けられていた。

「①詐欺メール!?の編」に書いたとおり、建築展としてのテーマには「風景」の一語を据えた。ただし風景の審美性を伝えたいのでもなければ、ともすれば「丁寧な暮らし」と括られてしまう情緒に訴えたいわけでもない。風景を変える、力強いメッセージを伝えたい。よりラディカルに、ときにカオスでいながら、悩みながら進んでいるようなもの。やっぱ土臭いものがいい。

カッキーン!あ、銭湯。

そんなモヤモヤを吹き飛ばすようなブレイクスルーを持ってきてくれたのは、やはり棍棒だった。2024年4月初旬、惠谷さんと私は奈良県宇陀の運動公園で、棍棒飛ばしの練習に加わらせてもらっていた。ゴン、コロコロリ……くらいしか転がらず、飛んでいかない。不甲斐ない素人ふたりを横目に、棍棒飛ばしの伝道師たちの棍棒は、空にブーメランのようにクルクルと回転しながら宙を舞う。その様子を、口をあんぐりとあけながらふたりで見ていたとき、空から落ちてきたのが「せ・ん・と・う」の四文字だった。

棍棒飛ばしが上達したあとの、惠谷さんのナイス棍棒[筆者撮影]

わたしには、建築出身で道を踏み外した大先輩がいる。栗生はるかさんだ。彼女が属する「文京建築会ユース」の活動では、おもに文京区の取り壊される建築を、なんとか保存しようと這いずり回り、残せないのならせめて記録だけでもと、モノを残し展示している。そして、絵葉書や新聞を発行して伝えていく。ときに建築の保存は、負け戦だと言われることがある。それは取り壊しが決まってからでは、声を上げても遅く、その時点では挽回できないことが多いからだ。でも、たとえ保存に敗れても、その積み重ねによって、次の危機的な建築への保存の足音はかならず近づいてくる。そんな彼女が声を上げたことで、守られた奇跡的な事例が、今和次郎設計の旧渡辺甚吉邸の移築であった(彼女の貢献が知られて無さすぎるので、今一度敬意を評して世のみなさんに伝えたい!)。

そんな文京建築会ユースの活動が、最近妙な活動の展開をしていることを、SNSを通じて見てはいた。「銭湯山車」がそれだ。廃業し、取り壊される銭湯の欠片をアッセンブルして、山車にして曳き廻しているのだ。文京建築会ユースでは、それまではそうした欠片は資料として丁寧に展示することで、価値を伝えてきた。それが山車にして、神田祭で曳き廻し、極めつけは巡行の音楽が「ババンババンバンバン、いい湯だな♪」である。そんな、良い意味でイカれた銭湯山車は、新しい風景を作るのだと、カッキーンと棍棒よろしく、強く鼓舞してくれるものだった。ビエンナーレは棍棒に加えて、銭湯山車だ! 願わくはこれを曳き廻してヴェネチアの人々を戦慄せしめよ!

取り壊される銭湯と部材のレスキュー[撮影:栗生はるか]

それぞれから集まってきた部材、あるいは新規の部材などが組み合わされ銭湯山車はくみ上がる[筆者提供]

神田祭を曳き回される銭湯山車[撮影:田井中潤]

神と科学と自然とつなぐもの

棍棒と銭湯山車。「私たちはもう戻れなくなったね」という惠谷さんとの高笑いに、宇陀の森の木々はざわめき、そして鳥たちは一斉に逃げ仰せた。まったくの根拠もないけれど、紹介するアーティストは2よりも「3」のほうがバランスがいい。追加で打診する作家については、当初からアイディアがあった。それは本企画の構想中に発生した能登半島地震に関わっている。震災からのレジリエンスを世界に伝えたいと思っていた。それが私がいま金沢に住んでいるからこそできること、あるいはしなければいけないことと感じてもいた。

周知のように、2024年1月1日に起きた能登半島地震は、多大な被害をもたらした。この地震で失われた多くの人命と、そして能登という半島が生み出した文化。その奪われたものの大きさに呆然とする。その一方で、震災直後からの縁もあり、能登に通い始めたが、当然のことながら、各々の工夫した生活再建が始まってもいる。新しい風景は、これから能登に生み出されていくのだろう。その変わる風景も含めて、いまに併走することが、金沢に住むものとして出来ることかなと思ってもいた。

そうしたなかで、じつは地震の前と後とでも、生活は結局あまり変わらないのよと教えてくれる方がいた。萩野紀一郎さん、萩のゆきさん夫妻であった。彼女たちの変わらない能登での生活を通じて、風景は人が作っているのだという、その基礎を伝えられるかもしれない。そうして、3組目として萩野夫妻の活動である「のがし研究所」を紹介することにした。萩野夫妻は、輪島で丸山組として長く活動を行なってきた。能登にはアエノコトという田の神様を迎える祭がある。丸山組では、植物学者などの研究者とともに環境モニタリングの結果を、このアエノコトのなかで祈りを向ける対象ともしている。祈りと科学とを、自然に行なってしまうあたりに、この夫婦の特別さがある。

環境モニタリングの結果に向かって恵みに感謝するアエノコト[提供:萩のゆき]

ピクチャレスク化してしまう風景の概念。それに対して「文化的景観」という概念は、風景を作る構造自体を守るというように、価値観をシフトさせるものであった。丁寧な暮らしは、その意味では、美しさに切り取られた暮らしのイメージが強すぎる。そうした表層に現われる美しさを否定するわけではなく、その深部を作る見えない構造への理解も同時に重要であり、それが輪島での震災前後でも変わらない暮らしを取り上げることと、科学と祈りとが加わった、この夫妻の暮らしを取り上げることが大事に思えたのだった。

こうして、展示で紹介する3組のアーティストを決めたが、展示はいかに伝えるかにかかっている。このテーマを伝えるための、空間と言葉の設計がはじまった。

展示で伝えられること、本で伝えられること

言葉の部分は、陣内秀信さん(建築史家、法政大学名誉教授)と、阿部健一さん(文化人類学者、総合地球環境学研究所)にお願いした。陣内さんは、言わずとしれた都市の研究者であって、都市をタイポロジーで分析しながら、都市の構造を読み解いていく。ヴェネチアと東京の都市をくまなく歩き、構造を読み解いていった。そして、文化人類学者の阿部さんは、アーティストと研究者を架橋するような対話の機会を多く生み出してきた。このふたりのお父ちゃんに、惠谷、本橋は背中を押してもらうことで、より暴れることができる。

一方で、キュレーターとしての私は、展示でできること、できないことを切り分けて伝え方を設計したいと常々考えている。展覧会も来場者の層や、そこに滞留する時間、規模、内容によって、とるべき展示の手段は当然変わってくる。ヴェネチア・ビエンナーレはどうか。日本館もあるジャルディーニという公園のような場所が主会場のひとつとなる。ほとんどの人は、この会場に1日以上は滞在しない。一般来場者であれば4時間もいればいいところだろう。そこにおおよそ、20カ国のパヴィリオンが収まる。つまりは、単純計算すれば、各国のパヴィリオンの滞在時間は15分程度だろう。この時間のなかで、会場を巡ってもらうとなれば、おのずと読んでもらうべきテキスト量と、そこで伝えられることの量は決まってくる。それに、いくつもの文字だらけの会場を巡ってくるのだから、もうヘトヘトで文字疲れしているだろう。そんな文字疲れに、棍棒を打ち鳴らせ! 山車を曳け! と、眠気を吹き飛ばす装置も用意していたが、要は文字を省いていかざるを得ないのである。

ただ矛盾するようだが、言葉を尽くすことは大事だ。難解なテーマを、きちんと解説するテキストは不可欠となる。そこで、多くの海外のパヴィリオンは、このヴェネチア・ビエンナーレという場所で、本を発刊することで、ステートメントを発信する場としている。本であれば、展覧会に訪れない人にも伝えることができる。そこで、コンペの提案書では本を出版することを大前提とし、出版社との協議を提案書の時点で行なっていった。書籍化にはフィルムアート社が興味を示してくれ、当然のごとくバイリンガルで、同時に本の構成もバッチリ、予算も相談し、出版社内で企画書も通してくれていた。

持ちつ持たれつな構造

そしてこの構想を形作るのに展示デザインという仕事が必要になる。建築チームとしては、原田雄次さんも加わるエフェメラル・リサーチ(原田雄次、クラウディア・トーレス、クララ・ロイター、クララ・シュトラウブ)に依頼した。このチームと一緒に仕事をしたかったのは、かれら自身もまた同じように風景を掘り起こす耕起者としての側面をもつからだ。原田さんによる広島の作品《忠海集学校》は地域の漁撈文化がもつテクニックを建築の構造に取り込んだものだ。この原田さんを中心として、チリ人メンバーを含めたこの多国籍チームで、今回の展覧会の内容をよく読み込んでもらい展示のデザインを作っていった。

そこで出てきたアイディアが「テンセグリティ」であった。これらは、各要素が紐の張力を介して、繋がり合って持ちこたえている構造だ。この構造を考案したのはバックミンスター・フラーであり、彼が設計した「フラードーム」は、モントリオールにいまなお残る代表作である。そんなテンセグリティを採用したのは、この構造のもつ理念とテーマとのあいだに意味的な整合性が取れたからである。

エフェメラル・リサーチが設計したYAPパビリオン、山中湖のテンセグリティドーム[撮影:Claudio Torres]

テンセグリティでは、各部材が繋がり合いをもって、保っている。ここから、風景がもつお互いの関係性のなかで構築される構造的性格を重ね合わせることができると考えた。無機物/有機物や生物/無生物にいたるまで、各要素が繋がり合って、また適度な距離感を保ちつつ関係性を作っている。そうした構造をテンセグリティのなかに投影したかった。

加えて私たちが直面していた問題は、今回の限られた予算のなかで、日本館を充足させるのに十分な什器をどう輸送できるだろうかというものであった。そうした輸送の観点でも、この構造は優れたものだった。フラーは常にものの重量を考える人でもあった。テンセグリティは、少ない部材でおおくの面積を支えることのできる構造でもある。各部材は、輸送時にはコンテナの隅っこに収まるサイズでありながら、組み立てると全体を覆う構造になる。実際に見積もりのうえでも現実性を帯びたものであるとわかった。

提出案イメージパース(エントランス付近)[制作:エフェメラル・リサーチ]

提出案イメージパース(ピロティ部分)[制作:エフェメラル・リサーチ]

提出案イメージパース(展示室内)[制作:エフェメラル・リサーチ]

提出模型[制作:エフェメラル・リサーチ]

いざコンペ、そして敗戦。

さらにチームには、企画を客観的にとりまとめてくれる友人の編集者、福田容子さん、映像作家の澤崎賢一さん、イラストレーションにイザベル・ダイロン、現地でのワークショップコーディネーターに高橋未央さん、そしてグラフィックデザイナーに西岡勉さんを加えて案をまとめていった。──ボタンひとつ押せば、展示まで一気に走り出せる。そんなところまで企画を詰めきることのできた、惠谷さんとの自信作でもあった。

しかし、コンペの結果は敗戦。あっけないものではあるのだけれど、残ったのは企画書のみ。

とはいえ、建築から風景を捉えることは、いまだに新たな視座を世界に届けられるものだと思っている。かつてのビエンナーレが担ってきた各国が競い合うという伝統的な構図のなか、各国共通で普遍性の高いテーマがいっそう求められつつあるいまのビエンナーレの状況に照らしても、私たちの企画はシナジーを見出すことができる。一方ではもちろん、これが建築展なのか? という疑問もありうるだろう。美術展と建築展との境が曖昧になっているという近年しばしば問われる指摘を受けて、そもそも建築展とはなにかという問題を真摯に考えていく必要も感じている。いくつもの課題と得られた気づきを慰めにして、このお話を閉じようと思う。

春は空からさうして土から微に動く。

──長塚節『土』(1910)

耕起される風景、建築の根っこを掘り起こす
Tilling Landscapes: Archē in Architecture

キュレーター:惠谷浩子
ディレクター:本橋仁
出展作家(3組):里山制作団体つち式、のがし研究所、銭湯山車巡行部
イラストレーション:イザベル・ダイロン
映像制作 :澤崎賢一
展示デザイン:エフェメラル・リサーチ(原田雄次、クラウディア・トーレス、クララ・ロイター、クララ・シュトラウブ)
植物コーディネーター:高橋未央
アドバイザー:阿部健一、陣内秀信
編集者:福田容子
グラフィック・デザイン:西岡勉