会期:2025/02/01~2025/03/30
会場:A-LAB[兵庫]
公式サイト:https://www.ama-a-lab.com/exhibition/a-lab-exhibition-vol.46
第2回白髪一雄現代美術賞を受賞した井上裕加里の個展。2022年6月にイランに滞在した経験に基づく近作群と、「ヒロシマ」の被害者像が「母子像」としてジェンダー化された構造を問う新作の、2つの軸からなる。両者をつなぐのが、人形/彫像として女性を表象化する眼差しの背後にある、家父長制の支配構造だ。
本展のタイトル「JIN, JIYAN, AZADÎ 女性、命、自由」は、2022年9月、イスラム共和国のイランで、法律で義務化されたヒジャブの着用が不適切だったとして道徳警察に逮捕されたマフサ・アミニが死亡したことに対する抗議デモのスローガンである。井上がイランに滞在したのは抗議デモが起こる3カ月前だが、日本と同様にジェンダーギャップ指数の最下位ランクに位置するイランを実際に訪れることで、ジェンダーや女性の地位について多角的に考えたいという動機があった。
展示会場の入口には、イランの地下鉄で女性専用車両を示すピクトグラムが大きく掲げられている。女性専用車両の標識は、「公共空間で男女を厳格に分ける宗教的要請/性被害対策」という、地理的にも設置理由も大きく隔たるイランと日本を架橋する。一方、ピクトグラムの比較から、両国の差異も見えてくる。イランのピクトグラムではヒジャブが「女性の象徴」として視覚化されているが、カラーは黄色(地下鉄)と青(女子トイレ)であり、「女性専用車両はピンク、女子トイレは赤」という日本におけるステレオタイプなジェンダーカラーを逆照射する。
[筆者撮影]
[撮影:表恒匡]
本展の軸のひとつが、イランおよび隣接するパキスタンで近年起きた「名誉殺人」を、イスラム版のバービー風着せ替え人形「Fulla(フッラ)」を用いて写真化したシリーズ「女性は罪を贖うために死ぬ」である。「名誉殺人」とは、「貞節」を守るべしという性規範に抵触したと見なされた女性が、「家族の名誉を守る」という理由で実父や(義理)兄弟によって殺害(惨殺)される、凄惨な家庭内殺人である。井上の写真作品では、ヒジャブをかぶった少女の人形たちが、少年の人形と通話する、ベンチに寄り添って座る、手をつないで踊るといった日常的で楽しげなシーンが、イランの明るい戸外で撮影されている。だが、これらは「電話で男性にアプローチしていた」「父親の反対する男性とつきあった」「人前で踊った」など、「死に値する罪」と見なされた行為だった。
[撮影:表恒匡]
井上裕加里「女性は罪を贖うために死ぬ」(2022/2025)シリーズより
井上裕加里「女性は罪を贖うために死ぬ」(2022/2025)シリーズより
ここで、井上の被写体が大量生産された既製品の人形であることは、二重の抗議をはらむ。家長(男性)にとって妻や娘、姉妹は自らの所有物であり、(性的自由も含めて)意思決定の権利を持たない受動的な「人形」としてまさに見えていたこと。また、被写体が既製品の人形、すなわちどの作品でも「同じ顔」をしていることは、何度も反復可能で再生産され続け、個別のケースを超えた普遍的な構造であることを示唆する。彼女たちは「家父長制という暴力の被害者」という点では、みな同じなのだ。個人の顔貌すら奪われたその痛ましさにこそ目を向けるよう、井上作品は見る者に強く促す。少女たちが玩具として遊ぶ着せ替え人形を用いて、彼女たちを支配する「家父長制の眼差し」そのものをあぶり出す点に、本作の要諦がある。
一方、本展のもうひとつの軸が、「ヒロシマ」の被害者像のジェンダー化である。敗戦後の日本が軍事国家から民主主義的な平和国家へ転換したことを視覚的に示すために、「公共空間に設置された女性の彫像(裸体像)」が利用されてきたことは、小田原のどかによって指摘されている★ 。井上は、広島の平和記念公園に設置された女性の彫像に着目し、リサーチした。公園内にある慰霊碑や記念碑で人の形をしたものは11体あり、そのうち女性の彫像は、折り鶴を掲げた少女像である菊池一雄《原爆の子の像》(1958)など7体を占める。「三日月を踏んで幼子イエスを抱える聖母マリア」という西洋絵画の古典的図像を引用した 圓鍔 勝三《平和祈念像》(1977)や、ぐったりとした教え子を抱えた女性教師を彫像化した芥川永《原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑》(1971)など、「母子像(子どもを抱えた女性像)」が多い。
中でも井上が着目したのが、本郷新《嵐の中の母子像》(1960)。平和記念資料館─はにわの家型をした「原爆死没者慰霊碑」─「平和の灯」─原爆ドームという軸線上に位置すると同時に、「子どもを守る強い母」として表象されているからだ。右手で乳飲み子を抱え、左手で幼児を背負い、前かがみで嵐の中を進む若い母親の彫像である。井上は、この《嵐の中の母子像》を3Dスキャンして1/20サイズに出力した型を制作し、パラフィンワックスと母乳を流し込んで「ロウソク」として複製し、原爆の残り火から採火した火を灯した。展示会場では、ロウソクの母子像がゆらめく火とともにゆっくり溶けていく様子を記録した映像作品と、溶けた後のロウが展示された。「原爆の残り火で母子像のロウソクに火を灯す」行為は、両義的な批評性をはらむ。それは、追悼であると同時に、「女性=か弱く無垢な犠牲者」かつ「子どもを産み、身を挺して子どもを守るべき母親」という家父長制の支配下で二重に強化されたステレオタイプやジェンダー規範を、文字通り「溶かして消滅させていく」のだ。
[撮影:表恒匡]
「ヒロシマ」の被害者像を女性にジェンダー化することで、何が隠蔽されてきたのか。それは、戦前の「廣島」が「軍都」であった軍事国家の事実の忘却であり、「原爆被害」をナショナルな語りとして領有することによる植民地支配の歴史の忘却である。本展の展示会場は元公民館であり、複数の部屋が通路の奥へと続く。その最奥で展示されるのが、戦前に朝鮮半島から広島へ渡って被爆した在韓被爆者女性に取材した《幾度なく滅される人》だ。インタビュー映像とともに、太陽光で感光させるサイアノタイプを用いて、ポートレートを黒く変色させ、パスポートのようなデザインで作品化した。露光は、被爆の79年後の2024年8月6日8時15分に、当時の職場だった広島貯金支局跡で行われた。黒く塗り潰されたポートレートは、「黒い雨」の連想とともに、韓国国内では差別から「沈黙」を余儀なくされ、戦後の日本国籍消失によって救済措置から排除された、二重の不可視化の事態を示す。「ヒロシマ」の被害者像のジェンダー化と「原爆被害」のナショナル化という支配的な語りの背後には、より複合的で見えにくい構造化された差別や忘却があることを、本展は照らし出していた。
井上裕加里《幾度なく滅される人》(2019/2025)[撮影:表恒匡]
★── 「彫刻を見よ──公共空間の女性裸体像をめぐって」|小田原のどか:artscape フォーカス(2018年04月15日号)
鑑賞日:2025/03/26(水)
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