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井上裕加里「Women atone for their sins with death.」

2022年09月15日号

会期:2022/07/30~2022/08/07

KUNST ARZT[京都府]

戦前に広島に渡り被爆した在韓被爆者、終戦による「国境線」の引き直しによって故郷から分断された日韓の女性たちの個人史、ルールの服従と排除による「集団」形成のプロセスの可視化。井上裕加里はこれまで、東アジアの近現代史や共同体の境界線を批評的に問い直す作品を発表してきた。

「死をもって罪を償う女性たち」というタイトルの本展では、イランおよび隣接するパキスタンで起きた「名誉殺人」をテーマとする写真作品を発表した。ともにイスラム共和国である両国では、女性の人権に対するさまざまな制限に加え、「貞節」を守るべしという性規範に抵触したと見なされた女性が、「家族の名誉を守る」という理由で父や兄弟によって殺害(惨殺)される「名誉殺人」がしばしば起きている。

日本とイラン。地域的・宗教的な隔たりを架橋する仕掛けが、ギャラリーの扉の表/裏にそれぞれ掲示された両国の「女性専用車両」のサインだ。公共空間において男女を厳格に分ける宗教的要請に基づき法制化されているイランとは異なり、日本では「女性専用車両」に乗車するかどうかは個人の選択だが、設置の背景には痴漢の性被害に合う「公共空間」の非安全性がある。井上は、「女性専用車両」のサインを「公共に開かれた安全な空間」であるべき展示空間にインストールすることで、表現の現場調査団による『「表現の現場」ハラスメント白書2021』が明らかにしたように、ギャラリーや美術館もまた、「性差別的発言」「男性観客による執拗なつきまとい」といった性被害に脅かされる「安全ではない」空間であることを突きつける。



ギャラリーの扉(表側)の展示風景




ギャラリーの扉(裏側)の展示風景


そして、扉の内側には、「名誉殺人」の事例を人形で再現した写真作品計7点が並ぶ。被写体に用いられたのは、「Fulla(フッラ)」という名前の中東・イスラム版のバービー風着せ替え人形。褐色がかった肌、黒い目、ヒジャーブ(スカーフ)の下は黒髪だが、目鼻立ちやスレンダーな体型はバービーを思わせ、「アラブ美人」のステレオタイプ化という点でも興味深い。井上は、衣装の何着かを手作りしたフッラ人形とともにイランに渡航し、現地の路上で「再現シーン」を撮影した。添えられたテクストには、各事件の経緯が記される。女性性をアピールする写真やリベラルな発言をSNS上で公開し、パキスタン初のソーシャルメディア・スターと呼ばれたモデルのカンディール・バローチは少し異色だが、彼女以外は10代の少女で、「父親の反対する男性とつきあった」「親族ではない男性と通話した」「出席した結婚式で異性の前で歌い踊った」「バイクの少年を二度振り返って見た」といった行為を理由に殺害された。



井上裕加里《Case Pakistan -3 “named as Bazeegha, Sereen Jan, Begum Jan and Amina”》




井上裕加里《Case Pakistan -5 “Anusha”》


これらはいずれも、実の父親や(義理)兄弟による「家庭内殺人」である。ここに、単に「イスラム教の怖い国」「人権意識の遅れた地域」と切り捨てられない、DVとの構造的類似性がある。すなわち、妻や娘、姉妹は家長(男性)に従属する所有物であり、(性の)管理の対象と見なす家父長制的支配構造だ。自分の意のままに従う、意志も声も持たない受動的な人形。男たちには、娘や妹がまさにこのように見えていた。井上による「再現シーン」は、「殺害現場」そのものの再現ではないが、「男たち自身が見ていたビジョン」の再現という意味で恐るべきイメージである。そこでは、「理想美の造形化」に加えて、「家父長的支配者である男性にとっての規範的女性像」として、女性たちの身体は二重にモノ化されているのだ。



展示風景



公式サイト:http://www.kunstarzt.com/Artist/INOUEyukari/iy.htm

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