名古屋に住んでしばらく経つと、セレクトショップに置かれたイベントのフライヤーや、ライブハウスで出会う女性の首にかかった手ぬぐい、店主に趣味のありそうな飲食店や美容室、尼ヶ坂駅近くの家の壁などで、同じ画家かデザイナーのものであろう絵を目にするようになる。それはアーモンド型の大きな目をもつ少女や白いワンピースを着た髪の長い巨大な女性の絵だったり、手に目鼻が描かれたキャラクターだったりするのだが、そのどれもが鷲尾友公という人物によるものであることに、ある時期気づくだろう。

街のいたるところにある「手跡」

名古屋市北区大杉の長屋に描かれた鷲尾による壁画(通称:ミツメちゃん)。2024年3月に開催されたイベント「3月のメロディ」にあわせて公開制作された[筆者撮影]

鷲尾友公(わしお・ともゆき)は、1977年に愛知県に生まれ、いまに至るまで同地を拠点に活動する「アーティスト」だ。美術大学の受験に失敗し、高校のデザイン科を卒業後は名古屋市内の造作会社で働きながら、独学で絵画を学んだ★1。アーティストに括弧をつけたのは、彼が独学者だからではなく、現在「アーティスト」と考えられている人たちの活動の幅を大きく超えているためだ。名古屋のカルチャーシーン、とりわけ音楽シーンに触れていれば、この作家の絵に出会わない方が難しい。名古屋芸術大学で教鞭を執る田村友一郎の言を借りると、街のいたるところに「鷲尾さんの手跡がある」★2のだ。

「あいちトリエンナーレ2019」展示風景、鷲尾友公《Missing Piece》(2019)[©︎あいちトリエンナーレ実行委員会/撮影:Ito Tetsuo]

鷲尾は2019年の「あいちトリエンナーレ」には参加作家として選ばれており、円頓寺商店街の建物の壁に巨大な壁画を描いたので、県外から芸術祭を訪れた人たちも彼の作品を見た覚えがあるかもしれない(同壁画は2023年5月に解体)。しかし、彼の活動が特に美術界にこだわらないもので、さらにこの地域に深く根を張ったものであるために、愛知県外の美術界では、さほど知られていないように思う。そこで本稿では、2025年度に筆者が出くわした鷲尾の活動を、時系列順に紹介していく。

筆者が2025年度最初に参加した鷲尾の関わったイベントは、彼のスタジオ「SUNSHINE UNDERGROUND CURRENT」(以下、「SUC」)で6月22日に行なわれた音楽イベント「インベーダーラダトーム5」だった。鷲尾は名古屋市北区に二つのスタジオを構えており、ひとつは「UTOPIA」と名づけられた元写真スタジオを改装して2020年から使用しているスタジオで、もうひとつが2023年に本格的に稼働し始めた前述の「SUC」である。「SUC」は、鷲尾とその友人たちが倉庫を改装して使用しているスペースで、ギャラリースペース、バーカウンター、古家具の保管庫などを備えている。


「インベーダーラダトーム5」(UTOPIA、2025年6月22日)[写真提供:鷲尾友公]

「UTOPIA」の基本的な用途が制作場所であるのに対し、「SUC」はイベント開催にも使える「交流の場」として構想され★3、現在もそのように機能している。「インベーダーラダトーム」は鷲尾が主催して不定期で開催している実験的なシリーズ企画で、その第5弾となる今回はTHA BLUE HERBのILL-BOSSTINOとCALMのDJユニット・JAPANESE SYNCHRO SYSTEMがゲストだった。鷲尾はクラブシーンのフライヤーやポスターの制作からキャリアをスタートさせたこともあり★4、音楽業界に友人や知人が多い。普段は壁沿いにびっしり家具が置かれたスペースにDJブースが現われ、ギャラリーには奥能登にあるレコードショップとカフェが出店していた(鷲尾は1月に、作品の廃材を仮設住宅の防寒に役立てようと奥能登を訪れていて、そこでその店主たちと出会ったらしい)。会場にはJAPANESE SYNCHRO SYSTEMのファンだけでなく、鷲尾と同世代の近所の人たちや、彼が講師として勤める名古屋造形大学の学生たちも集まっていた。鷲尾のスタジオには、イベントを開催していなくても近所の人たちが立ち寄る場になっており、本稿を執筆するためにUTOPIAで行なったインタビューの最中も、ひっきりなしに誰かがやって来た。

UTOPIAの様子(2022年10月撮影)[写真提供:鷲尾友公]

美術界と音楽界が混ざり合う空間

次に鷲尾を目撃したのは、豊田市で2025年8月に開催された「橋の下大盆踊り SOUL BEAT ASIA 2025」(以下、「橋の下」)だった。「橋の下」は、文字通り豊田大橋の下の河川敷で2012年からほぼ毎年開催されている音楽祭で、アジアの音楽を軸足に据え、バンドに限らず、民族音楽や民謡、伝統舞踊などのグループが参加する、日本のフェス界で類稀な存在だ。バンドTURTLE ISLANDの永山愛樹が主宰する実行委員会が中心となって運営されており、鷲尾は第2回の2013年から関わっている。最初はライブペインティングだけでの参加だったが、「絵師長屋」と呼ばれる屋台で絵馬や看板を描くようになり、2023年からは広報物のデザインや舞台装飾の設計や設営、ブッキングにまで携わるようになった★5

粟津潔に影響を受けた鷲尾のデザインは、浮世絵のような潔い平面性とコラージュ的手法によって特徴づけられており、グラフィカルでありながら、かつ1960年代のアングラ的美学も兼ね備えている。このような作風は「橋の下」がもつ土着的な祭の雰囲気に合致しており、2023年から通い始めた筆者からすると、同祭に抱くイメージと直結している。


鷲尾のデザインによる「橋の下大盆踊り SOUL BEAT ASIA 2025」ポスター

ひとつのステージのバックパネルには鷲尾のアイコンとも言える巨大な「手君」が突き出しており、同じキャラクターは投げ銭の返礼として用意された手ぬぐいにもプリントされている。鷲尾は絵師として「長屋」で出店者の看板を描いていたかと思えば、最終日に登場する山車にペイントしたり、TURTLE ISLANDの出番で手ぬぐいをステージから投げたり、目まぐるしく動き回っていた。

「橋の下大盆踊り SOUL BEAT ASIA 2025」の様子[写真提供:橋の下世界音楽祭実行委員会/撮影:MIKI KAMADA]

絵師長屋で「手君」のオブジェに色を塗る鷲尾の様子[筆者撮影]

2025年秋に開催された国際芸術祭「あいち2025」にも、鷲尾はパフォーミング・アーツのプログラムのひとつに共同企画者として携わった。芸術祭の内覧日と開幕後の2日間、バゼル・アッバス&ルアン・アブ=ラーメ、バラリ、ハイカル、ジュルムッドによる『Enemy of the Sun(エネミー・オブ・ザ・サン)』が、Live & Lounge Vioという新栄のライブハウスで内覧日も合わせて3日間上演された際、鷲尾は前2日に同じフロアにあるCLUB MAGOでクラブイベントを企画した。

会場入口に設置された竹のトンネル[©︎国際芸術祭「あいち」組織委員会/撮影:相模友士郎]

9月12日、内覧会の夜に行なわれたイベントは、「橋の下」の実行委員会のメンバーに協力を依頼したため「橋の下あいち2025」と名づけられ、芸術祭の初日となる9月13日は、前述のシリーズに連なる「インベーダーラダトーム6」として開催された。前者にはドラマーの竜巻太郎、後者にはラッパーのShing02やGOTH-TRADらをゲストとして招き、12日には田村友一郎を燕尾服姿でバーカウンターに立たせた。鷲尾は、CLUB MAGOで行なわれたすべての企画業務、つまりほかの出演アーティストや出店者のブッキングやマネージメント、会場美術のデザインや設営までをこなし、まさに八面六臂の立ち回りであった。とりわけ内覧日には「橋の下」でお馴染みの民謡グループ「芳泉会」やボグリ坊主らがステージ外でも演奏しており、県外から芸術祭のパフォーミング・アーツを見るつもりで同クラブを訪れた観客は、芸術祭の参加作家以外のゲストアーティストが次々会場に現われる状況に少々混乱したかもしれないが(特に竜巻太郎が洗濯機を叩き始めたとき混乱はピークに達しただろう)、一般公開初日の13日は鷲尾がブッキングしたアーティストを目当てに来た観客も多く、美術界と音楽界が混ざり合う空間になっていた。

「橋の下あいち2025」での竜巻太郎によるライブ[©︎国際芸術祭「あいち」組織委員会/撮影:相模友士郎]

サービス精神、もといおせっかい精神

最後に紹介するのは、名古屋市美術館での企画展「コレクション×現代美術名古屋市美術館をめぐる4つの対話」に関わる仕事だ。参加作家の田村友一郎が推薦し、鷲尾は広報物とカタログのデザインとディレクションを担当した。田村は、名古屋で若い世代への訴求力ある彼に展覧会の「賑やかし」を期待したため、鷲尾は館内でのさまざまなイベントを提案したらしい。鷲尾発案の企画は、公立館がゆえの制約もあり実現に至らなかったものが多かったが★6、開催が叶ったイベントもあった。そのうちのひとつが、展覧会の閉幕3日前に名古屋市美術館近くのFLOW Loungeで開催したクロージング・イベント「対話の尾張(おわり)」である。

「対話の尾張」でのトークの様子。手前右側でディレクター役を務めるのが鷲尾[筆者撮影]

イベントの内容はこうだ。まずは、田村友一郎がタモリに扮して司会を務め、学芸員や関係者が、聞き馴染みのあるジングルとともに数珠つなぎで次々に登壇する「テレフォンショッキング」に似たトークプログラム。ここでは、田村と仕事の経験がある学芸員が「4つの対話」の感想を話したり、筆者も含め、現在愛知県内の美術館で働いている、あるいはかつて働いていた学芸員が名古屋のアートシーンについて語った。続いて、田村と名古屋芸術大学の学生たちの軽快なトークののち、シンガーソングライターのさらさ、前述の永山愛樹などが参加する「ミュージックステーション」に似たライブが行なわれた(イベントのオープン前には名古屋市美術館周辺を歩きながら目についたものを解説する「ブラタムラ」も撮っていたそうだ)。ここでもミュージシャンや出店者のブッキングはすべて鷲尾が行ない、香盤表まで作っていた。

「対話の尾張」での永山愛樹によるライブ[筆者撮影]

「タムラ」を「タモリ」に見立てるという思いつきから、大勢を巻き込んだイベントとして成り立たせてしまうエネルギーに半ば感服、半ば呆れつつ、これが単なる悪ふざけではないことはすぐに理解できた。同イベントは鷲尾と田村の教え子たちが運営を手伝っており、受付や設営、各プログラムのゲストやアシスタントとして活躍していた。近年は現代美術の展覧会を開催することが少なくなった名古屋市美術館に、今回の企画展やその関連イベントをきっかけに、若い世代にも関心を持ってもらいたいという思いを、両者は共にしていたようだ★7。開幕初日の夜には、やはり非公式で「四つの耐夜」と題したアフタープログラムをFLOW Loungeで開催しており、鷲尾がDJと地元の飲食店をブッキングし、田村がバーテンダーとしてドリンクを振る舞った。これらのイベントは美術館から依頼されたものではないし、有志による館外イベントのため公式の記録には残らないが、どうにか展覧会を盛り上げたいという鷲尾のサービス精神、もといおせっかい精神がもっとも端的に表われていた。

名古屋市中区松原にあるベーカリーショップ「PINE FIELDS MARKET」に置かれた、鷲尾がデザインしたフライヤー[筆者撮影]

鷲尾は間違いなく、名古屋のカルチャーシーンの表象形成の一端を担っている。現代名古屋の文化的景観を作っているとも言って良いだろう。美術館で見られる鷲尾の作品は、筆者が働く愛知県美術館に所蔵された1点のみ★8だが、冒頭で挙げたように、彼の絵には街角で出会うことができる。時にはブルドーザー的な推進力をもって動く鷲尾だが、彼の活動はいつも表立って行なわれるわけではなく、また前述の通り記録に残りにくいものが多い。実際、国際芸術祭「あいち2025」や名古屋市美術館での「4つの対話」のカタログでは、作品リストや奥付にちらりと名前が表記されるのみで、彼がそこでどのような働きをしたかは、作家自身の口から聞く以外で知る術がない。鷲尾をドキュメントすることは、街そのものをドキュメントすることに等しい。だが鷲尾は構わず動き続けるだろう。本稿が、動き続ける作家の2025年度の年輪を、大まかにでも切り取る一助になると嬉しい。


★1──中島晴矢「鷲尾友公:ローカルに根を張り、越境的な表現を生み出す、名古屋の“アーバニスト”」(『美術手帖』2023年7月号、p.64)
★2──「コレクション×現代美術 名古屋市美術館をめぐる4つの対話」展の関連イベントとして開催されたギャラリートーク(名古屋市美術館にて2026年2月11日開催)での発言より。
★3──「採択事業紹介③ 鷲尾友公デザイン研究室・企画 『三月のメロディ』」(『クリエイティブ・リンク・ナゴヤ「つながるコラム」』)2023年3月22日公開、2026年4月5日閲覧(https://creative-link-nagoya.jp/column/582/
★4──「【SPECIAL INTERVIEW】イラストレーター? デザイナー? 画家? 『手君』とともにフィールドを越境し続ける表現者・鷲尾友公。」(『LIVERARY』)2016年5月31日公開、2026年4月5日閲覧(https://liverary-mag.com/feature/47490.html
★5──筆者による鷲尾へのインタビュー(UTOPIAにて、2026年3月24日)より。
★6──同上。
★7──田村友一郎「インタビュー」(『コレクション×現代美術 名古屋市美術館をめぐる4つの対話』名古屋市美術館、2026、p.53)より。
★8──作品情報は下記の通り。
鷲尾友公《It’s Not the End of the World》2021、スクリーンプリント・インク・アクリル絵具、画布(愛知県美術館蔵)
https://jmapps.ne.jp/apmoa/det.html?data_id=21163