
モーリス・ルイス《Alpha-Pi》
1960年、キャンバス・アクリル、260.4×449.6cm、メトロポリタン美術館蔵
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色とりどりのV字の流れ
日本ではちょうど桜の季節に、アメリカ・ファーストを唱え、ノーベル平和賞を希望していたはずのドナルド・トランプ米大統領が、連日テレビのニュースやSNSでの発言により、世界を不安に陥らせている。2025年のノーベル平和賞がベネズエラの野党指導者マリア・コリナ・マチャド氏に授与されたことで、“トランプ氏の平和”は瓦解してしまったのか。イランにイスラエルと共同の空爆によって2026年2月28日に奇襲攻撃を開始。イランはその日から4月8日まで約40日間ホルムズ海峡を封鎖。世界的なエネルギー危機へと発展した。
輝いていたかつてのアメリカはどこへ行ったのか。戦後の1950年代、アメリカ黄金時代といわれた時期に、新しい絵画を模索していたモーリス・ルイスの《Alpha-Pi》(メトロポリタン美術館蔵)を探求してみようと思った。
《Alpha-Pi》は、真っ白な画面に、色とりどりの線が大きくV字形に表わされている。ただそれだけの絵画である。誰にでも描けそうな作品だが、線の流れ方や左右の線の配色順序が微妙に異なる。色の線には筆跡がなく、色は絵具を流した痕跡のようだ。ルイスは何を表現しようとしたのだろうか。
アメリカと日本を中心とした現代美術史、表象文化論を専門とする東京大学大学院総合文化研究科教授の加治屋健司氏(以下、加治屋氏)に《Alpha-Pi》の見方を伺いたいと思った。加治屋氏は、「モーリス・ルイスとクレメント・グリーンバーグ」(『鹿島美術研究 年報第17号別冊』2000)や、「カラーフィールド絵画における非コンポジション」(図録『カラーフィールド──色の海を泳ぐ』2022)など、モーリス・ルイスの絵画について研究されている。東京大学の駒場キャンパスへ向かった。

加治屋健司氏
現代美術の抽象画が明快にわかった
加治屋氏は、1971年千葉県安孫子市に生まれ、4歳の時に埼玉県所沢市へ転居した。美術との関係は、大学へ入ってからだったという。大学は、東京大学の文化一類に入学し、法学部へ進むことを目指していた。ところが大学1年生の時に、映画・文芸批評家の蓮實重彦先生の映画論の授業に出席し、文化の研究の面白さに出会った。映画研究をしようと思ったが、次第に展覧会や美術館へ行くようになり、美術への関心が芽生えた。
「初めは法律の勉強をしていた。いろんなことに興味が湧いてきて、経済学にも興味があり大学3、4年生の時は、経済学者の岩井克人先生のゼミに参加していた。その中で美術というのが一番よくわからなかった。特に20世紀半ばの抽象画。しかし、一見するとよくわからない現代美術の抽象画が、アメリカの美術批評家クレメント・グリーンバーグ(1909-94)やマイケル・フリード(1939-)の批評を読んだ時に、明快にわかった。現代美術の言説がどういうふうに成り立つのか、ということに惹かれていった」と加治屋氏。卒業論文をアメリカ最大の影響力を持った美術批評家グリーンバーグの研究でまとめた。
大学院に入ってからは、アメリカへ行って作品を見る機会が増え、徐々に作品の方に関心が移っていったそうだ。モーリス・ルイスの作品を初めて見たのは、大学院の修士課程の1995年、ニューヨークとワシントンD.C.へ行って実物を見たという。
「色彩がきれいで、画面が整理されていて、シンプルなところが面白いと思った。カラーフィールド絵画は人によって定義が異なるが、カラーフィールド絵画の中に、抽象表現主義を含める人もいる。私はカラーフィールド絵画とは、抽象表現主義が盛期を迎えた1950年代に登場して、1960年代に展開したアメリカの抽象画で、単色または少数の色の面によって主に構成され、大きなキャンバスを用いる点と、色彩の鮮やかさに特徴がある絵画と定義している。中心となる画家はヘレン・フランケンサーラー(1928-2011)、モーリス・ルイス(1912-62)、ケネス・ノーランド(1924-2010)、ジュールズ・オリツキー(1922-2007)、フランク・ステラ(1936-2024)である」と述べた。
ニューヨークに7年、ワシントンD.C.に1年留学していた加治屋氏は、批評よりも研究を目指していた。モダニズムの美術批評が、全面的に開花して最も威力を発揮したのが、カラーフィールド絵画に関する批評だったという。博士論文はカラーフィールド絵画について書いた。
アトリエは、ダイニングルーム
モーリス・ルイス・バーンスタインは、1912年にアメリカの首都ワシントンD.C.から60キロほどのメリーランド州ボルチモアに、父ルイス・バーンスタインと母セシリア・バーンスタイン(旧姓ラックマン)の4人兄弟の第3子として生まれた。ともに両親はロシアからのユダヤ系移民で、当初父は工場労働者であったが、後に小さな食料品店を営んだ。ルイスは、若い頃から寡黙で芸術に興味を持ち、1927年奨学金を得てメリーランド美術工芸学校に入学した。
1934年ニューディール政策★1 における連邦美術計画により、ボルチモアで壁画制作を行なう。この頃、生活費を稼ぐためにイタリア料理店で野菜の皮むきや墓地での芝刈り、薬剤師の兄ネイサンの手伝いをするなど、様々なアルバイトをしていた。1936年ニューヨークに移り、メキシコの社会主義リアリズムの壁画家ダビッド・アルファロ・シケイロス(1896-1974)の実験工房に参加する。絵具製造業者レナード・ボクールと出会う。
1943年ボルチモアに戻る。兵役検査では不適合とされ、軍務に就くことなく家の地下室で制作を続けた。1947年アメリカ公衆衛生局に勤務していたマルセラ・シーゲルと結婚。1952年以降マルセラは小学校の教師、後に校長を務め、1964年にジョージ・ワシントン大学で博士号を取得後、その年から同校で教え始め、後に教授になった。1948年ルイスはボクールのアクリル絵具マグナの使用を開始。
1940年代までのルイス作品は、暗うつな色調によるやや稚拙な硬い描写の具象的表現であり、40年代の終わり頃からアンリ・マティス(1869-1954)やパブロ・ピカソ(1881-1973)、ジュアン・ミロ(1893-1983)に感化されたカリグラフィックな作品へと変わってきた。
1950年第18回メリーランド美術展で入賞する。1952年ワシントンD.C.に家を購入し転居。15.9㎡のダイニングルームをアトリエとした。ワシントンD.C.にある芸術ワークショップ・センターの講師となり、絵画クラスを担当。同じく講師だった12歳年下の画家ケネス・ノーランドと親交を結ぶ。1953年そのケネス・ノーランドの紹介で批評家グリーンバーグと出会い、共に画家ヘレン・フランケンサーラーのアトリエを訪れた。フランケンサーラーの素地のキャンバスに絵具を薄く溶いて滲み込ませて描くステイニング技法による《山と海》(1952)を見て、大きな感銘を受ける。そして1954年、グリーンバーグが企画したニューヨークでのグループ展「エマージング・タレント」に《トレリス》《銀の円盤》《フォギーボトム》を出品し、好評を得る。
★1──フランクリン・ルーズベルト米大統領が世界恐慌克服のため、1933年から実施した経済復興政策。公共事業による雇用創出や農業・産業の生産調整、金融・社会制度改革などを行なった。
批評家グリーンバーグの助言
1950年代当時、アメリカではヨーロッパで築き上げられた絵画のイリュージョンから絵画を解放し、アメリカ独自の新しい様式を打ち立てようと画面の平面性を厳格に確保するモダニズム絵画の運動があった。ルイスの1950年代初めの絵画とコラージュには、ジャクソン・ポロック(1912-56)のオートマティックな線描や、ロバート・マザーウェル(1915-91)の抽象表現主義の影響が顕著であった。ルイスも「焦げた日記」シリーズや初期ヴェール絵画、抽象表現主義の絵画を描いていたが、1957年にグリーンバーグによる作品に対する否定的な見解を受けて約300点の絵画作品を自ら廃棄してしまう。
以後1958年から62年までの間にルイスは様々な技法、画材、構図、そしてキャンバスのサイズを試しながら膨大な作品を制作し、「ヴェール(覆い)」(1954, 1958-59)、「アンファールド(展開されたもの)」(1960-61)、「ストライプ(縞)」(1961-62)の三つのシリーズを制作した。
1960年に画商アンドレ・エメリックがルイスを支援し、ルイスは大量のキャンバスと絵具を手に入れることができるようになった。ダイニングルームの壁を壊して制作の場を拡張し、600点近い作品を制作した。これは平均して3日に1点仕上げた勘定になり、その内約400点は500号(約3.3×2.5m)以上のきわめて大型の作品である。夫人マルセラの回想によると、大きな作品にも関わらず夫人が仕事から帰宅した頃には、いつも制作の痕跡を留めないほどきれいに片付けられていたという。
1962年9月7日肺癌によりワシントンD.C.の自宅にて死去。享年49歳。アダス・イスラエル墓地に葬られた。ポロックらを高く評価したモダニズム批評家でもあったグリーンバーグの助言を受けて、大きなキャンバスの上にアクリル絵具を流し、染み込ませたステイニング技法で、画面と色彩を一体化させた“カラーフィールド絵画(色面による場)”を制作。ニューヨークのほかロンドンやパリ、ミラノ、デュッセルドルフで個展を開き、死後特に高い評価を得て、1964年のヴェネチア・ビエンナーレでは、アメリカ館の代表に選出された。
コンピューター・コントロール・システムの見方
①タイトル
Alpha-Pi(あるふぁ-ぱい)。英題:Alpha-Pi 機械的に振られたギリシャ文字「α」と「π」の組み合わせであり、大きな意味はない。
②モチーフ
なし。
③制作年
1960年。ルイス47〜48歳。
④画材
木綿キャンバス・アクリル絵具。絵具は、1946年絵具製造業者レナード・ボクールによって商品化された鉱物油に樹脂を溶かした油性アクリル絵具「Magna(マグナ)」で、テレピン油で薄めて使用していた。鮮やかな発色で、透明性が高く、速乾性に優れていた。
⑤サイズ
縦260.4×横449.6cm。壁画のような巨大な横長の絵画。
⑥構図
大きな画面の左右両端から中央下部へ向けて、緩やかに細くなりながら絵具が列をなして流れ込み、中央には大きな空白がある構図。
⑦色彩
オレンジ、黒、黄、緑、赤、茶、青など14色。
⑧技法
ロール状の木綿キャンバス布地を大量に購入し、4.3×3.7mの居間兼ダイニングをアトリエとして、制作用の木枠の上にキャンバスを取り付け、木枠を傾けながら上部から薄めた絵具を、一色ずつキャンバスに流し込むポアリング技法で描く。下塗りされていない木綿キャンバスの中央は空白のまま、画面左右にある不規則な色の帯はステイニング技法によりキャンバスと一体化し、一部交わる部分もあるが[図1]、キャンバスの下方中央に向かって斜めに流れる[図2]。木枠にキャンバスを張るのは展覧会で展示する時で、通常は描いて、乾かして、畳んで保管している。
⑨サイン
なし。
⑩鑑賞のポイント
モーリス・ルイスが制作した「アンファールド(Unfurled)」シリーズ(1960-61)の150点のうちの1点で、シリーズの後半に作られた。アンファールドとは、流れた色の帯が風にひるがえる旗を連想させるところから、ルイスがこの種の作品を「アンファーリング・ワンス」と呼んだことによるという。制作プロセスとその結果を、同一画面上で表現しており、中央近くで鑑賞する人は、巨大な画面の余白に直面し、左右斜め上から注がれる色彩の流れを同時に把握することが困難なことに気づく。画面全体の把握と、部分の把握との間に一種のずれが生じる。色彩は、絵具の純粋さを保ったまま、何か被写体を描写したり、定義したりするために使われておらず、伝統的な絵画のような物語、イメージ、遠近法的な空間感覚は存在しない。非物質的で、重さを持たず、純粋に視覚のみに訴求するイリュージョニズム(絵画に“虚”の実在性を与えるもの)。鑑賞者に、絵画の形式的な要素である色、形、大きさ、それらが織りなす色面による場を提示し、鮮やかで光に満ちた空間のみに集中するよう促している。見るという営みを省みて、絵画を実感できる喜びがある。絵具の透明感と流動性に特徴があり、色そのものがキャンバス上で自律的に機能するカラーフィールド絵画の代表的な作品である。絵画を取り巻いていた認識から絵画を解放し、様々な文化と折衝する場としての絵画の可能性を提示している。
図1 にじむ色彩(《Alpha-Pi》部分)
図2 絵具が流れてできた線(《Alpha-Pi》部分)
生前未発表だったアンファールド絵画
ルイスは、ニューヨークの「アンドレ・エメリック・ギャラリー」で定期的に作品を発表していたが、「実は生前このアンファールド絵画はニューヨークでは発表していなかった」と加治屋氏はいう。ルイスが亡くなった時は、ヴェール絵画とストライプ絵画の二つで知られており、亡くなった後にこのアンファールド絵画の存在が知られるようになった。未発表だったアンファールド絵画は150点あった。ただルイスは、生前ちょっとした作戦というか、仕掛けをしていた。
加治屋氏は「アンファールド絵画の次にストライプ絵画へと実際には移っていったが、ヴェール絵画とストライプ絵画の画家として知られていたため、ストライプの次の展開として、アンファールド絵画を見せようとして、垂直だったストライプを斜めに描いていた。そのひとつが東京国立近代美術館所蔵の《No End》(1962)。ストライプ絵画からアンファールド絵画へという実際の展開とは異なる流れを最晩年に作っていた」という。
ルイスのアンファールド絵画について、滋賀県立近代美術館(現滋賀県立美術館)の顧問であり、京都大学名誉教授だった故乾由明は、「色彩相互の関係に対するルイスの感覚はきわめて鋭敏であり、ここにもマチスに学んだと思われる多くの色彩の精妙な調和を見ることができる。そしてこの帯や細流の持つ色彩の強度が大きくなればなるほど、対比的にカンヴァスの空白が、画面空間としての絵画的な意味をつよくしめすに至るのである。色彩とカンヴァス自体とをこれだけ極端に対比させた例はなく、またそれによって両者をこれだけ一挙に絵画的な意味連関として結びつけた仕事も、まれである。ルイスは「アンファールッド」において、「ヴェール」と同じく平面に徹しながら、空白のカンヴァスをかってない豊穣な絵画空間に変質させたのである」(図録『モーリス・ルイス展』p.12)と述べている。
非コンポジション
ルイスの時代1950年代のアメリカの絵画の特徴は、同時代のヨーロッパの絵画と比べ、鑑賞者より大きいことだった。鑑賞者は絵画に包まれるような体験をする。加治屋氏は「絵画が小さいとそれだけで、壁があってフレームがあって絵画があるという、絵画をひとつの対象として、オブジェクトとして見てしまう。ポロックなど、抽象表現主義の画家の関心のひとつに“図(figure)と地(ground)の廃棄”という問題があった。紙に丸印を描いたら、丸印が紙の上に描かれ、丸印が浮かんでその周りが背景となる。ここにヒエラルキーというか、階層が生まれることを廃棄しようとした。そのひとつの解決策が平面的な絵画だった。キャンバスが小さいとキャンバスが図として立ち上がって、背景の壁が地になってくる。作品のサイズが小さいと、図と地の問題が生じてしまうため、キャンバスは巨大化していった」と述べた。
《Alpha-Pi》の見るポイントは、「非コンポジションという、部分と全体のバランスを取るというコンポジションを避ける考え方である。ヨーロッパの伝統的な絵画は、部分と全体のバランスを取っていたが、新しい絵画はバランスの取れたものというより、ある種、人を不安にさせるような絵画。中央がブランクになっているところもそうだと思う。普通キャンバスの中央は何か描かれているけれど、それがまったくなくて、地塗りもしていないただの布だというのが凄い。中心が空白というのは、視界の周辺の視野である“周辺視”を働かせる絵画になっていることを示す。中心はブランクだけど、周辺に意識が向かうことによって、絵画に包み込まれる感覚が生まれる」と加治屋氏は語った。
加治屋健司(かじや・けんじ)
東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース教授、芸術創造連携研究機構機構長。1971年千葉県我孫子市生まれ。1995年東京大学教養学部教養学科表象文化論分科卒業、1998年東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻(表象文化論)修士課程修了、2005年同大学院博士課程単位取得満期退学。2005~06年スミソニアン・アメリカ美術館プレドクトラル・フェロー、2006年日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ設立(2024年まで代表)、2007〜14年広島市立大学芸術学部准教授、2012年コロンビア大学美術史考古学部客員研究員、2014年ニューヨーク大学大学院美術研究所美術史学専攻博士課程修了 PhD(美術史)。2014〜16年京都市立芸術大学芸術資源研究センター准教授、2016〜19年東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻准教授、2019年より現職。専門:米国・日本を中心とした現代美術史、表象文化論。所属学会:表象文化論学会、美術史学会、美学会、アメリカ学会、College Art Association、International Association for Aesthetics。主な著書:『宇佐美圭司──よみがえる画家』(編著、東京大学出版会、2021)、『絵画の解放──カラーフィールド絵画と20世紀アメリカ文化』(東京大学出版会、2023)など。
モーリス・ルイス(Morris Louis)
アメリカの画家。1912-62年。メリーランド州ボルチモアにロシア移民の家族の三男として生まれる。1927年メリーランド美術工芸学校で学ぶ。フランクリン・ルーズベルト大統領が実施したニューディール政策における連邦美術計画で、1934年壁画制作を行なう。1936年ニューヨークに移り、メキシコで著名な壁画家ダビッド・アルファロ・シケイロスの実験工房に参加。絵具製造業者レナード・ボクールと出会う。1943年故郷ボルチモアに戻る。1947年マルセラ・シーゲルと結婚。1948年アクリル絵具マグナの使用を開始。1950年第18回メリーランド美術展で入賞。1952年ワシントンD.C.に家を購入し転居。1953年ワシントンD.C.で初個展(芸術ワークショップ・センター内の画廊)を開き、同年画家ケネス・ノーランドと批評家クレメント・グリーンバーグらと画家ヘレン・フランケンサーラーのアトリエを訪れ、ステイニング技法を見て影響を受ける。以後1958年から62年までの短期間に「ヴェール」「アンファールド」「ストライプ」の三つのシリーズを制作。1962年ワシントンD.C.にて没。享年49歳。1963年グッゲンハイム美術館で回顧展が開催された。代表作:《Alpha-Pi》《Blue Veil》《Pillars Ⅱ》など。
デジタル画像のメタデータ
タイトル:Alpha-Pi。作者:影山幸一。主題:世界の絵画。内容記述:モーリス・ルイス《Alpha-Pi》1960年、キャンバス・アクリル、縦260.4×横449.6cm、メトロポリタン美術館蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:メトロポリタン美術館、Art Resource、(株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Jpeg形式56.9MB、600dpi、8bit、RGB。資源識別子:ART322219(Jpeg形式60.5MB、600dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。情報源:(株)DNPアートコミュニケーションズ。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:メトロポリタン美術館、Art Resource、(株)DNPアートコミュニケーションズ。
画像製作レポート
《Alpha-Pi》の画像は、DNPアートコミュニケーションズ(DNPAC)へメールで依頼した。後日、DNPACからの返信メールにより、作品画像をダウンロードして入手(Jpeg、60.5MB、600dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。トリミング2点、掲載は1年間。
iMac 21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって、モニターを調整する。メトロポリタン美術館のWebサイト画像を参考に作品の色味を調整し、作品の枠に沿って切り抜いた(Jpeg形式56.9MB、600dpi、8bit、RGB)。本作品は著作権保護期間内の作品だと思い、日本美術著作権協会へ連絡したところ、「1962年に死亡したアメリカ国籍の同作家が、戦前、戦中に創作した作品は、戦時加算が付与されていることから、わが国での著作権が存続している作品も存在しますが、戦後に制作されたご申請の作品の権利は消滅しております」との回答があった。著作者の死後70年(2032年)と思っていた保護期間が、著作物の種類や著作者の状況によって保護期間が変わることを知った。
セキュリティを考慮して、高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」を用い、拡大表示を可能としている。
参考文献
・Diane Upright, Morris Louis, the complete paintings : a catalogue raisonné(Abrams、1985)
・図録『モーリス・ルイス展』(滋賀県立近代美術館、1986)
・H・H・アーナスン著、上田高弘・児島薫・小林留美・嶋崎吉信・田尻真理子・常國マヤ・長谷川祐子・前山裕司・南雄介・米村典子訳『現代美術の歴史 絵画 彫刻 建築 写真』(美術出版社、1995.6.10)
・図録『重力──戦後美術の座標軸』(国立国際美術館、1997.10.30)
・上田高弘「これから(も)描く/観るための断章」(『武蔵野美術』No.110、武蔵野美術大学、1998.10.15、pp.34-39)
・加治屋健司「モーリス・ルイスとクレメント・グリーンバーグ──往復書簡の分析を通した1950年代アメリカ美術と美術批評の再検討」(『鹿島美術研究(年報第17号別冊)』、鹿島美術財団、2000.11.15、pp.44-58)
・本江邦夫『すぐわかる画家別抽象絵画の見かた』(東京美術、2005.11.15)
・岡﨑乾二郎『芸術の設計──見る/作ることのアプリケーション』(フィルムアート社、2007.5.11)
・図録『モーリス・ルイス:秘密の色層』(川村記念美術館、2008)
・井口壽野・田中正之・村上博哉『西洋美術の歴史8 20世紀──越境する現代美術』(中央公論社、2017.5.31)
・ハル・フォスター、ロザリンド・E・クラウス、イヴ-アラン・ボワ、ベンジャミン・H・D・ブークロー、デイヴィッド・ジョーズリット『ART SINCE 1900 図鑑1900年以後の芸術』(東京書籍、2019.5.20)
・図録『カラーフィールド──色の海を泳ぐ』(DIC川村記念美術館、2022)
・加治屋健司『絵画の解放──カラーフィールド絵画と20世紀アメリカ文化』(東京大学出版会、2023.9.27)
・Webサイト:『Morris Louis』2026.4.5閲覧(https://morrislouis.org)
・Webサイト:「Alpha-Pi」(『The Metropolitan Museum of Art』)2026.4.5閲覧(https://www.metmuseum.org/ja/art/collection/search/489653)
掲載画家出身地マップ
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2026年4月


