『マライの虎─ハリマオ』
会期:2026/04/25〜2026/04/26
会場:静岡芸術劇場[静岡県]
台本:アルフィアン・サアット
演出:モハマド・ファレド・ジャイナル
公式サイト:https://festival-shizuoka.jp/program/tiger-of-malaya/

『マジック・メイド』
会期:2026/04/25〜2026/04/29
会場:舞台芸術公園 稽古場棟「BOXシアター」[静岡県]
コンセプト・創作・ドラマトゥルギー・出演:アイサ・ホクソン、ヴェヌーリ・ペレラ
公式サイト:https://festival-shizuoka.jp/program/magic-maids/

うなぎの回遊 Eel Migration』と同じ4月にはほかに東南アジアのアーティストによる2つのプログラムも上演された。これらはSPACと国際交流基金との共催による国際交流事業「BIOTOPE(ビオトープ)」の一環として実施されたものでもある。2026年から3年間にわたって行なわれる「BIOTOPE」は、東南アジアと日本の劇作家が交流しながら創作に取り組む「BIOTOPE─劇作家のためのキャンプ」を軸に、東南アジア諸国のアーティストによるパフォーマンス作品の招聘公演や交流プログラムを併せて実施するプログラムだ。SHIZUOKAせかい演劇祭2026では『マライの虎─ハリマオ』(台本:アルフィアン・サアット、演出:モハマド・ファレド・ジャイナル)と『マジック・メイド』(コンセプト・創作・ドラマトゥルギー・出演:アイサ・ホクソン、ヴェヌーリ・ペレラ)の2作品が招聘され、アーティストによるワークショップもそれぞれ実施された。ちなみに、「BIOTOPE―劇作家のためのキャンプ」参加アーティストとその活動を紹介する場として「せかいの劇作家がふるまうランチ会」という公開イベントも実施されている。ここでもやはりキーワードは「食」である。

今回、『マライの虎─ハリマオ』と『マジック・メイド』を観劇して特に考えさせられたのは、作品が上演/観劇される際のコンテクストの問題だ。


『マライの虎─ハリマオ』フライヤー

『マライの虎─ハリマオ』は、日本によって戦時中に制作された実在のプロパガンダ映画『マライの虎』(1943)をシンガポール人俳優(シティ・カリジャ・ザイナル、ガフィル・アクバル、ダレン・クォ)と日本人俳優(北川麗、杉山賢)でリメイクする、という設えの作品。プロパガンダ映画としての『マライの虎』で描かれるのは、イギリス人や中国人によって支配されるマレー人を日本人が解放しようとする物語である。主要なキャストはすべて日本人によって(マレー人役はブラウンフェイスで)演じられている。それをシンガポール人と日本人でリメイクするのだから、侵略者である日本人によるプロパガンダ映画を侵略された側の視点から語り直す、という側面もなくはないのだが、シチュエーションはより複雑だ。シンガポール人俳優とひと口にいっても3人のうち2人はマレー系シンガポール人、1人は中華系シンガポール人で、マレー人と中国人とでは映画『マライの虎』における描かれ方も当時の実際の状況も、そして現在置かれている立場も異なっている。しかも、かつて侵略者だった日本人は映画のリメイクの現場においてはゲストであって、ゆえにシンガポール人たちはある程度は気を遣わなければならない。加えて、役の数に対して俳優の数が足りないため(男女の数もまったく合っていないしそもそもイギリス人俳優はいない!)、1人の俳優が自身とは異なるアイデンティティの役を含めた複数の役を演じなければならないという実際的な問題もある。一体、誰が誰を演じるのであれば「問題はない」のか。シリアスな題材ながら多くの場面はドタバタコメディの趣で展開し、しかし笑いのなかから歴史認識や表象をめぐる問いが自然と、しかも演劇ならではかたちで立ち上がってくる優れた作品だ。

『マライの虎─ハリマオ』より[撮影:Y.Inokuma]

『マライの虎─ハリマオ』より[撮影:Y.Inokuma]

2018年にシンガポールで初演されたこの作品はその後、宮城聰が総合ディレクターを2023年に務める東京芸術祭で映像上映のかたちで日本に紹介されている(初演時は杉山ではなく田中佑弥が出演)。作品の背景についてはその際に行なわれた2つのトークのレポート★1と、SPAC文芸部の横山義志が今回の上演に寄せたブログ記事★2に詳しいのでそちらをご参照いただきたい。

さて、「ドタバタコメディ」などと書いてはみたものの、実は私が観劇した回の客席では、驚くほど笑いが起きていなかったのだった。映像上映と生の舞台とを見比べることになった私からすると、やはり生の舞台の方が笑えるように感じられたのだが、多くの観客は基本的にシリアスに舞台を観ていたように思う。客席中央あたりの何人かの観客だけが例外的にゲラゲラと笑っていて、その観客というのは「BIOTOPE」に参加する東南アジアのアーティストたちだった。もともとシンガポールの観客を想定した作品であるがゆえに、日本人の観客よりはコンテクストの共有が容易だったということもあるだろう。だがそれ以上に、私にはこの反応の違いは、東南アジアの多くのアーティストに共通する(と私が感じている)ユーモアの感覚やオープンネスによるところが大きいように感じられたのだった。加えてもちろん、侵略者としての日本の過去に向き合おうとすれば、日本人の観客はどうしてもシリアスに寄ってしまうということもある。仕方のないことではあろうが、それではこの作品の面白さを、笑えるということ以上に捉え損なってしまっているようにも思う。日本人の観客の態度が「問題」であるということではなく、舞台上のすれ違いやズレの延長線上にある「問題」として、ここにも考えるべきところがあるのではないだろうか。

『マライの虎─ハリマオ』より[撮影:Y.Inokuma]


『マライの虎─ハリマオ』トレイラー

一方の『マジック・メイド』は、魔女とメイドという女性をめぐる二つのイメージを箒を媒介につなぎ、抑圧され弾圧されてきた女性たちのエネルギーを解き放つ儀式的パフォーマンス。2024年にシンガポールで初演された後、世界各国で上演され、その土地ごとの展開を見せてきた。作品の詳細については以前掲載したシンガポール初演のレビューをお読みいただくこととして、ここではシンガポールと日本という上演地の違いによって作品に生じた違いに触れておきたい。

『マジック・メイド』より[撮影:Y.Inokuma]

この作品はもともと、シンガポールなどで(それなりに?)普及している、一般家庭が住み込みメイドを雇う文化を背景としている。経済的に発展したシンガポールの人々がメイドとして雇うのは、例えばフィリピンやスリランカなど、発展途上にある東南アジアのほかの国からやってきた人々が多い。フィリピンとスリランカの間にももちろん格差はあり、フィリピン人のメイドの方が「高級」とされたりもするらしい。ゆえにこの作品が観客に与える効果は、フィリピン人のアイサ・ホクソンとスリランカ人のヴェヌーリ・ペレラがシンガポールの観客の前で上演するというコンテクストによって規定されている部分もかなり大きかったはずだ。「家にフィリピン人はいる?」「スリランカ人は?」とにこやかに投げかけられる質問は、観客のヘラヘラとした対応のうち、突如として怒声に変わり、その瞬間、客席の空気は一気に張りつめる。

『マジック・メイド』より[撮影:Y.Inokuma]

だがもちろん、日本の観客にメイドを雇っている人間はほとんどいないだろう。今回の上演でこの場面は、「家にフィリピン人はいる?」「スリランカ人は?」と同じようにはじまったのち、「ベトナム人は?」「インドネシア人だったら?」とさまざまな国へとその範囲を広げていく。最終的に行き着くのは日本で介護職につく外国人の話だ。労働力として家や国を支える外国人はメイドに限らない。あるいは客席の反応によって展開にはいくつかのバリエーションがあったのかもしれないが、いずれにせよこの場面では、『マジック・メイド』という作品のコンテクストと日本の観客自身のコンテクスト(家の事情)とを結びつけるための丁寧なコミュニケーションが試みられていた。シンガポール初演に見られた緊張感は失われてしまったが、この変更は日本での上演のためには必須の作業だったと言える。日本における外国人女性労働者というコンテクストでは、観客自身とは直接の関わりは薄くなってしまうとはいえ、技能実習生に対する雇用者による性加害や妊娠と孤立出産の問題も想起されるべきだろう。

『マジック・メイド』より[撮影:Y.Inokuma]


★1──「【開催レポート】『マライの虎』(テアター・エカマトラ/2018)を巡るトーク」として筆者が寄稿したもの(いずれも東京芸術祭公式サイト内「SPECIAL」、2023.12.25公開)。
https://tokyo-festival.jp/2023/special/21talk/index.html(ゲスト:貴志俊彦氏)
https://tokyo-festival.jp/2023/special/27talk/index.html(ゲスト:テアター・エカマトラ、滝口健氏)
★2──「ややこしい歴史を遊んでみる〜『マライの虎—ハリマオ』〜」(SPAC文芸部 横山義志)」(SPAC公式ブログ、2026.03.26公開)
https://spac.or.jp/blog/?p=35599

観賞日:2026/04/26(日)