全国各地の美術館・博物館を渡り歩き、そこで出会うグッズたちへの感動を広く伝えるミュージアムグッズ愛好家・大澤夏美さん。博物館経営論の視点からもそれらを捉え直す彼女が、日々新たな商品や話題が生まれるミュージアムグッズの現場の周辺でどのような思考や問いを携えて活動しているのかを定期的に綴る「遊歩録」。今回は「お守り」を通して、ミュージアムグッズとは展示の記憶を持ち帰るだけのものではないことが見えてくる。新たなミュージアムグッズ考とは。(artscape編集部)

なぜ、お守りは手放せないのだろう

昔から趣味がなかったのだが、最近はお守り集めが趣味になった。旅行や出張で神社や寺院を訪れると、つい授与所をのぞいてしまう。競馬が好きなので馬をモチーフにしたお守りを探したり、その土地ならではの意匠を見つけたりすると嬉しくなる。袋型に刺しゅうで彩られたものだけに限定して収集しており、気がつけば、引き出しの中には全国各地で授かったお守りが並んでいる。


昨年から今年にかけて購入したお守り。効能もさまざま[筆者撮影]

お守りを整理していると、ふと困ることがある。なかなか手放せないのだ。もちろん本来は返納するべきものではあるが、旅先で授かったお守りを見ると、その場所の風景や一緒にいた人のことまで思い出してしまう。ものによっては、月に数日しか授与されていない限定のお守りもあるため、そのレアさを考えるとより一層手放しにくい。そういえば、ミュージアムグッズも同じである。展覧会のチケット、ポストカード、図録、ショップの袋。気づけば引き出しや本棚に残り続けている。

本来、お守りは「社寺の護符や呪符を身につけて、悪霊を防ぐもの」と定義されている(佐々木、1985)。私が注目したお守り研究では、その宗教的な側面だけでは説明できない人々の実践に着目している。お守りを迷信かどうかで判断するのではなく、人々がどのような意味を与えているのかを見ようとしているのである。

お守りに関する先行研究で荒川歩・村上幸史は、お守りの効能や信仰心を検証するのではなく、「なぜ人はお守りを持ち続けるのか」を調査していた(荒川・村上、2006)。調査では、お守りを持っている人のなかにも、神や超越的な存在を信じていない人が少なからず存在していたという。また、お守りを持ち続ける理由としては、「ご利益を求めて」だけではなく、「安心するから」「もらったものだから」「捨てづらいから」といった回答が挙げられていた。

なかでも私の目を引いたのは、「お守り自体ではなく、お守りをもらったりした背景を思い出せるから」という回答である。たしかに私も、お守りを見るたびに旅先の風景や一緒に歩いた人のことを思い出す。そう考えると、私が手放せないのはお守りそのものではなく、そのお守りに結び付いた記憶なのかもしれない。そしてそれは、ミュージアムグッズにもよく似ている。

ミュージアムにもお守りがある

そんなことを考えていたとき、改めて気になったのがミュージアムで販売されているお守りである。そこには、単に「お守りという人気商品を取り入れた」というだけでは説明できない面白さがある。


石川県ふれあい昆虫館「うかる合格お守り」[筆者撮影]

例えば、石川県ふれあい昆虫館で販売されている「うかる合格お守り」は、昆虫館ならではの発想から生まれたお守りである。チョウがサナギから成虫になることを「羽化(うか)する」というが、この「うか」と受験の「受かる」を掛け合わせている。さらに興味深いのは、お守りの中に実際に飼育され、成虫となって飛び立ったチョウのサナギの殻が入っていることだ。試験に挑む人たちに元気になってほしい、そしてチョウのように大きく羽ばたいてほしいという願いが込められている。単なる語呂合わせではなく、昆虫館の日々の飼育活動や昆虫の成長そのものがお守りになっているのである。つまり、ここで来館者が持ち帰るのは、単なる縁起物ではない。昆虫の成長や変化という生態そのものが、「合格」という願いと結び付けられているのである。


足立区生物園「ヘビの脱皮殻お守り」[筆者撮影]

足立区生物園では、「ヘビの脱皮殻お守り」というユニークなオリジナルグッズを販売している。お守りの中には、実際に生物園で飼育されているビルマニシキヘビの脱皮殻が封入されており、一つひとつ模様が異なる。古くからヘビの抜け殻は金運や縁起物として扱われてきたが、この商品の面白さは「うかる合格お守り」と同様、生物園での飼育活動そのものがグッズになっている点にある。さらに、ヘビのイラスト部分には反射材が使われており、強い光を受けると光る仕組みになっている。財布に入るサイズで持ち歩きやすく、単なる記念品ではなく、「いつでもヘビの抜け殻を持ち歩きたい」という来園者の気持ちにも応える商品だ。生物園で日々行なわれている飼育活動や、生き物が成長する過程そのものがグッズになっている。来園者はヘビの抜け殻だけでなく、生物園で出会った生き物たちの生命の営みを持ち帰っているとも言えるだろう。


静嘉堂文庫美術館「アクリルお守り」[筆者撮影]

静嘉堂文庫美術館では、2026年1〜3月の企画展「たたかう仏像」にあわせて「アクリルお守り」を販売していた。モチーフとなっているのは、唐時代の墓を守るために置かれた鎮墓獣の人面像である。鎮墓獣は本来、邪悪なものや悪霊から墓主を守る存在だ。興味深いのは、美術館が単に収蔵品の姿をアクリルグッズ化したのではなく、その「守る」という役割に着目し、お守りとして再解釈している点だろう。手のひらサイズになった鎮墓獣は、「あらゆる邪悪・悪霊から墓主を護る」という本来の機能を引き継ぎながら、現代を生きる私たちの日常へと連れ出される。収蔵品をモチーフにしながら、その意味や役割まで持ち帰れる、ミュージアムグッズらしい一品である。

なぜミュージアムはお守りを作るのだろう。図録でもなく、ポストカードでもなく、クリアファイルでもない。なぜあえてお守りなのだろう。こうして見ていくと、ミュージアムのお守りは単なる記念品ではないことがわかる。チョウは「成長」を、ヘビは「再生」を、鎮墓獣は「守護」を象徴している。ミュージアムは、自らが持つコレクションや飼育活動のなかから、そうした意味を掘り起こし、お守りという形へと翻訳しているのだ。

ここで重要なのはお守りがあることではなく、ミュージアムが何をお守りにしているのか、という点である。ミュージアムグッズは、しばしば収蔵品を小さくしたものだと考えられがちだ。しかしお守りは違う。そこに持ち帰られているのは形だけではない。コレクションが持つ意味や物語、あるいは日々の飼育活動の価値そのものが託されている。そう考えると、お守りはミュージアムグッズの本質をよく表わす存在なのかもしれない。来館者はモノだけを持ち帰るのではない。作品や標本、生き物たちが語りかけていた「守る」「成長する」「生まれ変わる」といったメッセージもまた、一緒に持ち帰っているのである。

さらに、荒川と村上はお守りから見る親子の贈与関係についても調査しており、「助けてあげたいが、不可能なので他の形で思いを込める」行為として捉えている(村上・荒川、2009)。受験や就職、一人暮らしなど、親が直接代わってあげることのできない場面で、お守りは「応援している」「気にかけている」という気持ちを伝えるメディアになるのだという。

この視点から改めてミュージアムのお守りを眺めると、そこには別の側面も見えてくる。先ほど見てきたお守りは、「成長」「再生」「守護」といった意味を持ち帰らせるだけではない。そこには「大きく羽ばたいてほしい」「何度でも立ち上がってほしい」「悪いものから守られてほしい」といった願いも込められているように思える。ミュージアムは収蔵品や活動の意味をお守りへと翻訳している。そしてそのお守りを通して、来館者へのささやかなメッセージもまた届けているのではないだろうか。

お守りとデザイン

もっとも、私がお守りを集める理由は、ご利益や由緒だけではない。むしろ正直に言えば、かなりデザインを重視している。刺しゅうの色使いが美しいもの、配色が印象的なもの、思わず持ち歩きたくなるものに惹かれるため、私は袋型に刺しゅうが施されたお守りだけを集めている。

一方で、近年はアクリル製のお守りも多く見かけるようになった。静嘉堂文庫美術館のお守りもアクリル製である。推し活文化の広がりによってアクリルスタンドやアクリルキーホルダーが身近な存在となったこともあり、アクリルは現代の人々に親しまれている素材のひとつと言えるだろう。


つい最近購入したお守り。西久保八幡神社の「人麿守」と、小網神社の「麻守」[筆者撮影]

お守りとデザインの関係を調査した松林さつき・田中杏佳・木谷康二の研究では、お守りは身につけたり持ち歩いたりするものであるため、その見た目から受ける印象にも着目して分析が行なわれている(松林・田中・木谷、2020)。研究では「かわいい」「親しみやすい」「神秘的」「伝統的」といった印象とデザイン要素との関係が検討されており、お守りが信仰の対象であると同時に、デザインとの関わりが深い存在であることが示されている。考えてみれば、これはミュージアムグッズにも通じる話である。どれほど魅力的なストーリーやコンセプトが込められていても、デザインに惹かれなければ購入には至らないだろう。

石川県ふれあい昆虫館の「うかる合格お守り」や足立区生物園の「ヘビの脱皮殻お守り」、静嘉堂文庫美術館の「アクリルお守り」も同様である。それぞれに「成長」「再生」「守護」といった意味が託されているが、その意味は魅力的なデザインという器に包まれて初めて来館者の手元へ届く。ミュージアムグッズにおいてデザインは単なる装飾ではない。コレクションや活動の価値を日常へ持ち帰らせるための翻訳装置でもあるのだ。

「おみやげ」の先にあるもの

以前この連載で、私は「おみやげ」と「ミュージアムグッズ」の違いについて考えた(「ミュージアムグッズ遊歩11──似て非なる『おみやげ』と『ミュージアムグッズ』:観光学の視点から」)。おみやげは旅先の体験を共有するためのモノであり、ミュージアムグッズは鑑賞体験を持ち帰るためのモノだと語られることが多い。しかし、お守りについて調べているうちに、その二つだけでは説明できない役割も見えてきた。

荒川歩・村上幸史は、お守りを単なる願掛けの道具ではなく、人と人との関係を媒介する存在として捉えている(村上・荒川、2009)。受験のお守りを渡す親は、試験会場まで一緒についていくことはできない。遠方へ旅立つ友人に交通安全のお守りを渡す人も、その人の隣にずっといることはできない。それでも「応援している」「気にかけている」という気持ちを伝えたい。その思いが、お守りというかたちをとって相手に託されるのである。

そう考えると、ミュージアムグッズとは、展示の記憶を持ち帰るものというだけでは足りないのかもしれない。先に見てきたミュージアムのお守りは、「成長」「再生」「守護」といった意味を来館者の日常へ持ち帰らせていた。ミュージアムは収蔵品や活動のなかから意味を見いだし、それを日常へ持ち帰れる形へ翻訳している。そして、お守り研究を読んでいるうちに、もうひとつ気になることがあった。お守りは意味を運ぶだけではなく、人の気持ちを運ぶ存在でもあるということだ。この視点から改めてミュージアムのお守りを眺めると、そこには単なる商品以上のものが見えてくる。チョウのように大きく羽ばたいてほしい。生き物のように何度でも成長してほしい。悪いものから守られてほしい。そこには、ミュージアムから来館者へ向けたささやかなメッセージも込められているように思える。

私は今回、お守りについて調べるなかで、なぜミュージアムがあえてお守りを作るのかを考えてきた。しかし最後に残ったのは、お守りについての答えだけではなかった。ミュージアムグッズとは何なのか、という問いへのひとつの手がかりでもあったように思う。私たちはモノだけを持ち帰っているのではない。収蔵品や生き物、そしてミュージアムの活動のなかに見いだされた意味を持ち帰り、その背後にある誰かの思いや願いもまた受け取っているのかもしれない。お守りは、そのことをもっともわかりやすく示してくれるミュージアムグッズなのである。

 

参考資料

・石川県ふれあい昆虫館「うかる合格お守り」:https://www.furekon.jp/omamori/
・足立区生物園「【生物園オリジナル】ヘビの脱皮殻お守り」:https://seibutuen-onlineshop.raku-uru.jp/item-detail/1022002
・佐々木勝「御守り」(小学館編『日本大百科全書 第4巻』、小学館、1985)
・荒川歩・村上幸史「『お守り』をもつことの機能──贈与者と被贈与者の関係に注目して」(『社会心理学研究』第22巻第1号、2006)
・村上幸史・荒川歩「お守りから見る親子の贈与関係」(『社会心理学研究』第24巻第3号、2009)
・松林さつき・田中杏佳・木谷康二「寺社参拝者がお守りを受ける動機に及ぼすデザインの影響」(『日本デザイン学会 デザイン学研究作品集』第25巻、2020)