以前、メキシコの壁画についてレポートしていただいた村田真さん、本稿では日本の壁画について書いていただきました。有名画家によるターミナル駅にある、誰もが見たことがあるような壁画から、有名画家によるひっそりと残された壁画、そしてミューラルから工事中の仮囲いへ、香川・東京・大阪へと旅してくださいました。そこから見えてくるのは、戦後から21世紀の現在まで、都市がどのようにグラフィティ(自由)を内包してきたかの変遷であるように思えます。(artscape編集部)
今回は少し趣向を変えて、「壁画」について書いてみたい。きっかけのひとつは、上野駅にある猪熊弦一郎の壁画《自由》の修復完成を記念する企画展が、香川県・丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で開かれていたからである★1。といってもわざわざ四国まで足を運ぶだけのカネもないので諦めかけていたら、たまたま6月に旧知のアーティストから広島に招かれたため、途中岡山から瀬戸大橋を渡って見に行くことにしたのだ。
駅の壁画で思い出したのが、JR渋谷駅と井の頭線を結ぶ通路にある岡本太郎の《明日の神話》である。最近渋谷駅周辺が工事中なのでしばらく見なかったが、久しぶりに行ってみたら画面の左側3分の1ほどが修復のため幕に覆われていた。「大規模改修中第三期」とあるので3分の1ずつ修復していったのだろう(6月に完了)。つまり上野と渋谷にある2面の巨大壁画がほぼ同時期に修復されていたわけだ。これをきっかけに、もう少し広く「壁画」および「ミューラル」について調べてみようと思った次第。
猪熊弦一郎《自由》
猪熊が上野駅の壁画を手がけたのは1951年のこと。戦後間もない上野駅は引揚者や戦災孤児がたむろする荒んだ場所になっていた。そこである広告代理店の青年が駅の環境を改善しようと、広告を兼ねた壁画の設置を国鉄に提案し、3年がかりで許可を取りつけて猪熊に制作依頼することになったのだ。
猪熊に白羽の矢が立ったのは、1949年に慶應義塾大学学生ホールの壁画や名古屋丸栄ホテルの大ホール壁画を手がけ、その功績により1950年に第2回毎日美術賞が贈られていたからである。猪熊は絵画だけでなく、戦後こうした壁画やパブリックアート、家具のデザイン、ホールの緞帳などにも手を広げた。有名なのは三越の白地に赤の包装紙で、だれがデザインしたのか知らなくても一度は目にしたことはあるはずだ。こうした広範な活動は、絵だけでは食えないという事情もあったが、なにより「芸術は一部の人のものではなく、大衆のものである」という画家の信念を具現化したものだろう。
壁画が置かれた場所は上野駅の中央改札口の真上。高さ5m、幅27mあり、屋根のかたちに沿って扁平な五角形をしている(一見平べったい三角形に見えるが、両端が垂直に切れている)。上野駅は東北本線や上越線、信越本線などが終着する「北の玄関口」なので、その改札の真上は北から来た人たちが最初に、帰る人たちが最後に目にする場所。そのためスキー客や木こり、馬や牛、秋田犬、リンゴなど北国のモチーフが散りばめられている。色彩も青灰色の地に淡い色調に抑え、タッチやぼかしを入れず平坦に仕上げ、素朴なイメージを漂わせている。
タイトルは《自由》。これは場所やモチーフから名づけられたというより、その前の慶應義塾大学の壁画《デモクラシー》や、丸栄ホテルの壁画《愛の誕生》と同じく、戦後の解放された空気が求めた言葉だろう。当時は野外彫刻のタイトルにも「自由」「愛」「友情」などがよく使われたものである。

猪熊弦一郎《自由》[筆者撮影]
先ほど「壁画が置かれた」と書いたが、壁画は基本的に壁に直接描くから壁画と呼ぶのであって、本来は置いたり剥がしたりできないもの。だが《自由》は場所が場所だけに現場での制作を避け、別に作業場を借りてベニヤのパネルに絵具で描き、壁に嵌め込んだという。これから見ていくように、近年はこのように別の場所で描画して壁に設置したり、さらに最近では原画をプリントして貼りつけたりする「壁画」も増えているのだ。
《自由》は1984年、2002年に続き、昨年から今年にかけて(2025〜2026年)3度目の修復が行なわれた。壁画は天井近くにあるため、半透明の天窓から差し込む自然光が直接画面に当たるうえ、夏はかなり高温になるので壁画にとっては過酷な環境といっていい。さらに戦後間もない物資不足の時代なので質のよくないペンキも使用したため、特に背景部分が剥落したり浮き上がったりしていたという。修復は改札口の上に足場を組み、壁画を幕で覆っての作業となった。その作業中、幕の上に張られた「『自由』を修復しています」との横断幕が意味深だとSNSで話題になったこともある。
この修復を機に、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で開かれたのが「上野駅と猪熊弦一郎の《自由》」展である。2階の展示室では上野駅の歴史に始まり、壁画が設置される経緯やその資料などが並ぶ。3階へ上がると、大きな展示室の壁に原寸大で《自由》の大まかな図が描かれ、対面の壁には同じサイズの枠内に修復中の写真が貼られている。駅で見るより近くで見たほうがはるかに大きく感じるものだ。

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館「上野駅と猪熊弦一郎の《自由》」より[筆者撮影]
完成から75年で3回の修復だから、平均25年に1回である。だとすれば次は2050年前後か。時代が変わっても安易に廃棄したり新しい絵に変えたりせずに、修復しながら長く公開し続けてほしい。
岡本太郎《明日の神話》
岡本太郎の《明日の神話》は、猪熊の《自由》と違ってもともと渋谷駅のために描かれた壁画ではなく、1968〜69年にメキシコシティのホテルを飾る壁画として同地で制作されたもの。ちょうど1970年の日本万博のシンボルタワー《太陽の塔》建設に携わっていた時期と重なり、超多忙のなか時間を見つけてはメキシコに飛んで制作し、あとはサインを入れるだけになっていたという。
ところが肝心のホテルが資金繰りの悪化で開業せず、ロビーに仮設置された壁画も外されて、各地を転々とするうちに行方不明に。巨大壁画が行方不明になるとは前代未聞だが、養女の岡本敏子が探し回った末、2003年にメキシコシティ郊外の資材置き場で発見し、苦労して日本に運び修復。制作から40年後の2008年、ようやく渋谷マークシティ連絡通路内に安住の地を見つけたという経緯がある。
壁画を見てみよう。14枚のパネルからなる高さ5.5m、幅30mの巨大画面には、燃え上がる骸骨の人間像を中心に炎が左右に広がり、右下には被曝した第五福竜丸の姿も見え、核エネルギーの凄まじさと人間の生と死が強烈な色彩で表わされている。なぜメキシコの新築ホテルにこんな恐ろしいテーマの壁画を? と疑問に思うが、メキシコ人に死や骸骨は身近なものであり(アニメ「リメンバー・ミー」を見れば納得)、またなにより冷戦当時、核こそ人類最大の脅威であったからだろう。そして巡り巡って東京のど真ん中で日本人を見下ろしている現在、核の危機は減じるどころかいっそう高まっている。この壁画の発するメッセージの重要性は増しこそすれ薄まることはないはずだ。

岡本太郎《明日の神話》 左側が修復中(2026年5月撮影)[筆者撮影]
そんな壁画も経年劣化には勝てず、設置から15年後の2023年に修復されることになった。向かって左側のパネルから各4枚、4枚、6枚ずつ3期に分けて作業が進められたため部分的に幕で覆われていたが、2026年5月いっぱいで完了し、現在では全体が見られるようになっている。
先に「壁画は壁に直接描くから壁画と呼ぶ」と書いた。壁に直接描くことで建物と一体化するため、故意に消されない限りその場に存在し続けるという安定感がある反面、建物が壊されれば作品も消失する宿命にある。《明日の神話》は壁に直接ではなくコンクリートパネルに絵具で描かれたので、厳密には「壁画」といえないかもしれないが、それゆえにかろうじて破壊を免れ、別の場所に移設することができたのだ。通常の壁画ではありえないことである。
岡本は生涯に何十点も壁画を制作しているが、このようにパネルに絵具で描いて壁に付着させる形式は珍しく、大半はモザイクか陶板レリーフを用いて壁に嵌め込んでいた。そのため作品だけを取り外すことが難しく、多くの壁画が建物とともに失われてきた。よく知られているのが、丹下健三設計の旧東京都庁舎の壁面を飾っていた陶板レリーフである。《日の壁》《月の壁》など計7点11面からなるレリーフ群は、都庁移転により1991年に建物とともに解体された。関係者のあいだで保存運動も起こったが、陶板レリーフだけを建物から切り離すには予想外の経費と時間がかかるため断念したという。
国立競技場のモザイク画
その反省からか、近年では壁画も可能な限り保存するようになっている。2019年に竣工した国立競技場1階にひっそりと並んでいる11面の壁画も、そうして残された作品群だ。これらは1964年に旧国立競技場で東京オリンピックが開かれる際、大沢昌助、寺田竹雄、宮本三郎、脇田和の4人に壁画制作を依頼して設置されたもの。いずれもアスリートや競技場をシンボリックに表現したカラフルなモザイク画で、なかにはタイルが半分くらい剥落しているものもあるが、ほぼ原形を保っている。

国立競技場 左から脇田和、寺田竹雄、宮本三郎のモザイク画 寺田と宮本の作品には階段の痕跡が[筆者撮影]
サイズはそれぞれ異なるが、縦横3.5~8mといったところ。このように大きなモザイク画の場合、作者は原画を描いて実作業は業者に任せることが多い。宮本三郎も「作者の言葉」として、「小さな原図から拡大して施工されるモザイクの仕事だから、あまり困難の伴う細部的な手法は避けるようにした」と述べている★2。
壁画というと古来フレスコ画が主流だったが、この時代の日本で岡本も含めてモザイク画に人気が集中したのは、発色や耐久性に優れていること、湿潤な気候風土がフレスコ画に向いていないことのほかに、画家にとって負担が少なかったことも理由のひとつではないだろうか(国立競技場でモザイクが使われたのは、古代オリンピックの発祥地ギリシャがモザイクの盛んな地だったから、との説もある)。
作品に近づいてみると、画面の縁は厚さ10~20cmほどのコンクリートの切断面が剥き出しで、いかにも壁から切り取ったという感じで生々しい。また、階段のステップの痕跡が画面中央を横切っているものもある。絵画作品として見れば欠陥かもしれないが、歴史の証言と捉えればむしろ付加価値といえるかもしれない。
これらは果たして美術作品として展示・公開すべきなのか、それとも歴史的遺産として保存すべきなのか。そのへんが明確でないまま、2021年の東京オリンピック・パラリンピックが終わって1年ほど経った2022年秋、ひっそりと競技場の南西のデッキ下で公開された(ぼく自身もつい最近、この記事を書くまで存在自体を知らなかった)。しかも壁に嵌め込むのではなく、壁から浮かすように、つまり「安住の地」ではなく、まるで「仮住まい」のように置かれているのだ。
これは旧国立競技場のためにつくられたものだから、デザインもコンセプトも異なる新国立競技場の建物と一体化すべきではないということだろう。だからといって美術館に移して手厚く保護するというのも場違いな気がする。このままここで保管するのか、それとも将来しかるべき場所に移管するのか。いずれにせよ旧国立競技場とともに破壊されていたら、そんな選択肢すらなかったのだ。
壁画からミューラルへ
以上はいずれも駅やホテル、競技場といった巨大な公共空間で多くの人の目を楽しませるために制作されたモニュメンタルな壁画である。それに対して最近しばしば見られるようになったのが、繁華街のビルや地下道の壁などに描かれる「ミューラル」だ。「ミューラル」も「壁画」という意味だが、モニュメンタルな壁画よりストリートアートに近いカジュアルな響きがあり、日本では違法なグラフィティの対立概念または対抗手段として用いられることが多い。
例えば、東京都が2000年代に始めたその名も「ストリートペインティング事業」。これは都が管理している道路や公園の壁をキャンバスに見立て、アーティストに絵を描いてもらう計画で、その第1弾として2004年に実現したのが六本木トンネルのミューラルだ。六本木ヒルズから国立新美術館へ向かう道路のトンネルを抜けると、右側の壁面に5つの巨大な絵が現われる。アーティストは北川純、桑久保徹、鮫島大輔、松本力、楊雅淳の5人。
北川は壁面に巨大なジッパーを現出させ、桑久保は海辺で穴を掘る人たちを描き、鮫島は東京の風景を錯視的に組み合わせている。特定のテーマに縛られず、それぞれのスタイルで自由に描いた遊び心あふれる作品は、国立競技場のシンボリックなモザイク画とは技法も表現も大きく異なり、隔世の感がある。作品はすでに20年以上も排気ガスや夕日にさらされている割に、保存状態は悪くない。

北川純《ジッパー》 六本木トンネル[筆者撮影]
この事業を推進したのは石原慎太郎元都知事。銘板には、「この事業は都会の殺風景で無機質な都市空間をファインアートの力で人間味あるものにしようという試みであると同時に、新しい作品創造の場を提供することによって若手アーティストにステップアップの機会を与えるものでもあります」とある。いかにも石原氏らしい発想だ。
だが、ここでは謳われていないが、ミューラルにはもうひとつ重要な役割があるはずだ。それがグラフィティの予防策である。グラフィティは真っ白い壁や逆に汚れた壁の上に描かれることが多く、きれいな絵の上には描かれにくい。事実、グラフィティライターのあいだには自分より優れた絵には上描きしないという暗黙の約束事がある。この心理を応用し、アーティストにあらかじめ絵を描いてもらい、芸術支援にもつなげようという計画なのだ。一石三鳥である。
特にグラフィティライターたちの標的になりやすいのが地下通路や公園だ。調べてみたら渋谷駅近くの地下道や代々木公園にもミューラルがあるというので見に行った。渋谷駅北側にはJRのガード下に長さ約20メートルのトンネルが2本あり、いかにもグラフィティに狙われそうな場所だ。そのうち1本のカマボコ状の内壁はHITOTZUKIによる花を思わせる抽象形態で覆われ、もう1本の壁はしりあがり寿ら数人の絵で埋め尽くされていた。どちらも災害時に退避場所を指示する「シブヤ・アロープロジェクト」の一環として制作されたものらしいが、避難誘導の効果はともかく、グラフィティの抑制には役立っているようだ。
渋谷にはほかにもいくつかミューラルがあり、その最大規模のものが、東急百貨店本店が解体されて露わになったBunkamuraの高さ30mほどの外壁に、大山エンリコイサムが描いた白黒の抽象的な《FFIGURATI #652》だ。これは2025年3月に行なわれた「渋谷ファッションウィーク」のアートプログラムのひとつとして実現したもの。大山はこれまで多くの場所でミューラルを制作してきたが、一貫してグラフィティ特有のストロークから抽出した「クイックターン・ストラクチャー」をモチーフにしている。だからこれは内容的にも形式的にもグラフィティの進化形としてのミューラルといえるだろう。
代々木公園にもミューラルがあった。壁面ではなく地面に描かれているのでミューラルと呼ぶべきかわからないが、とにかく入り口付近の路上に白い線で植物のような模様が引かれている。これは東京アートポイント計画「公園プロジェクト」の一環として、2011年にアーティストの淺井裕介がプログラム参加者とともに制作した作品。道路用の白線で描かれているため15年間踏まれ続けてきたのに残っていて、グーグルマップでも確認できる。
そういえば淺井は天王洲の寺田倉庫の側面にも巨大壁画を描いているし★3、新潟県十日町市の越後妻有里山現代美術館MonETの壁をはじめ各地の芸術祭でもミューラルを手がけてきた。テンポラリーなものや海外の作品も含めると、淺井ほど多くのミューラルを手がけたアーティストも少ないのではないか。

淺井裕介《何も語るな、何も記憶するな、全て忘れろ》 天王洲・寺田倉庫[筆者撮影]
ミューラルとグラフィティ
大山にしろ淺井にしろHITOTZUKIにしろ、もともと美術学校で学んだファインアート系の画家というより、グラフィティやストリートから出発したアーティストであることに留意したい。近年のミューラルはこうしたグラフィティ系のアーティストによって発展してきた。グラフィティ追放を目的のひとつとするミューラルが、グラフィティの書き手たちによって支えられているという構図。そのことがより顕著なのが大阪である。
大阪では民間ビルの壁をミューラルで飾るのが流行っているらしい、と知って、さっそく冒頭で触れた広島の帰りに寄ってみた。特に集中しているのが淀川区と此花区だという。最初に見たのは、淀川の堤防沿いに建つ4階建マンションの側面に施された岡本太郎のポートレートと装飾模様。これは完成度が高く、よく目立つ。2025年の大阪万博を前に、1970年の日本万国博覧会の顔である岡本太郎をフィーチャーしたそうだ。帰りに地下鉄で新大阪駅へ向かう途中、淀川の橋を渡ったときにも目に入ってきた。ロケーションも抜群だ。

DOPPEL《岡本太郎》 大阪市淀川区[筆者撮影]
淀川区でミューラルが集中しているのは阪急十三駅周辺。ぐるっと回ると、あるある、猛虎、骸骨、キツネの面などのモチーフが民間ビルの壁や店のシャッターに描かれている。これらはコロナ禍の2021年、医療従事者への敬意を込めてビルの壁にナイチンゲールのポートレートを描いたのをきっかけに発足したミューラル・プロジェクトによるもの。十三を中心とする淀川エリアで実施されるため「淀壁(YODOKABE)」★4という。
もう1カ所ミューラルの集中している此花区へ移動し、西九条駅で降りて探してみるとすぐにガード下に発見。写真を撮ろうとポケットに手を入れた瞬間、血の気が引いた。スマホがない! 旅先でスマホをなくすのは致命的である。本文に関係ないので詳細は省くが、幸運にもスマホは別の駅で見つかった。電車内で落としたのをだれかが拾って届けてくれたらしい。よがっだ~!! その代わり予定を変更しなければならず、此花区では結局この1件しか見ることができなかったのだ。トホホー。
ともあれ、この「MURAL TOWN KONOHANA」★5と「淀壁」に共通しているのは、絵柄がポップで様式化され、色彩も明るく鮮やかであること、多くが画材にエアロゾルを使用していること、そして作者の名前の大半がアルファベットのコードネームであることだ。ここから作者の相当数はグラフィティの経験者か、ストリート系のアーティストであることが推察できるのだ。
グラフィティを防止するためにその書き手に合法的にミューラルを描かせれば、違法グラフィティが減るうえに書き手も仕事が得られ、一挙両得である。のみならず街が楽しくきれいになる。よいことづくめに聞こえるが、それによってグラフィティが本来持っていた批評性や諧謔精神が失われてしまったら元も子もないが。
もうひとつ懸念するのは作品保護の問題である。ミューラル制作にあたっては公開期間の契約があるはずだが、さまざまな事情により期間が短縮されたり、建物自体が取り壊されたりする可能性もある。その場合、作者がどれだけ権利を主張できるだろうか。アメリカでは今年5月、ダラスのビル壁面に描かれた巨大壁画がFIFAワールドカップのため塗りつぶされ、作者が2500万ドル(約40億円)の損害賠償を求める訴訟を起こしたという★6。日本でもこれだけミューラルが盛んになってくるとトラブルも増えてくるのではないか。
ミューラルから仮囲いアートへ
そこで最近目にするようになったのが「仮囲いアート」と呼ばれるものである。工事現場などを隠す白い金属板の仮設の塀をミューラルで彩るもので、特に大規模な再開発工事が相次ぐ都心でしばしば見かけるようになった。これならあらかじめ期間限定なので上記のようなトラブルも生じにくい。
仮囲いには以前から広告や緑の植物模様が貼られているのはよく見かけたが、アーティストによるミューラルが見られるようになったのはここ数年のこと。それもこれまで見てきたようなグラフィティ系ではなく、ファインアート系のアーティストの作品が多いこと、そして仮囲いに直接描くのでなく、原画をシートにプリントして貼る方式が大半であることが特徴だ。 プリントにするのは、仮囲いなので工事が終われば消滅するからであり、数年の公開なので修復の必要もないからであり、原画が小さくてもサイズを拡大できるからであり、なにより現場で制作しなくても済み、アーティストの負担が少ないからでもあるだろう。もちろんそのために印刷技術や素材の質が向上しなければ実現しなかったが。
これを自社ビル建設の際に計画的に行なったのがTODA BUILDINGの「KYOBASHI ART WALL」である。戸田建設が2021年から京橋で建て替えていたTODA BUILDINGの建設現場において、半年にいちど公募で選んだアーティストの作品を大判シートに印刷し、全4回にわたって仮囲いに掲示してきた。ビルは2024年に竣工したので仮囲いは撤去されたが、開業後もビル内のスペースで計16人の入選アーティストによるグループ展を開催するなど、活動を支援している。
京橋の隣の日本橋では再開発現場の仮囲いに平子雄一のミューラルを発見。ここには木造建築が建つらしく、それゆえ一貫して植物や自然と人間との共存をテーマにしてきた平子が選ばれたのだろう。《イケガキ》と題された作品は、ピンクや黄色の背景に樹木や鉢植え、自動車、樹木人間などが整列するように描かれ、見ていて楽しくなる。これもプリントだが、工事完了も近いので、見られるのもあとわずかだ。

平子雄一《イケガキ》 日本橋本町[筆者撮影]
六本木では毎年開催される「六本木アートナイト」に合わせ、しばしばプリントを貼りつけたミューラルが登場する。特に2022年にロアビルの仮囲いを彩った増田セバスチャンや、首都高速の橋脚を飾った今井俊介のミューラルが記憶に新しい。現在も六本木通り沿いの消防署建設予定地を囲む仮囲いに、水戸部七絵ら3人のミューラルがある。水戸部といえば絵具をてんこ盛りにしたレリーフ状の絵画で知られるが、まさかそれをここに展示するわけにはいかず、印刷されてフラットになった作品を貼り出した。当初より工事の予定が遅れているようで、いましばらくミューラルを鑑賞できそうだ。
東京都はこうした「仮囲いアート」を推進していくプロジェクト「TOKYO CITY CANVAS」を2024年から始めた。これまで江戸東京博物館で小牟田悠介、駒沢オリンピック公園で原田郁の作品が掲示されたが、工事が終ったため両作品ともいまはない。現在見られるものでは、2015年に閉館したこどもの城の前の仮囲いに荒井良二が絵本をモチーフに展開した《はっぴぃさんTheater》や、工事中の渋谷駅前の仮囲いを彩る「〜Shibuya Culture Jungle〜多様性を輝かせる」の第2弾、自閉スペクトラム症の太田宏介のナイーブな作品などがある。

荒井良二《はっぴぃさんTheater》 旧こどもの城前[筆者撮影]
横浜、ロコ・サトシ
プリントは仮囲いだけでなく壁にも使われ始めている。代々木駅近くのガード下にはロッカクアヤコによる見事なミューラルがあり、一見壁に絵具を塗りたくっているように見えるが、よく見るとプリント。直塗りだろうとプリントだろうと遠目に見れば視覚効果はそれほど変わりないはずなのに、なぜか残念な気分になる。仮囲いなら短期間なのでプリントでも許せるが、より重厚で堅牢な壁には「本物志向」「オリジナル信仰」がまつわりつくようである。

ロッカクアヤコ Untitled 代々木駅ガード下[筆者撮影]
逆に、仮囲いなのに直接描いたミューラルもある。2024年、横浜駅近くの神奈川公園で浸水被害を軽減するための工事現場の仮囲いに、キム・ガウンが完成させた《夢を描く人たち》もそのひとつ。約70mに及ぶ塀に黒い大きなクマと白い小さなウサギの物語が展開している。現場で約半年かけて制作したのも、工事が終わるのが約7年後なので公開期間が長いことと、公園で遊ぶ近所の子どもたちとのコラボレーションが可能だったからだ。
この公園の隣にある横浜市立幸ケ谷小学校の擁壁にも賑やかなミューラルがある。これは横浜を拠点に活動してきたロコ・サトシが同校の創立80周年を記念し、2008年度の卒業生とともに壁に直に描いたもの。「幸ケ谷夢の水族館 お魚フェスティバル」と題して、2頭の大きなクジラの下に種々の魚介類が色鮮やかに描き出されている。
実はこの記事を書こうと思ったもうひとつの引き金が、この春、ロコ・サトシの訃報に接したことだった。ぼくはロコ氏と確か1度しかお会いしたことがないが、その存在は40年以上も前から知っていた。

ロコ・サトシ《幸ケ谷夢の水族館 お魚フェスティバル》 横浜市立幸ケ谷小学校[筆者撮影]
1983年の初春、キース・ヘリングの取材を終えニューヨークから帰って間もないころ、いまは廃線となった横浜の東急東横線高島駅と桜木町駅間の高架下にキースみたいなグラフィティがあると聞いて見に行ったのだ。確かに黒ずんだ壁に白いチョークで描かれたコミカルな線描画はキースに似ていたが、そのときは作者がだれかわからず、たまたま取材に来ていた地元新聞社の記者と「だれが描いたんでしょうね」などと話したくらいだから、地元でもまだ知られていなかった。その後、作者がロコ・サトシというアーティストであること、キースより早い1970年代後半から東急東横線の高架下でグラフィティを始めていたことなどを知ることになる。
実際に本人に会うのはさらに20年以上も先、ぼくが絵を描くため横浜にアトリエを借りたとき、知り合いが紹介してくれたのだった。でも特に昔の話をすることもなく、とおりいっぺんのあいさつを交わしただけだったのが少し心残りではある。
ロコ氏は高架下のグラフィティで知られるようになり、1989年の横浜博覧会でパビリオンの壁画を手がけたのをはじめ、横浜市バスの車体をペイントしたり、地元のジャズ祭でライブペインティングを行なったり、いくつかの小学校の壁に生徒たちとコラボレーションしたりするなど、市内のさまざまな場所で数多くのミューラルを制作。ぼくのアトリエ近くの薬局にも鮮烈なシャッター画を残していたが、昨年再開発のため取り壊されてしまった。彼は作品を残すことには頓着していなかったようだが、その名前は横浜の文化史に確実に刻み込まれている。ロコ・サトシは横浜だけでなく日本のグラフィティ、ミューラルの先駆的存在だったことを銘記しておきたい★7。
これから?
さて、壁画からミューラルへ、ミューラルから仮囲いアートへという流れを見てきた。物理的にも気分的にも、重く厚いものから軽く薄いものへと移ろってきたことがわかる。これを縮めて「軽薄」とはいいたくないが、この流れはまさに時代の変化を如実に反映しているのだ。
しかし軽く、薄くなったのは材質や中身だけではない。作品の寿命も格段に軽く、薄くなった。先史時代の洞窟壁画は最古のもので4、5万年前から残っているし、ポンペイのフレスコ画は約2000年前、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画でも500年以上経っているが、ミューラルだとせいぜい10年単位、仮囲いアートに至ってはわずか2、3年の命なのだ。
このまま軽く、薄くなっていくとどうなるだろう。行き着く先はエフェメラルな映像か。これまでにも建物に映像を投射する「プロジェクション・マッピング」や、絵画を拡大・変容させて壁面に映し出す「イマーシブ・ミュージアム」なるものが開発されてきたのでノウハウはある。あとは機材やコストの問題がクリアされれば、都会の壁や仮囲いは動く映像に覆われ、さらに賑やかになるに違いない。これなら作品を取り替えるのも簡単だし、修復の必要もないし、飽きられたら消せば済むし……。それは嫌だな。
たとえ形式は軽く、薄くなっても、せめて内容は濃く、厚いものであってほしいと願うばかりだ。
★1「上野駅と猪熊弦一郎の《自由》」2026/03/01-06/28、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館https://www.mimoca.jp/exhibitions/20260301uenofreedom/
★2──国立競技場モザイク壁画原画《より速く》下絵
宮本三郎(1905–1974)http://www.miyamotosaburo-annex.jp/kidsguide/yorihayaku/more.pdf
★3──天王洲ではほかにも利根川光人のモザイク画からバリー・マッギーや山口歴のミューラルまで、新旧世代の作品が見られる。https://tennoz-art-festival.com
★4──淀壁 https://www.yodokabe.net
★5──MURAL TAOWN KONOHANA https://www.wallshare-inc.com/muraltownkonohana
★6──「壁画塗りつぶし問題、作者がFIFAらを提訴──約40億円の損害賠償求める」ART news JAPAN、2026年6月4日。https://artnewsjapan.com/article/75647
★7──横浜・岩崎博物館では、ロコ・サトシが同館で20年以上続けてきたワークショップ「マイティサミット」を振り返ると同時に、ロコ・サトシの足跡を辿る記録展が開催された(2026/07/03-07/12)。 https://dp29190698.lolipop.jp/pg369.html
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