
バンクシー《花束を投げる男》
2003年、壁・塗料、約6×8メートル、パレスチナ、ベツレヘムのアッシュ・サロン通り沿いにあるガソリンスタンドの壁
Photo: Dylan Shaw, Palestine 2022
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平和への架け橋
笛、太鼓、鉦(かね)の祭囃子(まつりばやし)が、遠くからでもよく聞こえていた。夏祭りが終わり、緑の葉に濃い紫色をしたアジサイの大輪が美しい神社の前では、子供たちがケンケンパをして遊んでいた。あれっと思った。舗装された地面に30センチくらいのプラスチックの棒を、横向きに10本ほど間隔を開けて、梯子(はしご)のように縦一列に並べていた。昭和時代は、地面にチョークか蝋石(ろうせき)で円を描いていたのだが、今は地面を汚してはいけないのだろうか。時の流れを感じ、子供の頃無造作に公共物に落書きをしていたことを反省した。
そして同時に、人間は太古の昔から大地や洞窟に記号や絵を描いてきたと思った。アボリジニの砂絵やショーヴェ洞窟壁画は人間の本能の表われであろう。生存するために描かずにはいられなかった人々の痕跡だ。現代、街中で見かける記号や絵はグラフィティなどと呼ばれ、都市の景観の一部になっているが、単なる落書きなのだろうか。テレビのニュースでも話題の神出鬼没のグラフィティ・アーティスト、バンクシーの代表作《花束を投げる男》(パレスチナ)を探求してみたい。
バンクシーは、世界各地の壁などにメッセージ性の強いポップな作品を描くことで知られており、特にパレスチナでの活動は継続的に行なわれていて名作が多い。パレスチナとは、地中海の東に位置する沿岸地域で、ヨルダン川西岸地区とガザ地区のふたつの地域を指す。レバノン、シリア、ヨルダン、エジプトに囲まれており、2000年以上もの間、領土と主権をめぐり、パレスチナのアラブ人とイスラエルのユダヤ人が対立している。シンボリックな《花束を投げる男》が平和への架け橋になるといい。
東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科教授で国際連携担当の副学長を兼任されている毛利嘉孝氏(以下、毛利氏)に《花束を投げる男》の見方を伺いたいと思った。毛利氏は社会学、メディア論、文化研究を専門とし、『バンクシー──アート・テロリスト』(光文社、2019)や『失われたバンクシー──あの作品は、なぜ消えたのか』(翻訳監修、青幻舎、2025)など、バンクシーに関する著書や翻訳書を手掛けられてきた。東京・東中野のカフェでお会いすることができた。

毛利嘉孝氏
段ボールのプラカード「NO WAR」
毛利氏は、雨の中をバンクシー初の公式作品集『Banging Your Head Against a Brick Wall』(2001)や、最初に出版された画集『Wall and Piece』(2005)など、数冊をバッグに入れて持って来てくれた。1963年長崎県に生まれた毛利氏は、父親が金融系の公務員だったこともあり、1982年京都大学の経済学部に入学したという。先輩には助手になったばかりで『構造と力』(1983)を出版する前の批評家、浅田彰(1957-)がいた。ケインズ経済学を専門とする瀬地山敏(1936-)先生に学び、1986年に京都大学経済学部経済学科を卒業し、セゾングループのエスピーエヌという広告代理店に入社。同社はその年に第一広告社と合併してI&Sとなる。
イギリスのロックやパンクが好きだった毛利氏は、英語の勉強をしながらイギリスに滞在する目的で、1994年ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジの修士課程に入学し、メディア&コミュニケーション論を専攻、そのまま会社を辞めてしまう。その後ロンドンで知り合った研究者に勧められ、大学の公募で1998年九州大学大学院の比較社会文化研究科助手の職を得た。ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジには2000年に社会学の博士論文を提出し、博士号を取得。「文化芸術に近いところで仕事がしたい」という思いと、両親が東京に住んでいたため、2005年に東京藝術大学へ異動し、音楽学部音楽環境創造科の准教授に就任した。2016年新設された大学院の教授となり、2026年より副学長などを兼任している。
バンクシー作品との出会いは、毛利氏がロンドンに滞在していたときだった。「街でグラフィティは見ていた。テレビでも取り上げられており、バンクシーは話題になっていたが、認識したのは美術館のグッズ売り場に作品集が置かれ始め、イラク戦争が起きた2003年。バンクシーは、爆弾を抱きしめる少女や、リボンを付けた戦闘用のヘリコプターの絵に『NO WAR』というメッセージを添えた段ボールのプラカードを作り、デモの参加者に配っていた」と毛利氏。
グラフィティは、ヒップホップの4大要素のひとつとして、1970年代初頭アメリカ・ニューヨークの貧しいブロンクス地区に住む黒人コミュニティから生まれた。1980年代にイギリスに伝わり、ロンドンやブリストルを中心に広がっていった。
ヒップホップの要素には、スプレー缶などを用いて街中の壁や地下鉄の車両などに色鮮やかな文字や絵を描く“グラフィティ”と、ターンテーブル2台を操りレコードをスクラッチして場を盛り上げる“DJ”、テンポの良いビートに合わせて韻を踏み即興で言葉を紡ぐ“ラップ”、アクロバティックな回転技やリズミカルなステップでDJが流す音に合わせて体全体で自己表現する“ブレイクダンス”があり、「武器の代わりに知恵とセンスで競い合う」として生み出されたマイノリティの表現である。
ブリストルのパンクとヒップホップ
公共物に落書きをするグラフィティは、財産の破損や地域の治安悪化につながり法律に抵触する。バンクシーはグラフィティが非合法ということもあり、匿名で活動しているため、身元の詳細は不明である。匿名性は、アートをすべての人に開放するための概念で、誰もが楽しめるアートを作ることと同時に、誰もがアーティストになり得る可能性を開いている。
バンクシーは、1973年イギリス・ブリストル出身のアーティストで、本名はロビン・ガニンガム(Robin Gunningham)、あるいはロビン・バンクス(Robin Banks)と推測されている。ただ人々には、バンクシーを正体不明のまま活動させたいという願望もあるのだろう。ブリストルはロンドンから西へ約170キロメートル離れたイングランド南西部の都市で、人口は約50万人(2026年現在, World Population Review)。古くから貿易港として栄え、奴隷貿易の暗い歴史がある。第二次世界大戦後にジャマイカや西インド諸島など、旧植民地から移民が押し寄せ1950~60年代は人種の坩堝となった。夜ごと家の地下で違法クラブが開かれ、ジャズやレゲエ、サイケデリックロックなど、多彩なサウンドが混ざり合い、オリジナリティの高い音楽が生み出されていた。
ニューヨークのヒップホップをそこへ持ち込んだのが、ブリストルの音楽ユニット、マッシヴ・アタックの前身となるグループ、ザ・ワイルド・パンチのロバート・デル・ナジャ(1965-)、通称3Dだった。3Dは自らグラフィティを描き、彼と友人であったバンクシーは音楽との関係が強く、反権威主義のパンクロックに影響を受けながらレコードジャケットも描いていた。
不良の美学
バンクシーは1999年、拠点をブリストルからロンドンへ移した。翌年ブリストルのレストラン、Severn Shedで個展を開き、作品は初日にほぼ完売したという。そして活動を世界へ拡大し、イラク戦争が始まった2003年パレスチナへ向かい《花束を投げる男》を制作。ロンドンではショーディッチで牛や豚にペイントを施した「Turf War(縄張り争い)」展を開く。2004年現代アートのパトロンであるチャールズ・サーチがバンクシーの熱心なファンであると告白したが、バンクシーは「サーチに自作を売ることはない」と応答。ロンドン自然史博物館にネズミの作品《バンクサス・ミリタス・ラタス》をゲリラ設置する。
2005年パレスチナの高さ8メートル、全長約700キロに及ぶ分離璧に作品を描く。2006年には故郷ブリストルのパーク・ローのワークショップで新作を1点約21,400円で販売すると2時間で完売。売り上げは発展途上国の視覚障害者のための国際的な基金に寄付された。2007年オークションハウスBonhamsで《宇宙服の少女と鳥》が約6,800万円で落札される。2008年エイズ支援のためのチャリティーオークションでは、ダミアン・ハースト(1965-)との共作《キープ・イット・スポットレス》が約2億円で落札され、現代美術マーケットの中でストリートアートの価値が認識された。ロンドンのウォータールー駅地下に位置するリーク通りで、世界中のグラフィティ・ライターが集う「Cans Festival」を主催し、トンネル内に多数の作品が描かれた。
2013年ニューヨークでは、「Better Out Than In」というイベントを行ない、約1か月間、毎日どこかにステンシル作品やインスタレーション作品を残した。さらに2015年にはイギリスの避暑地ウエストン=スーパー=メアで、“不愉快な”テーマパーク、《ディズマランド》をオープン。わずか5週間で世界中から15万人以上が詰めかけ、約53億5,000万円の利益を生み、町に大きな経済効果をもたらした。2017年パレスチナのベツレヘムの分離璧前に「世界一眺めの悪いホテル」こと《ザ・ウォールド・オフ・ホテル》を開業した。
2018年ロンドンのサザビーズ・オークションで「《愛はごみ箱の中に》シュレッダー事件」を起こし、ニュースとなった。2019年サザビーズにて、議会にチンパンジーが集まって議論する《英国の地方議会》が約13億円で落札。2020年イギリスのサウサンプトン病院にCOVID19と戦う医療従事者をテーマとした《ゲーム・チェンジャー》を寄贈し、それが翌年オークションにかけられ約25億円で落札された。日本でも「バンクシーって誰?展」(寺田倉庫、2021)など、いくつかの展覧会が非公式ながら開催されている。2023年スコットランド・グラスゴーにある現代美術館、ギャラリー・オブ・モダンアートで個展『CUT&RUN』を開く。2026年ロンドンの政治の中心地ウエストミンスターに、国旗で顔が覆われた米国大統領に似たスーツ姿の男性が片足を踏み外す立像を設置した。
毛利氏は「グラフィティが蔓延している都市ほど、クリエイティブで民主的で先進的のように見える。整然とした秩序を快楽として享受するのは支配、管理する側の視線。グラフィティは、こうした視線によって均質、同質化するものと対立する社会からはみ出した不良の美学かもしれない。大きなことを言えば、ストリートアートの発展は、表現の自由と民主主義をどのように考えるかということにかかっている」と述べている。
花束を投げる男の見方
①タイトル
花束を投げる男(はなたばをなげるおとこ)。英題:Flower ThrowerまたはLove is in the Air
②モチーフ
インティファーダ(圧倒的な軍事力によって進攻を進めるイスラエル軍に対するパレスチナ人の投石による抗議。民衆蜂起)。
③制作年
2003年。
④画材
壁・塗料。
⑤サイズ
縦約6×横約8メートル。
⑥構図
1968年パリの五月革命の有名なポスター《美はストリートにある》を彷彿とさせる絵柄で、バンクシーは人物を横向きにレイアウトした。ポスターには「美は美術館や特権階級のものではなく、自由や変革を求めるストリートの混沌と行動の中にある」というメッセージが込められている。
⑦色彩
黒、黄、緑、紫、オレンジ色。
⑧技法
ステンシル技法。最初に段ボールを切り抜いて型紙を作り、壁に型紙を貼って塗料を吹き付けて描く。ステンシル・グラフィティの父と呼ばれるフランス出身のブレック・ル・ラット(1951-)やブリストルの音楽ユニット、マッシヴ・アタックの創立メンバーである3D(ロバート・デル・ナジャ)から影響を受け、また1950年代から70年代初めに社会批判、実践を試みた前衛集団シチュアシオニスト(状況派)が展開してきた「転用(既存の芸術作品、文章、映像、広告などの要素を本来の文脈から切り離し、まったく異なる文脈に組み替える表現手法)」にその先駆を見ることもできる。
⑨サイン
なし。
⑩鑑賞のポイント
2002年、イスラエルがテロ防止を名目に、パレスチナとイスラエルを分断する分離壁を建設した。バンクシーは「パレスチナを世界最大の野外刑務所にしてしまった」と語り、2003年パレスチナのヨルダン川西岸にあるイエス・キリスト生誕地とされる町ベツレヘムのアッシュ・サロン通り沿いにあるガソリンスタンドの壁に《花束を投げる男》を描いた。武力を持つ優位なイスラエル軍の軍事攻撃に投石で対抗したパレスチナ人の抗議運動をモチーフに、キャップを後ろ向きに被り、フェイスカバーで顔を隠したひとりの男[図1]を描き、男の手には石ではなく色の付いた花束[図2]を持たせた。ビジュアル表現で現状を変えようとする「アート・テロリスト」バンクシーの姿勢が表われており、紛争地におけるこの巨大な壁画からは、怒りや悲しみではない、愛や平和のメッセージとともにユーモアの英知が伝わってくる。バンクシーの作品は、落書きなのかアートなのか、器物損壊の犯罪行為なのか、表現の自由なのか。非暴力のレジスタンスとして、人権とは何かをも問うバンクシーの代表作である。
図1 キャップとフェイスカバーで顔を隠した男(《花束を投げる男》部分)
図2 花束(《花束を投げる男》部分)
反美術史的な表現
第一次世界大戦(1914-18)中の1917年、イギリスのアーサー・バルフォアは外相として、ユダヤ人のパレスチナにおける居住地建設を支持する書簡「バルフォア宣言」を発表した。ユダヤ系の大資本家一族ロスチャイルド家を取り込む思惑があったとされる。このバルフォア宣言が世界中から批判されるのは、イギリスがパレスチナという同じ土地をめぐって、矛盾する3つの約束を同時に交わしていたからだった。イギリスは1915年、中東地域のアラブ人を味方につけるため、メッカの太守であるハーシム家のフセインとの間で「フセイン・マクマホン協定」を結び、アラブ人居住地の独立支持を約束した。さらに、1916年には「サイクス・ピコ協定」によって、イギリス、フランス、ロシアの間で中東地域の分割を定めた秘密協定も結んでいた。この密約では、パレスチナは国際管理下に置くとしている。つまり、イギリスは三枚舌を使っていた。
毛利氏は「バンクシーはイギリス人ということもあり、パレスチナについて特別な場所として責任を感じている。グラフィティ界隈では、イスラエルとパレスチナの分離壁が聖地になっている。以前の聖地はベルリンの壁だった。世界中の有名グラフィティ・ライターが自分のマスターピースを描いていたが、1989年に壁がなくなり、次に注目されたのがパレスチナの壁。グラフィティはなくなっていく、あるいはなくすこと自体が目的のため、作品を残すことを目的にしない。むしろ壁が壊れることが重要になってくる。作品がなくなる。それが他のアート作品とは異なる。消されていった絵にメッセージがある。不足を考え、考えさせられるところがグラフィティだ」という。
《花束を投げる男》については、「実際に現地へ行って作品を見る人はほとんどいないだろう。実物よりTシャツや印刷物、ネットの写真で見たことがある人が多いと思う。グラフィティとネットが結び付いたことは大きい。作品を見た人が写真を撮って、それをウェブに載せて世界中に広まっていく。その写真を見て、そこの現場へ行ったときには作品が消されているか、誰かに持っていかれてなくなっている。結局ウェブ上にたくさん作品の写真が残っている。グラフィティは反美術史的な表現であり、美術の在り方をも問う。現在パレスチナ問題は、美術の世界でも問題になっているが、バンクシーは2002年に分離壁が作られた早い段階で介入していた。圧倒的な軍事力の差があって、ジェノサイド(集団殺害)みたいなことが行なわれている地域で描いた。石でも火炎瓶でもよかったが、それを花束にせざるを得なかった。複雑な気持ちだったと思う。イスラエル人からは監視され、パレスチナ人からはグラフィティのネタにされること自体を嫌われたかもしれない」と毛利氏は語った。
バンクシーは、都市の記憶や歴史、権力と抵抗をテーマに、グラフィティやアートテロを通じて社会批評を展開している。見えない支配を可視化し、傍観者になりがちな我々の不作為な罪に警鐘を鳴らす。
毛利嘉孝(もうり・よしたか)
1963年長崎県生まれ。東京藝術大学副学長(国際連携)、同大学大学院国際芸術創造研究科研究科長・教授、音楽学部音楽環境創造科教授、グローバル・サポート・センター長。1986年京都大学経済学部経済学科卒業、1995ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジメディア&コミュニケーション論修士課程修了、2000年同大学社会学博士課程修了。博士(社会学)。1986年広告代理店I&S入社、1998年九州大学大学院比較社会文化研究科助手、1999年同助教授、2005年東京藝術大学音楽学部音楽環境創造科准教授、2016年同大学大学院国際芸術創造研究科教授、2026年より現職。専門:社会学、メディア論、文化研究。所属学会:カルチュラル・スタディーズ学会、日本ポピュラー音楽学会、日本メディア学会、INTER-ASIA CULTURAL STUDIES SOCIETY、ASSOCIATION FOR CULTURAL STUDIES。主な著書:『文化=政治』(月曜社、 2003)、『増補 ポピュラー音楽と資本主義』(せりか書房、2012)、『バンクシー──アート・テロリスト』(光文社、2019)、『ストリートの思想:増補新版』(筑摩書房、2024)など。
バンクシー(Banksy)
グラフィティ・アーティスト。壁などにいたずら書きをする落書きは本来違法な行為のため、実名や出身地など詳細は不明である。本名はロビン・ガニンガム、あるいはロビン・バンクスと推測されている。1973年頃イギリス南西部の都市ブリストル近郊に誕生。1989年ブリストル・カテドラル・スクールを卒業、1990年代にブリストルでグラフィティ活動を開始し、フリーハンドからステンシルに転向する。1998年ブリストルの波止場地区でグラフィティのフェスティバル「Walls on Fire」を盟友インキーらと企画・開催。1999年ロンドンに拠点を移す。2000年We Love Youレーベルのオムニバスアルバム『We Love You… So Love Us』に《花束を投げる男》を描く。2001年初の作品集『Banging Your Head Against a Brick Wall』を自主制作。2002年2冊目の作品集『Existencilism』を自主制作。2003年にはイラク戦争反対デモのために「間違った戦争(Wrong War)」などのプラカードや反戦のステンシル作品を制作。パレスチナで作品を描く。テート・ブリテン美術館に牧歌的風景の上に警察の立ち入り禁止テープを描いた絵画を無断でゲリラ展示。2004年3冊目の作品集『Cut it Out』を自主制作。2005年ニューヨークのMoMA、メトロポリタン美術館、ブルックリン博物館、アメリカ自然史博物館に入り込み、作品をゲリラ展示。大英博物館にも潜入し、《アーリー・マン・ゴーズ・トゥ・マーケット》をゲリラ展示する。パレスチナの西岸地区分離璧に作品を描く。Centuryより作品集『Wall and Piece』を出版。2007年イギリス民間放送局ITVの「アートで偉大なイギリス人」賞を受賞。2008年ロンドンのリーク通りで「Cans Festival」を主催し、世界中のグラフィティ・ライターを集めトンネルに作品を描く。ニューヨークで「The Village Pet Store and Charcoal Grill」展を開催。2009年ブリストルにてゲリラ展覧会「Banksy vs. Bristol Museum」を開催。2010年バンクシー初監督映画『Exit Through The Gift Shop』がサンダンス映画祭で上映。2015年ガザ地区に侵入し、ビデオ作品《新しい目標を発見する一年にしよう》を制作。イギリスのウエストン=スーパー=メアでディズニーランドを模した“憂”園地《ディズマランド》を開く。2018年ロンドンのサザビーズ・オークションにて、「《愛はごみ箱の中に》シュレッダー事件」を起こす。2021年東京・寺田倉庫 G1ビルにて「バンクシーって誰?展」開催。2023年スコットランド・グラスゴーのギャラリー・オブ・モダンアートで個展『CUT&RUN』を開催。2026年ロンドンのウエストミンスターに米国大統領に似た男性が片足を踏み外す立像を設置した。代表作:《花束を投げる男》《マイルド・マイルド・ウエスト》《風船と少女》《愛はごみ箱の中に》など。
デジタル画像のメタデータ
タイトル:花束を投げる男。作者:影山幸一。主題:世界の絵画。内容記述:バンクシー《花束を投げる男》2003年、壁・塗料、縦約6×横約8メートル、パレスチナ。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:Dylan Shaw、(株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Jpeg形式16.6MB、72dpi、8bit、RGB。資源識別子:dylan-shaw-Uq9UXSrXsGs-unsplash(Jpeg形式86.1MB、72dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。情報源:Dylan Shaw。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:Dylan Shaw、(株)DNPアートコミュニケーションズ。
画像製作レポート
バンクシー作品の公式認証機関Pest Control Officに《花束を投げる男》の写真提供をメールで依頼したが返信がなかったため、写真共有プラットホーム「Unsplash」から著作権フリーの《花束を投げる男》をダウンロードした。念のため写真の著作権者であるDylan Shaw氏へSNSを通じて連絡し、写真を無料で使用する許可を得た(Jpeg、86.1MB、72dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケールなし)。掲載期限なし。
Eye-One Display2(X-Rite)によって、iMac 21インチモニターを調整する。作品の色味を微調整し、作品の枠に沿って切り抜いた(Jpeg形式16.6MB、72dpi、8bit、RGB)。バンクシーのライセンスについては、「個人的な楽しみのために私の作品を自由に利用したり、改変したりすることを推奨しています。ただし、営利目的や、私が何かを推奨していないのに推奨しているように見せかけるような利用はご遠慮ください」とバンクシーのホームページに記載されており、著作権を放棄せずに良識の範囲で自由利用を認めている。
セキュリティを考慮して、高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」を用い、拡大表示を可能としている。
2026年5月29日より、独立行政法人国立美術館 国立アートリサーチセンター(略称:NCAR)では、国立美術館5館共同で運営する「国立美術館所蔵作品総合目録検索システム(5館総合目録)」において、パブリックドメイン作品(著作権保護期間が満了した作品)12,190作品の14,063点画像データについて、無償でダウンロード提供を開始しました。
Webサイト:https://search.artmuseums.go.jp
参考文献
・Banksy著、廣渡太郎訳『BANKSY:Wall and Piece』(パルコエンタテインメント事業部、2011.7.7)
・RAY MOCK著、毛利嘉孝・鈴木沓子訳『BANKSY IN NEW YORK』(パルコエンタテインメント事業部、2016.1.27)
・吉荒夕記『バンクシー──壊れかけた世界に愛を』(美術出版社、2019.9.10)
・毛利嘉孝『バンクシー──アート・テロリスト』(光文社、2019.12.30)
・大山エンリコイサム『ストリートの美術:トゥオンブリからバンクシーまで』(講談社、2020.4.10)
・『TJ MOOK バンクシーを読む』(宝島社、2020.4.10)
・スティーヴ・ライト+リチャード・ジョーンズ著、鈴木沓子訳、毛利嘉孝+小倉利丸監修『Banksy’s Bristol:HOME SWEET HOME Fourth Edition』(作品社、2020.4.20)
・Steve Lazarides『BANKSY CAPTURED』(ベストセラーズ、2020.5.31)
・ウィル・エルスワース=ジョーンズ著、鈴木沓子・玉川千絵子・小松原理和・清水知子・aggiiiiiii、田中恵子訳『バンクシー──壁に隠れた男の正体』(パルコエンタテインメント事業部、2020.6.5)
・ジョン・ブランドラー、アレッサンドラ・マッタンザ著、高橋佳奈子訳『BANKSY』(新星出版社、2021.7.5)
・毛利嘉孝監修『覆面アーティスト──バンクシーの正体』(宝島社、2021.7.28)
・『カーサ ブルータス特別編集 バンクシーとは誰か?【完全版】』(マガジンハウス、2021.8.1)
・ザビエル・タピエス著、和田侑子訳『増補バンクシー──ビジュアル・アーカイブ』(グラフィック社、2023.4.25)
・ケリー・グロヴィエ著、トライベクトル訳『How Banksy Saved Art History──バンクシーはいかにして美術史を救ったか』(PARCO出版、2025.2.2)
・ウィル・エルスワース=ジョーンズ著、毛利嘉孝翻訳監修、清水玲奈訳『失われたバンクシー──あの作品は、なぜ消えたのか』(青幻舎、2025.7.31)
・Webサイト:「Banksy(バンクシー)『Love is in the Air』作品の意味と解説(愛は空中に)2024.11.28」『The Art of Banksy』2026.6.5閲覧(https://theartofbanksy.jp/banksy-love-is-in-the-air-rundown/)
・Webサイト:毛利嘉孝「ギフトショップを通り抜けるとその先に出口が……」、鈴木沓子「2003年ロンドンと“バンクシー”という現象」、飯島直樹「ブリストルという街」「“ブリストル・サウンド”アルバムTop20」、小倉利丸「所有に抗する自由の空間」、「ブリストル市街図」『Banksy’s Bristol:HOME SWEET HOME(付録解説)』2026.6.5閲覧(http://www.sakuhinsha.com/art/27983.html)
・Webサイト:『Banksy Website』2026.6.5閲覧(https://www.banksy.co.uk/)
2026年6月

