
発行年:2026
発行:ビー・エヌ・エヌ
発行元ウェブサイト:https://bnn.co.jp/products/9784802513623
(前編より)
このようにマノヴィッチは生成AIが持つ「予測」の能力を指摘するが、アリエッリはそれに呼応するかのように、第6章において次のように書いている。
文化におけるAIの活用は、それぞれの文化的な産物が、膨大な潜在空間に眠る数ある可能性の一つにすぎず、選ばれなかった中にも同じくらい、場合によってはそれ以上に興味深く優れているものがあるかもしれないことを示唆しています。★1
つまりAIによって可能になる数えきれないほどの「予測」によって、私たちは「実現したかもしれない無数の別の姿を能動的に思い描ける」ようになるのである。これによって作品は想像上のイデアから抽出されたものと見なすことができ、そしてそうしたプロセスを、アリエッリは「人工プラトン主義」と呼んでいる。
この「人工プラトン主義」という形容による理解は、AIをヨーロッパの知的伝統の枠内に位置づける意図があるだろう。しかし、そもそもプラトンの思想は後続の思想家や神学者たちによって古代、中世とさまざまに解釈されており、近代になってそれらは「新プラトン主義」という一群としてパッケージングされたものでもある。そう考えるとアリエッリは一見すると大仰なこの呼称を、いずれプラトン主義のバリエーションとして回収される可能性も見込んで命名したようにも考えられる。
このように思うのは、アリエッリが執筆した第3章に、次のような記述があるからだ。彼はAIが書いた文章について、かつて私たちはそれに驚いたが、今ではそうではないことに触れ、「人間は新技術をあっという間に受け入れ、当たり前のものとして日常生活に組み込んでいきます★2」と述べている。AIが今よりももっと社会、日常に浸透し、当たり前になった未来が訪れたとき、生成AIの普及初期に行なわれたこの議論も、古代ギリシャのレガシーから文明を築き上げてきた私たちが回帰してしまう思考の「型」を表わしたものとして受け取られるのではないだろうか。つまり「人工プラトン主義」という言葉の面白さは、それがAIの新規性を説明しているようでいて、思想史の反復にもとれてしまうところにあるのだ。
こうした長い歴史のなかでAIについて考えることを可能にするのは、この本の特徴でもあり、その点は著者たちも意識していただろう。AIにできることが増えていくなかで、人間に残された可能性とは何か。マノヴィッチは若きアーティストへの手紙の体裁を取り、次のように書く。
AIが広大な無限の知識とスキルを有する以上、あなたはミクロなスケールで活動するべきです。ごく狭く、AIが到底到達できないほど狭い領域で、針穴を通すように。そうしてはじめて、人は超人的な生成AIと渡り合えます。★3
ここにあるのは、AIを新たな時代を切り開くためのツールとして過剰に評価もせず、人間の果たすべき役割がAIによって縮減されるディストピアに怯えることもない、恬淡としていると同時に毅然としたマノヴィッチの姿である。
同書に通底するファンダメンタルな論述からすると意外かもしれないが、マノヴィッチとアリエッリは、各章を2021年から24年にかけてインターネットで公開し、加筆修正を加えながら完成させた。つまりこの本の原形は、AIの猛烈な進歩のなかで、ジャーナリスティックなものとして発表されているのだ。著者たちが断片として論考をアップするなか、ChatGPTが公開され、Midjourneyなど画像生成AIも普及した。こうした同時代的背景を踏まえると、著者たちがこのように自らの足元を見つめ直し議論を組み立てたことは、このAIをめぐる奔流に押し流されてしまわないための知的な構えとして解釈することもできるだろう。仮に「人工プラトン主義」が嘲笑される未来がやってきたとしても、マノヴィッチとアリエッリが生成AIが台頭するなかで堅持しようとしたこうした矜持は、断じて笑われてはならない。
★1──レフ・マノヴィッチ、エマニュエーレ・アリエッリ『人工美学 生成AI・アート・ビジュアルメディア』(久保田晃弘監、高崎拓哉訳、ビー・エヌ・エヌ、2026、167ページ)
★2──同前、65ページ
★3──同前、215ページ
執筆日:2026/08/28(金)